肆 『ミステリー・ハウス』 1/5
俺が小学生だったころ、ノートに迷路を書き、それを制限時間内に解けるかどうか勝負するという遊びがクラスで流行ったことがある。
もし制限時間内に解けなければ迷路を作ったがわの勝ち、解ければ挑戦者の勝ちといった具合だ。
初めのうちはただ純粋に迷路を作り、解くのを楽しんでいただけだった。
だが、勝者が給食の好きな献立を奪ってもよいというルールが加わることによって、俄然勝負に真剣さが増していく。
定められたルールは迷路の制限が自由帳の一ページだけというものと、挑戦者はそれを五分以内に解くという二つだけだ。
俺は迷路を解くのがなぜかとても早く、迷路を作るがわの人間からは俺を負かせることが一種のステータスになっていた。
かなりの勝率を誇っていた俺だったが、急にあるクラスメートの作る迷路だけがどうしても解けなくなってしまう。
仮にそいつの名前をAとしよう。
Aの作る迷路は狂的に細かく、それは少し離れて見るとただ自由帳が黒く塗りつぶしてあるように見えるほどだった。
俺はその迷路が何日も何日も解けなかった。
同じ迷路を毎日解こうとしているのだから、どんなに入り組んでいてもそのうち解けるはずなのだが、不思議なことにAの迷路はどれほどやっても解くことができないのだ。
だが調子に乗っていた俺は、そのころ自分に解けない迷路など存在するわけがないと思い込み、何日も好きな献立を取られ続ける日々を送っていた。
一週間ほどそんな日々が続いたある日、俺はふとあることに気がついた。
Aの迷路は本当に出口にたどり着けるのだろうか、と。
それを確かめるため、俺はいつものように迷路勝負に負けたあとでAにちょっと迷路をあらためさせてくれと頼んだ。
だがAは俺に迷路を見せるのを拒み、何やかんや理由をつけてどうしても迷路を見せようとはしなかった。
その狼狽するAの姿を見て、俺はこの遊びに対する熱が急速に冷めていった。
考えてみれば、この遊びは絶対的に迷路を作るがわの人間のほうが有利なのだ。
本来ならこんなもの勝負になりさえしない。
勝負になるのは作り手がわが手を抜いて出口にたどり着けるように迷路を作ってくれたときだけだ。
作り手が少しでも本気を出せば挑戦者は一生解けない迷路に挑まなければならない。
それはまさにワンサイド・ゲーム。
ネズミ捕りに掛かったネズミを猫がおもちゃ感覚でいたぶっているのに等しい。
それからしばらくしてAの不正がばれるのと同時に、同じ不正をしている者が多数見つかり、この遊びはそれから誰もするものがいなくなった。
今回の話は俺こと河野康一が体験した廃遊園地にある迷路での出来事だ。
そこで俺たちはアレと遭遇することになる。
アレとは一体なにかと思うかもしれないが、アレはもうただアレとしか言いようがない。
アレを理解してもらうにはこれから先の話を読んでもらうことでしか説明することはできないが、真相は結局のところ闇の中だ。
真相を知ることはもう決してできない。
だがそれが一番幸せなのかもしれない。
真相を知ることが常にいいこととは限らないのだから。
◆
『ミステリー・ハウス』
十二月。
天は高く、雲は一つも見当たらない。
退屈な授業中に教室の窓から外を見れば、一見ポカポカと暖かそうに感じられる。
けれども校舎から一歩でも外に出れば冷たい北風が吹きすさび、油断していた俺は思わず首をマフラーにうずめる。
その日の授業はもうすべて終わりだったが、暇を持てあましていた俺は、最近なかなか顔を出せていなかった部室で暇を潰そうと、大学の西側にある部室棟へと向かった。
舞い散る枯葉の中を歩いていくと、塗装されてなどいない、コンクリート打ちっぱなしの無骨な建物が姿を現した。
その内部は吹き抜けになっていて、その吹き抜けを中心として様々なサークルの部室が存在している。
この部室棟に入ってまず目に付くのは、まるでスラム街のような荒廃した雰囲気だ。
こうなってしまうのはうちの大学がある程度、学生がわに部室棟の統治をまかせているところにある。
当然そうなってくるとここにほとんど住んでいるのと変わらないような奴も出てくる。
ここはキャンパス内でも最もアナーキーな場所なのだ。
その部室棟三階の階段を上ってすぐのところに俺の所属しているサークルの部室がある。
俺は大学内でも屈指の珍妙さを誇るオカルトサークルに所属している。
一体何をするサークルなのかと聞かれれば、一年中ずっと悪ノリしているサークルだと答えるのが最も適当な答えになると思う。
大学がわもよくこんなサークルに部室の使用許可を与えたものだ。
「ちはー」
気の抜けた軽い挨拶をしながら部室のドアを開ける。
部屋の両側には胡散臭い書物がこれでもかというほど並び、奥の棚やテレビの上にはこれまた胡散臭いマジックアイテムがところせましと並んでいる。
うーん何度見てもファンタスティックな部屋だ。
その真ん中にはコタツがあり、そこには向かい合って何かをしている部長と副部長がいた。
「康一か。なんか久しぶりだな。ここ一ヶ月くらいあんまり顔見なかったよな」
「すいません。ちょっとバイトが忙しくて」
このいかつい顔と体格をした坊主の男がこのオカルトサークルの部長で、名前を井上形兆という。
見た目は怖いが話してみれば気のいい先輩だ。
「バイト? 康一くんそんなに忙しいバイトやってたっけ?」
そしてこのコワ面の井上さんの向かい側に座っている、やたら綺麗な女の先輩の名前が狐宮由花子。このサークルの副部長をやっている。
「ええ。ちょっとお金が必要だったんで……。この前の誘いも断っちゃってすいません。井上さんが買った車の乗り心地はどうでした?」
「車のことはよくわかんないけど、けっこう馬力があって運転しやすかったよ」
「運転しやすかったじゃねーよ。こいつ俺が買って一週間もしないのに電信柱にこすりやがってさ。最悪だったよ。あやまんないし」
「あんなに道せまいんだからしょうがないよ。それに修理代は私ちゃんと出してるんだから別にいいじゃん」
そう言って由花子さんは、綺麗に染まった亜麻色の髪を人差し指にクルクルと巻きつけながら頬杖をしている。
本当にどうでもよさそうだ。
「いや。そういう問題じゃないって!」
けれども由花子さんはヘラヘラ笑っているだけでまったく反省する気はないらしい。
おそらく、この人は面白がってわざと電信柱に車をこすったのだと思う。
確証はないがこの人はそういう人だ。
たぶん慌てふためく井上さんが見たかったのだろう。
俺も暖を取るためにコタツの中に入る。
コタツというのは部室の至宝といっても過言ではないと思う。
「ところで何してるんですか?」
いつもは散らかっているコタツの上には、ゴミのかわりにトランプを二まわりほど大きくしたようなものが真ん中にぽつんと置いてある。