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陸 『事故物件』 4/10

 電気ケトルで作った日本茶を振る舞われて、席に着くよううながされる。

 先ほどの安楽椅子ではなく、ちゃぶ台を挟むようにして座った。


 先刻は薄暗くてわからなかったが、改めて照明のついた部室を検分してみてもエアコンらしきものはどこにもない。

 あるのは年代ものの扇風機だけだ。


 しかし、未だにトリハダが立つほど寒いのも事実。

 わけもわからず首を傾げていると、先輩はブランケットを肩に掛けてくれた。

 が、それでも寒い。


 すると先輩は「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆみつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」と低い声で唱えてから私の背中をバンっと叩いた。


 なにをされたのかと驚くが、叩かれた箇所からじんわりと暖かくなったかと思うと、さきほどまでの寒さは嘘のようになくなった。


「ここは俺の仮眠室兼、コレクションの倉庫でね。これらはほぼ全部いわくつきのものばかりなんだ。持ち主が死んだり不幸になったり、そういう類のやつ」

「……」

「君の身体は意識とは無関係にここが良くない場所だってわかるんだ。要するに、怖がっているということさ」

「先輩は寒くないんですか?」

「君ほどじゃないが、いくらか寒い。今くらいの時期は過ごしやすくて、うたた寝するにはちょうどいいんだ」


 先輩は先ほどの無愛想とは打って変わって愛想を振りまいていた。

 その声は決して大きくはないがエロキューションがしっかりしているのか明瞭で聞き取りやすく、透き通っているようだった。


 きっと歌声も綺麗なんじゃないだろうか。


 こうして相対する限りにおいて、それなりに親しみがもてる雰囲気を纏っており、少なくとも噂ほどの胡乱さはない。

 あくまで外見上はだが。


「夢見が悪そうですけど」

「ああ、さっきもいい夢だった。悪夢が見たくてここで眠るようなものだからな」

「……」


 今すぐ話を打ち切って外へ飛び出したくなるが、先輩いわく、陰陽道を駆使した奇跡のような絶妙な配置によって均衡が保たれているから安心していいとのことだった。


「でもあまり物には触れないほうがいい。少し場所がずれるとちょっと面倒だから」

「はぁ」


 いったいどこまでが本気なのかよくわからないが、どうやら噂がすべて嘘というわけではないようだ。

 かなりの変人だぞ、この人。


 その変人ぶりを警戒してどう話を切り出せばいいか考えあぐねていると、先輩から話を切り出してきた。


「君は……あまり人付き合いが得意な方じゃない。友人がいないわけじゃないが、本当に思っていることを話せる人はほとんどいないだろう。他人から誤解されることも多い。本当の君は弱いところを沢山もっている。そしてそれをさらけ出すことをほとんどしない。それが君の悩みでもある」

「え、なんでわかるんですか!?」


 こちらの驚きをよそに、先輩はにこやかに話を続ける。


「そりゃわかるさ。俺にわからないことはないからね。君の聞いて欲しい話っていうのは、人間関係に関することじゃない」

「そうです! そういう普通の悩みじゃないから、どうすればいいのかわからなくて……」

「でももう一度考えてごらん。君が抱える悩みの中に人間関係はまったく含まれないのかな? そういう視野の狭さが君の問題をややこしくしているんだと思うけど」

「……そうですね。少し考えてみれば、サークルやバイトの人間関係を失いたくないっていう思いが強いです。特に璃々佳ちゃんとせっかく仲良くなれたのに、それがなくなってしまうのは嫌ですね」

「だけどさ。人間関係において別れっていうのは普通に起きることだよ。重要なのは別れたあとも続く関係を築けるかどうかということじゃない?」

「言われてみれば、そうですよね……。卒業したら別れることにはなるんだし……」

「これを持っていくといいよ。どこにでもある普通の石に見えるけど、霊山で採れた力のある石なんだ。きっと君の進むべき道を示してくれるはずだから」

「え、でも……いいんですか?」

「これも何かの縁だからね。実を言うと入手するのにかなり苦労した貴重な品なんだけど、今から思えば君の手に渡るべき運命だったんだ」

「いや、悪いですよ。そんな――」

「いいからいいから、こっちはギャンブルに負けたくらいに考えておくよ」

「わかりました。でも先輩、せめてこれを受け取ってください」


 給料日前の財布からなけなしの五千円札を取り出す。


「本当にいいんだよ。そんなものはいらない」

「いや、駄目です。こっちの気が済みません!」

「……そうか、君がそこまで言うなら、じゃあ――」


 先輩はそう言って申し訳なさそうに五千円札を受け取って「ありがとう」とお辞儀までしてくれた。


 お礼を言わなければいけないのはこちらのほうなのに……。

 噂はしょせん噂なのかもしれない。

 話してもいないのにこちらの悩みを言い当てて、しかも自分でも気がついていなかった悩みの本質を見抜いてアドバイスとお守りまでくれるなんて。


 こっちは今日会ったばかりで、しかも昼寝の邪魔までしたのに……。


 五千円で足りるのか怪しいくらいだ。


「じゃあ、先輩。ありがとうございました!」


 先輩は五千円札を恭しく手に持って財布に納め、それをポケットの中に納める。

 するとさっきまでの爽やかな微笑み――今は菩薩のアルカイックスマイルのようにすら見える――が表情から消えた。


「そういうのいいから、早く本題を話せよ」

「は?」

「君は見た目が怖いだけでさてはアホだな? どこの田舎もんだよ。簡単に騙されすぎだろ。上手く行き過ぎてこっちが踊らされてるのかと思ったわ」

「騙す? はい?」

「その石、そこの駐輪場にあったやつだぞ?」

「え、じゃあ今のはなんなんです? 全部嘘だってこと……? でもこっちの考えてることバンバン当ててきて……超能力かなにか――」


 先輩はお茶を啜りながら、あきれ顔で睨んでくる。


「君は……占い師みたいな輩には絶対に関わるなよ。いいカモだからな。ペテン師に当たったら身ぐるみ剥がされるぞ」


 話を聞くに、そういうエセ連中が使う会話のテクニックを少し駆使しただけらしく、それにまんまと引っかかっていたらしい。


「本物はいるが、ごくごく少数だ。こういう喋りかたの連中には気をつけておけよ」

「はぁ……いや、そうじゃなくて! 五千円返してくださいよ!」となけなしのお金をふんだくられて食い下がるが、先輩が返してくれるのは「相談料だ」の一言だけだった。


(容赦がなさすぎる……)と思うが、どうやらこっちの相談には本当に乗ってくれるらしく、本題に早く入るようにと急かされた。


「これなんですけど……」


 荷物の中から例のビデオカメラを取り出して、先輩にあの映像を見てもらった。何回か繰り返して見た先輩だったが、やがて黙ってなにかを考え始める。


「これは大家を今朝がた問いつめて聞き出した話なんですけど――」これだけでは状況を判断してもらうにはまだ情報不足なので、慌てて今日仕入れたばかりの話を追加しておく。


「どうやらこの部屋は事故物件というやつらしくて、十年くらい前にストーカー殺人があったみたいなんです。被害者は女子大生で、犯人は同じアパートに住んでいた男でした。

 それからというもの、ここに住んだ人はノイローゼになってすぐに出てってしまうみたいなんです。ひどい悪夢を見たり、視線や他人の気配に敏感になったりして……ひどい人になると「今度は私が殺される」って精神病院に送られた人もいるとか。

 それを見かねた大家さんが二年くらい前に霊媒師にお祓いをしてもらったらしくて、前の住人は全然大丈夫だったらしいんです。

 契約上は何年も前ですから問題ないらしくて、違約金とかそういうのはないみたいで……だからこっちとしては泣き寝入りで黙って出ていくしか……」


 話していてまた気分が落ち込んできた。

 嘆いてもしょうがないとはいえ、理不尽過ぎて泣けてくる。


「君はさ、なんで押入を開けようと思ったわけ?」


 先輩は押入のことを尋ねてきたが、予想とはちがって少しピントがずれていた。


「普通はさ、こういう状況になったらみんな逃げるよ。怪談話の登場人物じゃあるまいし、わざわざ恐怖を確認する人は珍しい」


 そう言われてみると、不思議だった。

 あのときは夢中だったからよく覚えていないが、必死に思い出してみる。


「あんなわけのわからないものから逃げるのが腹立たしかったというのが一番ですかね――」いったん言葉を区切ってから、思い切ってもう一つの理由を口にしてしまう。


「これを言うと、なんか悩んでないように思われるかもしれませんが……ここで逃げるのはもったいない。心のどこかでそう思っていた気もします」

「もったいない?」

「ほんの少しですよ? うまく言えないですけど……本当に怖かったんです。でも、あそこで逃げたらライブの前座で帰るみたいな感じがして――いや、なにを言ってるんですかね。すいません」

「ふうん。いいね、君」


 見所がある。

 と、そう先輩に褒められると少し嬉しい。


「で、どうだった肝心の中身は?」

「それが……誰もいなかったんです」

「人が隠れられる場所は? 天井裏に逃げたとかじゃないの?」

「ありえません。中は隅まで調べましたし、抜け穴とかそういうのも存在しないです」

「なるほど。ところで、君の住んでるアパートって××××でしょ?」


 先輩はいきなりアパートの場所を言い当てて見せた。

 こちらとしては何が起きたのかまったくわからない。

 さっきのように発言を誘導している風でもない。

 そもそもどこそこの近くとかそういう表現ではなく、正確に番地名とアパートの名前、しかも部屋の番号まで言い当てて見せたのだ。


「は、はい。そうです」


 先輩はしかめ面になって頭を抱えた。


「まいったな。適当にはぐらかして帰らせようと思ったのに……引き受けないわけにはいかなくなった」


 聞き捨てならないセリフだ。


「ちょ……マジで助けてくださいって! 五千円払ったじゃないですか!」

「はぁ、そうだよね。自分のケツは自分で拭かないと」

「どうしました? いきなり元気ないですけど」

「さっき、お祓いした霊媒師がいるって君、言ってたでしょ」

「言いましたけど」

「そのお祓いした霊媒師ってさ……俺なんだよね」

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