二人の約束
時は数ヶ月ほど遡ります。この河原にも主人から逸れた野良犬が住んでいました。大きな赤い犬で、みんなは、彼を「アカ」という、なんの捻りもない名前で呼んでいました。アカは大きな犬でしたが、とても賢く、優しい子でした。
夏が終わり、この河原にも秋の気配。あたり一面、ススキの穂が揺れています。そんなある日。彼は、いつものように土手を散歩していました。犬だけに聞こえる唄を歌いながら。
♪〜
おれは河原の 枯すすき
おなじお前も 枯すすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯すすき
〜♪
ふと見ると、少女がポツンと一人、川を見つめ、河原の石に座っています。セーラー服におさげ髪。大きな瞳は黒曜石のよう。小学校の高学年といったところでしょうか。「制服」は誰かのお下がりなのかもしれません。
この近くには、教会があります。牧師さんの方針で礼拝堂を改築し、戦争で親を亡くした戦災孤児を収容していましたから、おそらく少女は、その中の一人なのでしょう。
「ねえ。ねえ。犬さん。貴方のお名前は何ていうの?」
えっ!!!
アカは、ずいぶんと驚きました。犬は人の表情や仕草で、だいたい、何を言おうとしているかまでは、分かるものです。だけど、彼女の語りかけは、彼にも理解できる「言葉」そのものだったからです。
「ああ、みんな、オイラのことをアカと呼ぶよ。ビックリしたよ。お嬢ちゃん、犬と話せるのかい?」
「ええ。そうよ。でも、牧師さんも、誰も信じてはくれないわ」
「私ね。戦争で、お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも死んじゃって、今は一人。ねぇ、アカ、私とお友達になってくれないかしら?」
「そんなことなら、お安い御用さ。こんなオイラで良かったらな」
「ありがとう♪ これはお近づきのしるしよ」
少女はポケットから焼き芋を取り出して、半分に割り、アカに差し出しました。お芋は、乏しい食料事情を考えれば、彼女にとってとても大切なもの。誰かにあげようと考えていたのか、ずっと持っていたのでしょう。犬が食べるには、ちょうどいい具合に冷めていました。
「ありがとな。じゃぁ、一緒に食べよっか。すまないな。お嬢ちゃんだって、ひもじいだろうに。ああ、そうだ、君の名前を聞いてなかったな」
「恵って言うの」
「おお、いい名前だ。恵ちゃんは教会の子? なら、ご両親はクリスチャンだったのかい?」
「そうよ。恵はね、英語でグレイス。神様の恩寵という意味で、お父さんが付けてくれたの。戦争中はいろいろ言われたけど、今、こうして教会のお世話になれてるわ」
お芋はアカにとって、とても美味しいものでしたが、彼の大きな胃袋を満たすには全く足りません。だけど、彼は、少女の真心が嬉しくって、嬉しくって。尻尾をブンブン振り回し、鼻先を擦り付けたのです。
「もう、アカ、くすぐったい」
「オイラ、君にあげるものなんて、何一つ持っていない。これはせめてものお礼さ」
「分かった、分かったから」
今度は、少女がアカの頭を優しく撫でました。アカの毛はムクムク、フワフワして、お日さまの匂いがしました。
二人がとりとめのない会話を交わしていると、時間はあっというまに過ぎてゆきます。日は西に傾き、カラスがカー、カーと鳴きながら寝床に帰る頃。
「ああ、もう帰らなくっちゃ。ねえ、明日も会える?」
「オイラ、いつも、ここいらをブラブラしてるよ」
「分かったわ。このあたりを探せば会えるのね」
「ああ、待ってるよ」
それから、毎日、少女はアカに会いに来ました。だけど、いつも、彼女が持って来れる食べ物を、もらえるとも限りません。
「ごめんね。今日のお昼は、すいとん、だったから、持って来れなかったわ」
アカがお芋にありつける日は、あまりありませんでした。でも、少女に会うと、アカはとても幸せな気持ちになれました。どこでどうなったのか、今は思い出せませんでしたが、少女は、逸れてしまった昔の主人の匂いがするようでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
だけど……。秋が終わり、季節は冬。アカには辛い季節です。
少女の気持ちを考えると、弱気な顔を見せるわけにはいきませんが、アカはもう、寒さが骨身にしみる歳なのです。
人と一緒に暮らし、大切にされたなら、現代では15年以上生きる犬もたくさんいます。でも、野良犬の寿命は2〜3年が普通です。いつも残飯をくれていた洋食屋さんが、不景気で閉店したことも、彼にとっては大きな痛手でした。
「ああ、お腹空いたなぁ〜。この分じゃぁ、今年の冬を越せそうにもない。せっかく、友達になれたのに、恵ちゃんに何て言えばいいのかな」
ある日のこと、アカは少女にこう言いました。
「なぁ、恵ちゃん、君は、生まれ変わりって信じるかい?」
「え? イエス様は、十字架に架かって、亡くなったけれど、三日後に復活されたと、聖書に書かれているわ」
「そうかい。ああ、仮に、仮にだよ。オイラに、もしものことがあったら。オイラ、必ず生まれ変わって、恵ちゃんとまた友達になるから」
「そんな、寂しいこと言わないで。でも、人も犬もいつかは死んでしまうものね。もし、そうなったら、私は、どうやってアカを見つければいいの?」
「そうだなぁ〜。ここを二人の『待ち合わせ場所』にしようか?」
「分かったわ。アカが、いなくなっても、毎日、毎日、私は、ここに来るわ」
「いやいや。それは、大変だ。そうだ、オイラの復活祭は、クリスマス・イヴの日ってことにしておこう」
「12月24日ね。でも、そんなの、まだまだ先の話でしょ?」
「あ、ああ……」
曖昧に答えたアカは、少し気持ちが落ち着きました。
♪ 船頭小唄 作詞:野口雨情(1945年没)




