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伍 『ケンケン様』 2/7



「……水、水はもうないのか康一」と舌を出しながら歩く井上さん。

「さっきの生茶で全部終わりですよ。もしあったら俺が一人で全部飲んでますけど……」と毒づく俺。

「もーうーあーつーいー」としか言わなくなった由花子さん。

 

 ミンミンミンミンとやかましいセミの声が俺たちを襲う。

 生暖かくて気持ちの悪いだけの風と、山とはいえ夏の陽射しが俺たちの体力を確実に奪っていった。


「そうだ! 携帯があるじゃないですか! こんなときこそGPSですよ!」

「……このへんって電波入んないんだよね……。君らには黙ってたけど、実をいうとこのへんは現地の人でも迷いやすいから、滅多に入らないらしんだよね……。さらにいえば、毎年何人か登山者が行方不明になってるらしいんだよね……」

「知りたくなかった……」

「俺も……」


 一発逆転の俺のひらめきを木っ端微塵に壊すだけではなく、現状の深刻度をさらにひきあげる情報をオマケしてくれた由花子さんの親切を、俺と井上さんは素直に迷惑だと思った。


「とにかく日が暮れる前に山から出ないと大変だよ」


 ただいまの時刻はPM二時。

 日暮れまではまだだいぶ余裕があるが、ここまでいけどもいけども風景が変わらないと、そんなことは慰めにもならない。


「誰かさんが秘湯に行きたいとか言うから……」


 普段は温厚な井上さんが疲労と暑さからかそんなことをぼやく。


「はぁ? なんか言った?」


 先頭を歩く由花子さんはそれを聞き逃さず、立ち止まって井上さんをにらみつける。

 井上さんはしまったという顔をした。


「形兆だって私が言いだしてからノリノリで準備してたじゃない。ていうか発起人はたしかに私だけど、計画立てたのは形兆でしょ!」


 由花子さんも疲れてイラだっているようで、ケンカ腰で井上さんに詰め寄る。


「わかったよ。ごめん。俺が悪かった」

「本当にわかってるの?」


 黙ってにらみ合う二人の先輩を俺はめんどくさいので見ていることしかできない。

 考えられる限り最悪の状況だった。

 あまりにつらいので俺はテクマクマヤコンってテクニカル・マジック・マイ・コンパクトの略なんだよなーなどと、至極どうでもいいことに思いをめぐらせてその場に立ち尽くしていた。


 そんな俺たちの耳にザーという音がどこかからかすかに聞こえた。


 俺たち三人は音のする方向へと無言で駆け出す。

 全力で走ったその向こうの視界が開けると、そこには小さいが滝があった。

 滝というか、俺たちの前に水が現れた。


「イィーハッー!」


 俺は荷物をかなぐり捨ててカウボーイのような掛け声を上げながら川に飛び込んだ。


「はー生き返るー」


 もとから汗でぐしょぐしょに濡れていたので、服がずぶ濡れになるのもかまわず俺は水中をプカプカと浮かぶ。

 ふと由花子さんたちのほうを見ると川に入るでも水を飲むでもなく、滝のほうを二人して見つめている。

 なんだろうと思い、俺もそちらのほうを見てみる。


 その滝の下にはハッとするほど綺麗な裸の女がしゃがんでいた。

 歳は俺たちと同じくらいで、水浴びをしていたのか全身が濡れている。

 俺たちから見えないように両手で隠しているその体は、スリムというよりはやや肉感的な体つきをしていた。

 彼女は不審さと羞恥が半々くらいに混ざりあった表情でこちらのことをうかがっていた。


「すいませーん。このへんに住んでるかたですかー?」


 物怖じする様子もなく、由花子さんが話しかけながら彼女に近づく。その声に正気にもどった俺と井上さんは、うしろを向いて彼女を視界から外した。



「本当にびっくりしましたよー。いきなり大声で川に飛び込んでくるんですから。私インディアンかなにかかと思っちゃいましたー」


 このまったりとしたしゃべりかたをする和服美女の名前は泉しのぶさんという。

 彼女はこの近くにある村に住んでいるらしい。

 どうやら山の中で一晩過ごすことだけは避けられそうだった。


「お騒がせしてしまってすみません」


 俺はしのぶさんに頭を下げる。


「いえいえー。そんな気になさらなくてもけっこうですよ。それより道に迷ってしまってお疲れでしょう。うちには食べ物も飲み物もありからねー」


 いきなり現れたなんだかよくわからない三人組に、しのぶさんは笑顔で接してくれていた。

 彼女は淡い黄色の着物を着ていて、頭にある藍色のかんざしが特に良く似合う美人だった。


 そんなわけで、俺たち三人は由花子さんの外交手腕により、図々しくもしのぶさんの家に招待されることになった。

 やっと道らしい道を歩けるようになったことに、俺は胸をなでおろす。


「荷物、本当にいいんですか?」

「気にしなくてもいいですよー。お客さんは手厚くもてなさなきゃいけませんから」


 俺たち三人の荷物は、しのぶさんの行水の付き添いをしていた豊大とよひろさんという三十台前後の男が持って後ろからついてきている。

 しのぶさんが言うにはこの豊大さんは彼女の使用人で少し知的障害があり、喋れないらしい。

 それに加えて無愛想なので怒っているように見えてしまうが、そういうわけではまったくないので許してやって欲しいとのことだ。

 たしかにさっきからずっと気難しそうにしているので、本当は俺たちのことを疎ましく思っているのではなかろうかと疑ってしまう。


「もう疲れたー。しのぶさんの家にはアイスキャンディーとかありません?」

「はい。ありますよー」

「やったー!」


 俺が豊大さんの顔色をうかがっているときに、由花子さんは遠慮なんてせずに相変わらずのマイペースを貫いていた。


「あの、本当にすいません。わがまま言っちゃって」

「いえいえー。村に住んでいる人で私と歳が近い人ってほとんどいないんですよ。だから私もおしゃべりできて楽しいですよー」


 しのぶさんはニコニコした顔で俺にそう話しかけた。

 その顔は本当に楽しそうなので、変に気を使うよりは少しくらい慣れなれしいほうがいいのかと思い。

 俺はあまり深く考えるのをやめた。



 しばらく山の中を歩いていると横道に古い石材でできた階段が現れた。

 その階段はまっすぐに伸びて、奥に見える鳥居までつながっている。


「ここはなんなんですか?」

「神社ですよー。ここらへんのことを守ってくれている神様がいるんです」


 我がオカルト研究部一のやっかいさんである由花子さんの目が光る。

 この人は病的なまでに霊感が強い。なにか惹かれるものがあるのか、階段の上のほうをじっと見つめている。


「へー。なんだか面白そうですね。ちょっと立ち寄ってみてもいいですか?」

「いいですよ」


 階段をあがると、そこにはこじんまりとした古ぼけた社殿があった。

 石畳以外は地面に苔が生えていて、ここが特別な場所だということが雰囲気でわかる。

 だが神社自体はぱっと見たところなんらおかしいところのない普通の神社だ。

 少し拍子抜けしていると井上さんがおかしなことに気がついた。


「うわっ。なんだこれ?」


 井上さんの視線のさきには狛犬がいた。

 いやそれは狛犬ではなかった。

 一目見ただけでは狛犬と見間違えてしまうが、その狛犬の顔は人間の顔をしているのだ。

 石畳の両脇には狛犬の代わりに、顔は人間、胴体は犬の、いわゆる人面犬の像があった。


「なんなんですかこれ?」


 疲労はどこかに吹っ飛び、目をキラキラさせた由花子さんがたずねる。


「はいー。これはケンケン様といってここらへんのことを守ってくれている神様ですよ」


 その像の顔は人間の表情とはほど遠い、獣のような顔でこちらを睨みつけている。

 しのぶさんはここを守ってくれている神様だというが、その顔の怖さというか、恐ろしさに俺はぞっとする。

 その顔は、動くものがあれば今にも襲いかかりそうな雰囲気をまとっていた。


「この社殿の中を見てください」


 古い建物と比べて比較的新しい閂で施錠されているその扉からのぞきこむと、中にはただ黒い地面だけがあり、そこの中心が丸く盛り上がっていた。


「えっと、地面しかないですね」

「そうじゃないでしょ。康一くん。他のところにはあって、ここだけにないものがあるでしょう?」


 そう言われて俺は境内を見回してみる。むー。なんだ?


「馬鹿ちんだなぁ。苔だよ。ここの地面だけ苔がないんだよ」

「そんなこともわかんないのかよおまえ」


 なにもそこまで言うことないと思う。

 そんなやり取りを見てクスクス笑ってくれるしのぶさんが唯一の救いだ。


「ケンケン様の遺体がそこに埋められているらしいんですよ。そのせいでそこには苔が生えないんだって言われています」

「へぇー。そうなんですかー」


 由花子さんの目がまたキラキラと輝きだした。

 この瞳は今すぐ確認したくてしょうがないという目つきだ。

 俺と井上さんはそんな由花子さんを見て、またなにか起こりそうだという雰囲気をバシバシと感じていた。


 だがさすがの由花子さんも、他人がいるところでそんな振る舞いはしない。

 というかできない。

 そんなことしたらもしかしたら捕まるかもしれない。

 というわけで俺たちはおとなしくお参りすることにした。


 賽銭を入れて三人の代表として俺が鈴緒を取る。


「あれ?」


 鈴はうんともすんとも鳴らない。

 もう一度鈴緒を振ってみるもまた鳴らない。

 なにかに引っかかっているのかと思い。

 強めに鈴緒を振り回してみる。


 ――ゴト


 という鈴らしくない鈍い音がした。

 見れば足元に大きな鈴が転がっていた。


「康一ドンマイ。今までもなんとかなったから大丈夫だって」俺の肩にぽんと手を置く井上さん。

「康一くんってこういう死亡フラグを立てる天才だよね」そう言って哀れむ由花子さん。

「ちょっと待てよ! 俺が悪いのかよ今の!」

「開き直るのも良くないよ康一くん」

「そんな……。大丈夫ですよね……? しのぶさん」

「大丈夫……ですよ……きっと」


 しのぶさんはなんとか俺を励まそうと笑顔を作ろうとしていたが、その笑顔の引きつりかたは、俺の不安を増長させるだけで終わってしまった。


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