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参 『自殺の名所』 4/5

 涙が流れていた。

 目の前には輪になったロープがぶら下がり、俺はそのロープの輪っかに手をかけている。


「どこだ――ここ?」


 いつのまにか俺は一人になっていた。

 さっきまで聞こえていた蠅の羽音もまったく聞こえず、寒々とした森が漠然と広がっている。

 俺は一体何が起こっているのかわからず、うろたえていると何かが足にぶつかった。


「うわっ!」


 それは苔むした人間の頭蓋骨だった。

 さらに自分の足元をよく見てみると、苔が生えている服や、骨や、カバン、靴が転がっている。

 それらから推測すると、この目の前に転がっている死体の性別は女のようだった。


 転がっている髑髏を見ていると遭難の二文字が脳裏に浮かぶ。

 使えないのはわかっているが、俺は携帯を手に取った。

 当然、圏外だ。

 だが驚いたのは時計を見たときだった。


 森の入り口に着いたのがだいたい十二時ごろ、とすると由花子さんたちと死体を見つけた時間はどう考えても二時ぐらいだろう。

 にもかかわらず時計はもう四時を超えていた。

 何がどうなっているんだ?


 こんなところにずっと立っているわけにもいかないので、とりあえず南へと歩いてみることにした。

 このまま陽が沈んでしまうと本当に遭難しかねない。



 行けども行けども景色は陽が傾いていく以外にはいっこうに変わらない。

 絶望的な気持ちになりながら三十分ほど歩いていると、何か遠くに動くものが見えた。


 それは二人の中年の男だった。

 一人は痩せた色の黒い男、もう一人は太った色白の男で、二人とも帽子を目深にかぶっている。

 二人も俺のことに気がついたようで、こちらに近づいてきた。


 ふと、なにか嫌な予感がした。

 理由らしい理由は見当たらないが、とにかくはっきりと、その二人は尋常でない気配をまとっていた。

 それはまるでジメジメとした暗い地下室から這い出てきたゲジ虫のような、そういった生理的な不快さを感じさせた。

 そんなことを考えているうちにも彼らはどんどん近づいてくる。


「やぁ、君こんなところで何してるの?」


 痩せの男が俺に笑顔で話しかけてきた。

 口から覗く歯はヤニで黄色く、著しく歯並びが悪い。

 太った男は一目で無口だとわかる顔つきをしていて、口を真一文字に結び、やせの男の背後からじっと俺を見ていた。


「いや、それがですね。ちょっと連れとはぐれてしまいまして……」

「そりゃ大変だ。この辺は迷いやすくてな! 行き倒れになる人が多いんだよ。よかったら森の入り口まで案内しようか?」


 痩せの男は一目で分かるファーストフード店的な笑みをその顔に貼り付けて胡散臭い言葉を羅列していた。


 嫌な感じはいまだに拭えていなかったが、何の理由もない予感を信じるよりも、この人についていったほうがこの森から出られると考えた俺は、お礼を言ってその二人に案内してもらうことした。



 痩せた男を先頭にして、その後ろを俺が歩き、俺の後ろを太った男がついて来る。

 痩せた男は森を歩いているあいだ中、絶え間なく俺に話しかけていた。

 最初に話しかけられたときにもなんとなく感じていたのだが、どうやら痩せた男は俺のことを自殺志願者だと疑っている様子だった。

 正直、とてもうざい。


「最近の若いやつは簡単に命を捨てすぎなんだよ」

「そうですよね」

「俺だって今日までの人生で辛いことがたくさんあったよ。でも死ななかった。なぜだかわかるか兄ちゃん」

「いや」

「俺が俺を必要としてもいいってことに気づいたからだよ。まぁこんなことを言っても兄ちゃんたちにはわからないだろうな」

「はぁ」

「そこでさらに俺は気づいたんだよ。世の中に必要でない人間なんているわけない。どんな人間でも誰かが必要としてるものなんだってな」

「そうなんですか」

「そう。兄ちゃんもこれから辛いことがたくさんあると思うけど、自分はちゃんと必要とされてると思って、がんばんなきゃいけないぞ」

「がんばります」


 そんな心の底からどうでもいい話しを聞きながら、早く森の出口に着かないかなと心底願っていると、聞き覚えのある能天気な声が耳に届いた。


「あーいたいた! 康一くぅーん」


 声のするほうを向くと、いつもどおりの元気な由花子さんが手を振っていた。

 しかしどういうわけだか、その後ろに由花子さんとは対照的な、見るからに頬がこけてしまった井上さんが、よろよろとついて歩いて来ていた。



「もーすっごい探したんだから、気がついたらいきなりいなくなってるんだもん! びっくりしたよ。それで、なんなのこの人たちは?」


 俺は白骨死体の場所から今にいたるまでの経緯を由花子さんたちに話した。

 それを聞いた由花子さんは、いつものふざけた調子をあらためめて、よそよそしく二人の男に挨拶をした。


「そうだったんですか。どうもうちの者が迷惑かけてしまったみたいで申し訳ありません」

「本当に迷惑だよ! こんなことはもうないようにしてくれよ、姉ちゃん!」


 痩せた男は今ままでの優しい態度を一変させ、急に不機嫌になったかと思うと、由花子さんに突っかかっていった。


「だいたいおまえら何しにここに来てるんだ? 自殺死体でも冷やかしに来てるんじゃないだろうな?」

「まさか。わざわざこんなところまで、死体を好きこのんで見に来る人なんていませんよ。さぁ康一くん、もう帰るよ。じゃあどうもありがとうございました」


 補足しておくがこんな態度を取る由花子さんはかなり貴重だ。

 この人は普通ケンカを売られたような態度を示された場合、必ず買う方向で話を進める。

 由花子さんは俺の手を掴むと逃げるようにその場をあとにした。



 二人の男たちから分かれたあと、俺は由花子さんたちが今まで何をしていたのかを聞いていた。


 まぁそこはさすがに、急にいなくなった俺のことを心配して探してくれていたわけだが、井上さん曰く最悪だったのは俺が急にいなくなってからで、これまでに五体もの死体を見てきたという話だった。

 しかもその五体すべてが腐乱死体であり、井上さんは自分の体にその臭いが染みついてないか不安そうだった。

 どんな死体だったんですか?

 と俺が聞いたら、

「頼むから思い出させるんじゃねー!」

 と怒られてしまった。


「さすがの私も心配になっちゃったよ。形兆ったら途中でゲロが止まらなくなっちゃってさー。なんかちょっと痩せたよね?」


 なるほど。

 この短時間でどことなく井上さんの頬がこけてしまっているのはそれが原因か。


「ところで由花子さん、その手に持ってるビニール袋は何なんですか?」


 由花子さんの手にはさっきまではなかったはずのビニール袋があった。


「ああ。これはね。ここで自殺する人がどうやってするかっていうとさ、まぁ大半が首吊りなわけだよ」


 唐突な話の始まりに面食らって俺が黙ってしまったことなど気にせずに、由花子さんは話を続ける。


「だからね、ロープはみんな失敗しないようにしっかりと木に結ぶわけ。でも死体は腐ってそのうちロープから落ちてしまうでしょう。するとロープだけが残る。死体が白骨化しても、骨が風化してしまっても、そこにはひとつのロープだけが残る。さながらその人の墓標のようにね」


 何言ってるのこの人……。


「ちょっとまってください! 何もってるんですか? ていうか何に使うんですかそんなもの!」

「私の知ってる物好きな人に売るんだけど、その人が何に使うかはちょっと教えられないにゃー」

「売る? そんなものをですか?」

「世の中にはいろんな人がいて、いろんな物を求めているものなんだよ。さっきの人たちもその口じゃないかな。私のこと泥棒みたいな目で見てたしね」


 そう言われて、あの男たちを見たときに感じたあの嫌な予感を思い出す。

 今あらためて考えてみても、あの二人の振る舞いはどこか不自然な感じがする。

 あんなところであの二人は何をしていたのだろう?

 遊歩道からは相当離れているが、迷っているというふうでもなかったし、何か目的があるわけでもなさそうだった。


「私なんてまだかわいいほうだよ。ネクロフィリアの人が死体を探してうろついてる場合もあるし、これは本当かどうかわからないけど、噂によるともっとヤバイのがいるらしいんだよ」

「どんなのですか」

「たとえ自殺の名所とはいえね。私みたいに霊感の強い人じゃなきゃ、こんなに広い森の中じゃ、そんなホイホイ死体なんて見つかるわけがないんだよ。まして見つかる死体の状態はまちまちだしね。実際に探してみて、欲しい死体が見つかることなんてそんなにあるわけない。そんなとき康一くんだったらどうする?」


 どうすると言われても、どうしようもないだろう。そんなことを考える俺を尻目に由花子さんは話を続ける。


「これはあくまで噂のレベルなんだけどさ。誰かが気づいちゃったらしいんだよね。……死体は探すより、作るほうが簡単だってことに」

「まさか……」

「ありえないと思うでしょ。でもね、自殺するような人ってさ、もともと失踪してしまってもおかしくない人たちばかりだし、自殺しにここに来ているってことは、遺書とかもちゃんと用意して、身辺整理がしっかりしてる人がほとんどでしょう。だから、見つからなくなっても何も不思議じゃないわけだ。そんな人間を警察が長いあいだ捜すことも考えづらいしね」

「じゃあ、あの人たちって……」

「少なくとも、人には言えないようなことをやっていたのは確実だと思う。自殺志願者には見えなかったし。康一くんがあのままついていったらどうなってたんだろうね? 部室で見ていたようなスナッフ・ムービーに、康一くんがガチンコで出演するような可能性もあったかもしれないよ」


 あの二人に自分自身の手足を引き伸ばされていく場面を想像して、俺は思わず身震いした。

 それは想像の中とはいえ、笑えないリアルさだった。


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