壱 『ホテルの亡霊』 1/5
素人です。初投稿になりますのでよろしくお願いいたします。
使い方がよくわからないのでテスト投稿になります。
作品自体はだいぶ前にpixivのほうで投稿させていただいたものとまったく同じです。
今日から毎日投稿で、全五話の予定です。
よろしくです!
誰にでも、ホラー映画を見たあと一人でトイレに行けなくなったことがあると思う。
ホラー映画を見れば怖い目にあう。
そんなことは百も承知のはずだが、気がついてみれば初めから終わりまで映画を見てしまっていて、案の定トイレに行けなくなり、布団のなかで心底映画を見たことを後悔しながら、恐怖で身を震わせているような体験をしたことがあるのはおれだけじゃないはずだ。
しかも、おれにはこんな体験は一度だけじゃなく、数え切れないくらいある。
たしかにおれは利口な子供ではなかったが、さすがに数回同じ体験をくりかえせば少しは学習するはずだ。
それなのになぜ繰り返しホラー映画を見てしまうのだろう?
やめたくても、やめられない。
怖いものには中毒性がある。
そういった意味で、あの人は恐怖というものは麻薬のようなものだと言っていた。
あながち的外れな表現でもないと思う。
感情というものも所詮、科学的に説明してしまえば脳内で起こる物質の伝達にしかすぎない。
恐怖という感情だって、脳内麻薬による一種の興奮状態といえるはずだ。
ここで問題なのは、麻薬という言葉のなかには使用者を滅ぼしかねない危険性を孕んでいるというところだ。
それは恐怖にもあてはまる。
こうして今、あの人と過ごした無茶苦茶な日々を思い返してみると、何回か死んでいてもおかしくなかったような気がする。
思い返しただけで軽く足が震えるような思い出もいくつかある。
この思い出話をする前に、あの人とまた会ってみようと思い立って、連絡をとろうとしてみたけれど、それは徒労に終わってしまった。
おれが大学を卒業して、社会人になってからというもの、あの人とは音信不通になっている。
だからあの人がいったい今どこで何をしているのか、おれには全くわからない。
縁起でもないが、もしかするともうこの世にはいないのかもしれない。
こんなことを聞いたらあの人は怒るかもしれないが、あの人は一見すると破天荒かつ、唯我独尊というような人間に見える(それもあの人が確実に持っている一面ではあるのだけれど)。
だが触れれば壊れてしまうガラス細工のような一面もたしかに持ち合わせていた。
その一面は死の匂いを十分に漂わせるものだった。
けれどそれがいったいあの人のどこからくるのか、結局おれには分からずじまいだ。
あの人は決して弱みを他人に見せはしなかった。
きっと他人が触れてはいけないことだったのだろう。
これからする話はおれこと河野康一が、あの人と初めて出会ったときの話だ。
おれは大学に入ったばかりの、右も左もわからない一年生だった。
つらい受験戦争を戦い抜き、やっとの思いで大学に入学し、これから始まる大学生活に夢と希望でいっぱいといったような状態だ。
それがまさか、ちょっとした人生の選択肢を選んだだけで、あそこまでおれの思い描いていた大学生活から激変するとは、いったい誰が想像できたろう。
選択肢という言葉を使ったけれど、もしゲームのようにあのときに戻って大学生活をやりなおせるならおれはどうするだろうか?
あの人と出会わずに普通の大学生活を送ることを選ぶだろうか?
それも魅力的な気がするが、なかなか難しい問題だと思う。
たしかに、あの人と過ごした大学生活は無茶苦茶なものだったけれど、今までの短い生涯のうちで最高に楽しかったように思う。
あの楽しさは普通の大学生活で得られるものではないだろう。あの人はまたこんなことも言っていた。
「破滅のあるところに快楽があり、快楽があるところに破滅がある。快楽はより強い快楽を求め、人間は破滅の道へとその足を進める。そうして快楽を求めようとして限りなく破滅へと近づいていく。ところで、この人生というやつには二つの道が用意されている。一つは快楽も破滅もならされてしまった安全な道。もう一つは快楽と破滅にあふれた危険な道。どちらを選ぶのかはその人の自由だけれど、後者のほうが、ずっと、何倍も魅力的なはずだ」と。
まるで狂人の考え方だが、なんだかんだ言ってもおれはこの言葉をずっと覚えている。
なぜかといえば、おれにはこの言葉が真理の一面を示しているような気がするからだ。
しかし、一面は一面だ。
何事も大切なのは中庸さだと思う。
そういう面から言えば、普通の大学生活も悪くない、だが刺激がない。
かといって、死ぬほど怖い経験を何度もくりかえすのもどうかと思う。
あのころも良く考えていたことだけれど、話を始める前にまたあらためて思う。
人生ってやつは本当にうまくいかないものだ。
◆
『ホテルの亡霊』
大学に入学してからの二週間はとにかく新入生というだけで、周りからチヤホヤされる。
同期で入学してきたやつらはとにかく友達を作ろうと躍起になっているので、相当下手を打たないかぎり、暖かくこちらのことを受け入れてくれるし、大学の先輩たちは自分たちのサークルに入ってもらえるように優しく接してくれる。
だが、このときに油断して友達作りを疎かにしていると、あっというまに一人ぼっちになり、後戻りできない状況になってしまう。
大学という場所は友達を作る機会が極端に少ない。
この機会を逃し、更にはサークルにも入らないとなると、まず友達はできない。
つまり、この新歓の二週間が大学生活における最初で最期の出会い系イベントということになる。
そして、そのころはまだ夢と希望にあふれた大学生活がおれにも待っているのだと信じていた。
新歓の期間はそこいらの居酒屋で連日のように、いろんなサークルが新入生を呼んで飲み会を開く。
新入生は主にその飲み会に参加して友達を作る。
そのころのおれは、理想の大学生活を実現させるためにとにかくこの飲み会に参加しまくっていた。
ありがたいことに金の心配は一切いらない。
なぜなら、驚くことにこの飲み会、全て先輩たちの奢りになっている。
これはどこの大学でもそうだと思う。
だから大学に入ってからの二週間は夕飯の心配は必要ない。
たいして興味のないサークルの飲み会に参加して、たらふく食って飲んで騒いで、適当にまわりの人たちと会話して、友達作って、サヨウナラ。
ということをひたすら繰り返せばいいからだ。
入る気もないのにそんなことできないと考えるまじめな人もいるかもしれない。
けれど先輩たちも新入生のときに同じようなことをしていて、その辺の事情は黙認しているはずだから心配は無用だ。
おれは飲み会の最中に何回か、先輩たちから興味がなくても飲み会には参加しておけというアドバイスをもらったことさえあるほどだ。
だから、飲み会に参加することはとにかく正義なのである。
気が済むまで存分に豪遊すればいい。
そういうわけでおれは入学式の日から毎日狂ったように飲み会に参加していた。
ちょっと体の調子がおかしいと感じても無視して参加していた。
その飲み会がいつどこで開かれるかというのは、だいたい駅前や正門の前などにいけば、今晩飲み会を開くサークルが目印を持って集まっているので、それについていけば大丈夫だ。
当時のおれは何かのサークルに入りたいという希望が全くなかったので、可愛い女の子のいそうなサークルを選んでは楽しく飲んでいた。
そんな天国のような生活を連日楽しんでいたのだが、入学式の日からだんだんと時間が経つにつれて飲み会を開くサークルの数も減り、お祭りムードはだんだん消えていく。
これが入学式から二週間もすると新歓期間のにぎわいは嘘のようになくなり、同時にまわりの人たちの態度も冷たくなっていく。
そうして気の合ったもの同士でコミュニティを作り出し、どんどん閉鎖的になっていく。
これがお祭りの終わった大学本来の姿だ。
◆
来る日も来る日も狂ったように遊んでいたおれだったが、新歓期間の終わりが近づいてくるにつれて、若いとはいえさすがに疲れが色濃く出てきていた。
その日、おれは連日の飲み会による疲れを体に残しながら、正門を抜けて大学をあとにした。
新入生を迎えるために美しく咲き誇っていた桜並木はもうすっかり散ってしまっていて、アスファルトの上には、踏みにじられたうす汚い桜の花びらがこびりついている。
あんなに人でにぎわっていた正門前が閑散としているところを見ると、祭りの終わりを実感する。
もう飲み会もないだろう。
というよりも、もう参加できないような状態に自分があることを自覚していたので、おとなしく家路へと歩き出した。
とそのとき、閑散とした桜並木の下に一つのサークルが集まっているのが目に入った。
普通、新入生を迎えるために集まっている団体は、自分たちがどういった団体なのかがわかる目印を持っているものなのだが、十人くらいのその団体には、それが何の団体なのか分かるものが何もない。
それでもおれはおおかた気の合う者同士で作った遊び系のサークルなのだろうと思ったが、それにしては集まっている人たちの毛色に少し違和感を覚える。
なんというか少し影のある感じだった。
気になりはしたが、もう頭に霞がかかっているような調子で、ときおり凄まじい眠気によって意識がとんだりするので、早く家に帰って泥のように寝ようと決心した。
しかし、そのサークルの横を足早に去ろうとしたとき、おれはその団体のなかに驚くほど綺麗な人がいることに気がついた。
そして次の瞬間、気がついたときにはもうその団体に加わり居酒屋に向かっていた。
おれだって健康な男子の一人だから、このときのおれの行動は誰も責められないと思うし、当然の結果だ。
体調はすこぶる悪かったが、おれはなんとかなるさと気楽に構えていた。
けれどまさかこの選択肢を選ぶことで、おれの理想の大学生活へのレールから大きく脱線し始めていたとは、そのとき夢にも思っていなかった。