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壱 『ホテルの亡霊』 3/5

三回目の投稿になります。よろしくね。

 今回の肝試しの舞台となるその廃ホテルの名前は、サークル内では西峠ホテルと呼ばれていた。

 その廃ホテルは見た目ではっきりと、長い間使われていないことを物語っている。

 ところどころ外壁の塗装が浮いてはげ落ち、窓ガラスはほとんど割られている。

 建物の周りに民家はなく、かわりにあるのは鬱蒼とした木々だけだった。

 今夜は分厚い雲が空をおおいつくしているおかげで、光といえばおれたちを囲っている木々の間から、弱々しく漏れてくる道路からの灯りと、この一人一つと言って渡された懐中電灯の小さな灯りしかない。

 まだ体に残っていた酔いの熱は、春とはいえまだ冷たい夜風にさらされてすっかり冷めてしまっていた。



 とりあえずおれたちは中に入り、一階のロビーに集合した。

 なかは懐中電灯がなければろくに歩くことも出来ないほど、暗闇で満たされていた。

 懐中電灯で照らして見てみると、ところどころコンクリートがむき出しになっていて、壁にはスプレーで落書きがされている。

 床には何かを燃やしたような跡もあり、さらに空き缶やゴミが散乱している。

 いくつかあるソファーは中身が飛び出ており、無造作に転がっていた。


 肝試しは新入生と先輩とでペアを組んだのち、順番に間隔をおいて出発し、一通りホテルのなかを回ってまたここに戻ってくるというものだ。

 新入生と先輩たちとでちょうど五つのペアが出来ることになる。

 このペアはくじ引きで、紙に書かれた出発の番号でペアが決まる。


 おれが引いたのは四番だった。

 不吉な数字だと思っていると、横からいきなり顔が浮かび上がった。


「よろしくな!!」

「ヒッ!!」


 のどから声が漏れて、変な声が出てしまう。

 顔の下から懐中電灯を当てている井上さんが、そんなおれを見て満足そうに笑っていた。


「残念だったな、由花子は三番だぞ」


 そう言いながら、恥ずかしがっているおれの顔に光を当ててくる。

 もう完全に手遅れだったが腹立たしいので、おれは驚いたことをなかったことにして、冷静さを装った


「よろしくお願いします」


 前のペアが出発して十分ほど経ってから、次のペアが出発する。

 おれたちは四番目の出発だったから三十分待ってから、ロビーをあとにした。


 ホテルの廊下は予想以上に不気味だった。

 足元にゴミが散らかっているので、転ばないように懐中電灯の光で足元を照らさなければならない。

 加えて、暗すぎて前がよく見えないせいで、まるでこの廊下が無限に続いているような錯覚を覚える。

 客室のドアはだいたい開きっぱなしになっているか、そもそもドアがなくなっている。

 そのせいで、客室の横を通り過ぎるたび、何かがいるような気がしてしょうがない。

 黙っていては怖さが増大するばかりなので、井上さんに話しかけてみることにした。

 井上さんはやはり慣れているのか普段と変わらず、落ち着いていた。


「このホテルっていつからこうなんですか?」

「八年前ぐらいになるかな。ここのホテルで殺人事件が起きて、無人になってからは、ずっとほったらかしだよ」


 聞きなれない殺人事件という言葉を聞いて背筋が凍った。

 井上さんはこちらを振り向きもせずに、淡々としている。


「冗談ですよね?」

「いや。マジな話だよ。八年前にここのホテルのオーナー夫婦が殺されたんだ。これからその殺された場所にも行くけど、奥に進むとこのホテルとオーナー夫婦の家が繋がっているんだ。八年前のある日、その家にある男が入った。このホテルは流行ってなかったらしいし、運悪くオフピークだったこともあって、人が全然いなかった。男は奥さんをナイフでメッタ刺し。旦那のほうも逃げ回って電話で助けを呼ぼうとしたところをメッタ刺し。犯人はそのあと捕まったらしいけど……犯人は何が動機で殺したんだっけな。スピードのキメすぎでラリッたとかだったか。単に金欲しさだったか。ま、殺人があったのは本当だ。当時の新聞にも載ってるぜ」


 もうおれは話の途中から耳をおおいたい衝動に駆られていた。

 聞くんじゃなかった。おれはそう深く後悔していた。気を紛らわそうとしたことが裏目に出てしまった。

 さっきより物陰にびくつきながら進んでいると、部長は急に立ち止まった。

 どうやら写真を撮るらしい。

 荒れ果てた暗い廊下がカメラのフラッシュで一瞬照らされ、フィルムに焼き付けられる。

 フラッシュが光ったとき何かが動いたような気がしたが、おそらく気のせいに過ぎないだろうと自分に言い聞かせていた。



 足元を左右に動く懐中電灯の丸い灯りのあとをおれたちはついていく。

 途中何枚か写真を撮ったが、これと言って何事もなく肝試しは進んでいった。

 おれは始めこそビビリまくりだったが、今はそうでもなく、それなりに慣れてきていた。

 よくよく考えてみれば幽霊なんて、やはりいるわけがない。

 そう考えながら廊下を歩いていると、少し開けた場所で井上さんがまた足をとめた。


「ここだ」


 そこはもともと喫煙所のような場所だったらしい。

 とは言っても狭苦しい部屋で隔離されているのではなく、ソファに座りながらゆったりとタバコを吸いつつ、新聞を読むことができるような広さだった。

 奥の方には窓がありその下に何かが載っている台があった。


 井上さんの持つ懐中電灯がその台を照らすと、その丸い灯りの中に今ではまず見かけない黒電話が浮かび上がった。

 おれはなにか急に空気が湿っぽくなった気がしていた。

 電話の台の前には何かの水溜りのような形の黒い跡があった。

 もしかしたらここに倒れていたのかもしれない。

 八年前に、まさにこの場所で人が殺された。

 強盗はきっとオーナーが死んだあとも、その死体にナイフを突き立てていたのだろう。

 ナイフを振り上げるたびに飛ぶ血飛沫。

 ここ一面は紅色に染まっていたのだ。

 おれはその血の飛沫のあとがまだ残っているかもしれないように思えてきた。

 おれたちを含めたその空間の中には重苦しい沈黙だけが流れている。

 その雰囲気からこれ以上の長居をしてはいけないと思った。

 井上さんもそう感じているらしい。


「早く写真を撮って帰りましょう」

「あぁ」


 井上さんがカメラのシャッターを切り、フラッシュが黒電話を浮かび上がらせた。そのとき――。


 ぢりりりりりりりりりりん


「「うわぁ!!」」


 突然電話が鳴り出した。


 ぢりりりりりりりりりりん――ぢりりりりりりりりりりん


 沈黙はその無機質なベルの音で破られた。

 ありえない。

 八年も前からここには誰も住んでいない。

 ということはここに電話線が通っているわけがないのだ。

 それにこんなタイミングで電話がかかってくるなんてことが考えられるだろうか?


 ぢりりりりりりりりりりん――ぢりりりりりりりりりりん


 それは死者からの電話に違いなかった。

 何かおれたちに訴えたいことがあるのだろうか。

 それとも、他人の死を興味本位でもてあそんでいるおれたちへの警告なのだろうか。

 頭の中にベルの音が反響していき、その音は次第に大きくなっていくように感じる。

 だがおれたちは不思議とすぐには逃げ出さなかった。

 むしろなぜか冷静な自分がそこにはいた。


「おれ、出てみます」


 何でこんなことを言ったのか未だに理解できないけれど、なぜかそのときおれは電話に出ることを決めた。

 井上さんは一歩も動かず、後ろから驚いた様子でおれを見ている。


 一歩、また一歩と電話に近づく。


 ぢりりりりりりりりりりん――ぢりりりりりりりりりりん


 受話器に手を伸ばしてから、一気に取って耳にあてる。


 ぢりりりりりりりりりりん――ぢりりりりりりりりりりん


 ……だが電話は鳴り止まない。

 なんで――。


「うわッ!!」

「のわあああああああああああああああああああああ」


 誰かに肩を叩かれたのに驚いて受話器を捨てて走り去ろうとすると、おれのすぐ後ろには由花子さんが立っていた。

 はぁ?


「あはははははは。のわあああだってさ。あはははははは。君みたいに驚いてくれると、こっちも驚かしがいがあるよ」

「おまえいくらなんでも笑いすぎだぞ由花子。ごめんな康一。毎年恒例なんだよこれ。怒らないでね」


 いきなりの展開に面食らって、金魚のように口をパクパクさせているおれを尻目に、由花子さんは黒電話の後ろに右手を突っ込んで携帯電話を取り出した。

 それとは別に左手にはもう一つ携帯電話が握られている。


「こういうことなのでした」


 要するにこれは悪質なドッキリということらしい。

 たぶん井上さんに聞かされたあの話も作り話なのだろう。

 ほっとしたのと同時におれは腰を抜かしてしまった。

 井上さんは苦笑しながらも、おれを起こしてくれた。


「はめられた……」

「あははははは。まぁほら元気出してよ。どうかな? 次は君も一緒に驚かす側にまわってみない?」

「はい?」



 というわけで、おれは由花子さんと一緒に驚かす役をやることになった。

 さっきの場所から道なりにしばらく歩き、左に曲がってから二個先の客室に入る。

 その部屋の窓からは黒電話がある場所が見えるようになっている。

 窓の向こうがどうなっているかはよくわからないが、懐中電灯の光で人がきたかどうかはわかる。

 当然向こうもそれは同じだが、こちらが懐中電灯を点けない限り、ここに人が潜んでいることを気付かれる心配はない。

 ここに黙って隠れ、懐中電灯の光が黒電話のあたりに移動したとき、タイミングを見計らって隠してある携帯電話を鳴らせばいいだけだった。


 井上さんも由花子さんに誘われたが先に一人でロビーに帰ってしまった。

 井上さんの「あいつといるととんでもない目に遭う」という言葉を思い出す。

 あれは本当だったのだろうか? 

 おれは由花子さんと暗闇で二人きりになれてうれしかったが、井上さんが帰りぎわに、おれを心配というよりは憐憫のまなざしでおれのことを見ていたのが、なんとなく気がかかりだった。


 その客室の窓の下でおれたちは次のペアが入ってくるのを待っていた。

 懐中電灯を点けていないので、ほとんど何も見えない。

 暗闇の中には二人の人間が溶け込んでいた。

 おれは携帯電話を片手に持ちながら、窓の外の様子をうかがっていた。


「さっきと違って不思議と怖くないでしょ」


 横に座っている由花子さんが、小声でおれに話しかけてきた。

 そう言われてみればさっきと比べて全然怖くなくなっていた。

 むしろ楽しいぐらいだ。


「そうですね。今はなんとも思いませんね」

「でしょう。それじゃあさっきまで、君は何を怖がっていたか分かるかな?」


 おれが幽霊だというと、由花子さんはそれもあるけどもっと他のものだと言った。


「それはね。狩る側の者が暗闇から現れるのを君は恐れていたのよ。これを狩りに例えるなら、驚かす役は銃をもった狩人、驚かされる側は狩人に狩られるかわいそうな獲物というところかな。

 なぜ人間が暗闇を恐れるようになったのか、それはまだ人間が自然の中で獣のような生活を送っていた原始のころの記憶が残っているからだと思う。

 暗闇のどこから自分の命を奪う者がくるのかわからない。

 だから獲物の立場にいるものは暗闇を忌み嫌う。でもこれが、狩る側の立場にいるのなら話は違ってくる。

 今の私たちはいわば狩人の立場に回って草むらの蔭から獲物がくるのをじっと待っている。獲物から身を隠すのにはこの暗闇は絶好の隠れ蓑になる。

 狩られる側にいたとき暗闇は恐ろしいものだったけれど、狩る側の立場にいるものにとって暗闇はたのもしい味方として存在している。

 だから今、君はこの暗闇を怖がりはしないというわけ」


 今夜は月もなく、窓の向こうに動くものは何もない。

 暗闇のなか、おれたちは息をひそめて人がやってくるのを待っている。

 たしかに狩人のようなものなのかもしれない。

 だが、この話の最後に由花子さんはこうも言っていた。


「でもね。本当は狩人も暗闇を恐れなければいけない。聞いたことあるでしょ? 亡霊を装いて戯れなば、汝亡霊となりぬべし。狩人が狩られる夜も、あるかもしれないのだから」


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