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陸 『事故物件』 8/10

 ぴしゃりと一言、先輩は断言する。


「人間は死んだらそれでおしまいだ。死後の世界なんてない。ただ消えてなくなるだけだ」

「え? でも、先輩だって幽霊は見えるでしょう? 幽霊がいるなら、あの世だってあるかもしれないじゃないですか」

「天国だとか地獄だとか呼ばれてきた場所はある。俺はそこを幽闇と呼んでいるがな」

「ゆうやみ?」

「あの世というよりは、世界の最果てってところだな」

「死後の世界とはちがうと?」

「死後の世界なんて、存在しない。俺や君はおろか、世界中の人間は死んだらいなくなるんだ。どこにも行けやしない」


 だから真面目に一生懸命生きなきゃね、そう言いながら先輩は最後の薬を飲み終えて、ソファーに身を預けた。


「じゃあ、幽霊ってなんなんですか?」

「そうだな……これは俺の仮説なんだが、幽霊っていうのはつまるところ人間の想いだ。想いというよりは思念と言ったほうがいいか。サイコメトリーというのを聞いたことがあるだろう?」


 物に宿った記憶を読みとる超能力のことだっけ? 


「ずいぶん昔にマンガやドラマの題材になってましたよね。サイコメトラーEIJIでしたっけ?」

「サイコメトリーは一九世紀アメリカの神霊研究家、ジョセフ・ローズ・ブキャナンが提唱した用語だ。正しくはサイコメトリストだけどな」

「えっと、物に触ると残留思念を読みとれるんですよね」

「まぁだいたいあってるが、サイコメトリーの定義はけっこう曖昧でな。必ずしも触らなければならないというわけじゃない。大別すれば透視能力に分類される」

「それで先輩が言いたいことは、霊能力者というのはサイコめトりゅ――メトリストだということですか?」


 くっそ言いづらい用語を噛むが、表情一つ変えないことで先輩にツッコむ隙を与えない。


 だが先輩は普通にシカトして話を進めていく。

 それはそれで寂しい。


「受信するという点においては半分正解だ。だが今回は幽霊についての講義だから、送信については割愛する。幽霊とは業深き罪深き欲深き不浄な人間様が、この世に残した足跡、汚れみたいなもんだ。専門用語で言えば汚穢というやつだな」


 先輩は今晩で八杯目になるカクテルを手に語る。

 ローザ・ロッサといったそのカクテルは、澄んだ赤色をしていて、まるで生き血を啜っているかのようだった。


「それに気がつくことができるのが霊能力者だと」

「俺から言わせれば、それは逆だよ。無視できない奴らが霊能力者なんだ。俺たちは潔癖性で、神経質なだけだ。そんな汚れをいちいち気にする面倒な奴らってことさ」


 はははと、先輩は乾いた笑いで自嘲する。


「だがな。見えない人間が幽霊の影響を――残留思念の影響を受けないってわけじゃない。感度の差はあるが、多かれ少なかれ受信する。いわゆる聖域、今風に言えばパワースポットがそれだ。俺のコレクションがある部室もその類だし、自殺の名所と呼ばれる場所もそうだ」


 それはなんとなくわかる話だった。

 誰しも特に理由もなくこの場所にいたくないとか、嫌な感じがするくらいは経験したことがあるだろう。

 そういう場所や物品というのは、普段さほど意識することはないが、言われてみれば確かに存在している。


「そして……君のアパートもそれに当たる」

「……」


 異国の話を聞いているような心持ちになっていたが、先輩のその一言を浴びせられて、現実に引き戻された。


「人間はせいぜい八〇年そこそこで死ぬが、想いは死なない。強い想いは生者よりもはるかに長い時を越えて、影響を与え続ける。蝶の羽ばたきが嵐へ成長するように、想いは想いと繋がって、より大きなものへと変わっていくんだ。究極的な話をすれば、世界というのは一つの大きな想いの集合体だ。きっとそれを人は神様と呼ぶのだろう」

「だったら今回の件もその残留思念なんですか? こっちとしては野良犬に噛まれたくらいの気持ちなんですけど」


 神様だなんてそれほど大層で大仰な話でもないだろう。

 だが、先輩は平然と言う。


「そうだな。今回の件がなかったら、今こうして俺たちは酒を飲んでなどいない。見方によれば、これもきっと神様の意思なんだろう。人が人と出会うのは運命の導きだから」

「口説いてるんですか」

「だとしたらどうする?」


 先輩の大きな手が伸びて、顎を持ち上げられる。

 まどろんでいるかのようにやや降ろした瞼の奥に、暗い瞳に捕らえられる。

 目を逸らすことができない。


「え、と……」


 心臓が一際強く跳ねたのがわかる。

 え、なんだこれ? どうなるんだこれ? ていうか、抵抗すべきなんじゃないか?


 先輩はゆっくりと顔を近づけてくる。

 とっさに目をつぶってしまうが、それじゃあ相手に従ったも同然じゃないかと、のちのち考えては歯噛みすることになる。


 このことでしつこく先輩に馬鹿にされずにすんだはずなのに。


「冗談だ」


 先輩は耳元でそう呟いて、デコピンをしてきた。


「いっつ……そんなキザなことして恥ずかしくないんですか?」

「ハズいね……それもこれも君が悪いんだよ。ちゃんと反応してくれないから、変な空気になったじゃないか」

「うわ……しかもこっちのせいにしてきたよこの人……」


 いい加減に確信する。

 

 この人、苦手だな……。


 玩具にされているというか、ちゃんと相手にしてもらえていない感じがすごい。

 真面目な話をしてたかと思えば茶化されるし、ふざけてるのかと思えば全っ然笑えないことをしてくる。

 天然なんだろうか。

 いや、わざとだ。


「先輩、性格悪いっすね」

「よく言われる。あと嘘つきとか軽薄とかも言われるし、嫌いとか殺すとか死ねとか面と向かって言われることもたまにある」

「……」

「みんな俺のこと誤解してるって」

「みんなっていうか、たぶん、先輩が自分で自分のことを誤解してるだけだと思います」

「言うねぇ」

「さっきの話もどこからどこまでが本当なのか嘘なのか、もうわかんないっすよ。ゆうやみでしたっけ? その話もちゃんと聞きたかったのに」

「あぁ、無理だ。俺もよくわかってないから」

「……」


 もしかして、ひょっとすると、今までの話はマジで全部作り話なのかもしれない。

 そんな疑念が脳裏をよぎる。


「でも俺は、ずっとそれを探してる」


 一息にカクテルを呷ってから先輩はそうつぶやいた。


 ここにはいない誰かへ宣言しているかのように。







 それからもお酒を飲み飲み、取り留めのない話というか、先輩が厳選した怖い話をたっぷり聞かされながら夜は更けていった。

 先輩は本当に口先がうまく、巧みな身振り手振りと緩急のつけかたもあいまって、何度か叫び声をあげるほどに怖かった。

 だがそれ以上に、「この人、本当にろくでもねえな……」という気持ちでいっぱいになった。

 それらの話を詳細に語ることはできないが、警察に捕まって牢屋にぶちこまれていてもおかしくないレベルのものが目白押しである。


 こういう大人になってはいけない。


 というか、この人は大人じゃなかった。

 好奇心旺盛で手のつけられない悪ガキがそのままデカくなったようなものだ。


 気がつけば、夜も更けに更けて底の底に沈みきり、徐々に夜明けが見えつつある時間帯になっていた。

 先輩は「少し眠る」と言った後、新しく頼んだカクテルで半分に割った睡眠薬を流し込んで眠ってしまった。


 考えてみれば先輩は労働した後にこうして厄介ごとを頼まれて、お酒まで付き合っているのだ。

 この短時間で散々玩具扱いにされてはいるが、それを踏まえれば悪い人じゃないのかもしれない。


 実際、寝顔は可愛いし……。


 マスターから貸してもらったブランケットをかけながら、眠っている先輩の顔をまじまじと観察する。

 起きてるときは常にいけすかない半笑いを口元に浮かべており、何をしでかすかわからない危ない人という印象の強い先輩だが、こうして無防備になるとギャップのせいかちょっと可愛く思えなくもない。


 なんか楽しかったな――。


 ぶっちゃけた話、お酒はあまり強くない。

 前後不覚に酔っぱらって記憶を失うことも多々ある。

 だがその都度、いつのまにやら飲み会に参加しているカワジリエルに介抱されているのだった。


 大人数での馬鹿騒ぎな飲み会しか知らなかった自分にとって、こうしてサシでお酒を飲みつつ普段話せないことを喋るというのは存外、気分が良いものだった。


 告白すると、先輩に途中でお酒を取り上げられたことが、現在の気分の良さに貢献しているわけだが、それを認めると悔しいのでここだけは記憶を失ったということにする。


 紳士ぶりやがって!


 ……それでもそこそこ酔っぱらっているようで、お手洗いに立ったときに足取りが若干フラフラしていた。

 気がつけば先輩が最初に頼んだ油揚げもなくなっている。

 どのタイミングで誰が手をつけたのかわからないことを鑑みても、酔いはなかなか深そうだった。


 しかし、不思議と眠くない。


 仕方がないので、ねこあつめでもプレイして時間を潰そうとスマフォを取り出そうとする。

 が、スマフォが見あたらない。

 どうやら家に忘れてきたらしい。


 少し迷ったが、スマフォを取りに家へ戻ることにした。

 もう夜と呼ぶには明るすぎる時間である。あの幽霊に対する恐怖もいい感じで薄れている。


 マスターに断りを入れてみるが、朝六時くらいまでならば先輩をここに放っておいても良いとのことで、お言葉に甘えることにした。


 外に出ると、ちょうど陽が空に上り始めており、空は燃えるように赤く焼けていた。

 朝焼けというやつで、夜は終わったはずなのに、これからまた夜が始まるような、ある種の不気味さが街には漂っていた。


 それに気がつかないふりをして、家へとたどり着く。

 だっておかしな話じゃないか。

 夜が終わったと思えばまた夜が来たなんて、酔っぱらっているにもほどがある。

 昨晩に怖がっていたことは認めるが、いくらなんでもそこまでナーバスになっているわけじゃない。


 家のドアノブを捻ると扉はあっさりと開かれた。


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