6.☆目覚めて思うことは…
・☆マークは、第三者の視点で書いています
2015年4月修正済み
まだ朝の早い時間帯。
一人の若き青年が、早足で石畳の廊下を突き進む。
やがて彼は、とある一つの部屋の前で止まった。一緒に来た兵士を外で待機させ、一人、中に入る。
ベッドの上にいたのは、確かに、紛れもなくレインだった。彼が無事なのを確認すると、青年はほっと安堵のため息をついた。
「全く…心配させやがって」
そう言って、レインのいる寝台の傍に椅子を引き寄せると、座る。
レインは寝台から体を起こし、いつもと変わらぬむっつり顔で頭を抱えていたが、訪問者の存在に気がつき顔を上げる。そしてそれが誰なのか認識した瞬間少しだけ表情を和らげ、男の名を呼んだ。
「ディー」
ディー、と呼ばれたこの青年。
本名はディーゼル・エルモ・クライシスと言う。
彼の属するクライシス家は、代々王の宰相を務める家系だ。そこの長子に当たるのが、このディーゼルという男だ。次期国王となるレインと、次の公爵家を担うディーゼルは歳も近く、幼い頃から一緒に育ってきたこともあり、心から腹を割って話せる間柄だった。ディーゼルの前では、レインも気を張ることなく自然体でいられる。
「屋敷には戻っていないし、まさかと思って最悪の事態を想定していたが…。まあ貞操は守られているようでなによりだ」
「ああ、無事だ。危なかったがな」
そう言うと、レインは弱弱しく笑った。
見たところ、色々と消耗しているものの外傷はないし、レイン自身も元気そうなので本当に良かった。
今回こそは駄目だったかも…と、心底心配していたディーゼルにとって、これは喜ばしきことである。
幼い時分から彼がいつか、彼自身の背負う過酷な運命に潰されるのでは…と毎回冷や冷やしながら見守って来て、この瞬間まで無事でいられるというのは、まさに奇跡としか言いようがない。
「…しかしお前のその体質も、厄介なもんだよな。男として、最初は羨ましいと思ったが、お前の状況を見てると常々可哀そうになってくる」
「正直お前ならもっとうまくやれるんじゃないかって思うさ。代わってほしいぐらいだ」
ディーゼルのその言葉に、レインは心底疲れ切った顔でそう呟いた。
この国を担う、次代の国王陛下。
圧倒的なカリスマ性と人々を虜にする美貌を持ち、民達から支持を集める若き王太子。
しかし彼は滅多に人々の前に姿を現さない。それには周囲にひた隠しにしているある理由があった。
幼い頃から、彼には人々を引き寄せる何かがあった。
それは、蝶が甘い蜜を求めて花に群がるかの如く。
一種のフェロモン体質である。それは特に、女性たちを引き寄せた。
そしてその力は、生まれてから今この瞬間まで遺憾なく発揮されているのだ。
彼の世話をするメイド、お抱えの使用人、遊びに来た貴族の令嬢達…一度王子に関わった女性たちは、そのほとんどが王子との時を重ねるごとに彼への愛情を強くし、結果、愛情に狂った女性たちの手によって彼の身は常に危険に晒されていた。
攫われそうになった事も、一度や二度ではない。恐ろしいことに、稀に男性にきくこともあった。
それがきかない女性は本当にごく稀で、血の繋がった実の母親や彼を取り上げ世話をした乳母。それから数人のメイドや使用人のみ。しかも、どの女性たちも全て、王子自身よりうんと年上の婦女子の方々ばかり。
つまりは、王子と年の近い若い女性たちは、皆、例外なく狂っていくのだ。
そんな訳で、何度か襲われたり怖い経験をしたことから王子はすっかり女性嫌い…女性恐怖症に陥ってしまったのだ。
原因は不明だ。医者にも診てもらったが、分からないという。
そういう体質なので諦めて下さいと、さじも投げられた。
だからといって、女性と全く関わらず生きていくというのは不可能な話だ。
まして彼は国を背負う国王となるべき存在。将来は誰かを妃として娶り、後継ぎを誕生させねばならないのだが、現実は厳しい。
長年その身に振りかかった女性関係の出来事のせいで、女性と触れただけでじんましんが出たり、下手をすると熱まで出る始末。そんな状態で、結婚なんてできるはずがない。
そしてそんな軟弱な自分も、レインは嫌だった。
「そういえば俺が抜けた後は…大丈夫だったのか?」
いくら社交場へ姿を現したくない、とはいっても、まさか自身の成人を祝う式に不参加を表明できるはずがない。
覚悟を決め、意を決して出たものの、ダンスに誘ってくる女性たちが、うっとりとした目で見てくる。それだけなら害はない。
踊っているうちに、それがだんだんエスカレートしてくる。わざとよろけたように王子にしだれかかり、つつーっと指で、胸をなぞってくる。気が付けば、尻を触ってくる大胆な娘もいた。そして彼女たちは耳元で囁く。『今夜、一晩一緒に過ごしませんか?』と。
限界だった。
体中に悪寒が走り、張り付けていたなけなしの笑顔は消え、体中にじんましんが走る。
体調不良を理由に、部屋へと退散した訳だ。
だが、彼と踊ろうと、多くの女性たちがあそこにはまだたくさんいた。自分勝手な理由で抜け出してしまったことも十分に理解しているレインは、それを心配してディーゼルに尋ねたのだが。
彼は満面の笑みでこう答えた。
「問題ない。俺がお前の代わりに相手をしたからな!」
王族には劣るものの、それを除く貴族の中では最上級に位置する公爵家だ。
おまけにディーゼルはまだ未婚で若く、レインとはまた違ったタイプの美形で精悍な男。その上女性好きで、扱いにはかなり慣れている。レインの代わりも十二分に務め上げることができるのだ。
…本当に、ディーゼルがこんな体質だったら、もっとうまく付き合っていけてるだろうに。そんなレインの本音も、あながち的外れではなかったりする。
「それで、今回は何があったんだ?お前確か、自分の部屋で休んでいたんだろう?それが何だってこんなところにいる」
「ああ、それは………」
話を振られたレインは、思い出すのも嫌なように渋い顔をする。だがそれでも、昨日起こった出来事を彼に話して聞かせた。
「部屋で休んでたら、突然あの、ザイモン家のご息女殿が乱入してきた」
「ザイモン…あのアムネシ嬢か。へぇ、見かけによらず情熱的だな」
思わず口笛を吹く幼馴染に、冗談じゃないとばかりに声を荒げた。
「あれは情熱なんて言葉で片付けられるものじゃない!…とにかく恐ろしかった。二人がかりで体を押さえつけられて、何やら怪しい液体を飲まされて。なんだか体に力が入らなくなっていくような気がした」
「薬か。外にいたあいつらからの話と合わせると、動きを封じる類のものか?」
「おそらくは。……まずい、これは本当に食われると思った…」
いつもなら見張りが当然ながらいる。
だが報告を受けたディーゼルが部屋へと足を向けると、兵士たちが床に倒れていた。外傷はなく目も開いてるが、体が動かないらしい。
気つけ薬を飲ませ、無理やり覚醒させ問い正すと、アムネシ嬢と思われる女性たちに襲い掛かられ、紫色の液体を流し込まれたと言っていた。
百戦錬磨の兵も、手の出しようがなかったのだろう。
相手は女性、しかも自分よりも遥かに非力で、ドレスを着た貴族のご令嬢。
その隙をついて攻撃してくるんだから、女というのは恐ろしい。それともレインの持つフェロモンが強すぎるというべきか。
「で、逃げてきたのか」
「ああ、そうだ」
「よく逃げ切れたな、薬を投与された状態で。それに、相手は割と諦めの悪いしつこそうな性格の女だろ?」
彼の言う通り。本来なら、絶対に捕まっていただろう。
自分一人なら。
「………死に物狂いで逃げたから。それで、適当に部屋を選んでここに入ったら、別の女がいた」
「それはそれは…。もしかして最悪の状況ってやつか?」
女性を引き寄せるフェロモン体質。追ってくる女性から逃げてきたのに、逃げ込んだ先に別の女がいるなんて、まさに絶体絶命、前門の虎後門の狼だ。
「もう終わったと思った。だが、その貴族の女が俺を匿ってくれた。舞踏会に呼ばれた女だろう。まだ若かったな」
「ふぅん」
「罠だと思った。前にも似たような状況があったからな」
「ああ、そう言えばあったな。なんだっけ、助けてやる代わりに結婚しろ的な話だったよな?」
そういう経験があったからこそ、素直にはその状況に甘んじられず、助けてもらったにも関わらず尚も抵抗してみせた。
しかし、いつになってもその女性は自分に何か仕掛けてくることはなかった。
「その後いつもの…いや、いつも以上に熱が出た。そこから先は意識が朦朧としてあんまり覚えていないが」
そこでいったん言葉を区切ると、レインは手に落ちた布切れをぼんやりと見つめ、小さく掠れた声で呟いた。
「誰かが、一晩中付きっきりで看病してくれていたようだ。朝になったらその女はもういなかったが、代わりにこれが体に貼られていた」
「なら、その女性がお前を匿い、看病までしてくれたと?」
「おそらく」
ある意味不幸な体質ゆえ、下心なしでレインの傍にいられる女性はほとんど今までいなかった。今回、その女性はレインに何も見返りを要求することなく、陽が昇ると同時に消えていた。
「……俺は酷いことをした。助けてもらったにも関わらず、ろくに礼も言わず、それどころかその存在自体を拒絶した」
まあこれまでの事から考えれば、そうなってしまうのも無理はない。しかし、レインは激しく後悔していた。
「せめて会って礼を言いたいが…名前すら聞けなかった」
「ふむ。…どんな女性だ?特徴は?」
「これといって特に目立ったところはなかった。なんというか、その、普通だ。顔立ちもその、特別な特徴は…。着ていたドレスもこれといって…。至ってシンプルなものだった」
「ふ~ん、普通、ねぇ?」
つまりは、目を見張るほどの美人でも、目を覆うほどの出で立ちでもなかったと。
そしてレインは、その女性に見覚えはないらしい。
爵位をもつ家柄の娘は、あまり社交界に顔を出さない王子だが、そこは王族としての義務として、ある程度の顔と情報は叩き込まれている。
それに該当しないということは、それほど位の高くはない貴族の出か。
なお且つ、レインを目の前にしてその気に呑まれなかった女性。
これはまた面白いことになってきた。
難しい顔つきを作る半面、内心は密かにほくそ笑むディーゼル。
「しかし、平凡で目立たない、おそらく爵位の低い貴族のご令嬢か。それだけで探せる…………。いや待てよ」
なにか思い出したのか、ディーゼルはポンと手を叩く。
「そういえば、昨日一人いたな。お前に興味を示さない、変わった女性が。いやぁ、普段ならその他大勢に紛れて絶対に見逃してるところだけど」
昨晩、会場で見かけたある一人の女性の事は、頭の隅にあった。なにせ、レインに全く興味が向かない女性というのは珍しい…どころか、あんな若い女性では初めてお目にかかったので、彼も記憶に残っていたのだ。
他の女性が軒並レインに熱い視線を送る中、壁際から微動だにせず、つまらなそうな表情で会場を見ていた少女。
確かに外見は……言っては悪いがパッとしなかった。身に着けていたものも地味。目立つ気がないんだろうと一目見て分かる着こなし方。
「髪は紅茶色。猫目がちな赤茶色の瞳。平均よりも身長は低いだろうな。ドレスは淡い黄色で、目立った装飾品はなし。全体的におとなしい、いやいや、むしろ若いのに老成していそうな印象の……こんな感じか?」
「お前という奴は相変わらず……」
彼の導き出した特徴は、まさにレインの出会った女性にぴたりと当てはまった。恐ろしい。女性の事となると神のごとき力を発揮する相棒は、ある意味頼もしすぎる。思わず苦笑がレインの口から漏れだすのも仕方がないだろう。
「とりあえず、大体話は分かった。大至急探させる」
「ああ、頼む」
「で、直接昨日のお礼を言うんだろう」
「勿論だ」
力強く、レインは頷いた。レインの幼馴染であり兄代わりでもあるディーゼルとしても、是非とも窮地を救ってくれた噂の女性に感謝の意を述べたいところだ。
「さて、それじゃあ善は急げってことで。早速人を手配させるよ。…あ、そう言えば、アムネシ嬢の処遇ははどうする?」
「……お前に任せる」
いくら襲われかけたとはいえ、相手は力ある公爵家の娘。下手に処罰はできない。しかしその返答も予想済みだったようで、ディーゼルは軽くウィンクして見せた。
「了解了解。じゃ、俺そろそろ行くわ。お前も早く自分の部屋に戻れよ。大分体調も良くなっただろう?」
「ああ、そうするさ」
その言葉を聞き、ディーゼルは手を軽くひらひらさせると、レインのいた部屋から出ていった。
外に控えていた兵たちにレインの部屋までの護衛を頼み、彼は一人、人気のない廊下を進む。
その顔には先ほどまでとは打って変わって邪悪な笑みが貼りついていた。
そして誰にも聞こえないであろう小さな声で、彼はぼそりと呟きを漏らした。
「いやぁ、なかなかに面白いことになって来たな。これは早速陛下にもご報告申し上げないと」
レインが自身の一番の側近に漏らした一言が、成り行きとはいえ彼を助けた目立ちたくない平凡な男爵令嬢と、そしてレイン自身の運命を変えることになろうとは、この時当事者二人は全く予想していなかったのだった。




