参 『自殺の名所』 2/5
最初に、真っ黒な画面から静かに浮かび上がってきたのは、風呂場のようにタイルが敷き詰められた床と、鉄でできているベッドのようなものを天井から写している場面だった。
そのベッドは一見何に使うかはよくわからないが、それが確実に悪意をもって作られていることだけはわかる。
なぜなら横になったときのちょうど腰の位置あたりに、釘のような鉄製の棘が打ち付けられているからだ。
さらによく見てみると画面下の、足がくる位置には足枷のようなものがあり、上には手枷のようなものが転がっている。
しばらくすると、一人の全裸の女が、KKKの三角頭巾のようなものを頭に被った二人に連れられて画面に現れた。
女の年齢は二十代後半くらいだろうか、その顔と体には殴られたような痕があり、女は憔悴しきった様子で、抵抗する体力もないようだった。
三角頭巾たちは、ベッドの棘に刺さらないよう、弓反りに仰向けになった女の手足を画面上下の枷に付けた。
女はちょうどバンザイをした格好になり、カメラのほうをぼんやりと眺めている。
その目はもうこの世のすべてに興味をなくしているような、そんな目だった。
「これ……なんなんですか?」
「見てればわかるよ」由花子さんは画面をじっと見つめたまま答えた。
三角頭巾たちは女の手足に枷をつけ終わると画面の上下のほうへそれぞれ出て行った。
ジャラジャラという音とともに、手枷と足枷についていた鎖が、ゆっくりと上下に引っ張られていき、やがて鎖は女の体を引っ張り始める。
だが鎖の音はいっこうにやむ気配がなく、じわりじわりと女の体を引き伸ばしていく。
ある程度鎖が巻き取られたときだった、何も見ようとしていなかった女の濁った瞳に光がさしたかと思った瞬間、女は絶叫した。
「ぎゃああああああああああ」
それはいつまでも続くような長い長い叫びだった。
だが鎖は女の手足を引っ張り続ける。
ゆるやかに、確実に。
ボキッという鈍い音がしっかりと画面から聞こえた。
ついに肩の関節が外れたのだ。
それでも鎖はその動きを止めない。
絶叫。
鎖が巻かれていく音。
またどこかの関節が外れる音。
絶叫。
女の体は胴体には不釣合いなほどに手足が引き伸ばされていく。
だが、それでも三角頭巾たちは手を緩めようとはしない。
ただひたすら、女の絶叫がテレビを通じて木霊していく。
「ああああああああああああ」
「うわああああああああああああ!」
俺はたまらずテレビの電源を消した。
なんなんだこれは?
先輩たちのほうへ顔を向けると、井上さんも青い顔をしている。
由花子さんは俺の振る舞いに興醒めしたようだった。
「やっぱり康一くんには刺激が強すぎたかな」
「やっぱりじゃありませんよ! なんなんですかこれ?」
由花子さんは別段とりみだした様子もなく冷静に答える。
「康一くんさ、『ギニーピッグ』って知ってる?」
「……あぁ。あのストーリーも何もない。兜を被った男がひたすら女の子を解体していく変態映画だろ?」
俺がテレビを消してほっとしたのか、少しは顔色が良くなった井上さんが言った。
それを受けて由花子さんが話を続ける。
「それまでスプラッタというと海外産しかなかった。そこに一九八五年、日本のハードコアな一部の人たちが当時の最先端の特撮技術を集約して作ったのが『ギニーピッグ』シリーズ。特にかの有名な漫画家、日野日出志が監督をした二作目は、これを見たハリウッドスターが本物のスナッフ・ムービーだと勘違いしてFBIに通報したという逸話があるほどの迫真の出来なんだよ。残念ながら今じゃあちょっと風当たりが強すぎて、どこにも置いてないんだけどね」
「え? じゃあ……これ作り物なんですか?」
「たぶんこれはそのころのブームに作られたマイナーな映像の一つなんじゃないかな」
「康一もまだまだだな。怖がってテレビ消すなんて……子供じゃないんだからさー」
井上さんはさも余裕を見せつけるかのように煙草に火をつける。
「あんたも倒れそうなくらい真っ青になってたじゃねーか!」
それを見たときはあまりのことに絶句してしまったが、それが作り物だということがわかればなんということはない。
部室の張り詰めた空気は急速に弛緩していった。
「まぁイマドキ探せば人が殺される動画なんてネットのあらゆるところで転がってるんだけどね」
「本当、世も末ですよね……」
「でもだいたい外国の、中東の紛争地域のやつばっかりだからさ。画質も良くないし、日本人とかアジアの人のはあんまりないんだよね。だから持ってきたんだけど。お気に召さない?」
「召しませんね」
「あははは!」
そこ笑うところじゃなくね?
「でもそれにしてはよくできてたねー。画質も最高だし。雰囲気も良いし、編集した跡も見当たらないし、どうやって撮ってるんだろう? それに女を引っ張って殺すだけじゃ絵的に売れないんじゃいかな? もしかすると、本当に本物のスナッフ・ムービーだったのかもしれないねー。怖い怖い」
由花子さんはそう言いながらDVDを箱の中に戻した。
残りは改めて自分の家で、ゆっくりと鑑賞すると言っている。
毎回毎回、この人はこれさえなければ地位も名誉も金もある男を捕まえるなんて簡単なことなのになぁと思う。
けれども、それは到底不可能だ。
なぜなら、本当に俺が怖かったのは、映像のほうではなく、俺がテレビを消したときの由花子さんの表情だった。
そのとき由花子さんは、画面をじっと見つめながら、うっすらと心底愉快そうに笑っていたのだから。
◆
その二日後の土曜日の夜。
由花子さんからラインが入った。
[今度の日曜日ヒマだよね?]
返信。
[いや、でも俺月曜にゼミで発表があるんですよね……]
[そういうのはいいからwじゃあ日曜日迎いに行くね]
その後の内容は日曜日にハイキングに行くから、車で迎えに行くまでに準備しておけということだった。
どこに行くかということを由花子さんは一切言わなかったし、俺ももうまったく聞かなかった。
なぜならこういうとき由花子さんは絶対に行く先を言わないからだ。
翌朝、わざわざこの日のためにレンタルしてきたコンパクト・カーを、珍しく由花子さんが運転して迎えにきた。
俺は助手席に乗り込む。
後部座席にはデカイ体を窮屈そうに収めている井上さんがいた。
心なしか顔色が悪いような気がする。
「今日はどこ行くんですか?」
「隣の県のH山」
「へぇ。そこに何を見に行くんですか?」
「死体だってさ……」
俺はその一言を聞いて後部座席のほうを振り向いた。
そこには力なく笑っている井上さんがいた。
あらたまった口調で由花子さんは言った。
「この前の部室での出来事を見て私は思いました。君たちはちょっと軟弱すぎます。だから今日は生の死体を見に行きましょう」
車を運転している由花子さんのテンションはとてもじゃないが、そんなおぞましいことをこれからやろうとする人間のものではなかった。
この人は本気だ……。
「で、でも。死体なんてそんなに転がってるわけじゃ……」
「心配しなくても大丈夫。君も聞いたことあると思うけど、隣の県のH山ってね。そっちの方じゃかなり有名な自殺スポットだから、死体の一つや二つ楽勝で転がってるよ」
「いや、でも。いくらなんでも簡単に見つかるわけないですって」
「自殺者の霊ってさ。成仏しないで地縛霊になっちゃうことが多いんだよね。自殺スポットってもともと霊が集まりやすいゾーンのことを言うんだけど、H山ぐらい有名な霊場になってくると、もう蟻地獄みたいなもんだから自殺者はまず地縛霊になってる。だから霊感の強い私にとっちゃ、死体を見つけ出すなんて朝飯前さ」
朝飯前さ、と言う由花子さんの口調はこれから死体を捜しにいく人とはとてもじゃないが思えない。
「がんばろうぜ……。康一」
井上さんはそう言ってから俺の肩を叩いた。
何をどうがんばれというのか?
だが行く場所と目的がはっきりしても、俺と井上さんは反対しなかった。
そこにはきっと思い出すのが苦痛になるような体験が待っているだろう、だが奇妙な話だが俺たちはその体験をするのが待ち遠しくもあった。
由花子さんは恐怖を麻薬と例えていたことがあるが、おそらくその麻薬は俺たちの脳をも完全に犯し、そのころには立派な恐怖ジャンキーになっていたのだろう。
カー・ステレオからは、ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』が流れ、車は残暑の太陽が照りつけるアスファルトの上を、目的地へとひた走っていた。