4-1.ピンチだけど問題なしですわ
アイラ=ヨーベルト=サモン。
エルギアン王国の第2王女。10歳という異例の若さで辺境の領主へと就任。
それを記念して、元々古代の城の跡地があったとされる小高い丘へ、領主の屋敷が建てられた。
この屋敷には、従者であるリーシャの他にも多くの者が働いている。
まず使用人代表である執事のセバスチャン。
暇な時は庭師を兼任している。
エドワード親方。
ドワーフの職人で、屋敷の修繕から包丁の制作や研ぎなどなんでも出来る。
無残に破壊された馬車も、親方がすぐに直してくれた。
メイドが6人。
王都から連れて来たのは2人ほどで、後はこっちの現地で雇っている。20代から50代までの女性達だ。
あとは門番の王国兵が6名ほど。
昼と夜交互の勤務体制で、さらに人員も1年ほどで入れ替わる為、アイラも詳しく顔と名前を憶えていない。
そして、屋敷の厨房を預かる料理人。
名をメニッシュというのだが――。
◇
「えっ、メニッシュが風邪を引いたですって?」
午前。
朝から執務室で公務を行っていた時に、リーシャからそう報告を受けたアイラは驚き思わず手が止まる。
「はい。アムダにある実家で療養を行うとの事です」
「そう……彼はいつも美味しい料理を作ってくれるしけど、働き詰めだったし……これは良い機会だわ。しっかりと休んで貰って頂戴」
「セバスチャンさんに頼んで、そのようにお伝えしておきます」
この屋敷の厨房の代表料理人であるメニッシュ。
基本的に仕込み(野菜の皮むきや、お肉の筋取りなど)は、メイドやセバスチャンでも手伝いはできるのだが――料理そのものは全部メニッシュの手により行われる。
元々は宮廷料理人の1人なのだが、家庭の事情で故郷へと帰省せざるを得なかった。その故郷こそが、このアムダだった訳だ。
なので、偶然こちらで再会した時に――アイラが頼み込んで、再び調理場に立って貰ったのだった。
「しかしそうなると、みんなの食事よね。美味しい料理は活力を与えてくれるわ……」
「それに関してはご安心を。セバスチャンさんや他メイド達が順番に厨房へ立つようになってますので――ただ、心配なのは……」
いつもストレートに言葉を伝えてくるリーシャが、珍しく言い淀む。
「何か心配事?」
「まず他の皆が、アイラ様のご食事を心配してますが……適当に好物のフルーツケーキ買って食わせとけば良いと思いましたので、その都度わたしが買って来ます」
「……さすがの私も、毎食ケーキは食べられないわよ」
「ワガママですね。仕方がありません……特別にチーズケーキも付けましょう」
「人の話聞いてた?」
コンコン――と執務室の扉がノックされる。
「セバスチャンです。アイラ様、少々よろしいでしょうか」
いつ聞いても渋く深みのある紅茶のような声だ。
「えぇ。どうしたの?」
「メニッシュの件は、リーシャより聞いてますでしょうか」
「今しがた聞きました。それがどうしたの?」
「実は……第3王子のグレンデル殿下よりお手紙が届きまして……緊急の件と聞き、先に中身をあらためさせて頂きました」
この屋敷に届く手紙や荷物は全て、リーシャかセバスチャンの手に寄って屋敷外で検品されて、安全を確認してからアイラへと届く。
手紙であっても油断はできない。開いた瞬間、魔術が起動して屋敷ごと爆破する可能性すらあるのだ。
「よくってよ。それで、兄上はなんと」
「……この手紙が届く2日後に可愛い妹へ会いに行くと。その際には、いつも妹が世話になっている町長殿もご一緒に、アムダの美味しい料理が食べてみたいとおっしゃってます」
「そのくらいなら別に……ハッ」
「メニッシュは、恐らく間に合わないかと存じます」
メニッシュの風邪の具合が分からないが、2日程度であれば断然完治しない可能性の方が高い。
「代わりの料理人を手配するにも、殿下のお口に合うような料理を作れる者となると……」
王族は、例外なくみんな舌が肥えている。
宮廷料理人は、様々な料理のバリエーションを持たせる為に、多種多様な人種と故郷を持つ人材で揃えられている。
王子が「あー今日は肉料理が食べたいなー」と、当日に言ったとしても最高級の肉フルコースを用意できるし、あまつさえ王妃が「野菜をたっぷり採りたいわ」なんて言ったとしても、全く別メニューで野菜フルコースも用意できる。
しかも国内から最高品質の肉、魚、野菜などがほぼ毎日集まってくるのだ。
「……セバスチャン!」
扉の向こうで、恐らくお辞儀のまま不動の彼に命じる。
「はっ」
「料理人の方は私の方でなんとかするから、準備だけ進めておいて下さるかしら」
「かしこまりました」
扉の向こうにあったセバスチャンの気配が遠ざかっていく。
それを確認してから、アイラは深く息を吐いた。
「はぁ――兄様……私に恥をかかせたい腹積もりかしら」
メニッシュが風邪を引いたのは偶然にしても、王都での暮らしが当たり前の兄様だ。素直にアムダで有名な料理を出したとしても、何かとケチを付けて、ひいては妹の能力の無さを卑下するつもりか――。
昔からグレンデルとは良い思い出無いアイラは、彼に何を言われるか――王都へと戻って際に、国王や王妃にどう報告されるか。
そう思うと、今から頭が痛い。
「こういう時こそ召喚の出番――と言いたいところなんだけど」
ひとまず休憩がてら執務室から退出し、自室へと戻って来たアイラ。
自身のベッドの枕元――の隣に置いてある小さな椅子に目線をやる。
それは上等な布地を使ったクッションと、椅子の背もたれの部分には最上位魔導師の証にも使われるマグナリアと呼ばれる花の意匠が掘られている。
しかし、人間が使うにしてはとても小さい。
これはアイラが、気付けば人の布団に勝手に入って来てるソロの為に、エド親方に造って貰った椅子だ。
だがその椅子に、あるべき白い本が無い。
「確か、少し旅に出るとの事でしたが……」
「ソロが『2,3日くらいで戻るから、グリ借りてく』って言ったのが、もう4日前よ」
音沙汰が全くない。
交信で呼び掛けても『この通信は、距離が遠すぎるせいで使えません。ご用件の方は、ピー音の後にメッセージをお入れください。〇〇〇』というメッセージしか返って来ない。
これはなんだと、アイラが憤慨したのは昨日の事だ。
「それは困りましたね」
「そうなのよ……後は緊急時の“アレ”を使うか、私自身が料理でもしてやろうかしら」
腕を組み思案するせいでアイラは気付かなかったが、リーシャは1歩後ろに下がっている。
「――アイラ様のお料理する姿、わたし1度も見た事ありませんが」
「でも流石に兄様にいきなり食わせる訳にもいかないし……味見は頼んだわよリーシャ」
そう言って振り返った時には――既にリーシャは居なかった。
代わりに足元に『急用を思い出したので河で洗濯をして、その後で山へ花を摘みに行ってきます』と書かれたメモ書きだけが残されていた。
それを拾い上げゴミ箱へと入れたアイラは決断する。
「……となると“アレ”か」
本棚よりお気に入りの小説を取り出し、栞代わりにしている3枚の札の内、2枚を取り出した。
これはソロの言う通りに、白い魔導書の一部分を書いて写した呪符。
別名”ソロの写本”とでも言うべきか。
この呪符には、アイラが喚び出した事のある勇者を召喚する為の呪文と魔法陣が書いてある。
1回使えば即座に燃え尽きる、即席勇者召喚用の呪符。
「……魔導書ソロの6ページの写本。異世界の勇者よ来たれ」
呪文を唱えながら、自身の魔力を込めた2枚の呪符を宙に投げる。
呪符を中心とし、多重に魔法陣が連なる。その波動は、本家の相違ないように見える。
「サモンッ!」
アイラが杖をかざすと、札2枚から強烈な光が発生し――すぐに収まる。
そしてその光の中から、2人の男女が現れた。
「よおアイラ」
「こ、こんにちは、アイラ様……」
「2人共……5日前に危惧していた事態が、現実のモノとなったわ」
いつになく緊迫したアイラの声に、息を呑む2人。
「ソロさんが居ない時に、緊急事態が発生するかもしれないから――」
「非常用の荷物を用意して待っとけってやつか」
「時は来た――この難局、3人で一緒に乗り切るわよ!」
「お、おぅ……」
「おー」




