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肆 『ミステリー・ハウス』 5/5

「よお。康一じゃん。今日は来れないんじゃなかったのか?」


 あの遊園地に行ってから二週間ちかくたった。

 店に入るとべタな鼻眼鏡をかけている井上さんが出迎えてくれた。

 曰くベタでもやると雰囲気が出るということらしい。


 いつもはジャズがよく似合う落ち着いた雰囲気の店内は、今日だけは特別にぎやかに飾り立てられていて、楽しげなバックミュージックがかかっている。

 店内には十人以上の人が集まっていて、そいつらは全員うちのサークルのものだ。

 まだ六時だというのにかなりのハイテンションなのを考慮すると、これからの展開が少し心配になってくる。


「いや。色々ありまして。……ちょっと話したいことがあるんですけど。いいですかね?」


 俺は井上さんの知り合いであるこの店のマスターにレッドアイを頼む。

 盛り上がっているテーブルとは少し離れた場所にあるソファに腰を落ち着けた。

 井上さんも俺の普段とは違った態度を感じ取って、鼻眼鏡を外して同じ席に着いた。


「……で、どうしたんだ。話したいことって?」

「最近、なんだか変なんですよ。なにがどう変かって言われると、説明しづらいんですけど……何か忘れているような気がするんです」


 井上さんは思っていた通りの、怪訝そうな顔で俺の様子をうかがっていた。


「例えばどういうことだ」

「そうですね。例えば俺、先月あたりバイトが忙しくてあんまり部室に顔出せてなかったじゃないですか」

「そうだな。なんで急にバイトで忙しくなったんだ。普段はそんなに忙しいバイトじゃないんだろ?」

「えぇ。そうなんですけど、先月だけ日雇いのバイトをたくさん入れてたんですよ」

「そんな金が必要なことでもあったのか?」


 俺はマスターが作ったレッドアイを一口飲んでから冗談だと思われないように、冷静に話を進めた。


「それが思い出せないんです。あのときなんで俺はあんなにバイトを入れていたのか。さらに言えばその稼いだ金を何に使ったのかも覚えていないんです」

「それはたしかに変だな。いくらなんでもそんなこと忘れるわけがないだろ」


 これまた思ったとおり、井上さんはにわかには信じ難いといった様子だった。


「俺もそう思います。でもどうしても思い出せないんです。なんだか先月から今日までの記憶が曖昧で、ちょっと思い出してみても記憶がツギハギだらけなんですよ。今日のこともそうです」


 井上さんは心配そうに俺の顔を見ている。


「前に俺、今日のクリスマス・パーティの誘いを断ったんですけど。それなのに何で今ここにいると思います?」

「そりゃもともとあった約束が早めに終わったか、なしになったか、そんなところだろう」

「普通はそうですよね。でも違うんです」

「どう違うっていうんだ」

「この日に予定なんて、何もないんです。いくら考えてみても、何の予定も出てこない。それなのになんで俺はあのとき今日の誘いを断ったんでしょう?」


 井上さんはうーんとうなりながら手をあごに当てて考え込んでいる。


「一番おかしいのは、これが俺の机のひきだしから出てきたんですよ」


 そういって俺は鞄の中から、高価そうなブランドものの腕時計を取り出し、井上さんに手渡す。


「どうしたんだこれ?」

「それがわからないんです。俺が使ってる机の、一番よく開けるひきだしの中に綺麗に包装されて入ってたんですけど、買った覚えもなければ、もらった覚えもないんです。だいたいこれ、女の子がつけるやつですよね。男の俺がそんなものもらうわけないじゃないですか」


 井上さんはその腕時計を手にとってまじまじと観察した。


「しかし現に今、これはこうして俺たちの前にある」

「そうなんです。俺もうわけがわからなくて……」


 俺は今にも泣き出しそうになっていた。

 考えてみて欲しい。

 自分という意識はつまり今まで経験してきた自分の記憶の積み重ねと等しい。

 ある人が今までの記憶をすべて失ったとしたら、その記憶を失った人は失う前の自分を自分と認めることができるだろうか。

 おそらくできないだろう。

 記憶に自信がもてなくなるということは、自分が自分であるということに自信がもてないということでもある。


「落ち着け、康一。……実は俺にも思い出せないことがある。おまえにも聞いてほしい」


 意外なことを井上さんは口にしだした。

 井上さんも記憶が断絶しているとでも言うのだろうか?


「なんですか?」


 井上さんも俺と同じように冗談を言っていると思われないように、俺の目をしっかりと見据えてしゃべりだした。


「あの日、なんで俺たちはワゴン車をわざわざレンタルしたんだ?」

「え?」


 言っている意味がわからない俺の様子を見て、井上さんは続ける。


「あの日、あの遊園地にいった人間は俺と康一と由花子と黛の四人だ。四人なら俺が買った車で十分なはずだ。わざわざ五人乗りや六人乗りのワゴン車をレンタルする必要はない」

「そう言われれば……そうですね」

「それと、これもおかしなことなんだが、行きの車で誰がどこに座ったかおまえ覚えているか?」


 それを聞いて背筋が寒くなった。

 帰りの車は一番後ろの席で黛が眠っていたことまで覚えているが、行きの車の席順はどうやっても思い出せない。


「あの日、ちょっと今までとは違うことが起こっただろう。俺も不思議に思って、あの遊園地の噂について少し調べてみたんだ。そこでちょっと気になる噂を聞いた」

「どんなうわさですか?」


 井上さんは一呼吸置いてからゆっくりと吐き出すようにその噂を口にした。


「……『××遊園地の迷路屋敷に入ったものは二度と出てこられない』っていう噂だ」

「そんな馬鹿な……。だって俺たちはこうして出てこられてるわけじゃないですか」

「俺もそう思って、新聞を調べてみたり、あそこで働いていたことがある人たちに電話で聞いてみたりもした。あそこで誰かが誘拐されたり、行方不明になったりしたことはない。迷ってしまって従業員に出してもらったりするということはあったらしいから、そのことが一人歩きしてこんな噂が立っているのかと、そのときはそう思ったよ」


 でも、もしかしたら本当に出られなくなってしまうのかもしれない。

 と井上さんは言う。


「『神隠し』ってあるだろ」

「聞いたことはあります。何の前触れもなく、痕跡も残さず、人間が消えてしまうことですよね?」

「そうだ。ここからが重要なんだが『神隠し』にはいくつかバリエーションがある。……おまえは、その人が初めからいなかったことになるというやつを聞いたことはないか」


 思わずめまいがした。


「そんな馬鹿な」

「俺も馬鹿げていると思うよ。でももしそうだと仮定するとすべてつじつまがあう。消えるとはいっても完全に何も残さず消えてしまうというわけではないんだ。そんなことになったら語られることもなくなってしまうからな」

「俺たちのこの記憶の断絶がその痕跡というわけですか……」

「そうだ」

「ありえないですよ……。いくらなんでも」

「だよな。俺もそう思う。あまりに突飛すぎて現実感がなさすぎだ。でもな……」


 そういうことも、ありえるかもしれない。

 そういって井上さんは口を閉じた。

 俺も黙った。


 じゃあその消えたそいつというのは一体……。

 そいつは、……もしかすると。


 ――パーン!


「「うわあ!」」

「何二人で沈んでるの? せっかくのパーティなんだからもっと楽しまないと。そんなだと人生損しちゃうよ。もっとエンジョイ&エキサイティングに過ごさなきゃ」


 いつのまにかソファの前には由花子さんがしゃがんでいて手にはクラッカーを持っている。


「ていうか由花子さん、その格好どうしたんですか?」

「えへへー。可愛いっしょ? この日のためにわざわざ作ったんだから、高かったんだよー。これ」


 そう言いながら由花子さんは、わざわざオーダーメイドで作ったというサンタクロースの衣装を見せるために俺たちの前でくるっと一回転した。

 それにあわせて由花子さんの亜麻色の長髪も、まるでシャンプーのコマーシャルのように、さらさらと舞う。


「市販で売ってるのはどうも安っぽくてさー。着ると風俗みたいであんまり好きじゃないんだけど、あれってやっぱり可愛いから一回着てみたかったんだよねー。似合う?」


 そのミニスカサンタの格好はさっきまで沈んでいた俺たちが思わず見とれてしまうほど、とてもよく似合っていた。

 素直に惚れてしまいそうになるほどに。


「ところで康一くん何持ってんの?」


 由花子さんは俺が持っていた腕時計を目にも止まらぬ早さでひったくっていった。


「へぇー。腕時計じゃん。しかもこれ私がちょっと欲しかったやつだ。どうしたの? けっこう高いんだよこれ」


 俺は手短にその腕時計が机の中に入っていたこと、そしてそれがなぜそこにあったのかわからないことを由花子さんに教えた。


「……なるほどね。面白い。まぁとりあえず、なぜ? とかそういうことは置いといて、これ私にちょうだいよ」

「えっ……それは、ちょっと」

「何でよー。康一くんがこれ着けるわけじゃないんでしょ。女物だし。それとも康一くん。誰か他にあげる人でもいるの?」

「……」

「ねぇってば。どうせ他にあげる人なんて誰もいないんでしょう?」

「……そうですね。じゃあその腕時計、クリスマスプレゼントってことで由花子さんにあげますよ」

「やったー。それじゃあ今度、私も君に似合いそうな腕時計買ってあげるよ。ありがとう。大切に使うからね」


 由花子さんはその腕時計をもらったそばから身に着けて、嬉しそうに眺め、黛にその時計を見せびらかしていた。



 そのときの黛の顔は少しおかしかったような気がした。

 喉もとまで言葉が出かかっているのに出てこないような、そういうもどかしそうな目をどういうわけか黛はしていた。


 後日、由花子さんはプレゼントしたものの倍くらいはしそうな高価な腕時計を、俺に買ってくれた。

 正直、傷つけるのが怖くて身に着けられないほどだ。

 由花子さんは俺があげた腕時計が相当気に入ったのか、その日からいつもその時計をしていた。



 遊園地は、それからしばらくすると取り壊され、ただの空き地になった。


(了)


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