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参 『自殺の名所』 3/5

 自殺の名所として有名なのはH山ではなく、正確に言えばH山の裾野に広がる大きな森のことを指している。

 その森はH山が大昔に噴火したときに流れ出した溶岩流の上にできていて、針葉樹や広葉樹などの木々が原始林を形作っている。

 近くには公園やキャンプ場があり、壮麗なH山の景観もさることから、観光地としての評判は悪くない。


 森の遊歩道の入り口にある駐車場に車を停め、俺たちは荷物を持って外に出る。

 目の前には青々とした森が広がっている。

 その入り口は自殺の名所といった暗い雰囲気はあまりなく、ただの観光地のような親しみやすさがあった。


「自殺の名所って聞いてたからもっと殺伐としてるのかと思ってたけど、割といいとこだな。本当にただハイキングに来てるみたいだ」

「そうですね。出発したころはちょっと暑かったですけど、こっちのほうは曇っていて涼しいから、歩き回るにはちょうどいいぐらいですね」


 そんなことをのんきに話し合いながら歩いていた俺たちだが、すぐに自分たちが何をしにここに来たかを思い知ることになる。

 森に入ってしばらくすると自殺防止の看板が目に入ったからだ。由花子さんがその文字を読み上げる。


「『命は親から頂いた大切なもの、もう一度静かに両親や兄弟、子供のことを考えてみましょう。一人で悩まず相談してください』か。あははははは。これを読んで自殺を辞める人っているのかな? 逆にこの看板があることで自殺の名所としての名前が消えないような気がするんだけど」

「まぁこれぐらいしか予防策がないんでしょう。……俺もこれはないほうがいいと思いますけど」


 看板から少し離れたところには、静かに両親や兄弟・子供のことを考えるためなのか東屋があった。

 そこにはリュックサックを膝に置いた女性が一人で座っている。

 彼女は穏やかな表情で森を見渡している。

 由花子さんが挨拶をすると女の人は笑顔で挨拶を返した。


「こんにちは。学生さんかしら?」

「ええ。こっちは涼しいですからね。ちょっとハイキングにと思いまして」


 しれっと由花子さんは嘘をつく。

 正直に死体を見に来ましたと他人に言えるわけもないが。


「そうですか。実は私たちもそうなんですよ」

「お連れの方がいるんですか?」

「ええ。最近結婚したばかりの夫なんですけど、車に忘れ物をしてしまって……。私は彼が帰ってくるまでここで待ちぼうけをしているわけなんですよ」


 彼女は、あまりに不純な動機でここに立っている俺たちにはまぶしすぎる表情でそう語る。


 戯れに死体を見に来た学生たちと、幸せ一杯の新婚さんという絵はあまりにアンバランスに思えた。

 俺はなんだか彼女に対して産まれてきてすいませんという感情で一杯になった。


「新婚さんなんですか。でもなんだか暇そうですね」


 由花子さんは俺がそんなことを考えていることなど露知らず、社交用の声と顔で彼女とのコミュニケーションを続ける。


「そうでもないですよ。こうやって東屋で森林浴してるだけでも気持ちがいいですしね」


 女の人はそう言いながら大きく伸びをする。


「でもあんな看板があると興醒めですよね。ここまで来てあれを見て自殺するのをやめる人なんかいるわけないんですから、なくしたほうがいいですよねー?」

「まったくね。あんな看板があるから、いつまで経っても自殺の名所の名前が消えないのよ。あぁそういえばこの先しばらく行くと別れ道になってるけど、左には行かないようにね。遊歩道がなくなってるから分かるとは思うんだけど、そっちに行くと、よく死体が見つかる場所に行っちゃうから気をつけて」

「そうなんですか。わかりました。それじゃあ。旦那さんが帰ってくるといいですね」

「……そうね。まぁそのうち帰ってくるでしょう」


 人の良さそうな笑顔で彼女は俺たちを見送ってくれた。

 俺はなんだか悪いことをしたような、後ろ髪惹かれるような思いでその場所を去る。


 しばらく歩くと忠告通りに遊歩道は分かれ道になっていて、由花子さんはこれまた当たり前のように左の道へと進んでいった。



 遊歩道がなくなると森の中はとても歩きづらい。

 ところどころ溶岩が露出していて道が平坦ではなくなるからだ。

 ぐるりとあたりを見回してみても木、木、木。

 十歩進めば自分がどこにいたのかわからなくなる有様だ。


 俺は少し小腹が減ってきたので、リュックに入れておいたライスクリスピーを食べながら歩いていた。


「私にもそれちょうだい」


 いいですよと言って、由花子さんにもライスクリスピーを手渡す。


「本当に死体なんて見つかるんですか?」

「大丈夫だよ。ちゃんと近づいてるんだから」


 そう言いながら、由花子さんはあっという間に手渡したライスクリスピーを食べてしまった。


「わかるんですか?」

「うん。ちょっと言葉でこの感覚を説明するのは難しいけど。死体はもう目前だよ」


 もうすぐ死体とご対面することになるのかと思うと、好奇心はある反面、やはり気が引ける。 白骨死体だろうか?

 腐乱死体か?

 はたまた死んで間もないのか?


「ところで康一くん。虫が死体を食べるときの音ってどんな音か知ってる?」

「人が食事してるときに気持ち悪いこと聞かないでくださいよ」


 嫌がる俺の反応を見て由花子さんはニヤリと笑う。


「虫が群がってる死体に耳を近づけるとね。ライスクリスピーみたいな音がするらしいよ。シャクシャクシャクっていう音がね。今日は聞けるのかなー?」


 俺はそれを聞いて食べるのを止めた。



 それからまたしばらく歩くと、あたりに異臭がし始めてきた。

 その臭いはあるところで急に強くなる。

 その臭いを、どう説明すればわかってもらえるだろうか?

 腐った肉のような、腐った果物のような、甘ったるいが花のような臭いではない。

 歩くのを止めたくなるほど濃密な臭気があたりには充満していた。

 今にも吐きそうな臭いだ。


「死体はっけーん!」


 由花子さんは岩がえぐれてできた穴の陰を指差す。

 そこに死体はあった。


 その死体は服装から男性だということがかろうじてわかるだけで、率直に言って、それは服を着た、人の形をしたなにかだった。

 岩にもたれかかっている体は全体が蝋のように白く、下腹部が腐敗のときに生じるガスによって風船のように膨れている。


 顔全体がピクピクと痙攣しているように見えるのは米粒大の蛆虫が大量に蠢いているからで、耳と鼻からはチキンスープのような黄色い汁が垂れ、黒い布をつけてるように見える部分には蠅がたかっている。


 あたりは蠅が世話しなく飛び交い続けている。

 由花子さんはその死体に近づきまじまじと顔を覗き込む。

 由花子さんの血色のいい整った顔立ちと、腐乱した顔ともいえないような顔が対面している。

 死体のグロテスクさを美しい女の顔が引き立て、同時に美しい女を死体は引き立てる。

 そこに大量の蝿の羽音が頭に響いていた。


「かわいそう……」

「何を今さら、死にたい奴は死ねばいいじゃないですか」

「なんでこんなことになったんだろう?」

「そんなこと知ったこっちゃないですよ」

「さみしいんだよ」

「私も一人、あなたも一人、みんな一人、そんなの寂しすぎるじゃない「俺がいなくてもあなたは悲しまない。あなたがいなくても俺は悲しまない。私がいなくなっても私は悲しまない」」

「誰かが私を必要としていてほしい。俺は今までもこれからもずっと一人。なんで生きてるの? 生きてるって何? 死ぬって何? あなたもここで死のうそうすればきっとわかるはずこっちに来てあなたも来て一緒にあなたも一緒にあなたもあなたも――


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