5-1.突然の婚約
アイラ=ヨーベルト=サモン。
エルギアン王国にある辺境の地を治めるうら若き領主。
領民に愛され、使用人達に慕われ、そして天命に選ばれた。
そんなアイラの屋敷が近所にあるアムダの町。
田舎にしてはしっかりとした町造りがなされ、国の方々から一目アイラを見ようとやってくる者達も居るということで宿泊施設や酒場なども充実している。
ここには冒険者ギルドもある。所属している半数以上は猟師など、他の職業と兼業している人間が多い。
この町の近くには牧場や農場もあり、住民達はその牧歌的な暮らしを謳歌している。
しかしそんなのんびりとした雰囲気の町では、ある噂が流れていた。
「お前知ってるか?」
「何をだよ」
「なんでもギルベルト侯爵様がお見えになったらしいぞ」
「えっ!? あの王家の懐刀と言われてる!?」
「この間なんか、5台くらいのでっかい黒い馬車で大通り走っててさ。ギルベルト家の紋章入りの」
「うわー見たかったなー」
「さっきアイラ様の屋敷の方へ行ったけど……こんな田舎までわざわざやってくるなんて、さすがだなぁ」
などと呑気な会話が町の至る場所でされる中――。
◇
陽気な日差しが小窓から漏れ出し、その壁に掛けられた肖像画を照らす。
「いや素晴らしい画ですな。躍動感に溢れ、今にも動き出しそうです」
「侯爵様にそう言って頂いて、画家の方も喜びますわ」
屋敷の貴賓室にて、ギルベルト侯爵の対応をするアイラ。
後ろにはリーシャ他数名のメイドと、執事のセバスチャンが待機している。
ギルベルト侯爵は、立派な白いヒゲをたくわえた老紳士だ。
髪は銀に近い白色で、後ろへなでつけられ、年齢を重ねてもなお崩れない気品がそこに漂っている。
もう65歳だというのに背筋は驚くほどまっすぐで、深いしわを刻んだ顔立ちすら、不思議と威厳という名の装飾に見えた。
上等な仕立てのコートを羽織り、胸元には家紋を刻んだ古い魔力懐中時計がさりげなく光る。
「それで今日はどうなさったのですか。この間は、日を改めるとおっしゃってた件ですか?」
彼は代々王家に仕えた一族で、政治における重要な局面における助言から、治水や道敷設の都市計画に関わったりと、幅広いサポートを行っている。
最近では家督を息子に継がせ、自身は貴族のみならず使用人や国民の個人的な悩みを聞いたり、孤児院の開設や運営など、国を裏方として支えているとの話だ。
この間はグレンデル第3王子と共にやってきたのだが、その数週間後――正式に訪問するという書面を送って来たのだ。
よほど重要な案件に違いないと、アイラは気を引き締める。
「そうです。この間は慌ただしかったですからね――しかしアイラ様は、ますますお美しくなられましたな。まるで若い頃の王妃様のようです」
「あらお上手ですわね」
「いえいえ――それで用件というのは他でもありません」
ほら来たと、アイラは身構える。
しかしそんな事をおくびにもださず、紅茶の入ったティーカップを持ち上げる。
カップの水面には、一切の波紋もない。
「我が家の長男をアイラ様の婿として……つまるところ、婚約者としてご推薦したいのです」
「……まぁ」
めっちゃくちゃ波紋が出たが、それも一瞬の事だ。
一口だけ飲んでからカップをソーサーへと置き、正面へと向く。
「お詳しくお聞かせ下さいますか?」
「お恥ずかしい話ですが、息子は今年で36歳。家督を継がせたものの、未だ独身なのです」
ちなみにこの国では男子は15歳、女子は18歳で成人と定義されている。
庶民ならいざ知らず、貴族であるならばお家の為に成人前から婚約を決める事は珍しくなく――家同士の結びつきが強いのなら生まれる前から決まっている事すらある。
「侯爵家の嫡男ともなれば、お見合いのお話もありそうですが……」
「ええ。ただ本人へ縁談の話を持ち出すと――その昔、舞踏会で一緒に踊ったアイラ様に一目惚れしたと言っていて」
「まぁ」
いつだ。
アイラの記憶では9歳まで王都で暮らしていたが、こちらに来てからは舞踏会などの王都で催されるイベントには一切参加していない。
そうなれば、このギルベルト侯爵の息子とやらは30歳にして9歳のアイラに惚れ込んだという訳だ。
(そいつはヤベー奴だな)
どこで聞いてたのか、ソロが頭の中へちゃちゃを入れてくる。
「もちろんアイラ様がお相手なんて恐れ多いと思い、ひとまず御父上……国王様に相談したのですが……」
「お父様は、なんと……?」
「それが、この手紙でございます」
ギルベルト侯爵が懐から取り出した手紙を、傍に居たメイドに渡す。
メイドはリーシャに手渡し、軽くチェックだけしてからアイラへと渡される。
「拝見いたします」
高級な羊皮紙で出来た一通の手紙。
家紋の印は、確かに王家のモノ。
リーシャに再び渡し、小さいナイフで封を切る。
そしてもう1度、こちらへ手渡された。
「……」
手紙は、非常に簡潔であった。
時候の挨拶などもなく、素気の無い文体でこう書かれていた。
“親愛なる我が娘、アイラ第2王女よ。ギルベルト侯爵の嫡男であるオーラン殿との婚約を認める。我が王家の新たな門出の為、謹んで受けるように。以上”
「……国王様はなんと」
「オーラン殿との婚約をお認めになると――」
「おお! それは嬉しい限りです。息子も喜ぶ事でしょう」
侯爵は感激のあまり涙し、取り出したハンカチで目じりを拭うのだが――。
アイラも泣きたい気分だった。




