魔女に与える鉄槌
昔書いた作品です。なろうにも載せちゃう。
カリストゥス司教倪下へ
モンシエーニャ州ブノワドーにて、一四八六年九月一三日
拝啓
地方聖教会の必死の活動もむなしく、よこしまな異端の教えは辺境を中心としてますますの拡がりを見せております。
とある村では、黄十字を縫い付けられた元罪人どもが平気の顔をして歩き回っており、正しき教えに従う者たちが、こういった輩を恐れて、顔を伏せて小走りに駆けていくようなありさまです。
さらには、我々異端審問官の名を借りた悪質な詐欺が横行しており、聖教会の善心からの活動の妨げとなっております。
倪下におかれましては、日夜、あまねく人々の魂の救済のためにほねおってくださり、また御身の正しき行いを以て迷える子羊に手ずからの導きを示してくださっていることを存じておりますれば、私もことさらに憂鬱な話題をお耳に入れて御心を疲弊させるのは断じて不本意でございますが、実際の民の苦しみ、あるいは敵のしたたかで憎むべきやり口につきまして、偽りのご連絡を差し上げるわけにはゆかぬと思い、苦渋の思いでこのようにお伝えしております。
さて、私どもがモンシエーニャの西の山あいの集落を巡り始めて、四週間が経とうとしております。
この度参りましたのは、ブノワドーというごく小さな村でございます。この村で、我々は今までに無い明らかな魔女の痕跡を見いだしましたため、特別詳細にご報告いたします。
まず、私どもが村を訪れた際、真っ先に気がついたのが、門に垂れた血痕でございます。
人一人見当たらない静けさを警戒しつつ、広場まで参りますと、そこはすっかり鴉どもの餌場と化しており、溢れんばかりの屍が積み重なっていたのであります。
野盗の仕業かとも思いましたが、住宅を検めましたところ、財産はすっかり残っており、とても尋常の事態ではないと判断いたしました。
広場の中央には磔台があり、かつては人物であったらしきものがくくりつけられておりました。散乱した鍬や鋤、包丁、槍などから、狂気の暴動があったことは間違いないと見てよいでしょう。
私どもは、哀れむべき村民たちを弔ったのち、魔女の痕跡を調査し追跡することを今後の方針として決定いたしました。
広場の屍たちは、腐乱や食害のために例外なく身元の知れぬ状態でありましたが、なんとか一人一人に分別して棺に納め、埋葬いたしました。
ブノワドーの村民の全数は、教区名簿によれば七四名ですが、我々が埋めた棺の数は一五二個、しかもその殆どが赤子のような小さな屍でございました。
我々はここにも魔女の忌まわしき力の一端を垣間見ておりますが、倪下のご期待に沿うため、また何より被害者たちの供養のため、恐れず事態を追求してゆく所存です。……
よく晴れた八月の朝、ブノワドーに暮らすアンジェリーヌは名無しの娘となった。
妹の誕生日だったのである。
もとはジゼルという名の妹は、この地方でも有名な美少女であり、ことに祝福の席で大いに着飾った十三歳の彼女は、千の宝石、万の花とも見紛うほどに華やかで愛らしかった。
もとより、豊かでもないこの村で、司祭から百姓に至るまであらゆる知り合いたちが、是非とも祝おうと力を合わせて準備した祝宴であった。ジゼルは皆に愛されており、またジゼルも皆を愛していた。その麗しい愛の循環から、アンジェリーヌだけがつま弾きであった。
笑顔飛び交う屋外の宴で、隅でじっとうつむいていたアンジェリーヌに、妹はねだったのだ。
「姉さん、それで、姉さんはあたしに何を贈ってくれるの? まさか何も無いなんてこと、ないわよね?」
何も無いのだった。嫁入り前の若い娘が、両親や他の若い衆のような自由な財産を持っているはずがなかったし、妹の友人たちのような見事な刺繍や料理の技術も、アンジェリーヌには無かった。
気まずい沈黙が何よりの答えだ。他の村人たちがひそやかに悪意をささやき交わすなか、妹はにっこりと微笑んだ。
「そうねえ……じゃあ、名前をちょうだいな! ジゼルなんて地味でしょう? アンジェリーヌ、とっても素敵で、あたしの方が似合うもの!」
絶句したのは、強請された当人だけだった。「それはいい」「確かにそうだ」と誰もが口々に妹に賛同した。両親さえも。
そうしてジゼルはアンジェリーヌになり、アンジェリーヌは名無しの娘になった。血の気が引いて周りの声が何も聞こえなくなったが、妹の言葉だけは耳の奥に何度も響いた。
アンジェリーヌは、あたしの方が似合うもの。
その通りだと娘も思った。聖なる天使の御顔には、茶色くくすんだ染み、頬を埋め尽くす痘痕、腫れたような鼻、どれも決してありえない。
娘は醜かった。家族すらさげすむほど。
名を失って二日後、娘は絶望の中にいた。
追い打ちとなるような事件が起こった……わけではない。
何も起こらなかったのだ。あまりにも普段通りの日常が流れた。
それで娘は、自分が誰にも呼び掛けられないような、絆を持たない人物であると、いやほど自覚してしまった。
気の毒がってくれたのは、斜向かいの家の次男レイモンだけだった。そばかすのある気さくな若者で、彼は家の畑を継げないため、来年あたり羊飼いに出されることが決まっていた。
村の共通の牧草地で隣人の豚を見張りながら、レイモンはうちひしがれた娘を励ましてくれた。
「なに、平気さ。あの子だって、もう数日もしたら自分の名前が懐かしくなって、呼び名なんかみんな元通りになるよ。君からプレゼントが貰えなかった腹いせに、ちょっと意地悪して楽しんでるだけさ。そう落ち込むなよ」
「だけど、結局あの子の気分しだいで、私はいつもこうやって振り回される羽目になるんだわ。そして、それを誰も止めてくれない。私の人生は妹の玩具みたいなものよ」
「元気を出せよ。きみはもうじき結婚する歳だし、あの子だって二、三年もすればどこかの家に嫁ぐ。そうしたら、お互い自分の家のことで手一杯で、そうして嫌い合ったり怯えたりしている暇なんか無くなるさ」
「私に婿入りする男なんかどこにもいないわ。十七にもなって縁談の一つもないんだもの。こんな小さい村なのに、誰からも。……私が美しくないから」
「……気にしすぎだよ」
「あなただってそうじゃないの!」
レイモンは目を泳がせた。跡継ぎでない彼の境遇は不幸だったが、けっして逃れるすべが無いというわけではなかった。
例えばそう、息子のいない家の長女などに婿入りすれば、家も妻も財産も持てない流浪の羊飼いなどという未来は、簡単に逃れられるのだ。
しかしレイモンが娘にそのような打診をしたことは一度も無かった。毎日顔を合わせていたのに。
(いや、だからこそ)
でこぼこの醜い顔を両手で覆い、娘は泣いた。
「あなたも私と同じぐらい醜ければよかったのに。そうしたら、選り好みせずに私と結婚してくれたかも知れない」
「…………」
「怪我をすればいいんだ。そこらで転んで、鍬で頬でも引っかいて、醜くなればいい、私と同じぐらい!」
娘は駆け去り、その日はもう牧草地に戻ることはなかった。そして翌日から、レイモンもまた、娘に優しくない他の村人と同じ振る舞いをするようになった。
娘の仕事は、もっぱら薪拾いと山菜摘みになった。屋内の家事は妹のアンジェリーヌがいるために気まずく、畑にいては役立たずだったためだ。村の裏山で誰とも会話することなく作業して、日暮れと共に家路につくのが彼女の暮らしとなった。
辛く、寂しい仕事だったが、娘は却って気が楽だった。集団の中にいるよりも、一人きりでいたほうが、孤独を感じずに済んだ。
背負えるだけの薪を集め、切り株に腰かけて、家から持ってきた柳の籠を編んだ。旬の木イチゴは娘の大好物だったが、持って帰ってしまえば彼女のつまみ食いは許されなかったため、摘みたての今だけはこっそり数粒だけ食べることもできた。
そうした暮らしが、娘が最後に味わう平穏な日々となった。
最初の異変は、裏山の森で起こった。
落ちていく陽が辺り一面を染めていくなか、娘は、ヒースの茂みの陰がかすかに揺れるのに気がついた。
すわ山賊かと凍りついたが、少々迷った末、彼女は茂みをかき分けて奥のほうを覗き見ることにした。
そして、息を呑んだ。恐怖ではなく、感嘆のために。
驚くほど美しかった。
白金の豊かな髪が頬をかすめて肩と地面に流れ落ちており、その毛先がまばらな血に濡れて花のように映えていた。
一度も日に当たったことのないような裸体が肩をすくめて怯えており、小さく震えるまつげの層の下に、魔法めいた七色の虹彩が泣きそうに耀いていた。
鉤爪状の四肢と一対の羽根のために、人でないことはすぐに分かった。それでも、この弱々しい異邦の遭難者に、娘はすっかり見とれた。
怪物は、自力で立てないようだった。注意深く観察すると、左の足の鉤爪をトラバサミに噛まれてしまっていた。
娘は、二年前に亡くなった村の猟師を思い出した。幾つになっても乱暴な嫌われ者で、嫁も子も跡継ぎも得ないまま黄疸が出て死んだのだ。
その猟師が仕掛けたきり忘れ去られていたこの罠が、不幸な怪物を捕らえたのだろう。
逃がしてやりたかったが、娘はトラバサミの外し方を知らなかった。分からないなりにやってみようと手を伸ばしたものの、しばらく罠をガチャガチャ言わせた挙げ句、錆びた金属で指を切ってしまった。
じきに夜闇が訪れる。後ろ髪を引かれながら、娘は帰路についた。
翌日、朝食の林檎とミルクを少しくすねて、娘は同じ場所へ駆け足で向かった。
案の定、怪物は昨日のままで待っていた。娘はミルクを古い皿に注いでやり、また林檎を小さく割ってひとかけずつ差し出してやった。怪物は飢えていて、小さな唇を懸命に動かして、それらをきれいに平らげた。
見れば見るほど奇妙で美しい怪物だった。
かつて一度だけ村に視察に来たことがある領主の令息と比べても、なお超越した美貌だ。背中の羽根は蝶より絢爛だが石英より透明で、生え際の肉にはヒビが入っていたが、それすら卵殻めいて儚げであった。
しかし、何より娘をうっとりと夢心地にさせたのは、その虹色の双眸であった。
名無しの娘の醜い顔を見ても、歪んだり背けられたりすることのない、輝くまなざし。
娘は恋をしていた。
怪物のもとに通い、餌をやり介抱してやる日々が続いた。
怪物は娘の言葉を真似することができ、拙いながらもわずかな単語を覚えた。「おはよう」「りんご」「ありがと」など、他にも十数個、やや舌足らずの発音で。
できれば名前も呼んでほしかったが、娘には、呼んでほしいと思える名前がもう無かった。
髪も編んでやった。こんなに長くて柔らかな髪を、娘は今まで見たことがなかった。どのような暮らしをしていたら、こんなに長い髪を美しく保てるのだろうか?
娘は、ざらついた麻縄のような自らの髪を省みて恥ずかしくなったが、怪物はそんな人間の心の機微など気づかず、娘の手のひらにそっと頭をすりつけて甘えた。
娘が怪物に向ける愛着はいや増すばかりであった。
しかし、トラバサミだけはどうしても外せなかった。
娘は何をするにも上の空になった。彼女は、自分が作り出す幸福な空想の虜になった。
じつは怪物は神の御使いで、憐れな自分を迎えに来たのだ。神様は娘を天国に招き入れてくださり、意地悪な村人たちには天罰がくだるのだ。
じつは怪物は呪われた異国の王子で、愛されることで魔女の呪いが解けるのだ。人間に戻った王子は、自分を后にして国へ連れて帰るのだ。
じつは怪物は賢くて心優しく、いつかその口で好意を言葉にしてくれる日が来るのだ。自分はそれを受け入れて、どこか遠くでいつまでも一緒に暮らすのだ……。
それらはすべて子供じみた幻想に過ぎなかったが、娘はいずれも本気で願った。
雲上の天国の住まいや、遥か異国の王宮、木漏れ日の差す小さな家庭について思い浮かべてさえいれば、現実のどのような苦痛も、物語を彩るささやかな挿話と思えた。
家に帰り、一日の仕事の成果が少ないことを両親にとがめられ、それをアンジェリーヌに嘲られようとも、娘は平気だった。
むしろ、かつてあれだけ嫉妬した妹の美しさが、怪物の足元にも及ばないことが、娘を勇気づけ、得意にさせた。
どのような夢もいつかは覚める。
ある日、娘が怪物のもとに向かう道中、頭上を大きな影がよぎった。
仰ぎ見れば、ブナの樹の梢の間に、虹色の透明な羽根が消えていくところだった。
(罠が外れたの?)
岩のような不安が胸に凝った。娘は、木々に服の裾が引っ掛かって裂けるのも構わず、いつもの場所に急いだ。
悪い予感は外れ、怪物は普段通りに待っていた。足にはトラバサミが痛々しく食い込み、古びた血が固まって赤茶けていた。それで娘は、先ほどの影はこの怪物ではなく、よく似た別の個体だと判断できた。
恐怖が娘を襲った。
(もしこの子が、自分に似た美しい仲間の姿を見てしまったら、私なんてもう、見向きもされない)
怪物が「ごはん」と言って餌をねだったが、娘は呆然と立ち尽くすばかりで、それを聞いてはいなかった。
空腹で手持ちぶさたな怪物は、視線の先にツルコケモモのまだ青い実を見つけ、前肢で這っていってそれに食いつこうとした。
娘はそれを止めた。
「どこに行くの」
「ごー、はん」
「私が持ってきてるじゃない。毎日毎日毎日、あなたのために。どこに行こうとしていたの」
「ミルク、おはよ、ごはん」
「逃げないでよ!」
なお這い歩こうとする怪物の背に、娘は爪を立て、強引に引き戻した。羽根が硝子のようにひび割れて、わずかに粉になって落ちた。怪物はギュッと鳴いた。
「あ、あなたは誰にでも愛されるでしょうけれど、私は違うのよ。あなたしかいないのに、どこにも、どこにもいかないでよ! 一人にしないで! 助けてあげたじゃないの!」
「ギッ、キッ、キッ、あ、あ、ありがと、おはよ、う」
怪物の逃れようとする力は意外にも強く、娘は半狂乱になった。
「逃げるなっ! 逃げるな、逃げるな、逃げるな! お願いだからっ!!」
怪物の前肢が娘のスカートに触れた。彼女は初めて鉤爪を恐ろしく感じ、「やめて!」と闇雲に振り払い、突き飛ばした。
「ギュッ」
にぶい音がした。怪物は横転して、うつ伏せに倒れていた。娘が息を切らせて動けずにいると、じわりと、怪物の頭部から赤々とした鮮血が染み出してきた。
「ど、どうしたの……」
ゆっくり助け起こし、娘は悲鳴をあげた。
怪物の目が潰れていた。あの虹色の、いつでも彼女だけを見つめてくれた目が。
倒れた先に悪い小枝が落ちていたのだ。ようやくそれだけを理解して、娘は震えて立ち上がった。
「た、助けなきゃ……、でも、どう、誰に言えば……」
ちょっとした擦り傷などは、近所の大叔母のギユメットに相談すればいい。大怪我なら村の司祭に相談して、それでも良くならなければ町まで行って医者に診せるしかない。
しかし、怪物を診てくれる人間など、どこにいるのか。
怪物はまだ生きているようだった。小さく鳴いて、出血する目元を両腕でおさえていた。
娘は何もかも怖くなって駆け出し、家の寝室に籠ってうずくまった。
それからしばらく、暖かな日が続いた。
娘は森へ行かなかった。
妹のアンジェリーヌが、出てきて働くようにと何度も声を掛けてきたが、娘はそれを無視して引きこもった。
そして、終わりが訪れた。
霧雨の降る朝のことであった。見知らぬ風体の四人組が村を訪れ、司祭に命じて人々を広場に集めさせた。彼らのうち、最も背の低い男が仗を振りかざして言った。
「我々は、本国の教皇様よりご指示を受けた異端審問官である。密告により、この村に異端の魔女がいることを知り、こうして救済のためやって来た。疑わしき者がいれば告発せよ! もしも隠しだてするようであれば、村民全員を異端と見なすぞ!」
村人たちは大いにざわめいた。娘もその場に居合わせ、戸惑った。魔女など聞いたこともないし、異端なんて、山麓の大きな街で、素行の悪い者たちがのめり込むものとしか思っていなかった。
しかし、娘は気づかなかったが、村人のうち比較的裕福な幾つかの家族は、目を泳がせてひっそりと汗をかいていた。やがて、そのうちの誰かが言った。
「あの娘じゃないか。名前の無い」
複数の視線がぎょろりと娘に向いた。彼女はたじろいだ。
わずかな沈黙のあと、急かされたように群衆は言い募った。
「ああ、そうだ。怪しい」
「アンジェリーヌの姉が怪しい」
「魔女なんじゃないか」
「いつも森に一人で」
「近頃は家から出もしなかった」
「愛想が悪くて無口で」
「言われてみれば妙だ」
「家族とまったく似ていない」
白熱する人々の猜疑は、なんら悪罵と変わりなかった。審問官が仗を鳴らすと、彼らは一斉に道を開けた。逃げ場は無かった。わざとらしく足音を響かせて審問官は歩み寄り、言った。
「この者か?」
「ち、違います。母さ、父さん。違うわよね? 私……」
人の群れの中に、娘は必死で両親の姿を探した。隣人たちに押し出される形で前に出た父は、厳しい目で娘を一瞥し、 審問官に応えた。
「私どもは、この娘を本物の子供と思って、今日まで育ててまいりました。しかし、これの正体が罪深き魔女であるかも知れないのならば、神聖なる教会の手で、それを確かめていただきたく存じます。……実のところ、これまでも不審なところは幾つもあったのです。幼い頃から、有りもしないものを有るといったり、ただの井戸水を毒だの薬だのと偽ったり……」
愕然とした。それらは、夢想家の娘がままごとの延長で言ったような、ごく昔の出来事だった。妹にもそんな時期があったというのに、今ここで、わざわざそんなことを証言するなんて。
目を見開いて固まる娘の腕を、審問官たちは強引に掴んだ。
「それでは、魔女の詮議を行う。どこかひとけの無い静かな場所を貸してもらおうか。裁判の途中で、魔女が呪いの息を吐き出すこともあるからな」
二日後、村の司祭の口を借りて、審問官たちから次のような声明が出た。
『取り調べにより、下記のことが判明した。
一つ、被告の内股に不審な痣あり。針で刺しても血が出ないことから、魔女の徴と判断する。
一つ、被告は未婚であるが純潔でない。悪魔や異教徒との交わりが疑われる。
一つ、被告の近隣の住民より、多くの証言が得られた。
一つ、被告本人より、魔女であると自白が得られた。
以上のことから、被告が魔女であることが判った。明後日の正午、村の広場にて火刑に処す。また、ブノワドー村民は、本件について手数料として一四〇〇〇スーを審問官らに支払うこと。司祭は村長と協力し、村全体からこれを徴収すること。
処刑と支払いが済んだのち、審問官らはすみやかに出発する。』
死を待つ最後の夜、裸で後ろ手に縛られて吊るされた娘は、憎悪を込めて審問官らをにらんだ。
司祭から貸し出された、ひとけの無い場所……それは死んだ狩人の小屋であった。村外れの古びたその空き家は、すでに住む人もいないのに依然として獣の革臭く、狩りのための罠やその材料であふれていた。
娘の視線の先では、四人組の審問官のうち三人が、ソドムとゴモラの過ちを繰り返していた。彼らの放つ汚濁の臭いが、何よりも娘の鼻についた。
享楽に耽る男たちの内、最も背の低い、リーダー格の男が、敵意に気づいてにやりと笑った。
「混ざりてえのか? ハハ、俺は嫌だぜ。てめえみてえな醜女の相手するのはよ」
「偽物の審問官どもめ……」
「今さらかよ。もうどうだっていいだろ。もしお前が明日、連中の前で騒ぎまくったって、誰も信じやしねえよ、魔女の言うことなんか」
彼らは詐欺師だった。
異端審問官を騙って辺境の村を訪れ、罪の無い人を拷問にかけて魔女の証拠を捏造し、処刑して多額の収益をあげるのが彼らのやり口であった。その犯行は手慣れていて、司祭ですら、彼らが偽の聖職者であることに気がつかなかった。
しかし、本性はこの通り邪悪であり、娘をいたぶる際も、四人全員が悪意に満ちて楽しげであった。
すぐそばの円卓の上に、娘の罪を捏造した器具が載っていた。
それは木の持ち手と長い鉄の針のある道具で、大工の使う錐に似ていたが、その針は先端を押すと簡単に引っ込み、刺さらないように出来ているのだ。これが「魔女の徴」の正体であった。
証拠の検証にやって来た司祭は針の仕掛けに気づかず、刺しても血が出ないことに息を呑んで驚いていた。娘は、尊敬していた司祭の滑稽なようすに失望し、またその際にとらされた屈辱的な姿勢のために泣いた。
純潔でないというのも、信じがたい詐称であった。
娘は、審議を受けるまでは確かに乙女であったのだ。それを、この……ただ一人獣の交わりに参加せず、娘の隣に立っている大男が、汚したのだ。
泣き叫ぶ彼女を誰も助けなかった。他の男たちは見物しながら手を叩いて笑うばかりで、小屋の周りに他の家は一軒も無かった。
そんな悪行が行われたのにもかかわらず、ついに詐欺師どもに神罰が下ることはなかった。
それでも最後までつらい責め苦に耐えていたのだが、隣人たちが挙げた有罪証言の数々を目の前で読み上げられ、証人の名の中にレイモンとアンジェリーヌが含まれていたことが、娘の心に止めを刺した。それで彼女は自白し、処刑が決まったのだった。
汚し合う男たちは、おぞましい声で笑いながら、吊るされた娘を横目に見た。リーダーの男は、フン、と鼻を鳴らして言った。
「世の中、騙される方が悪いのさ。お前ら皆バカなんだよ。お前だけじゃないぜ、村人どもも、司祭もだ。どいつもこいつも……名無し女、お前気づいてんのか? 村の連中、本物の異端者が何人も混ざってたじゃねえか。大方、近所の町にたまたま出ていったときに感化されて、身内でこっそり教えを拡げて回ってたんだろうよ。分かりやすくそわそわして、俺が本物の審問官だったら、迷わずあいつらをしょっぴいてたね。だからよ、お前、どうせ嫌われ者だからって、異端者どもの体のいい身代わりにさせられたのさ。その証拠にどうだ、お触れに『支払いが済んだらさっさと帰ります』と付け足してやっただけで、ホイホイ金集めて前払いだ。景気の良いもんだね」
「……嫌われ者だから…………」
「ああそうさ。だから嫌われないように、日頃から賢くやるべきだったんだ。どうせブスなんだから、普段からニコニコ機嫌良くして誰よりも働くとか、そうでもなきゃ、さっさとこんな村抜け出して、詐欺でも賊でも売笑でもやって稼いでりゃ良かったのさ、俺みたいにな! 見ろ、一四〇〇〇スーだ! お前らがあくせく畑やって溜め込んだ金を、たった三日でかっさらうのが、俺流の賢いやり方だ! ハハハ、ハハハハハ!」
九月の秋晴れの空はどこまでも高く、美しかった。
粗末な服を着せられて、娘は木製の柱に鎖で固く縛られた。大人の男が数人がかりで柱を持ち上げて固定し、村の広場の中央に、火刑のための支度がなされた。
薪藁が積まれ始めた。雲ひとつない、広々とした青空を眺めて、娘は静かな気持ちで泣いていた。
(世界はなんて美しいんだろう。あの果ての空の下でも、誰かが暮らしているんだろうか)
死の間際になって、初めて彼女は己のことを真剣に省みた。
彼女はいつでも、誰かがここから自分を連れ出して幸福にしてくれるようにと、物語のような出来事を望んでいたが、一方で、自分は物語で救われるのにふさわしい美しさを持ち合わせていない、と感じていた。
しかし、美しさとは果たして姿形のことだけだろうか。
斜向かいのレイモンにかけた言葉を思い出す。顔を刃物で怪我して醜くなればいいと言った。それで諦めて、好きでもない女と結婚すればいいと。
娘は、鉄が肌を切り裂く痛みと、愛してもいない相手に弄ばれる苦しみを知らなかった。振り返れば、なんという酷いことを言ったのだろうと、申し訳なく思う。
妹との、家での生活を思い出す。互いにごく小さい頃は、一緒に遊んだり、二人並んで刺繍をしたこともあった。
美醜の差を感じて避け始めたのも、上手く出来ない仕事を途中で投げ出すようになったのも、姉の自分のほうからだったように思う。
どんなに醜くても、どんなに美しくても、貧しい小さな村の娘である以上、家の仕事はしなくてはならなかった。投げ出された仕事をいつも引き受けていたのは、果たして誰だったか。
そして、森の怪物のこと。
惨いことをした。一人で舞い上がって、一人で絶望して、そのうえで傷つけた。
もしもあのトラバサミを外してやり、自由を与えてやることが出来たのならば、もしかしたら今頃助けに来てくれたかも知れない。
そういった醜さの積み重ねが、この足元の薪藁なのだと、娘は思った。
(本当はあの怪物こそが、教会が示す本物の魔女だったのかもしれないけれど、せめて、最期まで黙っておこう。お詫びと言うには足りないけれど、あの子を生かしてやりたい)
準備が整った。広場にはすべての村人たちが集っていた。注意して眺めると、確かに昨夜詐欺師が言った通り、挙動不審な家族が幾つか見られた。しかし、娘は黙っていた。
偽物の審問官たちが、もったいぶった様子で娘の罪状を演説し、村の大人の一人に着火の指示を出した。
ところが、火刑を見に来た人々は、何やらざわついて広場の入り口に注目していた。娘も同じ方向を見た。
左足の千切れた怪物が、血を流しながら立っていた。
(どうして。森に隠れていれば見つからないのに)
怪物の様子はおかしかった。
足の長さが左右で異なるのでぐらついていたが、そうでなくても揺れていた。目元は赤黒いかさぶたが張っていて、見えていないらしかったが、何かを探しているようにしきりに首を振っていた。
そして……膨れているように見えた。
「おい、何だこれ」
若い誰かが言って、一歩踏み出した。
その瞬間、人々の見ている前で、怪物はうごめき、背中から縦に裂けた。
それは孵化であった。
比類なく美しい人間の皮膚の内側から、虹色の眼と透明なかげろうの羽根を持つ無数の赤子が這い出し、人々をめがけていっせいに飛び立った。
広場は狂乱に包まれた。
怪物の幼体は、親の体液で赤く濡れた鉤爪の腕で村人を器用に捕らえると、ばらばらに食い千切って残りを捨てた。
家から鍬を持ってきた小作人の男が思いきり殴ると、幼体は血を噴き出してたやすく死んだ。
その男もまた、後ろからやって来た別の幼体に掴まれて、空高くから落とされて潰れて死んだ。
同じことが、広場のどこでも繰り返された。
娘は、自分の妹が逃げようとして転倒し、両親に踏み殺されるのを見た。
レイモンが怪物を殺そうと振り下ろした棍棒が、彼の家の長男を殴り殺すのを見た。
あれだけ親しんだ怪物の亡骸が、その子供たちにむさぼり食われるさまを見た。
そして、聞いた。飛び交う無数の悪夢のような幼体たちが、いつか教えたような鳴き声を発するのを聞いた。
「ごはん」
「ありが、と」
「ごはん」
「おはようおはようおは」
「ギッギッギッギッギッ、り、りん」
「ああー、り、がとうごはん」
娘は大声で笑った。
「アッハハハハハ! みんな見ろ! 私は魔女、私は魔女だ! お前たちはみんな死ね! 化け物に食われて死ね! 何がバカだ、何がブスだ、関係あるもんか、どいつもこいつも、全員残らず死んじまえ! アハハ、私は魔女だ! 私は魔女だ!!」
審問官たちは大いに動揺し、怒号と悲鳴の中で、みっともないほど慌てた様子で錆び槍を拾った。
広場に深紅の死が満ち、生き残った怪物たちの鉤爪がついに詐欺師らの頭を掴んだ時、娘はすでに磔台のうえで、ずたずたに斬られて死んでいた。