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夏希の大きなショック

それから三日が経ち、何事もなく普段どおりの生活を送っている夏希。三日前に高校に訪れた富栄は一度も来ていない。夏希と富栄のやりとりを見ていた哲平は、直接夏希から聞いたわけでもないのに、生徒の親子関係を聞くのは失礼だと思い、夏希の事を気にかけながら何も言わずに過ごしていた。

一方、夏希のほうはというと、富栄にキツイ事を言ったかもしれないと思っていたが、もう後の祭りである。母親づらをするなと言ったところで、富栄は夏希の母親だから娘の事を心配するのは当たり前の事だ。それに、美夕が言った仕事での付き合いで常連客と関係を持っていたのではという言葉に、夏希は富栄の気持ちがどれだけだったのかを思うのと同時に、まだ心のどこかで富栄を信じたくないという気持ちと許せない気持ちがあった。

昼休みが半分過ぎ、お弁当を食べ終えた夏希は美夕と一緒にクッキーを食べながらほっこりしていた。悠美がクッキーを作り過ぎたと夏希と美夕に二枚ずつ分けてくれたのだ。最初、手作りのクッキーを食べる事に抵抗があった夏希だったが、食べてみると市販のクッキーと同じくらい美味しくて、これなら売れるかもと心の中で勝手に評価していた。

夏希がクッキーを食べ終えた頃、仁が息を切らせて教室に入ってきた。

「夏希!」

仁が息を切らせたまま夏希を呼ぶ。

「なんだよ? 仁…」

名前を呼ばれた夏希は、せっかく昼休みを過ごしていたのに…という表情をする。

「お前の母さんが…近くの公園で…」

仁が途中まで言うと、夏希は立ち上がる。

「母さんがどうしたんだよ?」

「近くの公園で殺害されたのが見つかった!」

職員室で聞いた仁は一気に言う。

それを聞いた夏希はすぐに教室を出ていった。

高校から五分のところにある公園に夏希が行くと、すでに警察が到着していた。

「母さん!」

夏希は立入禁止の黄色いテープをくぐり中に入る。

急に入ってきた夏希に、制服を着た警官が止めに入る。

そこに瀬川警部が来て、入っても構わないという態度を取る。

「母さん!」

夏希は富栄が倒れているのを見つけるとしゃがみ込む。

富栄は何者かにナイフで刺されて亡くなっていたのだ。近くに凶器はなく、富栄の血痕だけが大量に流れていた。

「母さん! 起きてくれよ! なぁ!」

夏希は富栄の体を揺さぶる。

だが、すでに亡くなっている富栄は何の反応も見せない。それがわかった夏希の目から大粒の涙が溢れてきた。

「…母さん…」

夏希は動かない富栄の手を握って泣き崩れる。

それを見た瀬川警部と村木巡査長は何も声がかけられないでいた。









五限目が始まってから夏希は警察に事情を聞かれる事になった。母親が亡くなったということで、午後の授業は出席しなくていい。出席しなかった事で休んだ事にはならないと哲平から聞かされた。

夏希は学校の会議室に一人呼ばれ、瀬川警部と村木巡査長から話を聞かれる事になった。会議室には三人だけのせいか、意外と広く感じていた。

「赤谷さんのお母さんは富栄さんでいいんだね?」

瀬川警部は母親を亡くしたばかりの夏希にいつもより優しい口調で聞いた。

夏希はコクリと頭だけを動かして返事をした。

「辛いと思うが、話を聞かせてもらってもいいいかな?」

瀬川警部のこの問いにもコクリと頭を動かして返事をするだけの夏希。

夏希の強気な姿しか見た事がない二人の警官は、母親を亡くし憔悴しきった夏希を見てショックを受けていたが、身内がしかも自分にとって近い存在が亡くなったのだから仕方ない事だと思っていた。

「富栄さんと二人暮らしだと聞いたが…」

「二人暮らしじゃねーよ。ボクは施設に入って住んでて、別々に暮らしてたんだ」

瀬川警部の言葉を途中で遮って答える夏希。

「別々に暮らしていた理由は?」

「母さんがスナックを経営してて、常連客と関係を持っていたからだ。それを見たくなくて、中学二年に上がる春に自分から施設に入りたいと言って入ったんだ」

夏希は涙が出ないようにしながら、施設に入った経緯を話す。

「そうだったのか。施設に入ってから富栄さんとは会っていたのか?」

次に村木巡査長が聞く。

「前の高校に入学した時だけ」

「中学の時は会わなかったのか?」

「会わなかった。前の高校の時に会いに来てくれたけど職員を通して帰ってくれと言ってた」

「それはなんでなんだ?」

瀬川警部は夏希と富栄の奇妙な親子関係に気になりながらも質問をする。

「さっきも言ったけど、母さんが常連客と関係を持ってたと思うと、会うのをためらってしまって…」

夏希は正直な気持ちを二人の警官に伝えた。

それを聞いた二人の警官も思春期という難しい時期に母親が知らない男性と肉体関係を持っているところを見てしまうと、例え離れて暮らしているといっても会うのをためらってしまうのも無理はないと思っていた。

「この高校に転入してからは?」

村木巡査長は何か知っているかのような表情で聞く。

その質問に夏希は答えようか迷ったが、黙っていてもいずれわかると思い、答える事にした。

「三日前の放課後に会った。会ったって言っても母さんのほうからアポなしで会いに来たんだけどな」

「それはどれくらいの時間なんだ?」

「五分くらいだったと思う。母さんが食事に行こうって言い出して、母親づらするなって言って別れてしまったんだ」

夏希は三日前の事を思い出して答える。

夏希の答えに、何かに反応するような表情をした二人の警官。それを見た夏希は自分は疑われているんだなと実感していた。

「母親づらするなと言った理由はなんだ? やっぱり常連客と関係を持っていたからなのか?」

「それが一番の理由だ。常連客と関係ばかり持って、ボクの事は後回し。学校の行事なんて来てもらった事なんてない。体育祭に学園祭、参観日…来て欲しいって言っても、仕事で忙しい、昼間は眠たいばかり。ボクは他の親のようにして欲しかっただけなのに、そんな簡単なことが叶わない。それがボクにとってどれだけ辛かった事か…」

夏希は富栄を殺害した犯人だと疑われてもいいから、自分の思いを伝えたかったのだ。

母親づらするなという夏希の理由を聞いた瀬川警部は、なんともいえない表情と複雑な思いになった。

「複雑な家庭環境だったんだな。ところで富栄さんに内縁の夫がいる事は知ってるかい?」

夏希に話を聞く前に仕入れた情報を夏希に聞いてみる。

富栄に内縁の夫がいると聞いた夏希は、えっという表情をする。

「知らねーけど…。さっきも言ったけど、母さんとは中学二年の春を最後に一緒に住んでないから、内縁の夫がいるなんて今初めて聞いた」

夏希は戸惑いながら知らないと答える。

「いつから内縁の夫なんているんだよ?」

引き続き、夏希は二人の警官に聞く。

「一年前から一緒に暮らしているらしいだ。付き合い始めたのは一年半前からで、元々、富栄さんが経営するスナックの常連客で、内縁の夫となった男性から一緒に住まないかと言い出した事らしいんだ」

村木巡査長が手帳を見ながら答える。

「その男性の名前とか素性はわかっているのか?」

「いや、まだなんだ」

村木巡査長は聞いたばかりの情報で何もわかっていないと答えた。

それを聞いた夏希は、自分の母親に内縁の夫がいる事にショックを受けると同時に、あの母親なら有り得るかもしれないなと思っていた。

そこに別の刑事が会議室に入ってきた。二人の警官は何か報告を受けると、すぐに戻ってきた。

「富栄さんの殺害時刻がわかったよ。午後十二時から一時までの間だ。死因は見たとおりナイフで刺されての失血死だ。この間は赤谷さんは学校にいたんだな?」

瀬川警部は富栄の殺害時刻を伝えると、夏希殺害時刻に学校にいたのか確認する。

「いたよ。十二時っていうと四限目の途中だったし、十二時半から昼休みの時間だった。教室で弁当食べてたよ。教室に何人か同級生もいたから聞いてくれればわかると思うけど…」

夏希はその一時間の間に授業を受けて、その後は教室でお弁当を食べていたと証言する。

「同級生といたなら間違いないと思うが、一応、裏は取ってみるな」

瀬川警部は夏希を疑った事を申し訳なく思っていた。

「凶器はなかったと思うけど、まだ見つかってないのか?」

凶器の事を聞いてみる夏希。

「今のところ見つかっていないようだ。恐らく、犯人が持ち去ったという見方が一番だろう。富栄さんの傷の形状からナイフだと思う」

瀬川警部は凶器の事もさっきの刑事に聞いてみたが…いう口調だ。

それを聞いた夏希はイスに深くもたれかかりながらため息をつく。

(母さんに内縁の夫…。どんな人なんだろう? ボクの事は知ってるのだろうか? 常連客だって言ってたけど、他の常連客と何が違って内縁の夫となったんだろう?)

そんな疑問が夏希の中に駆け巡った。

富栄が亡くなって、自分の知らない富栄がこれから色んな事がわかるんだと思うと、夏希の心中はなんだか複雑になっていた。警察が調べていく中で、自分が知らない富栄がわかる事は内心知りたいような知りたくないような気持ちになっていた。

事実、内縁の夫の事もショックが大きかったというのもあった。父に裏切られて離婚した富栄が内縁の夫を作り、一緒に住むなんて考えてもみなかった。夏希の知る富栄は、常連客である男性と関係を持ち、一人の男性を愛する事はもうしないといった感じに見えたからだ。

富栄には富栄の人生がある。どうしようと勝手なのだが、自分の知らない間に内縁の夫がいた事に子供心に受けたのは言うまでもない。

「赤谷さん、富栄さんを殺害した犯人を見つけるのか?」

ショックを受けている夏希を見かねて、瀬川警部がそっと聞く。

「まだそこまでは考えていない。出来れば警察に委ねたいと思ってる。でも、母さんを殺害した犯人を捜したいという気持ちもあるんだ」

まだ状況に整理がついていない夏希はありのままの気持ちを伝える。

「赤谷さんがそう思う気持ちはわかる。あまり進めたくないが、赤谷さんが独自に捜査をしたいと思ったらそうしてもいいが、富栄さんが殺害されたんだ。犯人がどこかで赤谷さんが富栄さんの娘だと気付けば襲い掛かる可能性はある。万が一、そうなったら事件から手を引くんだ。そして、すぐさま警察に連絡して欲しいんだ。これだけは守ってくれるかな?」

瀬川警部は夏希の身を案じて忠告した。

夏希はわかったと頷いた。










夏希が教室に戻ったのは五限目の終わりに近付いた頃だった。五限目は数学で数学担当教師は富栄の事を知っていたのか、夏希が教室に入ってきても何も言わず、授業を進めていた。

夏希はそっと自分の席に着くと、数学の教科書とノートを取り出す。そして、気持ちを切り替えて授業に挑むが、富栄の事もあり授業に身が入らず、数学教師の話を遠い世界のように聞いていた。

放課後、応援団の練習を終えた夏希は、仁と美夕と共に駅前にあるファーストフード店にいた。夏希の応援団の練習が終わるまで二人は待ってくれていて、富栄を亡くした夏希を気遣うつもりで誘ったのだ。夏希はいつもと変わらない笑顔で二人に接していたが、仁と美夕からすれば母親を亡くしたばかりの夏希を見るのが辛かった。

「夏希、明日学校やすまなくてもいいのか?」

仁が何事もないように聞く。

「大丈夫だ。応援の練習もあるから休んでられねーよ」

夏希は強気に答える。

「そうだけど、母親亡くしてそれどころじゃないだろ?」

美夕も心配していたが、それを見せると夏希が嫌がると思い出さずにいた。

「それもそうだけどな」

夏希はため息まじりに答えると、富栄との事を思い出していた。

父親と離婚する前の富栄は、笑顔に満ち溢れていて、夏希の誕生日には必ずケーキや豪勢な料理とプレゼントが用意してくれていた。それが夏希は嬉しくて、自慢の母親だった。

だが、父親の不倫がわかると裏切られたという思いからか、父親に対して愛憎や怒り、不満に満ちていた。離婚してからは今までの富栄とはまるで違う人間になってしまった。夏希からの目から見ても同じ人間なのかというくらいだった。あの頃の富栄に戻って欲しいという気持ちもあったが、父親の不倫に傷ついている富栄にそんなことは言えるはずもなかった。

「ヤマテツも言ってたけど、しばらく学校休んでもいいんじゃねーか?」

美夕は今にも泣き出してしまいそうな夏希の顔を見ていると、いてもたってもいられないようだ。

哲平はショートホームルームが終わった後、夏希にしばらく学校を休んでもいいし、応援団を辞退してもいいと言ったのだ。それを美夕は聞いていたのだ。

「ボクは大丈夫だ。これ以上、心配かけたくないんだ」

夏希は心配してくれるのは嬉しいが、自分の事で同級生に迷惑をかけたくないという思いがあった。

「それならいいけど、あまり無理するなよ」

美夕は夏希の気持ちを尊重するというふうに頷いた。

「そういえば、夏希って施設にいるよな? あまり親子関係を聞いてなかったけど…」

仁は富栄が亡くなった時に悪いが…という口調で言った。

夏希はハンバーガーをトレーに置くと、何かに意を決したように家族の事をありのままに仁と美夕に話した。

「…そうだったのか」

仁は神妙な面持ちで呟いた。

内心、聞いてはいけないような気持ちになっていた。

「父親はどこにいるのかわからないのか?」

美夕は聞く。

「わからない。母さんも離婚してから連絡取ってなかったし…。まぁ、父さんがあんなことをしてしまったから連絡を取るなんてしたくなかっただろうからな。多分、元気でやってるんじゃないかな」

夏希は父親の事を思い出しながら答える。

「不倫してても夏希の父親なんだよな。どんな父親だったんだ?」

仁は夏希にそっと見ながら聞く。

「優しくて笑顔が素敵な父さんだった。母さんから父さんが不倫をしていたって聞いた時、信じられなかったし。あの優しい父さんが不倫だなんて思ってなかったから…」

優しかった父親の思い出しかない夏希は、父親が不倫するとは思っていなかった。

夏希の父親は誰にでも好かれる笑顔で家族を温めてくれていた。不倫をしている最中も微塵もそんなことは出さずに富栄と夏希を愛してくれていた。銀行員という職業柄大変だったが、家に帰ってくる父親はいつも笑顔で帰ってきた。夏希はいつまでもそんな暮らしが続くと子供ながらに思っていた。

ところが両親が離婚して、その幸せは粉々に壊れてしまった。両親の離婚は夏希の心にも暗い影をもたらしてしまうくらいだった。

「父さんはどこにいるかわからないし、母さんも死んで、ボクは天涯孤独になってしまったんだよな。今は施設にいるからいいけど、施設を出たら一人でずっと生きていかないといけない。頼れる人がいればいいけど、そういう人はいないし…。これから先、どう過ごせばいいのか…」

夏希は淋しそうな表情を浮かべて話す。

その淋しそうな表情を見た仁と美夕はかける言葉もなかった。自分達にはちゃんと両親がいるのだが、夏希には父親はおろか母親は亡くなってしまい、身近に知り合いはいない。それを思うと、迂闊に大変だなとかそういう言葉をかける事は出来なかった。

「夏希、施設の人も親身になってくれると思うけど、オレらやヤマテツにも頼れよな。特に今回は母親が亡くなって、心が折れそうになってるだろうからな。オレらはいつでも夏希の味方だからな」

仁はいつでも仲間だという思いを精一杯に伝えた。

「ありがとう、仁。その気持ち嬉しい」

夏希は正直な思いを伝えた。

そして、夏希の胸中には富栄を殺害した犯人を捜そうという思いになっていた。
















翌日、夏希はいつもどおりに登校してきた。富栄の葬儀は夏希が喪主となり、葬儀の準備で忙しいはずなのだが、富栄の遺体はまだ警察が調べたいと預かっているので、しばらく葬儀は待って欲しいと瀬川警部から夏希がいる施設に連絡があった。

昨夜の夏希は富栄が亡くなったという精神的なものもあり、あまり眠れなかった。夏希が寝付いたのは午前三時過ぎだった。眠たい目をこすりながら施設の食堂に来ると、職員が学校を休むかどうかを聞いてきたが、夏希は登校すると答えたのだ。

施設を出る前にテレビを見ていると、昨日の富栄が殺害された事が報道されていた。被害者は富栄なのに、今までの富栄の男性遍歴も紹介され、殺害されても仕方ないという報道に、それを見た夏希はやるせない気持ちになっていた。

教室に入り、すでに登校している同級生を見ていると、今日もまた一日が始まるのかと実感していた。そして、富栄の事を思い出しながらため息をついた。今朝のニュースで報道されていたのもあり、富栄の娘が夏希だと知られていると思っていたが、それはなく高校までマスコミが来る事はなかった。

しかし、いつまでも知られないっていうわけではない。いつかはマスコミが嗅ぎつけて高校まで来るかもしれない。そうなると夏希は他の生徒達の事も考えて、高校側からしばらく休んでくれと言われるかもしれない。そう言われたら従うしかないなと思っていた。

「赤谷さん」

富栄の事を考えている夏希の前に悠美がやってきた。

「高田さん、おはよう」

夏希は何事もなく悠美に挨拶をする。

「お母さんの事、大変だったよね。学校に来て大丈夫なの?」

悠美は母親が亡くなった翌日から夏希が来ている事に驚きつつも心配する。

「あぁ…。学校に来てないとどうしても母さんの事を思い出してしまうからな。それにしばらく警察が母さんの遺体を調べてるみたいで、葬儀も出来ないからな」

夏希は隣の席に座る悠美に答える。

「そっか。こんな言い方するのは不謹慎だけど、赤谷さんって強いよね。お母さんが亡くなったばかりなのに気丈に振る舞ってるんだもん。私だったら赤谷さんのようには出来ない」

悠美はもし自分の立場だったら…と思いながら言う。

(強い、か…。本当はそんなことないのに…。今すぐにでも一人きりになって泣きたいのに…。でも、ボクは泣いてばかりもいられない。母さんを殺害した犯人を捜さないといけないんだ。独りきりになった今、どんなことがあっても前に進まなきゃいけないんだ)

夏希は天涯孤独になった自分のために強くいかなきゃいけないんだと思っていた。

そして、あっという間に放課後になった。この日の授業を受けていた夏希は、一日中富栄の事を考えていた。富栄の内縁の夫となる男性はどんな人なんだろうと気になっていた。

放課後、応援団の練習が始まる前、夏希は哲平に職員室に呼ばれた。応援団の練習が遅れると哲平のほうから応援団長に伝えておいた。

職員室の奥にある小さな個室に夏希と哲平は向かい同士に座る事になった。

「話ってなんだよ?」

イスに座ってすぐに夏希はなんの用で呼んだのかと聞いた。

「母親の事でな」

言葉少なに答えた哲平は、まっすぐに夏希の目を見れないでいる。

「昨日も言ったが、応援団の事はいいのか?」

哲平はもう一度確認のため夏希に聞く。

「応援団はやるよ。抽選で決まったけど、最後までやり遂げたいからな。途中までやって投げ出すような事はしたくないし…」

夏希は自分からやりたいと言ったわけではないが、クラス代表で応援団に決まった以上、きちんと最後まで応援団をやりたいんだという事を伝えた。

それを聞いた哲平はわかったと頷いた。

「赤谷の母親が殺害される三日前に正門でお前と母親を見たんだ」

哲平は今まで誰にも言わずに黙っていた事を夏希の前で話題にした。

それを聞いた夏希は、見てたのかよと思っていた。

「ボクが施設にいる事は知ってるだろ? この学校に来てから一度も会ってなかったのに、あの日、急にボクの前に現れたんだ。それで少し言い合いになっただけだ」

夏希は見てたのなら言い合いになっていたのを知ってるだろという口調で話した。

「そのことは瀬川警部に話したのか?」

「話したよ。疑ってるような感じだったけどな」

夏希は富栄がなくなる三日前にそういうことがあったのだから、疑われても仕方ないという口調で答えた。

「それはそうだろうな。殺害時刻は四限目から休み時間で、この近くの公園が犯行現場だと聞いたが、赤谷は学校を出てないよな?」

生徒が学校の外に出ていないとわかっていたが、念のために確認する哲平。

「出るわけねーだろ?」

「…だよな」

夏希の口から出ていないと聞いてホッとした表情を見せる哲平。

「ところで今回の事件はどうするんだ? 関与するのか?」

「するつもりだ。昨日の時点では、今回は自分の身近が殺害されて警察に捜査を委ねてもいいかなと思ってた。でも、一晩考えて、母さんを殺害した犯人を捜したいっていう気持ちのほうが大きくなってきたんだ。もちろん、危険な事だっていう事は重々承知している。今回、母さんが殺害されたのをきっかけに、施設に入ってからの母さんの事を知りたいんだ」

夏希は亡くなった後だが富栄の事も知りたいという思いが出てきたということを話した。

夏希の思いを聞いた哲平は、あまり賛成出来ないといった表情を見せた。

「赤谷の気持ちもわかるが、今回は警察に捜査を任せたほうがいいんじゃないか。確かに事件を探っていく上で母親の事を知っていくのはいいことだ。だが、今回はあまりにも危険すぎる」

哲平は夏希の行動には反対のようだ。

「瀬川警部にも言われたけど、万が一の事があれば身を引くと約束しているんだ」

「大変な事に巻き込まれる前に止めて欲しいんだ。瀬川警部はそう言ったかもしれないが、何かあれば赤谷の身を守れる保障はないんだ」

必死で夏希の身の安全を確保する哲平は、自分のクラスの教え子を危険な目に遭わせたくないという気持ちが大きいのだ。

哲平の気持ちを理解した夏希だったが、どうしても富栄の事が知りたい。殺害した犯人を知りたいという気持ちを抑えるわけにはいかなかった。

「ヤマテツ、今回だけは許して欲しい。母さんを殺害した犯人の事を調べさせて欲しい」

「赤谷!」

今回だけは自分の言うことが聞けないと言った夏希に、自分の気持ちが通じなかったんだという思いを込める哲平。

「ヤマテツが心配してくれているのはよくわかる。母さんを殺害されて犯人を捜す行為は確かに危ない事だ。だけど、ボクと母さんの問題なんだ。今まで反抗ばかりして何も出来なかった母さんの恩返しがしたいんだ」

泣きたい気持ちをグッと堪えた夏希は、哲平の目をまっすぐに見て自分の気持ちを伝えた。

教え子にそう言われると何も言い返せくなる哲平。

家族間の事は当事者にしかわからない。ましてや、今まで反抗的な態度を取っていて、親が子を思う気持ちも考えず、自分勝手な行動を取っていた自分が、親が亡くなった時にようやく親の気持ちを理解したこの気持ちを大切にしたいと夏希は実感したのだ。

「赤谷の気持ちはわかった。母親を調べる時や何かわかった時には必ず報告すること。いいな?」

哲平は事件に首を突っ込んで欲しくなかったが、夏希の気持ちに根負けしてしまい、富栄を殺害した犯人を捜していいと承諾した。

「ヤマテツ、ありがとう」

夏希は改めて哲平に礼を言うと、自分の気持ちを理解してくれた事に感謝していた。

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