王女様の記憶 1欠片目
それはアイラが4歳の記憶。
小さい頃から賢く、この頃には童話だけでなく英雄譚も読むようになった。
夜には王妃のベッドへ潜り込み、一緒に読み聞かせて貰うのが日課だったくらいだ。
「勇者様は、悪い魔族との戦いに立ち向かっていくのでした――」
「おかあさま! つぎは? つぎのおはなしは?」
「もう遅いわ。明日はアイラも早いのよ」
「えー」
そんな微笑ましい親娘の会話も、この日までだった。
当時9歳だった第1王女であるアンジェラは生まれながらの魔術の天才。
基幹、初級、中級、上級、最上級、特級――と階級のある魔術の中でも既に上級まで扱えるほどの腕前を持ち、当時の宮廷魔導師からは、
『きっと大魔導師ソロ様の御生まれ変わりに違いありません!』
と、太鼓判を押されるくらいだ。
国王もその報告を大層満足して聞き、宮廷魔術師や他の貴族達の進言もある魔法学校への編入が決まった。
であるならばその妹である第2王女アイラもまた、類まれなる才能を持っているはずだと期待された。
ある日、城にある訓練場での出来事だった――。
当時から宮廷魔導師だったマジカ先生。
まだ顔のシワが少なく、背筋もよりまっすぐだった。
卸したての白いローブを着て、ウキウキなアイラは父親達の前で、グルっと回って見せる。
「どー? おとうさま! おかあさま!」
「よく似合ってるぞ」
「えぇ。本当に」
「アイラ、お兄ちゃん達にもよく見せてくれ」
そんな和やかなやり取りの後、ついにその時がやってきた。
まずは魔術の適正を見る為、簡単な魔術を使って見せる日だ。
「ではこの杖を持ち、私に続けてこう唱えて下さい」
「はいっ!」
愛くるしい笑顔で笑うアイラを、両親とお兄様達は朗らかに見て下さっていた。
「“炎を持て、汝は力なり。燃え盛る赤き力なり。発動せよ”」
「“ほおーをもて、なんじはちからなり。もえさかるあかきちからなり? はつどーせよ”」
「フレイム!」
「ふれいむ!」
マジカ先生の杖から炎の弾が発射され、目の前のワラ人形を焼き尽くす。
そしてアイラの杖からは――何も出なかった。
炎どころか火の粉さえ。
「これは、どういう事ですかなマジカ殿」
少し焦ったように立ち上がる国王。
マジカ先生もその様子に少し慌てるように、アイラへ催促した。
「――アイラ様。もう1度やってみましょう」
言われるがままにアイラは呪文を唱える。
しかし――。
「ふれいむ!」
やはり魔術は発動しなかった――。
「でないねーせんせー」
「……つまりは、そういう事ですね先生」
見学していた王妃は沈鬱した表情で、声を震わせた。
他の兄弟達も、思わず顔を見合わせている。
「はい。魔力量は充分すぎるほどあります……しかし魔術は発動する片鱗すら見せない――100年に1人の割合で生まれるとされる、魔術回路の欠損児です」
「ああ……」
これが庶民であるなら問題にはならない。
しかし魔術師は、貴族や王族の中でも上位に位置する特権職業である。
特に上流階級の女には必須ともいえる。
男は剣を、女は魔術を――。
もちろん男でも魔術を扱える事は問題視されないし、女でも(品が無いと揶揄される事はあっても)剣術が出来て悪い事でない。
だがそれも、どちらも出来て初めて認められるモノだ。
「王族にそのような子供が居ると外に漏れてはならん。マジカ殿も、そしてお前達もいいな。この事は、決して漏らすな」
「かしこまりました」
「分かりました、父上」
しかしそんなやり取りも、まだ4歳であるアイラには理解できなかった。
「せんせー。次はどんな呪文おしえてくれるのー?」
◇
しかし人の噂に戸は立てられない。
どこから聞いたのか、誰から聞いたのか――。
たちまち城の使用人達の間では、既に知らぬ者は居ないくらいになった。
“アイラ第2王女様は、魔術を使える才が無い”のだと――。
その噂はついに、5歳となったアイラの耳にまで入るようになった。
ある日、家庭教師の先生に聞いてみた。
「せんせい……アイラは、マジュツ使えないの?」
城勤めをしている王族付きの家庭教師であった初老の男は、大層驚いていた。
「だ、誰に聞いたんですか……」
「……メイドさんが話してるの聞いて……」
「いいですかアイラ様。私の口からは、その事は告げる事ができないのです……どうしてもとおっしゃるなら、御父上様に聞いて下され――申し訳ございません」
その場で床に伏して謝る彼に、アイラは掛ける言葉が出なかった。
故にその日の夜――アイラは父親である国王に謁見を申し入れたのだ。
「久しいなアイラよ」
「おとうさま、今日もごきげんうるわしゅうございます……」
親娘であっても、おいそれと会えるものではない。
親娘であっても、王族としての礼儀というものがある。
アイラは魔術が使えなくとも、頭の良い子であった。
「あの、おとうさま。みんなが、アイラはマジュツがつかえない。だからいずれ、おとうさまにすてられるんだって……」
「誰もお前を見捨てはしないさ……」
「ほんと!?」
「ああ――して、アイラよ。1つ試しに何か使って見ては貰えぬか」
「え……?」
傍に控えていた国王専属の使用人が、練習用の杖をアイラに渡してきた。
「今一つ、ワシは信じられぬのだ。我が子が、本当に魔術を使えぬと――実は子供のイタズラであってのではないかと……今でも夢であって欲しいと思っている」
「お、おとうさま……?」
「なんでもいい。中級でも、初級でも……なんなら基幹魔術でもいい。やってみなさい」
アイラは父の、国王の顔が見えなくなっていた。
声色こそは優しい声なのだが、その顔は黒く塗りつぶされた――まるで仮面だ。
震える小さな手で、杖を握った。
そしてそのまま壁へと向かって、呪文を唱える――。
「ほ、ほのおを持て、汝は力なり、もえさかる力なり、発動せよ――フレイムッ!」
結果は、あの時と変わらない。
火の粉もなく、煙すら立たず、魔術反応が一切起きない。
「お前は魔術の才が、とんと無いのだな――姉は、もうお前の歳で上級魔法が使えたぞ!!」
「陛下!」
「きゃっ」
傍に飾ってあった花瓶を投げ落とし、国王は激昂する。
思わずメイドが止めに入るほど、前に乗り出していた。
子供であるアイラには、その豹変ぶりがたまらく恐ろしかった。
「……もう下がれ」
「は、はい……もうしわけ、ございませんでした……」
一礼し、杖をその場に置き、アイラは謁見の間を後にした。
背後から聞こえる国王のすすり泣く声が――いつまでもアイラの耳へと残っていた。
◇
新月故に、普段は目立たない星達が満天に広がる真夜中。
自室から抜け出し、中庭の芝生の上で寝っ転がっていたら、1人の少女が声を掛けてきた。
「あらあら、アイラじゃないの」
「アンジェラお姉さま」
波のように流れるようなクセのある金の髪。
城の者達からは「人懐っこい笑顔がよく似合う」と言われ、ほんのり散ったソバカスがまた愛嬌を添えていて、少したれ気味の瞳が柔らかな印象を決定づけていた。
彼女は魔法学校の特待生にしか着る事を許されない特徴的な模様の入った紺色のローブを身に纏っていた。
「研究室に入れて貰えるようになってねー。しばらくお城には戻らないから顔を見に来たんだけど……どうしたの? お腹痛い?」
「お姉さま」
アイラはアンジェラのお腹に飛びつく様に抱き着き、顔を埋めた。
「アイラ、いらない子なのかなぁ――お父様にきらわれちゃったよ……」
「もしかしてあの件か……知っちゃったんだねぇ」
「やっぱり、お姉さまも知ってるの? アイラがマジュツ使えないって」
「そりゃまぁね……アイラ。辛かったねぇ」
「ぐすっ……お姉さま!」
いつも優しく、慈しむように頭を撫でてくれるアンジェラの事を、アイラは凄く慕っていた。
自分には出来ない魔術を、なんでも使いこなせる凄い人。
それでいて、自分を嫌わない優しい人。
「よしよし……でも魔術使えないなんて、これから大変だよホント」
「どうしたらいいかな。アイラ、マジュツ使いたい――お父様にきらわれたくない……」
「うーん。アタシも気になって学校の図書館で調べたりはしたんだけど、なにぶん100年に1人くらいしか前例が無いし、ほとんど分かんなかったんだよね」
「そっか……お姉さまでも分からないんだ……ぐすっ」
「と思うじゃん?」
イタズラっぽく笑うアンジェラは、アイラにとってまさに救世主。おとぎ話の勇者様のように映った。
ザザッ――。
「実はねー、いい方法を考えてて……今からちょっと時間ある?」
「うん」
「よし。それじゃあ――今からピクニックに行こうか」
アンジェラに手を引かれ、アイラは何も疑問に思う事も無く――その後をついていった。
ザザザッ――。
『おっとこれ以上は気付かれるな』
◇
暗闇の中、魔導書のソロはそっと――就寝中のアイラから離れた。
「すー、すー……すぴー」
呑気な寝息を立てながら、アイラは間抜けな顔を晒しながら寝ていた。
ここにはソロしか居ないので、問題はないだろうが。
『やれやれ……嬢ちゃんもまぁハードな人生送ってるようだが……』
ソロはアイラの周囲を飛びながら、思案する。
『昔から魔術が使えないのは本当のようだが、あの異常な魔力回復速度の説明がつかねぇ――』
再びアイラの枕元に降り立ち、ベッドで横になる。
『またどっかで、記憶覗かせて貰うかな』
「うーん――ササキ、それ寝取られって言わないわよ――」
『なんて夢見てんだコイツ』
口は無いが、そう嘆息しつつも――ソロは静かに、瞳を綴じるのであった。




