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漆 『チャーリーゲーム』 3/10




「事故に遭ったのは私と、私の彼氏の大柳拓弥おおやなぎたくや、私の友人の宮本貴美子みやもときみこの三人。

 合宿からの帰りで三人とも同じ車に乗っていたんだけど、途中の山道で飲酒運転のトラックが逆走してきてね。

 反射的にハンドルを切ったんだけど車の横っ腹に衝突したの。


 ものすごい音と衝撃だけがあって、痛みを感じる暇もなかった。


 私は電気を消したみたいに、ふっつりと意識をなくした。


 次に気がついたときには、もう病院のベッドの上。


 左手を強く握りしめられて、それで目が覚めたの。


 意識はなかなか焦点が合ってくれなくて、ぼんやりしていたけれど、せいぜい寝ぼけているていどのものだったわ。


 その部屋は真っ暗で、カーテンの隙間から今が夜だってことはすぐにわかった。

 白いシーツが敷かれた四つのベッドがあるだけの部屋。

 別におかしなところはないけれど、不気味だったわ。


 だって、なんで自分がこんなところにいるのかわからないんだもの。


 混乱していると「良かった。意識を取り戻してくれた」って貴美子の声が聞こえてきたの。

 私の左手を強く握りしめて起こしてくれたのは貴美子なんだって、そのとき初めてわかったの。

 部屋は暗くて顔はよくわからなかったけれど、貴美子は私のベッドのすぐ横で椅子に腰掛けていた。


 貴美子は私が目を覚ましたことがわかって泣いていたわ。

 私たちが交通事故に遭ったこと、自分は頭を強かにぶつけただけで軽傷だったこと、そして、私の彼氏だった拓弥が死んだことを教えてくれた。


「即死だったらしいよ。けど良かった。私もあなたも、こうして生きてられて……」


 そう言って、貴美子は泣き始めたの。

 私は自分が事故に遭ったことと、彼氏の拓弥が死んだことがショックで放心してた。


 ……ごめんなさい。


 ちょっと休ませてちょうだい。


 ……………………。


 現実が受け入れられなかった。


 それが逆に良かったのかもしれない。


 事故や拓弥のことを考えたくなくて、私は部屋の違和感に気がついた。


 貴美子はなんでこんな暗い部屋にずっといるの?


 私を起こさないようにするため?


 いや、ちがうでしょう。

 貴美子は私に起きて欲しかったんだから。


 左手に力を込めてみると貴美子の両手に包み込まれていて、ほとんど動かすことができない。


 この子の手って、こんなに大きかった?


 貴美子って普通の女の子よりも小柄なの。

 あなたの助手さんと同じかそれ以上にね。

 でもはっきりとはわからないけど、不自然に大きいように思えるのよ。

 私の左手を握る手がね。


 なんだかゴツゴツしてて、やたら熱いの。

 犬とか猫とか、獣って人間より体温が高いでしょう?

 ああいう感じで、あっついの。


 人間の体温じゃないの。


 じゃあ、この貴美子の声で泣いている人は、なんなの?


 少しずつ怖くなってきたとき、今度は死んだはずの拓弥の声がした。


「景子! 起きてくれ! 目を覚ませ!」って何度も聞こえた。


 部屋の外、ドアのすぐ向こうから拓弥が叫んでる。


 すると今まで泣いていた貴美子がぴたりと泣くのをやめた。

 目を凝らして見たけど、部屋が暗すぎて輪郭くらいしか見て取れないの。

 それも人の形をしているていどのことしかわからなかった。


「景子ちゃんも聞こえた?」


 私が首を縦に振って体を起こすと、貴美子はそれを止めて「拓弥くんはもう死んだの! 反応しちゃ駄目!」って言ってきたわけ。


 そのあいだにも、拓弥の声は部屋に響いていて、ドアががたがたと動いている音が聞こえたわ。

 どうやら鍵がかかっているみたいで、外側から無理矢理こじ開けようとしてるみたいなの。


 私もうわけがわからなくて。


 でも確認しなきゃって、ベッドから降りたの。


「駄目だよ、景子ちゃん、駄目だよ、駄目だよ」って貴美子は私の左手を引っ張って、ベッドへ戻そうとしてきたわ。

 倒れそうになるくらいの強い力でね。

 明らかに女の子の力じゃなかった。


 貴美子の姿はいつになっても塗りつぶしたみたいに黒い影のままで、でも声は貴美子のまま「駄目だよ駄目だよ駄目だよ……」って。


 ……そいつが貴美子じゃないって、そこで理解したわ。


 私が拓弥の声がするほうへ強引に歩いていってドアノブに手をかけると、影はもう貴美子の声を使わずに、無言で左手を引っ張ってきた。


 ものすごい力だった。

 私は右手でドアノブを必死で握ったわ。


 左腕にかかる力は痛いくらいだったけど、それでも私はドアノブから手を離さなかった。

 もしここで離してしまったら、とんでもないことになる気がしたから。


 そのまましばらく自分の両腕で綱引きをしていたら、いきなり私の左腕がちぎれたの。


 途端に身体が軽くなって、視界が光に包まれたわ。


 痛みはなくて、助かったって気持ちのほうがはるかに強かった。


 でも、その光の中で、あいつは真っ黒な影のままだった。


 そして、私からもぎとった左手を持って、あいつは笑ってみせた。

 黒い影だけだから表情なんてわからないはずなのに、笑いながら、今度は貴美子じゃなくて、私自身の声でそいつは言ったの。


「逃がさないから」って。


 そこで目が覚めたわ」







 ん? え、もしかして今の話って……。


「それって夢の話ですか?」


 珍しく璃々佳ちゃんが話に割って入り、こっちが聞きたかったことをズバリと聞いてくれた。


「そうよ」

「「……」」


 景子さんはあっさりとそう答える。

 表情には出さないものの、怖かった夢の話を堂々とされると、どうコメントしていいものかわからない。


「勘ちがいしないで欲しいんだけど。事故に遭ったことは本当よ。この左手を見ればわかるでしょ」


 無造作にテーブルの上に放った左腕には、あるはずの手がついていない。

 夢の中で奪われたというわけではなく、事故によって失われたのだ。


「私はこのていどで済んだけど、夢で平気そうにしていた貴美子は全身打撲と複雑骨折で三ヶ月経った今でも意識が戻らない」

「彼氏さんの拓弥さんは無事だったんですか」


 景子さんの話の流れ的に、そうだと思ったのだが、これは失敗だった。


「死んだわ。即死だったみたい。声の大きい看護婦たちが聞きたくもないことを教えてくれたから。顎から上がなくなって、生きられるわけがないものね」


 口調こそ気丈だが、景子さんは目のふちいっぱいに涙を溜めてこぼれまいと堪えていた。


「辛い思いをされましたね景子さん。悲しいときは我慢をせずに泣いたほうがいいですよ」

「……」

「景子さんは、その事故がチャーリーゲームで取り憑かれて起きたものじゃないかと言いたいんじゃないですか?」

「……そうかもしれないけれど、話はまだ終わってないのよ」


 景子さんははらはらと頬からこぼれ落ちていく雫を拭うが、一度こぼれ始めた涙は後から後から落ちていく。


「あの日から、私は今日までに四回も死にかけてるの。逃げ出してきた大型犬に襲われたり、車が突っ込んできたり、マンションから植木や窓ガラスが落ちてきたり……。この前は背中を八針縫ったわ」


 偶然と言えば偶然かもしれないが、四回にもなってくると偶然以外の力を疑いたくなる気持ちも分かる。

 しくしくと泣いている景子さんにどんな言葉をかければいいのかわからなくて、残された右手に触れた。


 景子さんは驚いてこちらに目を見開くが、拒絶をしたりはせず、探るように握り返してきた。


「あなたたち、幻肢ってわかる?」

「ええ。ないはずの腕や足が、脳の錯覚によってあるように感じる現象ですね」

「私のなくなった左手はね。その幻肢なのよ」


 なくなった左腕の先端を、景子さんは私の手の甲に触れさせる。

 丸く閉じられた皮膚を隔てて、硬い骨の感触が伝わってきた。


「こうして目を閉じるとね。左手がなくなったなんて信じられないくらい、はっきりと感覚があるの。石膏で固められたみたいに、一ミリも動かせない左手の感覚がね。しかも、突然電気が流れたみたいに痛んだりするオマケつき」


 気味の悪い話だが、四肢を切断した人間にとって幻肢痛は珍しいものではない。

 ていどの差はあるが、患者の半分以上が経験するものと聞いたことがある。


「でもね。動かせなかったり、痛かったりするのはまだいいの。我慢すればいいし、治療法もないわけじゃない。でもね、ないはずの左手をつかまれるのは我慢できない……」

「ないはずの左手をつかまれる?」

「しかも毎回、事故で怪我をする直前につかまれるの。夢の中に出てきた貴美子の声で喋るあのナニカみたいに……」


 逃がさないから。


 引きちぎった左腕を抱えながら、そう言って笑う黒い影が頭の中に浮かんでくる。

 握った手から景子さんのインスピレーションが流れ込んできたかのように、イヤにはっきりとした臨場感だった。


 これはマズいやつだ。


 根拠はないが、確信をもって言える。


 オカルトには真贋がある、それを見抜けてこそ一人前だ。

 とは先輩の言葉だが、まちがいなくこれは本物だ。

 危険度も普通じゃない。

 これに深入りすると、こちらの命が危ないかもしれない。


 昔から勘は鋭いほうだ。


 この感じはまずい。関わるべきじゃない。


 頭ではそうわかってはいるものの、景子さんの手をふりほどくことができない。


「お願い……、私を助けて……。誰に相談すればいいのかもわからない。今日、初めてこうしてちゃんと人に話したの。このままじゃ……私……きっと連れてかれる。あの黒い影に殺される……」

「……」


 震える景子さんの右手から手を離す。


 代わりにかつえ景子さんの左手があった場所に手を伸ばし、先端にある丸みにそって指先を這わせた。


「ん」

「景子さん。痛いですか?」

「大丈夫。久しぶりよ。他の人に左腕を触ってもらうのは」

「怖かったんですね。でも安心していいんですよ、景子さん。必ずあなたを助けます」


 誓うように、景子さんの左手に力を込める。


 よほど不安だったのだろう。景子さんはついに声を上げて泣き始めてしまった。


 彼女の横に座り直すと、もたれかかって体重をこちらに預けてくる。

 そのまま泣きやむまで、彼女の頭を撫でて、しばらく抱きしめていた。


 年上で姉御肌の景子さんだが、泣いている姿は弱々しい女の子のままで、とても幼く感じられた。


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