9.納得…できるものか!
2015年4月修正済み
その言葉は、私の体をゆっくりと駆け巡る。
誰が?―――私こと、シャナが。
誰と?―――王子こと、レイン殿下と。
何が決まった?―――私たち二人が、結婚することが。
私と、レイン殿下が、結婚する。
じわりじわりと浸透し、長い時間をかけてその台詞が私の中にようやく入り込む。言葉の意味を理解し、動きを停止していた脳みそが再稼働する。
そして、私がそれを受けてまず出てきた言葉は、
「………は?」
その一音のみだった。
…いや、だってそうでしょう?なんで、何がどうなって私があのレイン王子と結婚だなんて脈絡もないぶっ飛んだ話になるのか。おかしい、意味が分からない。
「え、それ何かの冗談だよね。ドッキリだよね。娘をからかって何が楽しいの」
だけど、混乱状態の娘の様子なんて気にも留めないのか、父様はむふほほという不可思議な笑い声を上げると、
「何を言っているか。これが冗談なものか。全く、まさかお前が殿下とそういう関係になるとはな。こう言ってはなんだが、アネッサではなくシャナが殿下の心を射止めるとは、親であるわしもいまだに夢だと疑いたくなるぞ」
そう言って私の体を軽く小突いた。
「はぁ、そういう関係…?」
だがやっぱり私には事態が呑み込めていない。
そういう関係って、何?私と王子の関係性?
ただのハイスペックイケメン王子と、ごくごく平凡な、貴族の中でも下っ端の男爵家の娘。
そこに存在するのは天と地ほどもある身分差で、結婚に結び付くような間柄では一切ない。
というか、この前初めて会って、その上初対面にも関わらずあれだけ怯えられていて、どういう経緯でそんな風に転がるのかが分からん。
そんな私の混乱をよそに父様は上機嫌な様子でグラスに一番上等のワインをとぽとぽ注ぎ入れた。
「お前にことだから、この前の舞踏会、絶対に先に帰ると踏んでいたからおかしいと思っていたんだよ。疲れて城の中の部屋で寝ていたと言って朝帰りだったじゃないか。だが、あれは嘘だったんだろう?話は全部ディーゼル殿に聞いたぞ?レイン殿下と一緒だったそうじゃないか、一晩中」
「あ―――、まあ、それはなんというか、事実ではあるんだけども……」
父様に今までどうしてたんだと聞かれ、王子様と一緒にいましたってまさか答えるはずもなく。
とりあえず一人で部屋で朝まで仮眠をとっていたと報告をしていたのだ。
理由は、実は父様、普段から娘たちに対して、男爵よりも上位にあたる貴族との結婚をさせようとしていたのだ。
もちろん、そこは親馬鹿の父様。可愛い娘たち(たちっていうか、見込みもやる気もない私よりもその比重はアネッサにほぼ置かれていたが)にはちゃんと幸せにもなってほしいから、地位もありなおかつ若くて娘を大事にしてくれそうな、希少価値の高い貴族様でないと嫁には出さないつもりである。
そんなお父様に本当のことなんて伝えたら、どうなるか。
レイン殿下はまさしく父様の理想とする結婚相手。これを機に王子の嫁の立場を狙えというのは間違いない。
しかし、これがアネッサならいざ知らず、何が悲しくて日陰でこっそり地味に生きようとしている私が、わざわざ目立つような真似をしなきゃいけないんだ。
玉の輿婚なんて、一回やったら十分。もうこりごりだ。
けれども、だ。
確かにあの夜、一晩を殿下と過ごした。正確には、おっかない令嬢たちから逃げてきた王子を渋々匿い、そこまでしたのに散々避けられ、挙句の果てに熱まで出した王子を看病してたら一夜が明けていた。
共に過ごしたというよりは、寝ている王子を成り行き上仕方なく看護してただけだ。そこには愛もくそもない。それは相手だって同じだっただろう。
私は物事を冷静に見られるので、あんなに自分に反発してくる相手を目の前にして、「これは愛情の裏返しなのね!ツンってやつね!」なぁんてスペシャル乙女思考にはならない。
それが――――――――――――どう解釈すればそうなるのか、誰か説明お願いします。
「舞踏会で目が合ったお前たちは、運命を感じた。そしてその夜部屋で落ち合い情熱的な夜を過ごした。だがお前は男爵家という身分である身の上を恥じ、殿下が目を覚ます前に名前も告げず姿を消したそうだな。だがシャナの事を忘れられなかった殿下が必死に探しだしようやく我が家に辿り着いた訳だ。いやこれはもう…」
ワインが回っているんだろう、ほんのり赤ら顔で饒舌に語る父。
いやいや、そんなことよりだ。
そもそも舞踏会で目が合った覚えはない。
情熱的な夜って、あの夜のどこがそんなニュアンスに当てはまる?むしろ殿下的には生死を賭けたサバイバルの方が近い。しかもそこに私は参加してないし。
名前を告げずに帰ったのは事実だけど、告げる必要もなかったし熟睡してたし告げてどうなる!
何これ、どこの国のおとぎ話デスカ?
ともかく、事実無根だし、これはスルーする訳にはいかない。
慌てて私は父様の台詞に割って入る。
「あ、あのさ、父様。ちょっと、いや多大なる、大いに誤解があるようなんだけど。その、私と殿下なんだけど、別にあの夜は何もない…どころか、それ、話の最初の時点で事実と違うんだけど」
が、もはや酔っ払いの口はとどまることを知らず。
「照れなくとも良いだろう!これはもう運命だ!良かったな、殿下は例え身分が違っていようとお前のことを愛しているんだと。必死で陛下と皇后を説得されたようだぞ」
「だからちょっと待ってってば、人の話を聞いて…」
「殿下の一歩も引かぬ決意にお二人とも折れたらしい。やはり最後には愛が勝つのだ!!父さんは嬉しいぞ、アネッサはともかく、お前は全く色恋沙汰に関心がなかったからな。このまま結婚もせず行き遅れになるんじゃないかと心配していたが杞憂だったようだな」
「ねぇだからさ、私の言い分…」
「これで我がコキニロ家も安泰だ。我が人生においてこんなにも目出たいことはない。よし、今夜は祝杯だ!!!!おい、屋敷の者たちを集めよ、宴会の準備を致せ!!」
「…っもう、だぁかぁらぁ、人の話を聞いてってば!!!!!」
だぁぁ―――、もうこの酔っぱらいが!
たまらず父様の手から酒瓶をむしり取る。
大体今夜は祝杯って、今の時点で飲んでるじゃないか。しかも既に出来上がってる。一体どんだけ呑むつもりなのよ、この赤ら顔は!
「?なんだ、そんなおっかない顔をして大声まで上げて」
「おっかないは余計よ!!大体父様が私の話を全然聞いてくれないからでしょう!?さっきから何回も喋ろうとしているのにことごとくスルーして」
思いがけず大声を出したら、予想以上に体力を消耗したらしい。しばらく私はぜーはーと息を切らす。
すー、はー、すー、はー。
うん、落ち着いた。
「…確かに、殿下とは同じ部屋であの夜過ごした。けど、別に何かあった訳じゃないんだけど。それどころかあの殿下、何が気に入らないのか人の事ずっと睨みつけてきたし、近付くなとか触るなとか始終そんな感じだったんだよ?」
「ふむ。…だが一緒にいたんだろう?」
「それは認める。でもただ同じ部屋にいただけよ。…私が寝てたら、あの王子がいきなり部屋に飛び込んできたの。なんか貴族の女性に追われてるみたいだったから匿っただけ。で、その後帰ろうとしたんだけど、殿下、とんでもない熱を出してね。放っておいたら本気で命を落としかねないくらい危険な様態だったから、看病してた。ただそれだけのことよ」
事実の歪曲、話の捏造もいいところだ。
「……だが、寝る間も惜しんで看病してくれたお前に、殿下が惚れたということではないのか?」
しかし、父様は尚も食いついてくる。よっぽど私と殿下を結婚させ…たいだろうなぁ、そりゃあもう熱烈に。
「はっ、惚れる、ねぇ?殿下が?私に?」
あれだけ全身全霊で拒否している相手に、たかだか看病されたくらいで結婚したいって思うものなの?殿方様というのは。
もし本当にそうだと百歩譲って仮に仮に仮定したとして。
色々プロセスぶっ飛ばしすぎだし、思考もぶっ飛びすぎてる。それともそんなに普段から優しくされたことがないのか?
まさか、相手はレイン殿下だ。そんなことあるはずがない。
「……ならば、なぜ殿下は……ディーゼル殿はそのような作り話をするんだ」
「そんなこと私が知るはずないじゃない」
本人に直接聞いてほしい。私が知りたいくらいだよ全く。私としてはいい迷惑だ。
「じゃあその話をディーゼル様は父様にするためにここまで来たの?」
「ああ、そうだ」
まさかまさか、アネッサとの付き合いでも正式に申し込みに来たのか、と思っていたんだけど違ったのか。
それには少しほっとした。あんなお金もあって地位もあって顔がよくて、でも女癖の悪い相手と結婚したら、アネッサはとても辛い思いをするのは目に見えてたから。
きっと彼女の精神ではその過酷な環境に耐えられない。
あの子は純粋だ。何の苦労も知らず育った箱入りのお嬢様。綺麗なお花畑でしか生きていけない妹。だからこそ、あの子にはいい相手を見つけて幸せになってもらいたいって思ってるから。
そういう男性は、夢見て遠くから眺めている方がきっと幸せだ。
「まぁそういう訳だからさ。父様、私はレイン様と結婚する気はないよ。多分あっちだってそうだと思う。何らかの情報の行き違いがあったんじゃない?だから早速ディーゼル様に、このこと、伝えて?今ならまだ間に合うでしょう?こんな虚実を広められるなんて、殿下の汚点にしかならないわけだし」
そう、どこかで話がねじ曲がったんだよきっと。
そう言うと私はこの話は一見落着とばかりに切ろうと思ったんだけど。
「いや、それは無理だ」
きっっっぱりと。お酒が回ってるとは思えないくらいはっきりとした口調で父様はそう言った。
「この話は、既にこの国の貴族たちにも回ってるそうだ。それから周辺諸国にもな」
「…………は???」
「そして、二月後にお前と殿下の結婚を祝う式典が行われる旨も、上級貴族の間ででは周知の事実になっているそうだぞ」
き、貴族たちに?その上、他国にまで?で、結婚式の日取りも決まってると??
「そんな状態で、これは何かの間違いだったみたいなので辞めます…だと言えるものか!そんなことになれば、我が一族は貴族たちの間でとんだ笑い者だ。それに、こうなってはいくら誤りだとなったところで、向こうも後に引けないだろう。話が大きくなっている今の状態ではな。という訳で、もう諦めろ」
「あ、諦めろって」
「いいじゃないか。相手はレイン殿下だぞ?男前だし、次期国王だ。お前はつまり、未来の王妃だ!何の不満がある?これ以上ふさわしい結婚相手はいないじゃないか」
そして父様は豪快に笑うと、私から奪い返したワインを瓶ごと一気に飲み干した。
―――――――――私の、この世界での夢。
結婚なんてできなくても構わない。私には父様から受け継いだ商売の才能がある。
だからそれを武器にこのコキニロ家を背負って、世界中を駆け回って……。
でも、コキニロ家の名をもっと広める、というのが私の最終的な夢ではない。もちろんそれも叶えたい願望の一つではあるけど。
本音を言えば、私の本当の夢はその先にある。世界を股にかけて駆け回って、もしもできることなら、私はもう一度―――――――――――――。
そう思って今まで生きてきたのに。
そんな私の、夢、が。
叶わない、だって……?
ううん、叶わないどころか、私はそれを追い求めることすら、許されないっていうの?
そんなの、そんなこと…………。
あってたまるか――――――――っ!!!
ふざけんじゃないわよ!諦めろだと!?諦めきれるか!?
なんだってそんな、前回と同じような境遇に立たされなきゃならないのよ!!しかも相手は、別に愛してもいない人。こんなの、前世より悪い。
いくら貴族に生まれたからっていっても、その身が政略結婚の道具として扱われるのが定めだとしても、何が悲しくて引く手数多のレイン殿下の元に嫁がないといけないの?しかも、どこでねじ曲がったかも分からない、法螺としか言いようがない話のせいで。
冗談じゃない、納得できるかバカヤロウ――――!!!
気付けば私はその場から飛び出していた。
乱暴に扉を開け放ち、スカートをまくり上げ、廊下を駆け抜ける。
やがて目的の場所に辿り着いた私は、そこにいた屋敷に仕えている少年から無理やり手綱を奪うと、先に出立したあの男を追いかけるべく勢いよく赤茶色の腹を蹴り上げた。