1-3.王女様は魔導書と出会う
夜。
「疲れた」
「はい」
「つーかーれーたー」
母親との対面でのお話。
領主としてちゃんと仕事はできているか、困った事は無いか――食事の好き嫌いは無いか、メイド達を困らせてないか――。
そんな王族としての会話もあれば、親子としての会話もある。
しかし、母は――いや親兄弟の誰もがアイラと同じ屋敷で泊まろうとはしない。
「明日は公務以外のご予定はありませんが、よろしいですか?」
「……行く」
リーシャがこの言い方をする日は、決まってあの日だとアイラは認識している。
「ダンジョン探索。今日で終わりにするわよ」
「お供いたします」
アイラは昼間と同じように、両手を広げて待つ。
リーシャの手により煌びやかなドレスを脱ぎ、まずは簡素な麻の服へ。
さらにその上から、冒険者が聞けば目をひん剥いて驚きそうな値段の魔法の繊維で織られたローブを着る。
動きやすい様にスカートではなく7分丈のズボン。
流れるような金髪は頭の上でくくりサイドテールに。
「じゃあいつものように、人払いよろしく」
「かしこまりました」
◇
今宵、アイラが挑むダンジョン――。
それはある日の事だった。
屋敷で働くメイドが、この屋敷の地下倉庫を掃除していた時――突然床の一部分が崩落したのだ。
執事のセバスチャンとリーシャが簡単な調査を行った結果、かなり古い時代から存在する遺跡だと分かった。
恐らくは長い年月で入り口が塞がってしまい、その上に屋敷が建った為に誰も出入り出来ず――偶然、通路の天井が崩落したという訳だろうと結論となった。
悪い魔力の流れは感じないので、ひとまず入り口を封鎖を命じたのが半年ほど前。
そこからちょくちょくアイラは、リーシャを伴って調査という名前の、ちょっとした冒険を楽しんでいるのだ。
「モンスターとか出てこないのはマイナスよね」
「もし出てきたら今頃屋敷の中へモンスターが溢れだしますよ」
ダンジョンと呼んではいるが、ここは本当のダンジョンでは無い。
言うなれば、ただの遺跡だ。
天然のダンジョンとは。自然の魔力により、洞窟や遺跡などの構造物が意思のようなモノを持ち、モンスターを生み出し、放置していればいずれダンジョンの出入り口からモンスターがあふれ出す非常に危ない代物なのだ。
「今日までマッピングもしてきたけど、本当にただ複雑な迷路って感じよね。罠すら無いし」
そのマッピングも全部リーシャ頼みだ。
アイラの装備はランタンと練習用の杖のみ――これも魔術を使えないアイラにとっては、棍棒の代わりでしかない。
一応隊列としてアイラが前。リーシャが後ろだ。
「わたしは非常に助かりますけどね――アイラ様がやっかいな罠に引っかかろうモノなら、すぐにでも」
「助けてくれる?」
「見て見ぬ振りをして、入り口を厳重に封印して帰ります」
「……主君に忠誠を誓うメイドとしてそれはどうなの」
「――はて」
「後ろ見ても誰も居ないわよ。アナタの事よ、リーシャ!」
「それは大変失礼しました。忠誠などという、よく分からないステータスなんて持ち合わせていないもので」
「まぁ、アナタはそっちの方がらしいけど……」
「アイラ様。次は右へ」
「右ね――確か、3日前に1番奥まで辿り着いたのよね」
「次は左です」
「左ね――1日ずっと屋敷を空ける訳にはいかないし、あの扉の向こう側に危険が無いのが分かれば……」
「そこはまっすぐです」
「……しばらくは、秘密の訓練場として使ってやろうかしら――それとも拡張して、秘密の抜け穴として使うのもアリよね……」
「突き当りを右です。さらに、そこでクルっと回ってワンして下さい。」
「――やらないわよ?」
「……」
そんなやり取りも飽きてきた頃、ついに2人は最奥へと辿り着いた。
目の前にあるのは2人が肩車したとしてもまだ足りない高さの、とても頑丈そうな、少し錆びた金属製の両開きの扉。
しかし数百年以上は経過してそうなこの遺跡で、その堂々たる扉がこの程度の腐食で済んでいたのに、アイラは驚きと興奮を隠せない。
「いつ見ても凄いわね!」
「魔力加工された金属のようですね……しかし、開ければどのような危険があるかは分かりません」
「そうね」
「それでは、アイラ様どうぞ」
「……」
リーシャのそんな物言いに慣れっこのアイラは、まず扉を調べる事にした。
ランタンを扉へと近づけ、鍵穴などが無い事を確認する。
当然、開閉用のレバーやボタンも無い。
変な所があるとすれば、見覚えのある紋章が描かれた1枚の石畳。
ちょうど扉の真ん前だ。
「これは、ヨーベルト家の紋章よね」
「少し形が違いますが、概ねそうですね」
ヨーベルト=サモン王家の紋章は2本の“剣”を十字に交差させ、2対の花と蔓が円を描くような形をしている。
対してここに描かれた紋章は“杖”と“剣”が1本ずつ十字に交差。2対の花と蔓が円を描いている。
「よく分からないけど、王家に由来する遺跡なのかしら。だとすれば、ここに私が乗れば仕掛けが作動しそうね」
「アイラ様――」
リーシャはその氷のような顔を歪め、その場に跪いて首を垂れた。
「悔しいですが、わたしでは力になれなさそうで申し訳ございません!」
「最初からそのつもりは無いクセに」
「ありますよ。小指の爪のカケラほどには」
「はいはい。じゃあ、なんかあったらそのカケラさんに期待しましょうかね」
アイラはため息交じりに、その石畳の上に乗った。
…………ガガッ――ゴゴゴゴッ。
少しの間を置き、仕掛けは作動した。
鋼鉄の扉は静かに、重い音と共に奥へと開かれた。
身構えていた2人だったが、特にモンスターの類は飛び出して来なかった。
部屋の中は、まるで時が止まっていたかのように重い闇が広がり――しかし、やはり魔力を感じない。
そんな事に違和感を覚えつつも、2人は部屋の中へと入った――いや、リーシャはギリ外に居たが。
「アイラ様……」
リーシャが指差す先にあるのは、ランタンによって照らされた1冊の本だった。
壁に1冊分の窪みがあり、そこへピッタリとハマっている。
表紙は大理石のように白く、中央に赤黒い宝石――特徴と言えばそのくらいだ。
「……なによ。この本しか無い訳? もっと財宝とかそんなのあるって期待したのに」
「そこらの床に、何か落ちていませんか?」
「はい?」
リーシャにそう言われ、アイラが床に視線を落とすと――確かにそこには、呪文の描かれた札が落ちていた。それも何枚も。
ついでにボロボロな雑巾のような布切れも落ちていた。
アイラが振り返ると――どうやらこのお札はドアの内側から貼られていたようだ。
「推測するに――これ内側から封印掛けてたのかしら」
「それはこの本を護る為……でしょうか」
「でしょうね……ヘタしたら、財宝なんかよりよっぽど貴重かもね」
アイラは白い本を手に取り、表裏をチェックする。
「……アイラ様。もう手に取られているのですね」
「うん」
「もしそんなに大切なモノなら、誰かに渡るくらいなら遺跡ごと崩して――みたいな罠がある可能性もあったんですけどね……」
「…………うんまぁ、なんとも無いみたいだし」
危険が無いと分かったのか、リーシャはスタスタと歩いて入って来た。
その様子に苦笑しつつ、アイラは白い本を開いてみようとするが――開かない。
「ふん――はっ――ひゃっ――あんっ――」
上のメイド達には決して見せられないような表情で、渾身の力で開こうとするが――。
「ぷはっ――全然開かないわ。どうなってるのかしら」
『バカヤロー。そんなの鍵掛かってるに決まってるだろ』
「確かに。ただの本じゃないみたいだし、特殊な魔術で鍵掛けてる可能性は高いわね」
『ただの本な訳あるか! 俺様は、最強の術が記された最高峰の、伝説の魔導書だぞ!』
「伝説の魔導書!? それは聞き捨てならないわね……」
「あの、アイラ様――?」
普段のクールな表情とは違い、少し困惑したような顔でオズオズと手を挙げた。
「何?」
「気でも触れましたか?」
気心許した仲とはいえ、あんまりな物言いである。
「いきなり無礼なのはいつもの事だけど、何よ」
「いや、まるで誰かと喋り出したかのように見えまして……」
「…………え」
そこでアイラは、自分が誰かが自然に会話している事に気付いた。
そしてその相手は、当然リーシャではない。
『おいガキッ!』
声は確かに――この本から聞こえてくる。
アイラは恐る恐る表紙を向けると――宝石だと思っていた部分は、人間の瞳のように瞬きをしていた。
『俺様の名はソロ。かの大魔導師ソロ=モーモン様だ。丁重に扱え!』
その言葉を聞き、アイラは思わず、
「気持ち悪ッ!?」
と言って、床に本を勢いよく投げ捨てたのだった。




