弐 『一人かくれんぼ』 4/5
けれど、今思い返してみるとその数日後あたりから、急にデジャヴが頻繁に起こるようになっている。
もうそのころには俗にいう霊障にも「もうさすがに慣れるだろ……」というような日々を送っていたので、こうして考えてみるまで気付かなかった。
今まで関連づけていなかったが、この日を境にして他にも変なことが起きている。
大学から帰ってくると、部屋に違和感を覚えるようになった。
それらは玄関に散らかしてある靴だとか、歯ブラシだとか、食器といったこまごまとしたものなので、はっきりとは断言できない。
が、どうも置いてある物の位置が変わっているような気がしてしょうがなかった。
◆
由花子さんは始めのうちはふざけ半分で聞いていたのだが、途中からだんだんと深刻そうな顔つきになり、おれの話を黙って聞いていた。
おれの話が終わると由花子さんは「うーん」と言いながら、煙草に火をつけ、ゆっくりとその煙を吸い始めた。
「やっぱりおれ。そのときの幽霊に取り憑かれてるんですかね?」
「いや、それは絶対にないよ」
全く予想外のセリフにおれは驚いた。
「えっ。本当ですか」
「だって見えないもの。そこに幽霊がいれば私は絶対に見える。私が見ることのできない幽霊なんて居たためしがないからね。今は君にそんな霊障を起こすような幽霊は憑いてないよ。あのとき憑いてたのはけっこう前にどっか行っちゃったし」
あのときってどのときだよ。
心当たりがありすぎてわかんねーし。
ていうか言ってくれよ。
由花子さんは二重のぱっちりとした目を細めて、おれの背後のあたりを眺めている。
この人がこれほど自分の霊感を自負しているとは少し意外だったが、嘘をついているようには見えない。
「じゃあ、一体何が原因なんですか?」
由花子さんは煙草を灰皿に押し付けながら、たぶんと言ってからこう続けた。
「君は呪われてるんだよ。……君自身にね」
◆
「君がやった『一人かくれんぼ』だっけ? それ、話を聞いて思ったけど交霊術なんかじゃないね。そのプロセスは自分で自分を呪うやりかただよ。やっててどうして気付かないかな」
「自分で自分を呪う? いや、でもなんでそんなこと分かるんですか?」
「まず、時間をわざわざ指定している点。二時から三時というのはいわゆる丑三刻のことだよね。まずこれがおかしい。交霊術で有名なこっくりさんでも時間を指定したりなんかしないよ。それと人形に自分の髪か爪を入れる点。なんでそんなことをする必要があるのかな。人の形なんかまるでしていない円形の十円玉にだって、幽霊は降りてくるのに」
「じゃあ、あれって本当は……」
「自分に呪いをかけて意図的に心霊現象を起こすやりかただと思う。まったく誰が考えたんだか。なかなかいいセンスだね。たぶんそのやりかた通りにちゃんとやれば、呪いも残らず手軽に怖い体験ができるようになってると思うよ。でもやっぱり危険なものには違いないかな、少しでも失敗すれば君みたいになっちゃうんだから」
「おれ、これからどうなっちゃうんですか?」
由花子さんはさぁと言って肩をすくめる。
「自分で自分に呪いをかけるなんて今まで聞いたことないからな。そんなことはもともと専門外なうえに、普通の呪いとは解きかたも違ってきそうだし、その呪いによってどんなことが起こるかもはっきりとはわからない。なんとなくの当てずっぽうの予想はできるけどさ。聞きたい?」
「そりゃあもう」と言いながら、おれは大きくうなずいた。
「それじゃあ質問するけど、最近君の周りで君のドッペルゲンガーを見た人はいない?」
「ドッペルゲンガーって、もう一人の自分が目撃される現象ですよね。そういえば、その日は行った覚えのないスロット屋で、友達がおれのことを見たとか言われたことが、三日ぐらい前にありましたけど……」
「……君、このままいくと死んじゃうかもしれない」
「やだなぁ。そんなことあるわけないじゃないですか」
どうせまた由花子さんがおれのことを怖がらせて遊ぼうとしているに決まっている。
そう考えたおれは真剣な表情を緩ませて、次の瞬間に由花子さんが冗談と言い出すのを期待した。
だが由花子さんはその表情を一切緩ませることはなかった。
◆
「ドッペルゲンガーがなんなのか知ってる?」
「いや……よくわからないです」
「私も専門家じゃないしちゃんと調べたわけじゃないから、正確なことは言えないんだけど……、私が今まで街中で見てきた他人のドッペルゲンガーは、すべて幽体だった。だいたいドッペルゲンガーが起きる人っていうのは生きようとする意志が希薄か、あるいは肉体が死に近づきつつある人の二種類に分けられる。それでも幽体が乖離しているからといって、その人がすぐ死んでしまうわけじゃない。例えるなら、電池が切れかかっているおもちゃかな。その人の肉体はゆっくりと緩慢にその動きを止めていく」由花子さんは続ける。
「でも一番怖いのはその幽体と肉体とが別々の意識を持っている状態で出会ってしまうこと。この世に自分という主観が二つあるなんてこと絶対にないでしょう?
それは自分自身がよくわかってる。でもそれゆえに、幽体と肉体が出会ってしまうとその矛盾を解決しようとして、どちらかが自ら消滅してしまう。でも幽体だけ、肉体だけでずっと生きていられる人間なんて存在しない。結局、その人はドッペルゲンガーと会うことによって、それからすぐに死んでしまう」
「そもそもなんでドッペルゲンガーなんてものが、おれの周りで起きるようになったんです?」
「生霊って言葉があるね?
あれは大雑把に言い換えれば幽体のことなんだよ。生霊は本人の好む好まざるにかかわらず、その対象に干渉してしまうものなんだけど。実は呪いっていうのはそれと似たようなもので、唯一違うのは本人がはっきりとした意志を持って干渉しているかどうかというだけなんだよ。一人かくれんぼのときに現れた幽霊っていうのは、他でもない。君自身の生霊だったんだと思う。そこまでならいいんだけど、問題なのはこの君の生霊が呪いの対象である君のことを認識してしまったこと。それでこの中途半端な呪いが成立してしまった。君は君自身を呪う気は毛ほどもないのに、呪いを施そうとしているからどうしても中途半端なものになってしまうんだね」
由花子さんは新しく煙草に火をつけて、一口だけ吸う。
煙は空中に溶けるようにすぐ消えていってしまう。
それはどこか幽霊を彷彿とさせた。
「デジャヴはそのドッペルゲンガーのせいだと思う。幽体には時間軸が存在しないから、あらかじめ幽体が体験したものを、君があとからなぞるように体験したとき、既知感が起こるんじゃないかな。ということはつまり君の幽体と私は違う時間軸で出会っていることになるね。なんだか話が複雑になってきちゃってて、自分でもよくわからないな。こういった呪いが果たして最終的にどうなるのか、ケースがケースだけに分からない。今のところ君の幽体は目的も分からずに、ドッペルゲンガーとなっているみたいだけどね」
「どうすれば元に戻れるんですか?」
「私にはそこまでわからない。少し調べてみたりしないと……。というよりもこうゆうのは形兆が詳しいんだよ。いかつい見かけによらず、占いとかおまじないとかね。明日にでも聞いてみればいいんじゃない?」
「えぇ。明日早速聞いてみます」
由花子さんは一通り話し終えると、また新たに煙草を口に咥えソファにゆっくりともたれかかる。
おれは天井に向けて煙を吐く由花子さんを見ながら、もう一人の自分が今どこで何をしているのかを考えていた。
きっとそいつは今も、広漠なこの世界を何の指針も持たずにさまよい続けている。
何をすべきなのかもわからず、だが何かをなせねばならない焦燥に駆られ、世界に対する自分の無力さを噛み締めながらも、この世界をさまようのをやめられない。
海のど真ん中に浮き輪一つで放り出されるような感覚。
そこまで考えて、それが生きている自分自身にも当てはまることに気がつくと、とても嫌な気持ちになった。