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陸 『事故物件』 10/10




「おせーよ。一時間も年長者を待たせるもんじゃねーぞ」


 待ち合わせの時間に遅刻して行くと、先輩は大学近くにあるバーのボックス席でゆったりと飲んでいた。

 まだ開店して間もない時間なので店には先輩しか見あたらない。


 テーブルには前回と同じくフードの代わりに錠剤が並べられており、先輩はそれを一つ摘んでは口の中にカクテルとともに流し込んでいく。


「すいません。バイトが長引いちゃって……」

「まぁ、仕事はしょうがねーか。何飲む?」

「えっと、この前飲んで美味しかったグラスホッパーを」


 幽霊を撃退してもらってから一週間が経った。

 今晩はそのアフターケアとのことで、先輩にこのバーへ呼び出されたというわけである。


「あれから大丈夫か? 部屋で変わったことはないか?」


 病院の診察室のように、先輩は問診をしばらく繰り返す。


「おかげさまで助かりました。先輩、あのときはちょっと色々あってちゃんとお礼ができませんでしたが、ありがとうございました」

「よしてくれ。俺は自分のケツを自分で拭いただけだ。ガキじゃねえんだから、それくらいで騒がなくていい」

「まぁまぁ、そう言わずに、これお礼の品です」


 なかなか他人にプレゼントすることがないので迷ったが、先輩がお酒好きなことはまちがいなさそうだったので、バカラのロックグラスを用意してみた。

 きっと喜んでもらえるはずだ。


 だが先輩は眉間にしわを寄せて、プレゼントをこちらに戻す。


「気持ちだけで十分だ。あれは俺の不手際で、君たちはただ巻き込まれただけ。責められこそすれ、お礼を言われる筋合いはない」

「そんなこと言わずにもらってくださいって。いいじゃないですかそんなこと」

「良くない。俺の美学に反する」


 五千円をこっちから巻き上げといて今さら何言ってるんだという話だが、考えてみれば前回のここの支払いはすべて先輩持ちになっているはずで、それを考えると五千円では明らかに足りていないはずだった。


「あと、これもだ」


 とか思っていたら、先輩は五千円を突っ返してきた。

 他人が決めたルールは守らないのに、自分で決めたルールには従うらしい。


「もー……あ、それじゃあ、逆に本当にすまないって思ってるなら受け取ってくださいよ」

「はあ?」

「反省の証として受け取ってください。悪いと思ってるんでしょ? だったらこのプレゼントを無碍にすることなんてできませんよ。けっこう高かったんですから」

「ぐ……」

「はい、先輩」

「ぐぬぬ……」


 歯を食いしばりつつも、結局先輩はバカラグラスを受け取ってくれた。

 男の美学って、ずいぶん面倒なものなんだなと心底思う。


 その後、先輩とは普通にサシ飲みへと移行していく。


「ああ、そうそう。最後に一つ。今回の件でまだ話していないことがあった。これは改めてあの後に調べてみたことなんだが」

「なんです?」

「あのストーカーの事件、調べてみると元は三角関係の痴情のもつれらしくてな。ストーカーの男と殺された女子大生の他に、もう一人女子大生の彼氏っていう存在がいるんだ。その彼が事件の第一発見者だったらしい。それは早朝の時間帯だったそうだ」

「それって、つまり――」

「俺も役者の一人だったのかもしれないな。君たちが事件を起こしてそれを俺が目撃する。いやまったく、紙一重だったな!」


 先輩は笑いどころがまったくない話で、ゲラゲラと楽しそうに声を上げていた。


 言うまでもなく、こっちはドン引きだ。


「そう言えば、あの子はどうした?」

「誰です?」ととぼけてみるものの、ブリッツクリークのような告白をしてきた璃々佳ちゃんのことを聞いているのだとはすぐにわかった。

「ていうか、なんでいきなりいなくなったんですか?」 

「え、居たほうが良かった?」

「それは……やめてください」

「だろ? あれは俺なりの優しさだよ。もっと観戦したかったのを我慢してやったんだぜ?」


 趣味悪ぅー。


「でもなんで、璃々佳ちゃんだけだったんでしょうか?」

「どうゆうことだ?」

「だって、事件はけっこう昔で、今まであの部屋に住んでる人はいっぱいいたんでしょう? なのに問題になったのは今回だけ。なんで璃々佳ちゃんだけがああなったのか……」

「波長が似ていたんだろうね。あの子は」

「どういうことですか?」

「だからさ。あの子、あの部屋に住んでいた君のことが元からちょっと好きだったんだよ。ほんのちょっと。恋とも言えない淡い好意だけどね。それがあそこに残っていた男の幽霊と共鳴してしまったんだろう。もっとも、あそこまで育った気持ちが誰のせいなのか、今となってはわからないけど」

「それって友人としてですよね?」

「バカか君は。文脈読めって。恋人としてだ」

「そんな……ありえないでしょ」

「ありえなくはねーだろ。君はその辺にいる男よりずっと整った顔立ちをしてるし、物腰もカッコイイしね。女だからイケメンではないが」

「嬉しくないです……」


 璃々佳ちゃんとはとりあえず今後とも友達として関係を続けていくというところで落ち着いた。


 まずはお友達から、というやつだ。


 あの日から一週間、毎日のように璃々佳ちゃんから真っ直ぐな好意を向けられていると、そうそう突き放すこともできないというか……やっぱり可愛いなと、庇護欲をそそられる自分を否定できない。


「いや、俺はいいと思うよ。性別にとらわれて恋愛を語るなんてもう古いし」

「でもですね」

「君、女の子にモテそうだし。女の子と付き合ったこともありそうだし」

「ぐっ……それは……中高と女子校で周りに男子がいなかったからで……」

「え、マジで? 本当に付き合ったことあるの?」

「若気の至りで……その……は! いや、でもちゃんと男の人が好きです!」

「男好きだと」

「そうで……いやちがう! 普通! 普通です! 普通に男の人が好きってことです!」

「でも女の子を見て可愛いなーとかは思うだろう」

「それは否定しませんが」

「面白そうだからその付き合ってた頃のことを話してみろよ。話してくれたら黙っててやるから」

「脅迫!?」

「あ、でも面白く話せよ。つまんなかったら学校中に言い触らしてやる」

「……なんなんだ、あんた」

「あはは――」


 そんな感じで、先輩と話しているとすぐに時が過ぎていく。

 気がつけばもう夜も更けて、時計の針はてっぺんを指そうとしていた。


「さて、そろそろ帰るか」

「え、帰るんですか?」

「学生と一緒にすんな! こっちは明日も朝から仕事だ」


 先輩はマスターにチェックのハンドサインを送ってしまう。


「会計は俺がもってやる。じゃあな」

「え……ちょっと――」


 挨拶もそこそこにいなくなろうとしている先輩を、ワイシャツの裾を掴んで引き留めた。


「なんだよ。服が伸びるだろ」

「あ……すいません」


 つい、無意識に手が伸びてしまっただけで、なんで自分がそうしたのかわからなかった。

 ただこれでもう先輩とお酒を飲む理由らしい理由がなくなってしまうと理解できてしまって、理解したときにはもう手が動いていた。


 お酒を飲み過ぎたのか、胸がやたらドキドキするし、なんか頭もクラクラする。

 それになんというか、モヤモヤして、押さえきれない気持ちが湧いてくるのを感じる。


 それがいったいなんなのか、経験のないことで全然わからなかった。 


 見上げると、先輩がこちらをじっと見つめている。

 目が合うと、わけもわからず恥ずかしくて、すぐに目を逸らしてしまった。


 なんだこれ? 


 挙動不審すぎる。


 絶対、先輩に変に思われる。


「その……えっと……」

「どうした、急にもじもじして……キモいぞ」 


 先輩の向こうずねを思い切り蹴飛ばす。


「いってー!」


 先輩は痛みでその場にうずくまった。


 良し、時間稼ぎには成功した。


 この今の自分の状態がなんなのかはピンとこなかったが、一つはっきりしていることは、また先輩とお酒が飲みたいということだった。


「先輩! 一つお願いがあるんです。可能な限り、聞いてくれるんですよね?」

「お、おう……だからなんなんだよ?」

「私をオカルトサークルに入れてください!」

「別にいいけど……って……………………は?」


 ぽかんとする先輩をよそに、こっちもこっちで、どうしてこんなことを口走ってしまったのか、不思議でしょうがなかった。

 酒が飲みたいなら、定期的にお酒に付き合って欲しいと言えばいいだけだ。


 恐らく当時の私はこの気持ちがなんなのかわからなくて、だから知りたかった。

 なんとしてでもそれを突き止める必要があると、強く思ったんだろう。


 これが、私こと山岸路希の初恋の始まりだと、気がつくのはずいぶん後になってからだった。



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