参 『自殺の名所』 1/5
三話目です。
書き溜めしてある五話のうちで一番グロいので、苦手な人は気をつけてください。
少しでも皆さんの暇つぶしになれば幸いです!
人は、必ず死ぬ。
そのことを俺がはっきりと自覚したのは、中学生のころ、一緒に住んでいた祖母が死んだときだ。
両親が共働きだったために、母親の代わりをしてくれたのがこの祖母だった。
これがまた殺しても死なないようなババアで、口より先に手が出るおっかないバアさんだった。
祖母が死ぬ前日も、反抗期真っ盛りの俺に対して、今でも思い出せないような些細なことで怒り、反抗した俺の顔面をグーでぶん殴ったことを覚えている。
本当にパワフルなババアだった。
その後、家を飛び出して友達の家に転がり込んで一泊し、次の日は学校に行かずフラフラと街をうろつき、腹が減ったので夕方しかたなく家に帰ってみると、もう祖母は死んでいた。
くも膜下出血というやつで、夜中トイレにでも行こうとしたのか、朝に親父が起きたときには廊下でもう息を引き取っていたそうだ。
俺はその日、生まれて初めて人間の死体を目の前で見た。
それはどう見てもただ眠っているようにしか見えなかった。
俺が死体に対して抱いていたグロテスクなイメージはまったくなく、ただそれは超然としてそこにあるだけだった。
それは祖母であり、また祖母でなく、物であって、物でない。
俺はそれを祖母として見ればいいのか、物として見ればいいのか、目の前にして見れば見るほど不可解な気持ちになるせいで、悲しいという感情が起こらなかった。
結局、祖母が死んだということがはっきりと理解できたのは、火葬場でもう完全に物になってしまったとき、祖母の骨を拾っているときだった。
今回の話は、俺こと河野康一が死体を探しに行く話だ。
こうやって文章にしてみると、我ながら学生時代、本当にロクでもないことしかしていないことを痛感する。
就職活動のとき、大学で何をしていましたか?
と聞かれて当時の俺はどういうふうに答えるつもりだったのだろう。
死と向かいあったとき人は初めて自己存在を認識できると主張した哲学者もいるのだから、あながち無駄ではないのかもしれないが、残念ながら俺の頭では、それをちゃんと説明することはできない。
そもそも死とは何なのかということを、社会人になった今でも俺はわかっていない。
おそらく死体をどれだけ見ても死を完全に理解することはできないだろう。
きっと死というものはただ深淵だけが広がっているようなもので、死体はその深淵のほんの一部を俺たちに垣間見せるだけなのだ。
◆
『自殺の名所』
母親とその息子が二人で住むには大きすぎる、高台にある庭付きの家で街の人たちを招いてパーティーが開かれている。
だがそのパーティはいつのまにやら文字通り「血祭り」という言葉がぴったりと当てはまる状態に様変わりしていた。
人が人を喰らい、喰われたものがまた人を喰らう。
ゾンビたちに追いかけられていた中年の脂ぎった男は、両手に大きな包丁を持つと、逆にゾンビたちに向かっていき、笑いながらゾンビたちを切り刻む。
ゾンビを部屋の中に入れまいと奮闘している二人の女の横には、壁にある電灯をフックのように後頭部から突き刺された女のゾンビが、顔の穴という穴から電灯の明かりを漏らしている。
さらにほんの少し前には音楽にあわせて踊る人たちが大勢いたエントランスは、もはやゾンビで埋め尽くされている。
と、そのエントランスにその家の息子が現れる。
彼は不敵な笑みを浮かべながら、芝刈り機をまるで盾のように前に掲げ、芝刈り機のエンジンをかけると何体ものゾンビたちに突っ込んでいく。
飛んでいく、
指、
腕、
鼻、
眼、
胸、
腹、
耳、
そしておびただしい量の血液、
内臓。
ゾンビたちはひとたまりもなく、もうすでに死んでいるとはいえ、あまりにも無惨にひき肉にされていく。
床に溜まる血の海は、男のかかとをひたすまでになっていた。だが彼はこの状況を楽しむかのように狂的な笑みをその顔に浮かべていた。
九月。
そんなテレビ画面を見ながらげっそりとしている俺を尻目に、先輩たち二人は笑いながら出前のピザを食べている。
部室にはついさっきまで他にも二人ほどいたのだが、俺のようにげんなりとした表情を貼り付けて、映画の途中で部室から出て行ってしまった。
「いやー。『ブレイン・デッド』はゾンビ映画の最高傑作だね。この監督は『ロード・オブ・ザ・リング』なんて作ってないで、こういう映画ばっかり作ってればいいのになー」
映画のエンド・ロールを見ながら、口に入れたピザをコーラで流し込んでいる女性。この美人だが悪趣味きわまる女の先輩の名前は、狐宮由花子。
俺が所属しているオカルトサークルの副部長だ。
「俺は『バタリアン』のほうが好きだけどな。次は『死霊のはらわた』借りてこようぜ。『ネクロマンティック』も捨てがたいな。生首をキャッチボールする場面のメルヘンさ加減は古今東西あらゆる映画を上回るぜ」
そう言いながら、残っていたピザの最後の一枚に手を伸ばす、このいかつい男の先輩の名前は井上形兆。このオカルトサークルの部長だ。
「こんな映画気持ち悪いだけですよ! 最悪じゃないですか。よくあんなの見ながらピザ食べられますね」
つい最近『ノッキンオンヘブンズドア』を見て泣いてしまうほどのピュアな俺は当然のごとく顔をしかめる。
あれは本当にいい映画だったな。
本当にいい映画というのは最後のエンドロールもちゃんと見れるもののことをいうんだと思う。
ボブ・ディランのノッキン・オン・ヘブンズドアが流れるあのエンディング、文句のつけようがない。
「わかってないなー康一くんは。どんなものでも過剰にやると笑いになるものなんだよ。ねぇ形兆」
「そうそう、『呪怨』だって屋根裏部屋を伽耶子が這ってくる場面って、逆に面白いだろ? 想像してみろよ。顔全体を白塗りにした女が真剣な顔でほふく前進してるんだぞ。怖いというよりは面白いだろ」
「そりゃあさっきの映画までいくと過剰すぎて怖くないですけど、面白くはないですよ。ただ気持ち悪いだけですって。怖いものがあるって聞いたから部室に来たのに」
別に部室に呼び出されなくても、講義をサボってここに来る気まんまんだったことは内緒だ。
「あぁごめんごめん。そうだったね。忘れてたよ。君たちに見せたかったのはこんな映画じゃなくてこっちだった」
由花子さんは自分のカバンの中から一枚のDVDを取り出した。
そのDVDの表には何も書かれていない。
「なんだそれ?」
「ちょっとネットで拾ったんだ。実はまだ私も見てないんだけど、面白そうだから皆で見ようと思ってね」
「最初からそれ出してくださいよ。そうしてくれればこんな気持ちが悪くなることもなかったのに、もう俺しばらく肉食べられませんよ」
それを聞いて、由花子さんはニヤリと笑う。
俺は直感する。
さっきの映画よりひどいものをこれから見せられるのだろうなぁと。