晴れない気持ち
金曜日、体育祭が開催された。この日は晴天で、雲一つない天気で、体育祭を行うにはうってつけの日だ。この空とは裏腹に、夏希は解決していない富栄の事件でモヤモヤした気持ちで挑むが、どうしても体育祭をやろうなんて気にはなれないでいた。
午後九時から全校生徒の行進が始まり、校長の言葉の後、各色は席に着く。一番最初に行われる競技は、クラス対抗リレーだ。リレーに出る生徒は、招集場所に集められると、体育委員が一人ひとり確認を取っている。一年生から順にリレーが行われる。決勝に進めるのは四クラスだ。優勝したいと思っている仁は張り切っている。
それは昨日からずっとそうだった。昨日の午後の授業は、体育祭のリハーサルだったのだ。全校生徒で行われたリハーサルは、行進とクラス対抗リレー、応援合戦だけだったが、リハーサルでの仁はいつも以上に走る足を速めていった。全校生徒の気合を身近に感じられた夏希は、一旦モヤモヤした気持ちを晴らした。だが、今朝になるとモヤモヤした気持ちは復活していた。
クラス対抗リレーを見ながら、晴れない気持ちをモヤモヤした気持ちをどうしたらいいのか考えていた。一番は富栄を殺害した犯人が見つかればいいのだが、それが出来ていない今、夏希は笑顔で体育祭を楽しむ事が出来ないでいた。
午前十一時過ぎ、夏希が唯一出場する玉入れが行われた。三色同時に二回行われる。二回行った上で数が一番多い色が優勝なのだ。
夏希はモヤモヤした気持ちをぶつけるように玉入れを行う。二回終えた玉入れは、赤組が優勝した。夏希がいる青組は二位という結果に、夏希の気持ちは少し晴れたような気がした。
そうこうしているうちにあっという間に昼休みになった。お弁当を食べ終えた夏希は、応援団が着用する制服に着替えると、青組の応援団は音楽室に招集された。昼から行われる最初の競技は応援合戦なのだ。担当している体育教師からの注意事項と応援団長の気合の言葉を聞くと、昼の競技が始まるまで音楽室で待機する事になった。
午後一時、応援合戦の時間がやってきた。夏希は収集場所で緊張しながら待つ。一番最初は黄組からだ。次に赤組、最後が青組なのだ。青組は最後まで気が抜けない気持ちでいた。
黄組と赤組の気迫に迫った応援合戦に、青組の応援団員は息を飲んでいた。特に三年連続で応援合戦の優勝をしている赤組は気迫が違う。四連覇を狙うんだという思いが伝わってきている。夏希も自分達の応援団とは迫力が違うと感じていた。だが、そう感じていても今までの練習をこの本番に出すしかないのはわかっている。
二色の応援合戦が終わると、ついに青組の応援合戦の時がやってきた。夏希は大きく息を吐くと、意を決して仲間達とグラウンドに向かう。
自分達はこの日のために練習を頑張ってきたんだ。何がなんでも成功させてみせる。いや、成功させなくてはいけない。応援合戦は優勝してみせるという思いを全面に出した夏希は、自分の立ち位置に立った。そして、太鼓を叩く応援団員が大きく太鼓を叩くと、青組の応援合戦が始まった。
体育祭が終わった教室では、クラス全員がやりきったという思いがあった。青組の結果は、総合で二位となった。総合優勝は赤組で、三位が黄組だ。総合優勝は出来なかったが、応援合戦は優勝が出来たのだ。打倒赤組で練習を行っていた応援団長は、優勝と聞いた途端、大粒の涙を流して応援団で共にやってきた仲間達と抱き合っていた。
一方、四連覇を逃した赤組は落胆の色を隠せず、応援団の何人かは悔し涙を流していた。それを見た夏希はそれだけ応援合戦に賭けていたんだなと思うと同時に、どの色も頑張った結果なんだなと実感していた。
クラス対抗リレーは三位、男女別リレーは男子が三位、女子が七位という結果になった。その他にクラスでもらえる賞は、大縄跳びで学年で一番多く跳んで優勝したのだ。
三位のクラス対抗リレー、男女別リレーの三位の男子、優勝の大縄跳び、青組二位の玉入れ。四枚の賞状をもらった夏希のクラスは、嬉しさで溢れていた。
「夏希、お疲れ様」
ショートホームルームを終えた美夕が、カバンの中を整理している夏希に声をかけてきた。
「あぁ...美夕、お疲れ様」
夏希は応援団から開放されたという思いが声に出ていたのか、ホッとした声で言った。
「やっと終わったな」
美夕は伸びをした後に言う。
「まぁな。体育祭は終わったけど、ボクにはまだ終わってない事があるから...」
そう言った夏希はふぅぅとため息をつく。
「そうだな。明日、お母さんの通夜だろ?」
美夕の問いに、頷く夏希。
「週明けまでゆっくり出来ないよな」
「仕方ない。体育祭前までに警察が遺体を返してくれたら、すぐに通夜と告別式は出来たけど、このタイミングになってしまったからな」
夏希はペットボトルのお茶を飲みながら言う。
「赤谷!」
そこに哲平が夏希を呼ぶ。
夏希は哲平の元に行くと、なんだよという表情をする。
「来週の月曜と火曜は休んでいいぞ。明日と明後日は葬儀で忙しいだろうからな」
「いいよ。そこまで気を遣わせるのもなんだかな...」
夏希はどうしようかなという表情をする。
「体育祭の練習をしてた上に、お母さんの捜査もしてただろ? 疲れているんじゃないか?」
「別に疲れてなんかねーよ」
夏希は強気に答える。
「まったく素直じゃねーな。身内に不幸があったら学校を休んだ事にはならないんだ。月曜と火曜は休んでいいぞ」
「いやいや...来週の月曜と火曜は葬儀も終わってるし...」
夏希は哲平が何バカな事を言い出すのかという口調だ。
いくら身内の不幸で学校が休みにならないからといって、通夜と告別式が終わっているのに、学校を休めるわけないだろうという夏希の思いが口調に出ていた。
「ヤマテツの言うとおりに休めよ」
二人の背後から仁が言ってくる。
「仁、なんだよ?」
「あまり身内の不幸を使うのもどうかと思うけど、今回の場合はいいんじゃねーか? ヤマテツもそう言ってるんだし...」
仁はお茶を飲んだ後に哲平の言う事を聞いておけという口調だ。
「わかったよ。そうするよ」
渋々、承諾すると二日間の休みを富栄を殺害した犯人を捜す事に充てようと思っていた。
それから、夏希は施設に入る前に住んでいたアパートに向かった。午前中に富栄の遺体を返すと聞いていたからだ。アパートの部屋の呼び鈴を鳴らす。すぐに耕司が出てきた。
「夏希ちゃん、来てくれたんだね」
耕司は少しやつれた表情で夏希を迎える。
部屋に通されると、富栄の遺体を見る。公園で見た以来だ。改めて見ると、自分の母親なんだなと思う夏希。自然と淋しい感情が浮き出てくる。
施設に入る前、あんなに疎ましく思っていた母親なのに、亡くなって淋しい感情が出てくるなんて思ってもみなかった。むしろ、亡くなってくれて良かったと思う気持ちが出てくるのではないかと思っていた。だが、実際はそうではなかった。それに気づいたからこそ、夏希は母親を殺害した犯人を捜したい思いが出てきたのだ。
「夏希ちゃん、今日は体育祭だったよな? どうだったんだ?」
キッチンからジュースとお菓子を持ってきた耕司は、富栄の遺体を見ている夏希に声をかけた。
「まぁ、なんとか...」
夏希は耕司の方を向き直しながら答える。
「そうか。昼過ぎに葬儀社が来たよ、喪主は夏希ちゃんだ。籍を入れていたら自分がやる事になるんだが、なにぶん籍は入れてないからね。大変だろうが、僕もサポートするよ」
耕司は座りながら言う。
「わかりました。お願いします」
「通夜は明日の午後六時から、告別式が明後日の午前十時からだ。会場はここから車で十五分だが、施設から行くかい?」
「そうします。喪主なのでなるべく早くに行きます」
夏希は葬儀が終わるまでホッと出来ないなと思っていた。
耕司と通夜と告別式についての話を終えるとアパートを後にした。帰り際に耕司は富栄の形見だと言ってペンダントを出してきた。隣の部屋から出している間、夏希は富栄の遺体に耕司からDVを受けていると思われるアザを探して、携帯の写真に何枚か撮っておいた。何かあった時に耕司に言い逃れをされては困るからだ。
第一関門を突破したと思った夏希はアパートを出る。その姿を耕司は夏希が事件の事を何か掴んだのではないかと思い、帰る姿をじっと見つめていた。
葬儀を終えた翌週の月曜日、身内の不幸という事で学校を休みになっている夏希は事件の事を探るために署にいた。
昨日の葬儀の挨拶では、泣きたい気持ちを堪えて、生前の富栄を知っている人達に挨拶をした。全てをやり終え、富栄のお骨を耕司と分け、夏希は施設に富栄のお骨を持ち帰った。自分の部屋にそれを置いた夏希はピンとなった糸が緩んだように人知れず泣いた。
「学校側が休みをくれたんだな」
署内にある会議室に通された夏希に、瀬川警部が言った。
実は昨日の告別式には瀬川警部と村木巡査長も来てくれたのだ。
「うん。昨日はありがとうございました」
夏希は二人の警官に頭を下げて礼を言った。
「赤谷さん、頭を上げてくれ。大変な中よく頑張ったよ」
瀬川警部は優しい微笑みで夏希に言った。
「ところで母さんの件は進んでいるのか?」
「いや、それほど進んでないよ。赤谷さんは?」
「ボクもだ。そういえば、母さんは岸田さんにDVをされているんじゃないかって思ってて...」
夏希は富栄の遺体にあったアザを思い出して、思い切って二人の警官に言った。
「なんでそう思うんだ?」
村木巡査長が理由を聞く。
「先週の金曜にアパートに行った時に見たんだ。一応、写メに撮ったんだけど...」
夏希はそう言いながら、携帯の画像を二人の警官に見せた。
二人は夏希の携帯を受け取ると、互いの顔を見合わせた。
「寺本って記者が言ってた母さんが大変な目に遭っていると言ったのは、このことなんじゃないかって思って...」
正直に話す夏希に、二人の警官はこれ以上、黙っておくわけにはいかないと痛感した。
「裏付けでこのことはわかっていたんだが、赤谷さんには伝える事が出来なかった。事実を知れば、赤谷さんが何をするかわからないからな」
瀬川警部は夏希の心情を考えての事だと答える。
「知ってたんだな」
夏希は悔しい気持ちになっていた。
それは二人の警官に対してではなかった。夏希自身に対しての気持ちだった。
施設に入ってる間に内縁の夫を作り、その人からDVを受けていた。富栄の気持ちを考えると、自分さえいればこんなことにはならなかったのではないかという思いがあった。体育祭の日、モヤモヤした気持ちの要因の一つにDVの問題があったからかもしれない。
もし、自分が施設に入らなければ...。富栄を見捨てなければ...。富栄の傍にいれば、内縁の夫を作らずにDVを受けずに済んだのではないか。夏希の心は後悔でいっぱいだった。
「赤谷さんはどう考えているんだ?」
瀬川警部は夏希の意見を聞いてみる。
「母さんと寺本さんの事件は繋がってると考えてる。今のところ証拠がないからなんとも言えないけどな」
夏希は犯人像が見えているということを頭の片隅に置きながら答えた。
「二つの事件は繋がってるか。寺本祐一の所持品を見てみるか?」
一般人には見せてはいけないのだが、瀬川警部は捜査の一環として夏希に聞いた。
「夏希は正直に見たいと答えると、村木巡査長が段ボール箱を一つ持ってきた。
祐一の所持品は、デジカメ、テープレコーダー、手帳、メモ帳、ボールペン二本など記者に必要な物があった。それ以外に仕事とは関係ない物がいくつかあった。それらの中の一つに目を奪われた夏希。
(これは...。普通に見てたら見過ごしてしまうよな)
夏希はそれを手に取ると、犯人に関する確証が少しずつ見えてきた。
(二つの事件の犯人はわかった。だけど、こんなもののために二人を殺害してしまうなんて...)
夏希は犯人に対する怒りが込み上げてきた。
「赤谷さん...?」
村木巡査長が夏希の顔を覗き込む。
「...警部、犯人がわかったぜ」
「犯人がわかった? この所持品でか?」
瀬川警部は夏希と祐一の所持品を交互に見ながら、信じられないというふうに聞く。
「そうだ。母さんと寺本さんを殺害した犯人...絶対に許さない...」
夏希の瞳には怒りと悔しいという思いでいっぱいだった。
「警部、事件の話をするのを待ってくれるか? 少し考えたいんだ」
夏希力なく瀬川警部に願い出る。
「それは構わない。赤谷さんの気持ちに整理がつくまで待つよ」
瀬川警部は夏希の精神的負担を考えて承諾した。