~一章~ チェン仮契約
ヴェル様が去って、しばしの沈黙が続いた。
そして、姉魔狼がレイの首元あたりへ一生懸命に頭を何度も擦り付けている。どうも慰めているようだ。レイは下を向いたままで、大きな尻尾も微動だにせず、項垂れていた。
何となく考えずにいた、目を背けていた灰白色の魔狼の正体。曖昧な言葉で済ませていた答え···突然現れた者に突きつけられた現実。
遊びの時間は終わりだとでも言われたかのような、でも向き合わなくてはいけない現実。
子供だからとかでは済まされない。フローなりに色々と考えてはいた。でも、今までの考えではあまい。足りないのだ。
騎士団のみんなが言っていた。魔獣と繋がって分かったこと「仲間、相棒」それ以上の感情「魔狼は分身だ」その通りである。
産まれた瞬間から人より知識を持っていて、獣なのに人に近い者であり、慈しむ相手のみに寄り添う。
たかが魔獣の為に自分の人生を踏み外すなと、言われるかも知れない。繋がりを持つことが出来た人だけが、彼等が獣の姿をした賢者であることを知ることが出来るのだ。出会ったばかりのレイだけど、言葉にできない絆がある。
軽い気持ちじゃない。自分だけでは駄目なのだ。レイと話しあって、未来を一緒に進むための覚悟を決めなければ。そして、自分とレイだけでは無理なのだ。子供と子魔狼だし。
「アル、お願いがあるの」
「これから先、私を助けて欲しいの」
「ずっと一緒の約束···してくれるよね」
「フロー?」
「急にどうしたの?」
真剣な顔でフローが覗き込む。綺麗なグリーンとブルーのグラデーションの緑彩眼がキラキラ輝いて、アルを捕らえて離さない。
「レイ、聞いて······」
「ミゼル様は、レイが何者でも私の子供だと言っていた。私もレイが何者でも大好きよ。」
『······』
「レイが何者でもいいじゃない!レイはレイでしょ!」
「何者なのか分からなくちゃ駄目なの?···ミゼル様が産んで、私が生かした、それがレイよ!」
『······うん』
「ウジウジしてても変わらないのよ!私がずっと一緒にいるって言ってるんだから、もっと強くなりなさい」
『うん。でもー、ずっと一緒にいるのはアルでしょう?』
「もちろん!アルは旦那様、レイは相棒よ!」
「··············」
「レ、レ、レイのバカー!」
『僕、バカじゃないよー』
ゆでダコみたいに顔を真っ赤にして、そのまま立ちすくんでしまったフローは、振り返らずに「アル、聞いてなかったよね」と小さな声で確認した。
「······僕の奥さんになってくれるってこと?」
「······ずっと一緒の約束」
「······僕でいいの?」
真ん丸に開かれた瞳が、次第に弓なりに細まり口は弧を描くと、アルは小さな背中を前に高鳴る鼓動を必死に抑えた。
「······アルがいいの!」
その場でうずくまり、大きな声で答える姿はとても愛らしい。
「ありがとう。嬉しいよ」
「成人するまで待っててくれる?それまでに一人前の魔獣騎士になって、フローをお嫁さんに出来るようにがんばるから」
「うん。·······うん。待ってる」
「約束よ!」
存在を忘れ去られた2頭は、二人の様子をあっけにとられ······見守っていた?
『話し······それてるよ』
☆
(貴方と一緒に産まれたとき、私は何も出来ませんでした。ただ見ているだけしか出来なかった。弟を救ってくれたフローには、感謝しきれません。そして、彼女はまだ子供でありながら、先の人生を貴方と共にと考えて下さっている。私も助けになれることがあるかも知れない。彼女との未来にアル様がいるなら、······今の彼を望んではいませんが、これからの彼に仮という形で、主として仮契約をしたいと考えます。どうでしょう)
姉魔狼が、レイに(アルに伝えてほしい)と言うが、レイは突然の申し出に"僕のせいで、みんなを巻き込みたくない"としょんぼりしている。
(自分の意思です。貴方が巻き込んだと思うなら、それ以上に感謝し共に歩めばいいだけでしょう。見棄てられないように、いつも精進なさい。強くなりなさい。そばで私が見張っています。いつまでも)
レイが2頭のやり取りを二人に念話する。
『姉さんに名前を授ける?』とレイが申し訳なさそうに、上目遣いでアルを見る。
突然の申し出にアルは目を丸くした。
そして、しばらく考える。
「僕は必ず君の特別になる。今は仮契約でも真の主になるから」
何かを決意したかのように強い眼差しで姉魔狼を見た「君の名は、チェン」誇らしい主となるよう努力することを誓う。そしてアルは、チェンの鼻がしらに手のひらを乗せ、ありったけの魔力を注いだ。
『私は、チェン······』
『アル、忘れないで下さいね。私は、弟とフロー様の未来を見届けたい』
『貴方と未来を共に進む私が、恥ずかしくない騎士となって下さい』
名前も気に入ってくれたらしく、無事に仮契約となったが、正式な主になるまでは、立場は対等。願い事を聞く聞かないは『気分次第』。その変わり、父と母魔狼から受け継がれている知識をフル活用して、アルの成長を後押しするということになった。
『仕方ないですわね。最短で最高騎士になれるように私が育てて差し上げますわ』
レイの右足の肉球がアルの肩に添えられた。
『······アル、どんまい』
魔力切れをおこしたアルは、そのままレイにもたれ掛かり、瞼を閉じた。