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ユニスと使い魔

作者: zan

某所での短編祭りに参加した際、執筆したお話です

お題は「人外と少女!」というものを選びました

 1


 ユニスは不幸だった。

 両親が村はずれで魔物に襲われたのが始まりであり、現在に至るまでそれは続いている。


 恐ろしき、巨大な熊の怪物。魔物と認定されている凶悪な種だった。それが、ユニスの両親を襲ったのだ。そのように思われている。

 しかし、正確には違う。

 襲われたのはユニスだった。だが、両親が彼女をかばったのだ。凶悪な魔獣からユニスを守るためにその身を犠牲にしたのだ。


 そのおかげでユニスは助かった。両親は亡くなった。

 無口だが家族を愛していた父。優しく深い愛情で自分を包んでくれた母。二人ともをユニスは失ったのである。

 村の人々はユニスを見捨てはしなかった。

 だが、村は裕福ではなかった。何もせず、遊んでいるだけのものに食事を与えるほどの余裕はなかった。

 つまり、幼いユニスも働かなければならない。

 それは日々の糧を得るために仕方のないものであって、社会勉強という意味でも貴重なものだ。幼いユニスにできる仕事などしれたものであるし、また彼女にとって成長の糧となるような仕事を与えられるべきである。

 ユニスは自分の食い扶持を稼ぎながら、手に職をつけていくことが可能であったはずだ。


 しかし現実にはそうならなかった。

 行き場のないユニスはどれほど過酷な労働条件にされても、仕事をやめることができないのである。

 したがって、彼女に任せられる仕事は量も質も、厳しいものになっていった。

 村の人々の大半はそうしたことを知らなかった。ユニスが働いていることは知っていたが、まさかそのように過酷な労働をしているとは思いもよらなかったのである。

 ユニスを引き取り雇用している個人商店は村人の信望も篤かったため、余計であった。


「ユニス、この仕事着を洗濯しておきなさい。破れているものは繕って、明日の朝までに仕上げなさい」


 店主はそう言ってユニスの前に汗にまみれた仕事着を幾つも積み上げた。水も冷たくなる季節だ。この量の洗濯を今からユニスにさせていてはとても朝までに間に合わない。その上、破れを補修するともなれば。

 しかし店主はユニスに言い訳を許さない。やれ、と言われたことはやるしかないのである。

 ユニスは黙って仕事着の山を抱えて、外に出た。洗濯用の道具を持ち出して、井戸から水を汲む。

 洗濯である。地道に、手で洗うしかない。石鹸は使えたが、冷たい水がユニスの指を凍えさせる。

 今日も眠ることはできないだろう。明日の朝の水汲みを終えて、それからほんの少しの間だけ眠れないだろうか。お昼前の忙しい時間帯まではなんとか時間を作って眠れればいいのだけれども。

 ユニスはそう考えながら、手を動かしていた。

 つらい、苦しいといったことはなるべく思わないようにする。両親に申し訳がないと思っているからである。


 自分をかばって亡くなった父親と母親のことを、ユニスは尊敬していたし、愛していた。

 その両親が自分を生かしてくれているということを感謝し、どのくらい先になるのかわからないが自分も両親の元にいったときにせめて恥ずかしい思いをしなくてすむように、しっかりと前を見て生きていこうと決めている。


 ユニスの決意は、それだけだった。偉大な人物になるのでもなく、他人より上に立つのでもなく、名を売るのでもない。

 ただ、両親に顔向けできるような生き方をしたいと考えている。


 ああ、私をかばった両親の死が、無駄にならないように。私はしっかりと大地を踏んで前を見て、生きていく。

 私にとって、両親はもっとも尊敬できる偉大な人物だから。


 眠ることのできない、過酷な日々を送るユニスの体はとても小さい。

 睡眠が足りていないだけではなく、栄養も不足していたからだ。成長は阻害されていた。

 それでもユニスの心だけは、同年代の他の誰にも負けないほどたくましく成長していたといえる。逆境にあって、彼女は折れていない。かえって力強く、大地に立っている。


 ぼろぼろに荒れた手をさすって、ユニスは寒空の下の作業を耐える。

 寒気と水の冷たさが、ユニスを切りつけていく。彼女はそのつらさを見せない。

 魔獣を相手にしても決して、ユニスに弱いところを見せなかった父親のように。死の間際までも、ユニスを安心させようと微笑み続けた母親のように。



 2


 そのような毎日を送っていたユニスはあるとき、書斎の整理を頼まれた。

 書斎の中に入ったのは初めてだったが、ユニスは久しぶりに書に触れて興奮している。

 ああ、あの文字はこのように読むのだった。

 ユニスは母親から読み書きをならっていたので、たいていの本を読むことができる。しかし近年はすっかり休みのない下女のような暮らしをしていたので文字から離れていたのである。

 読む楽しさをしっているユニスは、書斎に入ってから整理をしろという仕事を半ば忘れるほど、本のにおいを楽しんでいた。立ち並ぶ本棚を埋め尽くしている本の背表紙を見ているだけでも、ユニスの心は躍っている。


 目を引くタイトルがあった。

『使い魔・下級生物使役の大全』

 どうやら、何かの黒魔術について書かれた本であるらしかった。

 ユニスは自分の出自について詳しくは知らないが、母親が魔法使いであることは知っている。自分にその才能が受け継がれているらしいということも、母親から言われたことがある。

 つまり、ユニスにも魔力があり、正しいやり方を習得さえすれば魔法を扱えるのである。

 ユニスは好奇心と、不思議な感覚に導かれるままにその本をとった。


 内容は簡単な魔法の使い方を教える教本である。

 文体こそかなり硬いものであり難解に見えたものの、ユニスはすぐにその読み解き方を覚えてしまった。教本に従ってしっかりと儀式を行えばユニスにも何かできそうに思える。

 しばらくユニスはその本に没頭したが、自分のお腹が鳴る音で我に返った。

 その音がしめすとおり、ユニスは空腹だった。

 だがそれ以上に、無駄な時間を過ごしたという思いがある。

 このままでは店主の言いつけを守れなくなる。太陽が真南にかかるまでにある程度の整理をすませておかなければならないのだった。

 ユニスは慌てて作業を再開した。


 空腹には慣れていた。


 ユニスは自らの境遇をつらいとは思っていなかったが、同年代の他の子供が何も仕事を与えられずに遊んでいるのを見て羨ましいという気持ちは感じている。

 思い切り、一日くらいは眠ってみたい。

 思い切り、仕事を気にせずに草原を走ってみたい。

 さらにはできることなら鳥のように、どこまでも続く青空へ舞い、風を切って飛び続けてみたい。

 彼女はそう、思っていた。


 そして、実は自分の気付かない心の深いところではこうも思っていた。

 気兼ねなく話ができる、友達と呼べるものが欲しいと。


 これは決して、ユニスが『使い魔・下級生物使役』に関して興味を抱いたことと無関係ではない。

 ユニスは書斎での仕事を言いつけられるたびに、その本を少しずつ読み進めることにした。

 もしかしたならば、この魔法を使うことで何かちょっとしたことでも話し合えてわかりあえる友達が創造できるのではないかという、期待をこめて。



 3


 月夜の草原に、ユニスは立っていた。

 いつもなら短い睡眠時間にあてているところだった。しかし今日だけは眠らない理由がある。

 儀式を行うのに最適の夜だったからである。

 本で読み覚えたとおりに、ユニスは地面に呪文を刻んだ。そうして、そこへ渾身の気力を注ぎいれていった。

 いわゆる、魔力というものだ。

 ユニスの母親はわずかであるが、魔法を使うことができた。その術法は確かな効力を秘めており、ユニスの傷の痛みを確かにやわらげてくれたものだ。

 その力が振るわれるところをユニスは何度も見てきたし、その手ほどきもわずかではあるが受けている。

 魔力を扱うことには、抵抗がなかった。


 儀式は確かに、行われた。ユニスの力は確かにそこに注がれた。

 地面に刻んだ呪文がわずかに輝き、はじけるように空中に光の粒をばらまいた。

 その幻想的な光景にユニスは驚き、やがて両手を振り上げて笑い声を上げる。

 キラキラと光る、何かとても細かなものが空中にふわりと漂い、風に乗って揺れている。それが面白く見えたからだ。ユニスは高い声で笑っていた。

 いつぶりの笑いだったか、彼女自身はとても覚えていなかった。


 そこに出現するはずの『使い魔』の姿はなかった。

 ユニスは自分の魔法が失敗したのだと考えたが、特に落ち込みはしなかった。あれほど綺麗なものを見れたのだから、それでよいと満足している。

 ただ、友達ができなかったのは残念だなと少しだけ思っていた。


 もしかしたらほかの魔法なら使えるかもしれない。

 ユニスはそう考えるようになり、書斎に行くたびに魔法に関する書物を読み漁るようになった。

 それを店主はこころよく思わない。ユニスが絶対に自分のところから逃げ出さない下女のようなものだと、彼の中では決定していたからである。そこから離れていくことは好ましくなかったのだ。


「だんな、店先につくってた蜂の巣が全滅してますぜ」

 店頭販売に当たっている男が店主にそう声をかけたが、ユニスのことでいらだっている店主の耳には届いていないようだ。



 4


 ユニスは少しずついろいろな魔法を覚えていった。

 母親譲りの才能と、父親譲りの勤勉さを生かして、実に一年間で三十近い魔法を会得していた。

 それらがすべて生活の役に立つものではなかったし、『使い魔』の魔法のように発動することがかなわなかったものもある。しかし、それでも幼いユニスからしてみればとても大きなことであった。

 店主を含めた周囲の大人はユニスの魔法の才能を知らなかった。

 魔法の本を読むようになったことはわかっていたが、ただの好奇心であると判断している。よもや、深夜に村はずれで訓練を繰り返しているユニスが大人の魔法使い顔負けの技術をもつようになっているとは夢にも思っていなかったに違いないのである。


 ある日、ユニスは村はずれで魔法を訓練しているところを人に見られた。

 旅人らしいその男は、自らも魔法使いであるとユニスに告げた。それから、ユニスが非凡な才能を秘めているということも。

 魔法使いは決して若くはない。老練の魔法使いであった。彼はユニスの力が世の中の役に立つものだということを知っていた。そこで彼は、ユニスにぜひ自分の元で魔法の修行をするようにと勧める。

 ユニスは店の手伝いがあるからと固辞したが、翌日になって魔法使いはユニスの働く店に出現したのだった。

 そうして大金を店主に投げつけて、かなり強引な手口でユニスを奪ってしまった。

 店主としては、ユニスを手放したくなくなっていた。すでにユニスに与えている仕事が膨れ上がってしまっているため、休みなしで働き続ける彼女がいなければ店が成り立たない始末なのである。

 当然、それだけユニスは働いていることになる。それに対して店主はこれまでほとんど何の褒賞も与えてこなかった。労をねぎらうことすらまれだった。

 そうしたことを魔法使いは見抜いており、このまま仕事をし続けることはユニスのためにならないと判断したのである。

 彼は、それゆえに店からユニスを奪っていった。

 ユニスは、村から出て魔法使いに師事しながら旅をすることになる。その期間は長かった。



 5


 初めての魔法を使って以来、ユニスの枕元には常に薬ビンが置かれている。

 そうしておくと、朝目覚めるころには蜜が底のほうに溜まるのだ。不思議なことに、その蜜をなめると疲労が回復し、元気が沸いてくる。ユニスはあるときそれを知ったのだが、店主に報告することはしなかった。

 これはおそらく、天使の涙のようなものだ。神様のお恵みなのだ。

 ユニスはそのようにとらえて、深く考えていなかった。しかしわずかな量しかないので、節約しながらその蜜を使っていた。そのおかげで、日々量も質も増えていく過酷な仕事に耐えられたといえる。

 この不思議な天使の涙がなければ、ユニスはとうに心を病んでいただろう。そうでなくとも、体を壊していた可能性が高い。


 そうした次第で眠る際には薬ビンを置いているのだ、とユニスは魔法使いに説明した。

 魔法使いがその天使の涙を調べてもいいかとたずねると、ユニスは了解する。早速調べてみると、その蜜はかなり濃厚に製造された蜂蜜であることがわかった。


 考えてもみれば、このユニスと出会ったのも蜂が縁だった。目の前をふらふらと飛んでいる小さな蜂がいたので追いかけてみたのだ。

 そうすると、その先に闇の中で魔力を扱う少女がいたというわけだ。

 魔法使いはふむ、と唸った。ユニスは彼が考え事をしている間に、薬ビンを置いて眠ってしまったようだ。



 6


 ユニスは人より少しだけ、幸運なのだと思っていた。

 天使の涙は体の疲れをとってくれるし、魔法の才能にも恵まれている。そして自分を助けてくれた魔法使いは、今や師匠である。

 師匠はやさしくてたくましく、生きる方法を教えてくれる。

 師匠とユニスの徒歩での旅は長く続いた。その間、さまざまに人助けを行っている。

 日照りで水がなくなったという地では師匠の魔法で井戸を深く掘り、多くの人々に感謝された。

 盗賊が多数の手勢を率いて町を襲っているというところでは、師匠が火の魔法を操って盗賊たちを見事に退治した。

 また、魔法に頼りきりではなく旅の途中で行き倒れている人を見つけた場合は自らの手で手厚く葬るということも行ってきた。

 師匠ほどの人格者を、ユニスは両親以外に見たことがない。ユニスは師匠を頼っていた。


 ある夜、師匠に襲い掛かってきた獣があった。ユニスは耳元に飛ぶ虫の羽音で起きだしてしまい、偶然にもそれに気づく。

 やはり幸運なのだ、とユニスは思った。寝入っている師匠は、獣に気がついていないだろう。

 自分が気がつけてよかったとばかり、ユニスはすぐさま魔法を使った。

 興奮状態にある生物をなだめる魔法である。獣はユニスによってなだめられ、師匠に向けていた敵意を霧散させていく。やがて彼は無防備な老人の頬をぺろりと舐めて、それから立ち去っていった。

 むやみに血を流したくはない。ユニスは魔法がうまくいったことに安堵して、眠りを再開した。

 今度は虫の羽音に悩まされることもない。


 ユニスは旅に出てから少し背が伸びた。

 それを師匠は懐かしんでいた。旅に出たときはこのくらいだったと思ったが、と彼はしきりに言った。

 ユニスからしてみれば一年少々でそんなに変わるはずがないというところだ。だが、師匠がそう言うのだ。そうなのだろう。


 しばらくして師匠が言った。この先の町へ行って魔法書のめぼしいものがないか見てきなさい、と。

 ユニスはそのとおりにした。

 戻ってきたが、師匠はいなくなっている。

 日が暮れて、翌朝になっても師匠は戻らなかった。

 周辺をいくら探しても、師匠は見つからない。


 三日が過ぎて、ようやくユニスも理解した。

 師匠は、自分を一人前として認めたのだろうということを。

 これからは一人で、自分の生き方を探していくのだ。



 7


 ユニスは少し寂しい一人旅を続けていた。

 天使の涙は寂しさを少しだけ埋めてくれるが、足りなかった。

 行く先々の町ではその魔法で人助けを行っていく。結果として、長期の滞在を求められることもあったが、固辞した。

 師匠のように生きたい、とユニスは思っていたからだ。定住するのは、自分には早すぎると感じている。


 しかし、人助けのうわさがどういう尾ひれをつけてしまったのか。

 ある国に入ったユニスを待っていたのは王族からの呼び出しであった。断ると面倒ごとになるのは眼に見えている。

 仕方なく、ユニスは呼び出しに応じることにした。


 王宮に入った。

 目の前には王族が誰かいるのだろう。ユニスはかつての師匠の振る舞いを思い出して、それを必死に真似した。

 とはいっても師匠は老練の魔法使いだ。かたやユニスはまだ年端もいかない子供である。ぎこちない動きに違いなかった。

 それでも王族は、ユニスを笑いはしなかった。


「ようこそ、君がうわさになっている流浪の魔法使いユニスか。

 これまで、色々なところで困っている人を助けてきたようだな。それも、たいした見返りを求めることもなく。

 余は君をすばらしい人格者であると認識する。

 どうだろうか、君はその力で私を救ってくれるつもりはないだろうか」


 ユニスは顔を上げずに答える。

 陛下のような尊いお方を救うことなど、下賎な出自である私には無理でしょう、と。

 目の前にいる男が王であるということは、わかった。


 しかし彼はユニスの言葉など無視するように話を続ける。


「いやなに、簡単なことだ。

 最近東の森に魔獣が出現したらしいのでね。すでに多数の住民が被害にあっている。

 魔法使いユニスにその討伐を依頼したいのだ。むろん、十分な報酬は用意しよう」


 断っても、おそらく無駄なのだろう。ユニスはそう察してしまった。

 ユニスは東の森付近に出向くことになった。



 8


 小さな村が東の森の近くにあった。

 そこはかつて、ユニスが両親と暮らしていた場所に似ている。


 ユニスは国から派遣された騎士たちを連れてきていた。いくらユニスがいらないと言っても、彼らは自分たちが王から命じられているので、と取り合わない。強引についてくるのだ。

 半ば仕方なくといった感じだが、ユニスは騎士たちを連れて魔獣を討伐することになる。

 どうにもならないだろう。なんとかしなければならない。

 ユニスは生物を殺すような魔法ばかりを習得しているわけではない。が、いくつかは攻撃に転用することができるものもある。

 騎士たちもそれぞれ剣を磨きぬいている。国王からの依頼はそれほど難しくはないだろう。ユニスにはそのように思えた。


 そこでユニスは最近魔獣の姿が見られたという場所に陣取って、出現を待つことにした。

 睡眠時間の少ない生活には慣れている。

 ユニスは昼も夜も、わずかな休息をはさんでひたすら魔獣を待ち伏せし続けた。



 9


 そして深夜になって、ついにユニスの前に魔獣は姿を見せた。

 その姿を見るなり、ユニスの体はそこに縛り付けられてしまう。同じだったからだ。

 巨大な熊の怪物。

 魔物として認められた種。


 つまり、ユニスの両親を奪ったものと、同種だったのだ。

 もしかしたら、同じ個体なのかもしれなかった。父親がナイフを突き立てた右腕に、傷はあるのだろうか。その爪に母親の血はまだこびりついているだろうか。

 ああ、これは。

 ユニスは魔法を使うことも思いつかなかった。

 魔獣がユニスに襲い掛かってくる。

 しかし、国王の命を受けた騎士たちが魔獣に挑んでいく。


 魔獣は騎士たちの二倍も背丈がある。群がる騎士たちの剣など、毛皮に傷もつけられない。

 熊の怪物は、あっけなく騎士たちを振り払う。

 ユニスはその光景に、恐怖を覚えた。


 父親が小さなナイフひとつで立ち向かった魔獣を。

 母親が私を守るためにその身を盾にして死んだ、その憎い敵を。

 恐ろしい敵だ。あのような敵に対して、魔法などどれほどの効果があるものか、と。


 ほんのわずかな時間で、魔獣は騎士たちをあらかた地面に倒れこませてしまった。

 邪魔者は片付けたのだ、とばかりにユニスに歩み寄ってくる。

 その獰猛な目は、確かにユニスを射抜いていた。


 殺される、という恐怖がユニスを動かした。興奮をなだめる魔法を必死になって放つ。

 だが、魔獣の瞳にたたえられた獰猛な光はいささかもゆるがない。お前を殺してやるぞ、とその目が語っていた。深く語っていた。


 魔法使い様、お逃げください。

 倒れている騎士たちがそう叫んだ。

 しかし、ユニスは動けない。魔獣がもっている魔眼にあてられてしまったからだ。


 やがて魔獣が突進の構えを見せる。

 そして、その次の瞬間に彼は顔面を強くおさえてうめき声を上げたのである。


 何者かがその場で、魔獣を攻撃したのは明白だった。


 ユニスは思わず、目を凝らした。自分も騎士たちも動けずにいたはずなのだ。

 どこの誰が、どうやってあれを攻撃したのだろうか。


 その場にいたのは、一匹の蜂だった。

 あの、ユニスがとらわれていた店先に巣をつくっていたものと同種の、あの蜂だった。毒蜂だった。



 10


 魔獣に対して、毒蜂が果敢に攻撃を仕掛けている。

 熊の怪物である。彼の毛皮に、虫の毒針など通用するはずがなかった。

 それでも、ユニスのために蜂は飛ぶ。


 針よ鋭くとがれ。

 毒よ深く敵を蝕め。


 そうあれよと願うままに、毒蜂は強くあった。羽を開き、空を舞い、針を刺した。

 それはすべて、ユニスのためだった。


 他の種の蜂に攻められていたのだ。

 彼はその中で果敢に戦い、そして敗れて地に落ちたのだ。死ぬところだったのだ。


 そこに作用したのが、ユニスの魔法だった。キラキラと光る魔力の粒が、彼を癒した。

 そしてユニスの友となってくれることを条件に、強靭な肉体を与えると約束してくれたのだ。


 だから、その誘いにのったのだ。自分を救った恩人を救うために。

 巣は守れなかったが、せめて恩人を守るために羽を開き、針をとがらせる一匹だけの兵として。


 何も恐れず、ただユニスのために尽くした。人知れずに、ただひたすらに。

 見返りなど必要なかった。

 ユニスの感謝などもいらなかった。


 ただ、彼女がほんの少しだけ幸福であればよいと心に決めて。



 11


 もういい、もういいから。

 すぐにみんなで逃げるから。


 ユニスはそう叫びだしそうになっていた。

 彼女は、知ってしまったのだ。


 ほんの少しだけ人より幸運だと思っていたその、幸運の原因は。

 すべては自分が呼び出しておいてその存在も知らずに放っておいてしまった、一匹の蜂。

 その献身的で健気な奉仕によるものだったのだ。


 天使の涙と呼んでいたあの蜂蜜もそうだ、すべて彼が用意してくれたものに違いなかったのだ。

 それなのに自分は水の一滴も彼に与えなかった。

 感謝することもなかった。

 もう、どうすることもできはしなかった。


 魔獣の振り回した腕に、蜂が弾き飛ばされて地面に激突する。

 蜂は苦しみもがくように、地面で羽をぶんぶんと乱した。痛みはあるのかないのか、それもユニスはわからない。

 彼が、何を考えているのかも。


 だが、それでも彼はすぐにとび立ち、魔獣に向かっていく。どうしてそんなことができるのか。

 その姿を見てユニスは思う。


 私が、止めなければならないと。

 蜂が戦っているというのに自分がどうしてみているだけなのかと。


 あのときの両親と同じ気持ちだろうか。

 勝てるはずもない相手だけれども、勝たなければならない。

 だから、両親は自らを犠牲にしたのだ。


 ユニスは魔法を放った。数少ない攻撃に使える魔法を放った。

 蜂と連携を、少しずつ試しながら使う。

 恐怖も疲労も押し殺して、ユニスは魔獣に立ち向かう。

 死闘だった。魔獣は気合だけで倒せるほど甘い相手ではなかったのだ。


 だが、最後はユニスの粘り強い気合がものをいった。

 ぎりぎりのところで、ユニスの放った魔法が魔獣をその場に倒したのである。



 11


 あなたの名前を考えなくては、とユニスが言った。


 蜂は答えるすべがなかった。


 森の大木に背中を預けて座り、ユニスは手のひらに蜂の小さな体をのせていた。

 蜂も疲れているのか、動きが鈍い。飛び上がることも億劫なのかもしれない。


 国王から褒美を受け取った後、ユニスと蜂は旅を続ける。

 小さな体の、小柄な魔法使い。

 そして本当に小さな体の、猛毒の使い魔。


 そう、あなたの名前はデストールにします。


 ユニスは勇敢で献身的な使い魔に、英雄の名をつける。

 デストールは何も答えず、明日の蜂蜜を作るためにレンゲソウの花にもぐりこもうとしていた。



 12


 ユニスは幸福だった。

 それは、彼女が使い魔を呼ぶ魔法を使ったときからはじまっていて、現在までそれは続いている。


 本当に献身的で、無口だけれども勇敢な彼がいるからだ。

 デストールがユニスを支えてくれるからだ。


 眠ることのできない、過酷な日々を送っていたユニスの体はとても小さい。

 しかし、少しずつ成長はしていた。師匠もたしかそう言っていたはずだった。

 背丈が伸びただけでなく、心も成長している。逆境にあっても、彼女は決して折れない。

 かえって力強く、一層の確かさをもって大地に立っている。信頼しあえる、仲間がいるから。


 曇り空を見上げて、ユニスは寒空の下でマントを羽織る。

 北風の冷たさが、ユニスを切りつけていく。彼女はそのつらさを見せない。

 魔獣を相手にしても決して、ユニスに弱いところを見せなかった父親のように。死の間際までも、ユニスを安心させようと微笑み続けた母親のように。


 どんなに天候が荒れたとしても、必ずいつかは青空に晴れる日が来ると強く信じている。

 ユニスはこれからも続く長い旅路を、歩いていく。


 誰にあっても胸をはれるように、しっかりとあごを引いて。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編でこの時間経過なので、テンポが良くて読みやすかったです。 [気になる点] 主人公の名前はどうしても回数が増えてしまうので、仕方がないかもしれないけれど、少し気になってしまいました。 […
[一言] 物凄く面白かったです。 ユニスが魔獣を殺したのかどうかが気になりました。両親を殺したものと同種の魔獣を殺すかどうかの葛藤があるとさらに話に深みが出そうです。
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