呼んでもないのに茶会に割り込んできた婚約者が婚約を破棄するなどと息巻いていますが、あの事はご存じで?
「お前との婚約破棄を考えている、ターニャ」
学園の中庭で友人たちと茶会をしている時だった。婚約関係の男が取り巻き達と割り込んで来て、そんなことを言ってきた。ニヤニヤとした表情の男と取り巻きたち。
「はぁ、そうですか」
私は構わずティーカップを持ち上げ、紅茶を味わう。
「この柑橘の風味、リーシャ様の言った通り確かに味わい深いクセになりますわね」
「え!? え、えぇ。私もその柑橘の風味が好きで……あの、ターニャ様……それより」
友人たちは突如現れた男たちに気が気でない様子。
あぁ、まったく。茶と菓子を嗜み、穏やかに優雅に過ごすこの時間。私にとって何よりも代え難い大切なひと時だというのにこの男は。
「おい、婚約が破棄されてもいいのか? まだ分からないのか、本気なんだよ、俺は!」
望んでいた展開と違ったのか、私の態度を見て机を叩き、急に声を荒げ出す婚約者の男。この頃はいつもこうだ、まさか今日は茶会にまで乗り込んでくるとは。
「リゲル様がそうしたいというなら私は一向に構いませんが」
あくまでとある事情で成り行きの縁談だけで決まった、形だけの婚約者。結婚したいとは砂粒ほども思わない程の思慮に欠けた男なので、正直本当にそうしてくれるのなら願ったりなったりなのだけれど。むしろなぜこんなに執着してくるのか。私の態度にリゲルは苛立ちを更に募らせていく。
「チッ! この前もそうだ、俺らの夜会に折角だからと呼んでやったのに来もしない」
リゲルと取り巻きたちは不快そうな表情を隠そうともしない。調べはワタシのツテでついている。この男の夜会とは、酒を浴びるように煽り、皿に口も付けず捨てるのは当たり前、しまいには外部から女を呼ぶといった夜会とは名ばかりの醜悪極まるどんちゃん騒ぎ。
「前日に言われましても。それに、先にご友人との予定が入ってる旨はお伝えしたはずですが」
「は? だからなんだ? お前が妻になるのなら、まず優先するべきは夫であるこの俺だろうが」
何言ってるんだろうコイツ。私の言ってることが心底理解できないといった風に当然の主張のように話すリゲル。そして、何を言ってるんだとばかりに視線を交わす取り巻きたち。
「はぁ。貴方たちはそれを本気で思っているんでしょうね」
「あぁ? チッ! そういうところが気に入らんのだお前は! 俺は公爵だぞ!? 侯爵家風情が、粛々と黙って付き従っていればいいものを! いつもいつも!」
苛立ちを更に募らせ、舌打ちの増えていくリゲル。鳥じゃあるまいし。
「本当に、おごりもここまでくれば考え者ですわね」
「優しくしていれば付け上がりやがって! ここまで言ってまだ状況が分かってないのか? いいか俺は」
「もちろん理解しています。婚約を破棄したいというならご勝手に。……まさかとは思いますが、婚約破棄とでも言えば私が焦り、従順になり言う事を聞かせられるとでも?」
「ッ!」
「浅い考えですわね」
「ッ、貴様ァ」
リゲルはわなわなと震え、顔を紅潮させる。図星の様だ。
私は紅茶を再び口に運ぶ。フルーティーで芳醇な香りが溢れる軽やかな味わいでとても心が躍る。だというのに、余計な邪魔が入ったせいで満足に紅茶も楽しめない、まったく。
「だとしても、お前の家から持ち掛けてきた婚約だ! 侯爵と公爵、立場はこちらが上なのだぞ! これが破断になれば困るのはお前だろう!」
「ええ、そうかもしれませんわね」
「なら! 黙って」
「それでは後日、日を改めて話し合いの場でも設けて話し合いましょう」
「は?」
「こんな公の場でする話ではありませんし、私に言いたいことがあるのならそこで。お互い、対等に話し合って今後のことを決めましょう。あぁ日取りの相談はこちらから手紙でお送りさせて頂きますので」
「フフ」
突如、リゲルはプツンと糸が切れたように顔を片手で覆い笑い出す。
「フフ、ハハハ! そうか、そちらがその気なら……くだらん婚約などこちらから狙い下げだ! 貴様と結婚など誰がするものか! 貴様との婚約の破棄をここに宣言する!!!」
そして、余程私の態度が気に入らなかったのか、激昂したリゲルは中庭全体に響く程の声量で破棄を宣言する。歓談したり、庭を通過したりと、話の内容を聞き流していた者でも否が応でも耳に入るほどの大音量。ざわめきが波のように広がりひそひそ声が広がっていく。
はぁ……どうしようもない男。それは一番取るべきではない選択だったというのに。
「あれってターニャ様とリゲル様か」
「元々、仲悪そうだったもんな。リゲル様も良くない話聞くし」
「でも、あの婚約って確か噂じゃ」
「ハハハ! はっ、今更止めてといっても遅いぞ! 衆人が証言だ! よもや、あらぬホラ話まで広がってしまうかもなぁ?」
ニィと下卑た笑みを浮かべるリゲルと同じくニヤニヤと笑う取り巻きたち。
この様子ではこの男たちはあの事を知らずにやっているのだろう。私はティーカップをソーサーに戻し、ため息をついた。
「ふぅ。……そういえば今回の婚約。何故私の家はそちらに持ち掛けたと思いますか?」
「そんなんもの知るか。どうせ我が家の威光に肖ろうなどというつまらん魂胆だろう。つまらない女の家らしいつまらない考えだ、所詮新興の成り上が」
「なるほど。では、この婚約が王命だということもご存じで?」
「……は?」
時が止まったかのように呆けたリゲルの顔。
「旧貴族派閥と近年我が国の産業の拡大によって生まれた新興の貴族派閥。軋轢をしばしば生むお互いの仲を取り保つべく王家から仰せつかったのが、代表家の跡継ぎたちの婚約。それが今回の婚約の成り行きです」
「そ、そんなでまかせを!」
先程まで、真っ赤に染まっていたのが嘘のようにリゲルの顔が青ざめていく。
「でまかせかどうかなぞ確認を取ってみればすぐに分かることでしょう? はぁ。まさか、本当に知らなかったとは。大方、婚約の話もろくに聞いていなかったのでしょうが」
「ぐっ! そんな、まさか、おい! 何でお前ら王命のことを言わなかった!」
冷や汗をかきつつ、震えた声でリゲルは取り巻きたちに呼びかける。
「い、いや! 知らねぇしそんなこと!」
「王命だって知ったらしてねぇよ! こんな」
この様子では本当に取り巻きを含め、誰も知らなかったのだろう。
「まぁまだ公には王命だということはそこまで伝播していませんが、それでなくたって今回の婚約はある程度国の事情を知っている者なら察することが出来るでしょう」
私は友人たちの方を見る。
「……まぁ、そうだろうな、と」
「いくら旧貴族の一つとはいえ、今では影響力もだいぶ落ちていますし。あまり婚約の利点もありませんから、ねぇ……」
「き、貴様……!」
察していたらしい友人たちは頷き合う。
「く、くそっ。こんなはずじゃ」
「あぁ、それとこちらから申し込んだのは、形式などといった理由であくまで最終的にこちらから申し込んだ形になったまでなので、悪しからず。まぁもうそんなことも関係はないでしょうが」
狼狽しただその場で立ちすくむリゲルに先程のような勢いはもうなく。
「まったく、王命を大した理由も無く自ら蹴るなど。王国に弓を引くおつもりで?」
「下らんことを言うな! そんなわけがないだろう! じょ、冗」
「冗談、などといいませんわよね。それこそ王命を軽んじられている何よりの証左に違いないでしょう? 王家が直々に動くかもしれませんね」
「ぐぅ、そんな荒唐無稽な、言い分が成立するか! 王家なぞ精々、今回の件で……あっ」
どうやら、この先の展開について察しが付いたらしいが。
「えぇ、そう今回の件で今回の婚約の顛末に至るまでの王家による軽い聞き取りと身辺の調査があるぐらい、ですわね。王家も余程の理由でない限りは今回の婚約も諦めたくはないでしょうし。問題はありませんわね。お互い、そんなに国にバレたら困るような薄暗いことをしているわけでもなしに……ねぇ?」
既に後の祭りだ。私は涼やかに微笑む。
「ッ! く、クソッ……!」
顔面蒼白のリゲルは取り巻きたちも放り、逃げるようにどこかへ走り去っていく。
「お、おい!」
「お、俺は関係ないからな!」
そして、リゲルを追いかけたり一目散に逃げたりと、蜘蛛の子を散らすように散り散りになっていく取り巻きたち。
それを見て事の成り行きを見ていた学園の生徒たちも、口々に喋りながら場を後にする。
さて、冷めてしまったけれど紅茶もまだあるし菓子も……そう思ったところで鐘の音が中庭に響く。それは、昼休みの終了を知らせるチャイム。あぁ、もうつまらない茶々が入ったせいで……。
「はぁ。どうやらお開きの時間の様ですわね。わたくしのせいでせっかくのお茶会が」
「いえ、そんな!」
「そうです、私見ていてスッキリしました! 前からあの人、身分を鼻に掛けて学園で平民出身の方をいじめたりやりたい放題だったので! 楽しかったです、お茶会ならまた開きましょう!」
「え、えぇ。そうですねアナベル様。それではまたの機会にということで」
どうやら想定とは違うお茶会の楽しみ方をしていたらしい友人の一人。楽しんでくれたのなら何よりだけれど……。
そうして、その日はお茶会は終わり。
数週間後。昼休み、再び、私は友人たちと学園の中庭で茶会を開いていた。
「あら、確かにこのクッキー、紅茶とよく合いますわね」
「ふふ、そうでしょう。最近王都で有名らしく」
緩やかな時間が流れていく。
「そういえばリゲル様、最近お見かけしませんわね」
「確かに、取り巻きたちも……あの件以降、学園に居づらくなったのでしょうけど」
「あぁ、そうそう。聞きましたわターニャ様。なんでもリゲル様との婚約は公式で白紙になったのだとか。良かったですわね。あのような男と婚約などと考えるだけで……!」
プリプリと怒る友人。
「えぇ。これで肩の荷が下りますわ」
そう、あの男と婚約は破棄になった。あの後、成り行きを知ったらしい屋敷にわざわざリゲルの両親も揃って押しかけて現れた。今回の一件で相当にご立腹だった両親がこちらで応対すると言ったので後でこっそりそーっと少しだけ応対している部屋を覗いたが、ご両親はこちらが気まずくなる程、青ざめた顔で意気消沈しており。リゲルと言えば。
「ですが、あれはほんの冗談で」「黙れ! 話しに聞けば、くだらん夜会などまで。お前というのは本当に何をやってくれるのだ……!」
などと、相も変わらずで。
「本当に、婚約したいと思ったのです。一目見た時から美しいと……」「何を言っても事実は変わらんよ。娘の意向と同様、当家は婚約の破棄を受け入れる」
とおべっかも父に一蹴される始末だった。案外、本当にそう思っていたのかもしれないけれど。もう終わったこと。
その数日後、監査員が来訪し、内容も多少の聞き取りと事実確認のみですぐに終わり。しばらく日が経った後。王家から手紙が来た。
内容は婚約破棄の成立、しかもそれは王家直々に取り下げで謝罪付きと来た。リゲルには問題があったので婚約破棄は成立しこちらにお咎めは無し、今回の件については改めて王家から説明と謝罪の場を……という事らしいが別に私にとってはどうでもいいことだし、王家直々なぞ肩ひじを張るし、正直行くのも面倒だ。
めっきり話を聞かなくなったリゲルがどこで何をしているかは私も知らない。問題があったということは判明しているし、何があったかは想像に難くないが……。説明の場で教えてくれるのだろうが、いや、やっぱり面倒。
「でも、婚約となったときもターニャ様は冷静で居られましたわよね。もしかしてターニャ様は今回の件についてこうなると初めから」
「ふふ、まさか。それより、この桃の紅茶。中々癖になる味わいですわね」
「最近見つけて、あっ、ターニャ様。次は私が紅茶を入れてみても?」
「あら、勿論構いませんわよ」
「最近、侍女と共に特訓をしていて、見ていてくださいね……」
私はゆっくりと茶を飲み、菓子を口に運ぶ。うん、これも中々。日常は再びあっさりと戻り、美味しい茶と菓子、そして友人たちと共に今日も穏やかに茶会は進む。




