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伍 『ケンケン様』 3/7

 森を抜けるとそこには見渡すかぎりの田畑と、そのあいだに民家がぽつぽつとある小さな集落があった。

 まさに田舎の中の田舎といった感じだ。


「なんていう村なんですか?」

「犬沢村っていうんですー。村民全員の数を足しても三百人くらいの小さな村なんですよ」


 田畑のあいだを俺たちが歩いていると、村の人たちに挨拶をされる。

 それらは見事なまでに高齢の人と子供たちばかりだった。

 他の村人は外に出稼ぎにでも行っているのだろう。

 村の人たちは特にしのぶさんがいることがわかると何かを言いながらうやうやしく頭を下げた。

 お嬢様という単語はギリギリ聞こえるのだが、ひどい訛りで同じ日本語とは思えなかった。


「しのぶさんはここの生まれなんですか?」


 村の人たちの挨拶に、同じ訛りで対応する彼女を見て井上さんがたずねる。

 しのぶさんは器用に標準語に切り替えて答えてくれた。


「実は私はこの村の生まれではないんですよ。他所から嫁いできたんですー」

「え! じゃあ結婚してるんですか?」


 俺たちと大して変わらない年齢なのにもう結婚しているということを聞いて俺は反射的に驚く。


「田舎は結婚が早いですからねー。私が結婚したのは十七のときでしたー」

「十七!」


 十七といったらまだ高校生だ。

 この人が十七のときはさぞ可愛かったろうなと俺は勝手に想像を膨らませる。

 しのぶさんの夫がうらやましい。


「旦那さんはどんな人なんですか?」


 先頭を歩いているしのぶさんは、振り返りもせずに俺の質問に答える。


「……死んでしまいました」


 やばい。

 地雷を踏んでしまった。


「ごっ……ごめんなさい」


 俺が気まずそうにしたのが伝わったのか、しのぶさんは振り返って俺を見る。

 その顔はさっきと何も変わることのない笑顔だった。


「いえいえ。しょうがないですよー。もう慣れましたから気になさらなくていいですよ」


 うう。笑顔がまぶしい。

 後ろから由花子さんが俺の背中をつついてささやいた。


「君ってやつは本当にアレだね」



「着きましたー」


 俺たちはでかい門の前で立ち止まる。

 ここがしのぶさんの家なのか?


 それは家というよりはお屋敷だった。

 どこまであるのかよくわからない塀に囲まれ、いかめしいその門をくぐり抜けると屋敷の玄関まで庭が続いている。


「ものすごい金持ちですね」


 思わず俺は一人でそんなことをつぶやいていた。

 井上さんもその屋敷の大きさに呆然としている。

 ブルジョワジーの由花子さんだけはいつもと変わらぬ様子でしのぶさんのあとについていく。

 由花子さんもそうだが、本物のブルジョワジーを見るとたとえ不景気でも、お金はあるところにはあるのだなぁということを痛感する。


「そんなことないですよー。あるのはこの大きなお屋敷だけですから。住んでいるのも私とお母様とあとは家や私たちの世話をしてくれる豊大ぐらいのもので、たった三人でこの家に暮らしてるんですー。広すぎて嫌になってしまいますよ」


 そこまで言ってからしのぶさんは手のひらをぽんっと打った。


「そうだ。よろしかったらここにしばらく泊まっていきませんか? 空き部屋はたくさんありますし、今から町に出たらもう夜になってしまいますー。うちには温泉もありますからぜひ泊まっていってください」

「えぇ! 温泉あるんですかしのぶさん!」


 由花子さんがものすごい勢いでこの話に食いつく。


「はいー。そんなに大したものじゃありませんけど」

「ぜひ! 泊まらせてください」

「おい由花子。ちょっとは遠慮しろよ」


 さすがの井上さんもここは由花子さんを止める。

 そりゃそうだ。

 さっき知り合ったばかりの人の家に転がり込むなんて、普通ちょっとは遠慮する。


「いいじゃん別に。しのぶさんがぜひって言ってるんだから、むしろここは好意に甘えないと失礼だよ」


 そりゃそうかもしれないがそれを今ここで言うだろうか?

 だがしのぶさんはニコニコ笑顔で由花子さんに賛同するのでそんなことは言えない。

 というわけで俺たちはここにしばらく泊まることが決定した。



 純日本風の屋敷の前に俺たちがつくと、今まで後ろで黙ってついてきていた豊大さんが、ぬっとあらわれて引き戸を開けてくれた。

 怒ってるいるのか?

 どうなんだ。


「お部屋に案内する前に、あなたたちをお母様に紹介したいのであとに付いてきてください」


 しのぶさんが言うお母様というのは、つまりしのぶさんの夫の母親であり、姑さんのことだろう。

 どうやら歳を取ってかなり体力が落ちているらしく、奥の部屋にほとんどこもりきりだそうだ。

 しかもどうやらちょっとボケているらしい。


 中に入って廊下をしばらく歩くと茶の間が視界に入ってくる。

 おぉ囲炉裏だ。こんなものテレビでしか見たことがない。


 さらにしばらく歩き、しのぶさんが「失礼します」と言ってその部屋の障子を開けると、何ともいえないニオイが鼻についた。

 老人特有のあのニオイかと思ったが、それに混じって、さらに何か果物のようなニオイがしている。

 これは一体なんだろう?

 だがそんなことをしのぶさんにたずねるのも不自然だった。


 八畳くらいの部屋の中央には一人の老人がいて、テレビの時代劇をぼーっと眺めている。

 耳が遠いのか俺たちが部屋に入ってきたことに気づいていない様子だった。

 しのぶさんは人語とは思えないすごい訛りでその老人になにか話しかけるとようやくその老人はこちらを向いた。


「右から井上さん、河野さん、狐宮さんです。こちらが私の母で鏡子きょうこと言います」


 うつろな目をしているこのおばあさんが聞いているとは思えなかったが、俺たちはとりあえず一通り挨拶を済ませる。

 しのぶさんもそれでいいと思っているらしく、またなにか訛りで言ってから部屋を出ようとする。

 するとおばあさんは部屋から出ようとする俺たちを見て、急に魂を取り戻したかのごとく何か喋りかけてきた。

 全然何を言っているのかわからないが、俺たちはとりあえず愛想笑いで乗り切ることにする。

 だがしばらく聞いていると、おばあさんが喋っている言葉の中に、気になる単語がふしぶしに入っていることに気がついた。


「……あーぎゃずってるんばらっしゃケンケンじゅがあきーやらっしゃがばはがじゃらケンケンわっしゃぎゃずって……」


 おばあさんは話しているうちに目がランランと、獣のように輝きだした。

 俺はそれを見ているとだんだんと怖くなってくる。

 しのぶさんが急いで同じ訛りを使ってそれをいさめ、俺たちはせかされるように部屋の外へと出る。


「ごめんなさい。お母様も久しぶりのお客さんで嬉しいみたいです。あんなにはしゃいでるお母様は珍しいんですよ」


 はしゃいでいるという言葉で片付けるにはあまりに不気味だったが、ここまで笑顔のしのぶさんがそう言うならそうなのかもしれないと思えるから不思議だった。

 だがそれでも気になるものは気になる。


「あれなんて言ってたんですか?」

「なんでもありませんよ。さっきも言いましたけれどちょっとボケてしまっているので、ちぐはぐなことを言って人を困らせることがよくあるんですー。さぁそれではお部屋に案内しますので、こちらへ」


 しのぶさんは俺からの追求を逃れるように、俺たちを泊める部屋へと案内する。

 部屋はそんじょそこらの宿よりずっと立派なものだったが、俺はさっきの神社の出来事を思い出しては憂鬱になっていた。

 助けを求めて二人の先輩のほうを見てみれば「面白いことになってきたぜ!」という顔をしていたので、まったく頼りにならないことが手に取るようにわかった。

 よって俺は早く温泉に入ってこの疲労と嫌な気持ちを洗い流すことに決めたのであった。


「お風呂ですけどー、ひさしぶりに使うので準備しなければならないんですよ。夕飯の後までには使えるようにしておきますからー」


 俺はアンニュイな気持ちになりながら、部屋で一人遠くの景色を眺めるのであった。

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