第4話「訓練と奴隷区の影」
【重複投稿】
――朝。
朝の光が、安宿の薄いカーテン越しに差し込んでくる。
昨日よりも少しだけ、この街のざわめきが耳に馴染んでいた。
――いや、慣れたなんて言ったら嘘になるか。
いまだに、ここが“異世界”だって現実感は薄いままだ。
「……体が軽い?」
起き上がると、妙な感覚があった。昨日までの重だるさが消え、関節の動きが滑らかだ。
「おっ、やっと起きたか。イサム」
「おい、イサム。なんか体調よくねぇか?」
ベッドからユウが顔を出す。
「俺もだ。全然寝足りねぇのに、目がスッキリしてる。」
「悩んでても寝なきゃ死ぬからな。俺は生存本能に忠実なんだよ」
そう返すと、カジが笑った。
「イサムさんらしいっすね」
「あ!俺もっす。怪我はまだ痛いですが体はなんて言うか…軽いっす。」
カジも腕を回してみせる。
――昨日、王城での能力査定のあと。
アクアが言っていた「器」という言葉を思い出す。
(これが……力を宿す器の影響ってやつか?)
「アラフォーおっさんの身体とは思えんな。」
自嘲気味に笑って、立ち上がった。
「そういやさ」
ユウが俺の視線に気づいたのか、何気なく切り出した。
「ショウ、どうしてるんだろな」
カジも頷く。
「っすね。居酒屋で挨拶してくれたじゃないですか。元気でいてほしいっす」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
――あいつが生きているかもわからない。
でも、俺は信じるしかない。
***
「さて、する事も無いし、とりあえず街を見て回るか。」
狼耳の戦士が言っていた「自由」を試す時だ。
王都の中心部から広がる石畳の大通り。
露店では香辛料の匂いが漂い、獣耳の子供が荷物を運んでいる。
ユウがキョロキョロしながら小声で呟く。
「……うわ、完全にファンタジーじゃん」
「……昨日より視線が刺さるな。」
確かに、俺たち三人を遠巻きに見てひそひそ話す者が多い。
「人間が珍しいんだろ。」
そう言いながらも、背後を気にせずにはいられなかった。
「こうして見ると壮観っすね。けど、俺たちここでやっていけるんすかね?」
カジの不安げな声。
俺は深呼吸して、場の空気を読む。刑事時代からの癖だ。
「やるしかないだろ。死にたくなけりゃ」
***
街外れの広場に出た。
人気がなく、地面には柔らかい土が広がっている。
「……ここなら練習できそうだな。」
午前中は、まず体を慣らすための筋トレだった。
スクワット、腕立て、走り込み。――刑事時代に比べてもかなりキツい。
「イサム……マジで……無理……」
ユウが地面に倒れ込み、息を切らす。
「根性ねぇなゲーマー。これくらいでへばるな」
「お前が元警察だからって調子乗んな!」
カジが苦笑いで二人の間を取り持つ。
「まあまあ、俺ら一般人ですから。イサムさんみたいな体力ないっすよ」
ユウが俺を睨む。
「ってかお前、剣道達人だろ? 正直、余裕なんじゃねーの?」
……達人、か。
確かに俺は剣道を長年やってきた。警察時代は模擬戦で無敗だったこともある。
だが、達人だなんて言われるほどの自信はない。
「達人ってのは言いすぎだ。ただ、ちょっと齧っただけだ」
「はぁ? あの取り調べで犯人黙らせる目といい、絶対剣でもやばいタイプだろ」
「褒めてんのか煽ってんのかわかんねぇな」
こうして冗談を言い合えるだけでも、少しだけ不安が和らいだ。
***
昼休憩。
俺たちは街の広場でパンとスープを買い、ベンチに腰掛けていた。
そこからは市場がよく見える。
亜人の子供たちが遊び回り、商人が威勢よく客を呼び込んでいる。
ふと、視線の端に違和感を覚えた。
――鉄格子。
広場の奥、薄暗い路地に、その一角だけ異様な空気が漂っていた。
小さな檻の中に、やせ細った亜人の子供たちが座り込んでいる。
目が合った――。
俺は無意識に立ち上がろうとしたが、ユウが制した。
「イサム、やめとけ。目立つ」
「しかし……あそこは?」
ユウが眉をひそめる。
近づくと、重い鉄扉の向こうに痩せ細った者たちがいた。
腕には首輪。足首には鎖。
「奴隷区です。」
背後から、アクアの淡々とした声がした。
振り向くと、アクアが買い物袋を片手に立っていた。
「この国では、戦で捕らえた者や罪人があそこに収容されます」
声色は淡々としていた。
だがその言葉の裏に、冷たい現実が透けて見えた。
そのとき、格子の奥で小さな影が動いた。
――目が合った。
痩せた獣耳の子供。
泥で汚れた顔に、恐怖と諦めが貼り付いている。
ユウが苛立ったように言う。
「なんで子供まで……」
「立ち止まらないでください。」
アクアが促す。
「許可なく彼らと接触することは禁止されています。」
「それが、この国の“普通”です」
声には抑揚がなく、ただ事実だけを告げる。
鉄格子が背後に遠ざかる。
胃の奥が重く沈んだままだった。
***
午後は能力訓練だった。
「準備運動は終わったし、次の段階に行こうか」
俺がそう言うと、ユウがにやりと笑った。
「よっしゃ、能力発動チャレンジだ!」
カジは腕を回して深呼吸する。
「昨日の査定みたいにやればいいんすかね。」
各自、構えを取る。
俺は竹刀の素振りを思い出し、木の枝を拾って腰を落とした。
ユウは手を握りしめ、力を集中させる。
カジは地面を踏みしめ、筋肉に意識を向ける。
――しかし。
「……。」
枝が風を切る音だけが虚しく響く。
「なぁ……なんも起きねぇんだけど?」
ユウが頭をかきむしる。
「雷の力って言われても、ピリッともこねーぞ!」
ユウが苛立ち混じりに呟いた。
俺も同じだ。
何度素振りをしても、感覚の変化すらない。
「昨日の検査はなんだったんすかね……。」
カジも額の汗を拭う。
異世界に来たってのに。
命懸けで戦ったってのに。
――力が、出ない。
焦燥だけが募っていった。
「――見苦しいですね。」
背後から投げられた冷ややかな声。
振り向くと、アクアが立っていた。腕を組み、表情は相変わらずの無機質。
「お前……最初から見てたのか?」
ユウが眉をひそめる。
「はい。先程住民の方々が、ここで人間が怪しい事をしていると耳にしたので来てみました」
アクアは一歩前に出ると、俺たちの立ち姿を見回した。
「これは能力を使う練習ですね?」
「ああ、全くもって何もおこらない」
「まず、無駄な動きが多すぎます。」
「……あ?」ユウが噛みつきそうになるが、アクアは淡々と続ける。
「貴方はもっと肩の力を抜きなさい。頭で考えて体を動かすんじゃなく、頭で感じるイメージをするのです。いい方法として深呼吸をしイメージする所から初めなさい。」
「俺のは?」カジが恐る恐る尋ねる。
「あなたは肉体強化。筋肉の収縮を意識しなさい。無駄に力を込めるのではなく、瞬間的に爆発させるイメージです。」
的確で、冷たい。だが的を射ている。
「イサムは……?」
ユウが笑いながら俺を見る。
アクアは一瞬だけ俺を見たが、すぐに視線を逸らした。
「…何も言うことがありません。」
胸にチクリとした痛みが走る。
***
それからアクアの指南のもと、訓練は続いた。
「まず、無駄な動きが多すぎます。」
アクアの視線がユウに向く。
「ユウ。あなたは雷属性です。雷は直線的で鋭い。ですがあなたの構えは散漫で力が逃げています。肩の力を抜き、腕をしならせるように――そう、もっと“撃ち抜く”意識を。」
ユウが舌打ちして構えを取り直す。
「撃ち抜く、ねぇ……イメージは得意だしな。」
深呼吸し、もう一度手のひらを前に突き出した。
――ビリッ。
今度は指先から確かに火花が散った。
「っ……!」
ユウが驚きに目を見開く。
「おぉぉ……今の見たか!? 今の完全に電気だろ!」
「今のが、制御の入口です。」
アクアは相変わらず事務的な声で告げる。
だが、その瞳の奥がわずかに興味を帯びたように見えた。
次にカジへ。
「あなたは肉体強化。腕だけでなく全身の連動を意識してください。力は局所ではなく、地面から伝えるものです。」
「地面から、っすか?」
カジが言われた通り足の裏を意識し、息を吐きながら地面を蹴った。
――ズンッ。
土が抉れる音とともに、足元から力が湧き上がる。
「……おっ!? なんか……踏ん張りが効く!」
拳を振ると、空気がわずかに震えた。
「一時的な筋力の増幅です。今の感覚を忘れないように。」
アクアの声が淡々と落ちる。
ユウが笑う。
「おいカジ、なんか強キャラ感出てきたじゃん。」
「い、いやいやまだ全然っす!」
そう言いながらも、カジの表情はどこか自信が宿っていた。
……だが、俺だけは。
「イサム。」
アクアがこちらを見る。
「あなたは――今のところ何も兆しがありません。ですが、基礎体術は無駄ではありません。そのまま続けなさい。」
その言葉は事実でしかないのに、胸に重く突き刺さった。
枝を振る。何度も。
だが何も起きない。
(俺だけ、空っぽのままか……。)
汗だけが頬を伝う。
「……おい、イサム。焦るなよ。」
ユウが気遣うように声をかける。
「そうっすよ。俺らだってやっと片鱗っすし。」
カジも笑ってみせるが、その視線に哀れみが混じっている気がした。
「……。」
返事はしなかった
俺は黙って木剣を握りしめた。。ただ枝を握り、振り続けた。
無色――才能がないとされた俺が、ここで立ち止まっていたら、本当に何も残らない。
***
日が沈み、訓練は終わった。
アクアは最後まで淡々と注意を与え、何も感情を見せずに去っていった。
宿へ戻り、飯を済ませると、二人はすぐに寝息を立てた。
――俺だけは、眠れなかった。
***
夜。
宿の外に出ると、星空が広がっていた。
月はひとつだけ。見慣れたはずの夜空が、どこか違って見える。
石畳を歩きながら、俺はタバコに火をつけ、深く吸い込む。
すると、不意に言葉が漏れた。。
(……ショウ。)
何度も助けられた。
あいつなら、どうするだろう。
あの冷静な目で、この状況を見たら。
「……お前なら、今の俺を見ても笑って“コラっ落ち着け”って言うんだろうな。」
口に出してみる。
だが、返事は返ってこない。
10歳も年下の女の後輩。
刑事時代の俺ははみ出し者で相棒なんて居なかった。
しかし刑事なりたてのショウの指南役を押し付けられてから、いつの間にか教え子から相棒に変わって行った。プライベートでも俺の交友関係に入り込んで来てはいつの間にか溶け込んで、ユウとカジからも信頼され、生意気で、真面目で。
――どうしようもなく、特別だった。
(……会いてぇな。)
胸の奥がずきりと痛む。
まるで手が届く距離にいるのに、決して触れられないような。
「……くそ。」
吐き捨てる。
力がないことが、こんなにも情けないとは思わなかった。
奴隷区の方角から、遠吠えのような声が響いた。
背筋が冷たくなる。
――この世界で生きる。
そう決めたはずだ。
だが俺はまだ、何も持っていない。
握りしめた煙草が、ぐしゃりと潰れた。
「……使えるようにならなきゃ、生き残れねぇ。」
そう呟いて、夜空を仰いだ。
※続く