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陸 『事故物件』 5/10




 先輩の弁では、思い切ってやってみたらたまたまうまくいった、とのことだった。


「大家さんに札束を見せられて頼み込まれちゃってさ。当時はお金もなかったし、ああいうのはちゃんとした専門家がやるべきだってわかってはいたんだけど……。いや、でも俺なりに努力はしたんだ。これでも。軽く死ぬかと思うような事案だったわけだし」


 大学から自転車で一五分、歩くとだいたい三〇分ほどの場所に位置するアパートへ向かう途中、先輩は件のお祓いについて説明してくれた。


「ちゃんとその後に俺自身が一ヶ月そこで寝起きして安全を確かめたわけだし。てっきりもう大丈夫だと思っていた」

「でも酷くないですか。こっちはそこが事故物件だって知らされてなかったんですよ。一回誰かが住めば通知義務はないんでしたっけ?」

「俺が学生の頃はそうだった。だから当時は事故物件に住む面白バイトなんかがあってね。寝起きしてるだけで収入が得られるいい時代だったよ。今は十年くらいの告知義務があったように思うけど……」


 先輩との会話の特徴は斯様にちょくちょくおかしなことを挟み込んでくるところにある。

 いちいち突っ込んでいては話が前に進まないので基本的に気にしてはいけないようだった。


 だが、初対面のときからどうしても気になることがあった。


「学生って……先輩、今いくつなんですか?」

「えーっと……あれ? 社会人になると年齢を忘れるんだよな」

「社会人!?」

「俺は学生じゃなくて司書なんだよ。大学図書館のな。えっと二八だっけか。オカルトサークルに在籍していたのももう五年ほど前になる」

「ええ……」


 学生のわりには異常に大人びているなとは思っていたが、マジで大人だったとは……。

 だが社会人であるという前提で先輩を見ると今度はどこか子供じみて見えるのが不思議だった。

 雰囲気は落ち着いているけれど、どこかバランスが悪い。


 そうこうしているうちに、忌まわしき我が家へとやってきた。

 これまでは普通に過ごしていたが、ここで過去、殺人があったのだと思うと途端に建物全体のトーンが暗くなったような気がする。

 それにしても、どうしてこれまで気がつかなかったのだろう?

 経験上、そういう曰く付きの場所は言われなくても身体が反応してしまうはずなのに……。


「それではどうぞ先輩!」


 玄関の前まで来たところで、先輩に鍵を手渡して背中に隠れる。


「でもいいのか? 昨日は押入を確認した後、終電で実家に帰ったんだろ? 見られたくないものとか中にまだ転がってるんじゃ」

「たぶん洗濯物とか散らかってますけど、気にしないことにするので」

「……いいから先に入って片づけて来いよ。俺はここでしばらく待ってるから」

「せんぱーい、そんなこと言わないでくださいよー。気にする必要なんてないですから。タンスの中や押入の中も隅から隅まで見てくれてかまいません。むしろ見て欲しいです!」

「いや、だからさ……」

「そんないじわる言わないで、一緒にいてください」


 もうとにかく絶対にこの家の中に一人でいたくなかった。


「わかった。わかったから……抱きつくな!」

「あ、すいません」


 必死だったので、気がつくと先輩に背後から抱きついていた。

 先輩の身体は見た目以上に華奢で細く、お世辞にも体力があるとは思えなかった。


 だが殺人のことを知っているにも関わらず、この場において取り乱すことなく超然とした態度を保っている。

 そのことだけでも十分頼もしい。


「や、ヤマーさん?」


 そんなやり取りをしていると、声を聞いてやってきたのか二つ先の部屋から璃々佳ちゃんが出てきた。


「こんばんわ」


 秋の陽はみじかく、外はすっかり暗くなっていた。

 先輩は爽やかな作り笑顔で璃々佳ちゃんに向けて挨拶をする。

 どうもこの人、変人なのに常識や社会通念や対人スキルは異様に高いようで、こういうときにソツがない。


「こちらは川尻璃々佳ちゃん。同じアパートに住んでいて、同じ軽音楽部所属の一年生です」


 そう先輩に説明してから、璃々佳ちゃんに「この人は……」と言ったところで言葉を詰まらせてしまう。

 どう説明したものだろう?

 一瞬思考を走らせるが、あまり沈黙するのも不自然だったので「オカルトサークルの河野康一先輩」とありのままに紹介してしまった。


「どうも初めまして川尻さん」


 引き続いて愛想のいい顔で先輩は挨拶をする。

 さっきの五千円の件といい、実はこの人こそ詐欺師なんじゃないだろうか?


 まぁでもこれならすぐにやり過ごせるだろう、と思ったのも束の間、璃々佳ちゃんがこれまでに見たことのない顔をしていることに、今さらながら気がついた。


 ワナワナと肩を震わせて、血相を変えたかと思うと「せんぱ――ヤマーさんは渡しません!」と大声でカワジリエルは叫び出した。


「は?」


 いきなりのことに先輩は笑顔のまま固まっていた。


「ヤマーさんの人の良さにつけ込んで誑かしてるんですね! そんなこと私が許しません! こ、こんな人とヤマーさんが……恋人だなんて」


 恋人!? 今この子、恋人とか言った!? なに言っての!?


 先輩は顔だけこちらに振り向くと同時に、作り笑いの仮面を脱ぎ捨て「なんとかしろ」とこちらにアイコンタクトを送ってきた。


 言われなくてもそのつもりだ。


「ちがう。それはちがうんだよ璃々佳ちゃん!」

「で、でもヤマーさん、顔が赤いです!」

「!? ……そ、それはここまで走って来たからだよ!」


 自分でも苦しい言い訳だと思う。

 現に璃々佳ちゃんは不審の眼差しをいっそう強くしていた。


「だいたいその人をおウチに上げてどうするつもりなんですか!?」

「どうもしないよ!」

「本当ですか?」

「絶対嘘つかないから!」

「でも家に上げる理由がわかりません!」

「理由は……その……」


 まさか幽霊が居着いて困っているのを助けてもらっているなんて言えるわけがない。

 せっかく仲良くなれたのに、ここに来て頭のおかしい人だなんて思われたくなかった。


 だがうまい言い訳も思いつかない。


 考えあぐねてしばらく黙り込んでいると、先輩が口を開いた。


「うるせえなぁ」


 先輩はさっきまでの愛想の良さを完全に捨てていた。

 露骨にガラが悪く、威圧的に璃々佳ちゃんを睨みつける。

 その変貌ぶりに、璃々佳ちゃんは明らかに気圧されていた。


「俺がこいつの家に入るのになんで君の許可がいるの? 保護者でもあるまいし」

「それは……」

「関係ないでしょ? だったら放っておいてくれないかな。君のしていることは他人のプライバシーに踏み込み過ぎてるよ。山岸の恋人でもあるまいし」

「……」

「ほら、もう中に入るぞ。いつまでもこんなところで口論してたら近所迷惑だ」

「は、はい」


 勢いに押し流される形で、部屋の中へと入る。

 そして、ドアの隙間から先輩は璃々佳ちゃんに警告するのだった。


「一応断っておくけど、こいつとはなんでもない。君が考えているようなことはなにもないんだ」

「じゃあいったい何しに来たんですか?」

「……人には色々と理由があるんだ。詮索するやつは嫌われるよ。山岸のことが好きならなおさらだ。いいね?」

「な……!」


 そこまで喋ったところで、先輩はドアを強く閉めて会話を強制的に打ち切る。


 璃々佳ちゃんを傷つけてしまったかもしれないことに後悔の念が起こるが、それと同じかそれ以上に先輩に対して申し訳なかった。


「先輩。ごめんなさい。なんか悪者にしてしまって」

「いいよ別に、他人から嫌われて凹むメンタルしてないし。幽霊が見えるなんて、あの子に知られたくなかったんだろう?」

「……はい」

「あとでフォローは入れとけよな。タチの悪い先輩に絡まれて自分も困ってたんだけど、あの後ちゃんと縁を切ることができたから安心して、くらいのことは言っとけよ。とりあえず俺のせいにしとけ」


 幽霊が見えることを周囲に秘密にしていると先輩に話してはいない。

 さっきの璃々佳ちゃんとのやり取りで察してくれたのだろう。


「じゃあ、さっさと始めて終わらせるか。ちょっと部屋を荒らすけど許せよな」

「大丈夫です。お願いします」








 部屋の中には誰もおらず、静まり返っていた。

 昨夜は慌てて家から飛び出してきたので、部屋の物の配置を記憶していない。

 けれどどうにもまた物の位置が変わっているように感じられた。

 自分だけが住んでいるはずの場所に、別の人間の息づかいがどこかから感じられて、気持ちが悪いことこの上ない。


 嫌でも部屋の奥にある押入へ目がいってしまう。

 あいつが息を潜めて耳をそばだてている姿がありありと想像できて怖気が走る。


 だが、先輩は部屋にずかずかと入るなり、ためらうことなく押入の扉を開けてみせる。

 そこには誰もいなかった。

 それがわかって、無意識に安堵のため息が出てくる。


 精神的に、自分がかなりまいっていることを自覚する。


 それから先輩は本当に遠慮なく、部屋の中を隅から隅までくまなく調べ上げる。

 手際も段取りもやたら洗練されていて、どう考えても手慣れているとしか思えない。

 普段どういう生活をしているとこういう人間になるのだろう?


 タンスや食器棚、部屋の小物や押入の中を一通り調べた先輩は、しばらく部屋の真ん中で考えごとをしていた。


 やることもないので、とっておきの紅茶の茶葉――「TWG Tea」のアールグレイフォーチュン――でロイヤルミルクティーを作ってみる。

 牛乳ではなくて乳脂肪分の高い生クリームを使い、紅茶の味がミルクに負けないように茶葉を惜しみなく超大盛りにして煮出していく。

 完成したところに砂糖を控えめに入れる。

 アールグレイを使っているのでベルガモットの柑橘系の香りが生きているが、そこにマサラパウダーを振りかけてチャイの風味に少し寄せるのが山岸流だ。


 きっと先輩も喜んでくれるはずの、自信の一杯ができあがった。


「先輩、お茶が入りまし――」


 バリバリバリッという音ともに、先輩が棚の裏の壁紙を派手に剥がしていた。


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