過去
翌週の体育の時間から体育祭の練習が始まった。毎日のように放課後は応援団の練習も平行してやっている夏希は、今年もこの時期は体育祭一色だなと感じていた。
グラウンドでは夏希のクラスと隣のクラス、二年の四クラス、計六クラスが体育祭の練習を行っている。それぞれ出る種目の練習をするが、中には二種目、三種目と出る生徒もいるため、全種目をきちんと練習する事はあまり出来ていないが、それでもなんとかカバーしている。
玉入れしか出ない夏希は、練習しながらもう一種目出たら良かったなと思っていた。夏希のように一種目だけしか出ない生徒は意外と多い。一種目だけ出る生徒はずっと練習するわけではない。ある程度の練習をやって終えると、テニスなど何かしらの事をする。
夏希が玉入れの練習を終えた後、ふとリレーの練習を見る。アンカーで走る仁がバトンを受け取って走っている。さすが小学生の時からリレーに選ばれているだけあって走るのが速い。練習なのにまるで本番かのような走りで、バトンを受け取ってから二人も抜かしている。
(仁の走りだったら優勝するかもしれないな。後は体育祭でこの走りが出来るかどうかだな)
夏希は仁の安定した走りを見てそう思っていた。
「赤谷さん、テニスやろう!」
同じクラスの女子生徒が夏希に声をかけてくる。
仁を見ていた夏希は慌てて声をかけてきた女子生徒のほうを見る。
「高田さん…」
なんとなく仁を見ていたと知られたくなかった夏希は、苦手なテニスをするためにテニスコートに向かおうとする。
夏希に声をかけてきたのは、高田悠美という黒髪のロングヘアで目がクリクリして人形みたいな女子生徒だ。見た目はどこかの社長令嬢のようだ。
この容姿で男子には人気がある。夏希にとって美夕以外の女子で一番気が合うのだ。最初は社長令嬢なのかと一度聞いた事があったのだが、まったくそんなことはないと答えていたのと同時に、たまに社長令嬢かと聞かれる事が多いと言っていた。
「練習終わったのかよ?」
「うん。私、綱引きと100m走だけだし、今日は初日だからすぐに練習が終わったんだ」
悠美はトレードマークの笑顔で答える。
この笑顔を見ていると男子が好きだと言うのも頷けるなと夏希は思っていた。
「原口君って走るの速いよね」
悠美はテニスコートに向かう前に走っている仁を見て言った。
「仁の事、好きなのかよ?」
仁の話題をした悠美の声色で直感した夏希は聞く。
「まぁね。原口君ってクラスのムードメーカーでまとめ役だし、気がついたら好きになってたって感じかな」
転入してきた夏希とは違い、入学当時から仁を知っている悠美は仁の良さを話す。
(ムードメーカーでまとめ役っていうのは間違ってねーな。でも、それだけで好きになるなんて簡単すぎじゃねーか? まぁ、人を好きになる理由なんて簡単だけどさ)
悠美が言った言葉は間違っていないと夏希は話を聞きながら思う。
「そういえば、赤谷さんと原口君って仲良いよね? 付き合ってるの?」
テニスコートに向かう悠美は不安になりながら聞いてくる。
「まさか…。付き合ってねーよ。ただ単に馬が合っただけだよ。それに仁はボクの事好きじゃねーと思うよ。まぁ、好きな人がいるとか付き合ってる人がいるとか聞いた事ないから、そこらへんはわからないけど…」
「そう…良かった。…ていうか、付き合ってなくて当たり前か」
付き合っていないという夏希の言葉を聞いた悠美は、ホッと胸を撫で下ろすと同時に、それはないかと思い直しているようだ。
「仲が良い女子が赤谷さんで良かった」
悠美は意味深な言葉を発する。
「どういうことだよ?」
意味がわからず首を傾げる夏希。
「赤谷さんは今竹さんと一緒で性同一性障害でしょ? もし、赤谷さんが性同一性障害じゃなかったら、いくら付き合ってなくても赤谷さんに嫉妬してたかもしれないから…」
悠美はテニスラケットとボールを持って言う。
夏希が性同一性障害だという事はクラス全員が知っている。前に合唱コンクールが終わった後、哲平が担任になった時に話したのだ。美夕の事を知っていた哲平だが、夏希も性同一性障害だと知ると驚いていた。そして、しばらくして哲平は包み隠さず夏希の事をきちんとクラス全員に話したのだ。
同級生の反応は、今竹に続いて赤谷も性同一性障害なのかというものだったが、美夕の事で免疫が付いていた同級生はあまり驚いた様子ではなかった。正直、イジメに遭うかもしれないと思ったが、それはなかったので安心した夏希だった。
「仁と話した事あったっけ?」
「入学したばっかりの時に少しだけね。原口君が好きだって知った時からはなかなか…」
少し照れながら答える悠美。
仁の事が好きだという気持ちが邪魔して話す事が出来ないらしい。
「仁はサバサバしてるから話しかければなんでも話してくれるって…。何話したって嫌な顔一つしねーからな」
夏希は自分から動かないと何も始まらないと思いながら、悠美にアドバイスしてみる。
「そうだよね。見てるだけじゃダメだよね。なんか、赤谷さんと話してるとホッとするよ。自分も頑張らないとって思っちゃう。赤谷さんって一見ヤル気なさそうだけど、内に秘めてる思いがあるんだなってずっと思ってたよ」
悠美はニッコリ笑顔で言う。
(一見ヤル気なさそうって…。どれだけヤル気なさそうに見えてるんだよ? なんか褒められてるのかけなされてるのかわからねーな)
夏希は悠美の言葉の真意を受け止めながら思うが、なんとも複雑な気持ちになってしまう。
それが顔に出ていたのか、悠美はフフフ…と笑う。
「なんだよ?」
「いや、赤谷さんって転入してきた時、ホントにヤル気なさそうだなって感じだったもん。それが河村先生と永井君を殺害した犯人を探し出して当ててしまったんだもん。警察に条件出されても強い気持ちで押し進んで、正直カッコイイなって思ってた。それから赤谷さんは言葉に出さなくても内に秘めてる思いがあるんだなって思ってたよ」
悠美は夏希が初めて事件を解決した時からそう思っていたようだ。
悠美のその言葉を聞いて、夏希はなんだか恥ずかしくなってしまう。
「ありがとうな」
夏希は礼を言うと下を向いてしまう。
そこに哲平がやってきた。
「赤谷と高田、喋ってないでテニスをやれ」
哲平は話している夏希と悠美を注意しに来たようだ。
「今からやろうと思ってたところだ」
夏希は悠美からラケットを受け取ると、今から始めるつもりだったと答える。
「ウソつけ。ずっと喋っただろ?」
哲平は口調は怒っていたが、表情はそうでもなかった。
注意をしに来たのは表向きだという感じだ。
「喋ってねーよ。こんなところでボク達の相手してないで体育祭の練習を見たほうがいいんじゃねーか?」
体育祭の練習を行っている生徒達を見ながら夏希は哲平に忠告する。
「わかってるよ。赤谷は口答えばかりして…」
哲平はやれやれ…といった表情をして、体育祭の練習をしている生徒達のほうに戻っていく。
その姿を見届けた後、二人はテニスをする事にした。
午後五時半、応援団の練習も終わり、体操着から制服に着替え終えた夏希は校舎の外に出る。オレンジ色の綺麗な夕日が、空いっぱいに広がっている。
今日の練習は体育祭まで時間がないため、振り付けを完全に覚えていない生徒を中心に行われた。三学年計三人が呼ばれた中には夏希もいた。
夏希は応援団長に厳しく手取り足取り教えてもらい、そのせいか複雑な箇所で覚えられていない振り付けを完璧に覚えられた。やっと覚えられたという安堵感が自信に繋がり、覚えるとスムーズに踊る事が出来た。
疲れたなと思いながらハンカチタオルで額の汗を拭く。正門まで来ると、そこには見覚えのある女性がいて、夏希は立ち止まってしまう。思わず、その女性を睨みつける夏希。その女性は夏希の顔を見ると近付いてくる。
「夏希ちゃん、元気にしてる?」
その女性は夏希ちゃんと親しみを込めて呼び、夏希の腕を掴む。
夏希は何も答えず黙ったままだ。
「この学校に通っているのね。施設で前の学校は辞めたって聞いたから…」
何も答えない夏希に、必死に話す女性。
「何しに来たんだよ?」
やっと口を開いた夏希は迷惑だといわんばかりの口調で聞く。
「夏希ちゃんに会いにきたのよ。ずっと正門で待ってたのよ」
その言葉を聞いた夏希はうっとうしそうな表情を浮かべる。
「会いにきたって…約束してねーだろ? 母さん、帰ってくれよ」
約束もしていないのに…と思った夏希は、その思いを言葉に出して言う。
母さんと呼んだその女性は、夏希の実の母なのだ。事情があって別々に暮らしているのだ。
「そんなこと言わないで。せっかくだから夕食でも食べましょうよ」
夏希の母は夏希に会えた嬉しさから夕食を一緒にしようと提案する。
「店はどうした?」
「今日は休みにしたのよ。夏希ちゃんはハンバーグが好きよね。行きましょ」
夏希の母は夏希の腕を引っ張る。
「やめろよ。今までボクをほったらかしにしておいてなんだよ? 急に会いに来られても困るんだよ」
「それは謝るわ。ごめんなさい」
「何で謝るんだよ? ホント、自分勝手だよな」
母に迷惑をかけられている夏希は、うっとうしそうにため息をつく。
「ごめんなさい。だけど、今日だけは夏希ちゃんに会いたくなって来たのよ」
再び謝る母は今日だけはどうしても迷惑をかけた夏希にと過ごしたいようだ。
ちょうどそこに校舎から出てきた哲平が、夏希と母が一緒にいるのが目に留まり、思わず見入ってしまう。
「会いたくなったからって急に会いに来るなって…。ちゃんと連絡してこいよな」
「事前に連絡すれば良かったんだけど、急に思い立ってしまって…」
夏希に会いたい一心で話す母。
それに対して、夏希は急に思い立って来たという理由は嘘だと思っていた。事前に連絡すれば会ってもらえないと思い、アポなしで来たんだと思っていた。
「夏希ちゃん、行きましょ」
母は一緒に夕食に行こうと無理矢理夏希を連れて行こうとする。
「やめろよ! 急に現れてなんだよ!? 今さら母親づらするな!」
怒りが頂点になった夏希は、母にキツイ言葉を浴びせる。
その言葉を聞いた母は淋しそうな表情を浮かべる。
そして、夏希はこれ以上、母と一緒にいたくないと思い、駅の方向に足早に歩いていった。
このやりとりを見ていた哲平は、校舎にもたれかかり、赤谷家の複雑な親子関係を自分と重ね合わせていた。
夏希の母、富栄が夏希の父と離婚したのは、夏希が小学校二年生の時だった。銀行員の夏希の父は、離婚する四年前から同じ職場の女性と不倫をして、それが富栄に知られてしまい、やむなく離婚する事になったのだ。両親が離婚した後、夏希は富栄に引き取られ、古いアパートで住み、富栄の旧姓である赤谷の姓を名乗ってきた。
離婚後の富栄は夜の仕事で生計を立て、女手一つで夏希を育ててきた。夏希が中学一年生の夏にスナックをオープンさせた。ところがスナックをオープンさせてからは、何人もの男性常連客をアパートに連れて帰っては関係を持つようになった。
夏希が学校から帰ると、富栄が常連客と関係を持っているのを何度か見た事もあった。店に勤めている時にもそういうことがあったが、スナックをオープンさせてからはさらに多くなっていた。思春期の夏希にとって、それが嫌で仕方なかった。
そして、夏希が中学二年生に上がる年の春休み、自ら家を出て、施設に入る事になった。施設に入るまで相当な時間がかかり、富栄に引き止められたが、夏希は頑固として家を出る決意を崩さなかった。本来なら高校卒業まで親元にいるのが一番なのだが、富栄との今の生活のままでは続ける事が無理だと悟ったのだ。
中学二年生の春から三年半も施設で生活をし、富栄とは前の高校に入学時に会ったきりだ。高校に入学してから何度か会いに来て来てくれたのだが、夏希のほうから帰ってくれと言って会わずにいるのだ。そういうことが続いたため、今の高校に転入してから富栄は一度も会いに来なくなった。
正月やお盆に家に帰る子もいるが、夏希は常連客と関係を持っている富栄の許に帰る気には到底なれなかった。はたから見れば親不孝ものだが、夏希にとってはそれがベストの選択だと思っている。
夏希が会いたくない気持ちもあるが、夏休みに遭遇したスポーツジムで起こった殺人事件の犯人である有坂妙と富栄がダブって見えた事も関係していた。妙の男性を好きになる気持ちや一緒にいたいと思う気持ちが、富栄が常連客と関係を持ちたいという気持ちと似ていたような感じにあったからだ。それを知っていたからこそ、前回の事件ではなんとなくもどかしい気持ちになっていた。
長期休暇が嫌いという点に関しては、富栄が常連客と関係を持つために、その時間だけアパートから出て行けと言われるのだ。毎日ではなかったが、夏希にとってはその時間が辛くて長い時間だった。そこまでして常連客と一緒にいたいのか。自分の事はどうでもいいのかという思いが夏希の中で交差していた。
施設では同学年の女子と仲良くしている。入所したときはずっと一人でいたが、同学年の女子に声をかけられ、そこから仲良くなり、年下の子達の面倒を見たりして何とか生活している。施設で生活してみて、自分が決めた事はこれでいいのだ。これで良かったのだと思っていた。
夏希がどうして転入してきたのかというと、前の高校でイジメに遭っていたからだ。単位制の高校で、週に一度しか高校に行かないで良かったのだが、夏希が性同一性障害だと知った同級生達は、性別がはっきりしないからキモイ。女性の格好をした男などと言われていたのだ。それに耐え切れず、今の高校に転入してきたのだ。
中学までは性同一性障害だとは言わなかったためイジメに遭う事はなかったが、高校に入ってからイジメはないと思い、同級生達に言ったのだが、それがアザとなりイジメに遭ってしまったのだ。言わなければ良かったと後悔しているが、いつまでも隠し通せるわけではないと思ったのだ。
今の高校では同級生達は知っているが、内心、言わないでおこうかどうしようか迷ったくらいなのだ。それはまたイジメに遭いたくないという気持ちからだった。しかし、同級生達が自分の事を性同一性障害だと知っている今ではイジメもなく、美夕という性同一性障害の友達もいるため、安心して通えている。
その反面、今ではなくなったが、美夕は性同一性障害と知っている中学の同級生からずっとキモイと言われていたのだ。それが高校まで引きずり、学年内で噂になった上にクラスで話し合いとなり、ずいぶんと嫌な思いをしてきたのだ。そのことを知っている夏希は、美夕がいてくれたからこそ、自分はなんの不安もなく高校生活を遅れているのだと、美夕に感謝していた。
そう思っている夏希に、一度、美夕に言われた事があった。それは、夏希が転入してきてくれなかったら、一人きりの高校生活を送っていた。オレにとって夏希は恩人だ、と微笑みながら言ってくれた。それが夏希にとっては嬉しい言葉だった。だが、美夕に自分が思っている感謝の言葉を伝えていないのだ。きちんと感謝の言葉を伝えないといけないといけないと思いながらも、言うタイミングを見失ってしまっている。
その日の夕食と風呂を終えると、夏希は美夕と携帯で話す事になった。普段かかってくることのない美夕の着信になんだろうと思いながら、夏希は電話に出た。
「なんだよ? 急に…」
夏希は英語の予習をしている途中で、教科書とノートを開けたままベッドに寝転ぶ。
「用っていうのはないんだ。メールはあるけど電話で話した事なかったなと思って…」
美夕は用はないが電話してきたようだ。
それを聞いた夏希は言われてみればそうだなと思っていた。
「応援団の練習はどうなんだよ?」
「まぁ、なんとか上手くいってるぜ。でも、本番ではミニスカートを履かないといけないっていうのが辛いけどな」
夏希は憂鬱な声で答える。
「確かにそれは嫌だな。ただでさえ制服でスカート履いてるのにな」
美夕は夏希の気持ちがわかるといった口調だ。
「そうなんだよなぁ。これでも女子だから嫌でも履かないといけないんだけどな」
「夏希のミニスカート姿、あまり想像出来ないよな。きっと似合わねーんだろうな」
ケラケラ笑いながら言う美夕。
「そんなこと言うなよ。…ていうか、そんなこと想像するほうがおかしいだろ」
夏希は呆れ返る。
応援合戦の時、応援団を努める生徒には制服があるのだ。男子生徒は半そでのポロシャツに薄手のズボン、女子生徒には薄手のシャツにミニスカートなのだ。それを知っている夏希は嫌で仕方なかった。
「まぁな。それより母親の許に戻る気はねーのか?」
美夕はふと聞いてみる。
夏希の家庭事情を知っている美夕は、施設を出て母親と一緒に暮らさないのかという疑問があった。
「戻るつもりはねーよ。向こうは常連客と仲良くやってるだろうし、ボクがいると邪魔になるだろうしな」
夏希は放課後に会った富栄の事を思い出していた。
今日会った富栄は、普段と変わらず色っぽい服装をして、化粧も濃い目だった。職業柄仕方ないのだが、娘に会う時くらいはそんな格好をして欲しくないというのが本音だった。恐らく、常連客と会うような感覚なのだろうと思っていた。
「夏希が決めた事なら仕方ないけど、いつまでも母親を許さないままっていうのもどうかと思うぜ? 離婚して、女手一つで子供を育てていくのは大変な事なんだし…」
美夕は夏希の気持ちが痛いほどわかっているつもりなのだが、全て富栄が悪いのではないのではないかと思っていた。
「美夕の言うとおりだし、ボクも母さんと一緒に住んだほうがいいっていうことはわかってる。でも、どうしてもボクの気持ちがそれを許さなくて…。店を経営するのは悪いってわけじゃないんだ。ただ…」
夏希は途中まで言いかけると。富栄と常連客が関係を持っているシーンが脳裏に思い出された。
途中まで何かを言いかけた夏希が何を言いたいのかわかっていた美夕は、何も言わずに最後まで夏希の気持ちを聞く事にした。
「ただ、母さんが自分をほったらかしにして男性と関係を持つのはどうかと思ってて…。そんなところ見たくないって思ってて…」
夏希は今の自分の気持ちをどう言葉にしていいのかわからないでいた。
「これ以上、何も言わなくていい。夏希の言いたい事は大体わかったよ。多分、夏希の母親も仕事だって割り切ってたんじゃないかな」
美夕は夏希の言葉を理解した上で仕事上の付き合いだったのではと言った。
「割り切って…?」
「あぁ…。夜の仕事をしていると、どうしても男性とそういうこともしていかないといかなければ夏希を育てていけない。店を経営するにはそうするしか出来ない。綺麗事だけでは夏希を育てていけないっていう気持ちがあったんだと思うぜ。決して、夏希がうっとうしいとか男に飢えてたとかそういうのじゃないかな」
両親がきちんといる美夕だったが、シングルマザーで育てている富栄の気持ちを考えると、客の付き合いも夜の仕事を選んだ富栄の宿命だと考えていた。
美夕の言葉に、夏希は胸を何かでつつかれたような感覚になっていた。
「案外そうかもしれないな」
夏希は自分の考えや気持ちが間違っていたのかもしれないなと思っていた。
「まぁ、そう言ったって年頃のオレらには、親の仕事を理解しろなんていうほうが無理があるけどな。実際、オレもそうだしな」
美夕はふっと笑いながら言う。
「美夕のお父さんは警官だっけ?」
「そうだよ。事件が起こればいつでも駆けつけないといけないんだ。オレも含めて子供の学校行事なんて来た事ねーよ。しかも、兄貴ばかり期待して、オレなんて見向きもしない。母親もそうだけどな。二人からすると、子供は男だけ欲しかったらしくて、女はいらないって感じなんだよな」
美夕はウンザリとした口調で話す。
美夕の家庭も複雑なんだなと思っていた夏希は、どこの家庭もそうなんだなと実感していた。
「それ、親から聞いたのかよ?」
「聞いてねーよ。兄貴の期待ぶりからそう思ったんだよ」
美夕は性別は選べない。選べたらどれだけ良かったかという思いが心のどこかであったようだ。
「お互い、大変だな。美夕、ありがとうな。こんな話が出来るのは美夕だけだから…」
夏希は美夕には見えないが、ベッドから起き上がって正座をして礼を言った。
「いいよ。オレで良かったらいつでも話聞くぜ」
美夕は自分も同じ事を思っていたというふうに言った。