葛藤
「ぐぬぅ……」
ミュシャは目の前のカレンダーを見つめて、声にならないうめき声をあげていた。そんな様子を心配そうに見守るマリアの両親には気づかず、ミュシャは大きくため息をつく。
「はぁ……。ほんと……最悪……」
仕事への不満ではない。自責の念にさいなまれているのだ。ミュシャはグレーがかった艶のある髪をくしゃくしゃとかきむしると、再びため息をついた。
この半年で、マリアを狙う輩がどうにも増えていると思う。もともと可愛らしい見た目ではあるが、それ以上にあの人好きのする性格だ。本人に自覚はなくとも、学生時代から好意を寄せている男は多かった。もちろん、ミュシャがけん制していたので、実際にマリアに近づく男は数えるほどだったが。
しかし、大人になってからはそうもいかない。ミュシャにも仕事がある。幸いなことにマリアが森の奥でひっそりと調香師をやっていたので良かったが、春からはガーデン・パレスに、王城に、と今ではちょっとした有名人だ。
ミュシャは焦っていた。このままでは、誰かにマリアをとられるのも時間の問題だ。収穫祭も、東都に男と二人で出かけるだなんて……。今までなら、必ずミュシャに声がかかっていたのだ。それが最近はどうだ。夏休みはあの騎士団の団長とケイとかいう男と港町へ行ったというし、マリアが少しずつ、遠い存在になっているような気がしてならなかった。ミュシャは、ぎゅっと胸のあたりをおさえる。
「収穫祭で……マリアに……」
言わなければ。この思いを、伝えなければ。
けれど、いざそう考えると、襲ってくるのは不安ばかりだ。マリアは、僕のことをどう思っているのか。嫌われてはいないはずだ、と思うものの、男性としては意識されていないような気がする。むしろ、告白をすることでマリアに嫌われてしまったら……?
ミュシャはぐるぐると頭の中でそんなことばかりを考えていた。
「ミュシャ君……大丈夫?」
見かねたマリアの母親が、優しくミュシャの隣に腰をかける。親子なのだから当たり前なのだが、マリアによく似たこの女性を見つめていると、泣いてしまいそうになる。
「大丈夫です……。その、すみません……。ちょっと、考え事を」
ミュシャは胸の内をなんとか押しとどめて、作り笑いを浮かべた。当然、ミュシャの下手くそな作り笑いがマリアの母親に通用するはずなどないのだが、マリアの母親は何を察したか、それ以上は何も言わなかった。
マリアのことは、一目惚れだった。初めて出会ったその日。ミュシャの瞳を、オリーブと同じ色だといったマリアの微笑みは忘れることが出来ない。それまで、ミュシャは自らの見た目があまり好きではなかった。華奢で、女っぽい。整った顔、といえば聞こえはいいかもしれないが、どちらかというと父親のような武骨で男らしい見た目に憧れていたのだ。しかし、マリアの一言で世界は変わった。今思えば、調香師の祖母を持つマリアらしい発言だが、当時のミュシャにはその感性が羨ましかった。
それから、マリアとはすぐに仲良くなった。マリアの両親が洋裁店を営んでいたせいもあっただろう。デザイナー志望だったミュシャは、この洋裁店にも何度か足を運んだし、そのたびにマリアとはたくさんの話をした。調香師を目指しているというマリアの話も、ミュシャには興味深かった。選択授業で同じクラスになることもしばしばだった。お互い、趣味や好みも似ていたこともあって、出会って数か月とたたないうちに二人は意気投合したのだった。
ミュシャは、知らず知らずのうちに昔を回顧していることに気づき、深いため息をつく。
「ほんと、すぐにでも言えば良かった」
こんなことになるくらいなら、出会った日に、マリアに伝えるべきだったのだ。ミュシャは悪態をつく。さすがのマリアでも、ここまですれば何かしら感じるのではないか、と思うようなことでも、マリアは気づかない。他人のことには敏感なのに、自分のことには全く鈍感なのだ。それは、ミュシャの想像をはるかに超えていた。
たくさんのライバルたち……それも、昔自分が憧れていたような大人たちが現れる前に、マリアを自分のものにできていれば。少なくとも、学生時代なら、ミュシャに軍配が上がっていたことは間違いないだろう。しかし、今やそれも怪しい。今まで、夢のような甘い生活に甘えていただけで、何も行動を起こさなかった自分に腹が立つ。しかし、今更この気持ちをなかったことにもできず、こうして葛藤してしまうのだ。
「あぁ! もう!」
男なら男らしく、一度決めたことを実行しなきゃ。ミュシャは自分自身に喝を入れ、先ほどまでにらめっこをしていたカレンダーに大きく丸を付けた。これでもう、後には戻れない。何も失敗すると決まったわけではないのだ。現時点では、マリアを狙っていると思われる他のライバルよりも、自分の方が圧倒的にマリアとの仲もいい。
「がんばれ、僕!」
ミュシャは、らしくない声を上げて、ペチペチと自らの両頬を軽くたたく。
「だ、大丈夫かい? ミュシャ君」
ミュシャの声に驚いたマリアの父親は、思わず目を丸くするのだった。
収穫祭まではあと半月ほど。洋裁店はその期間は休みだ。おかげで、カントスがいるとはいえ、マリアと一緒にまた旅行へ行ける。東都には子供のころに何度か行ったが、最近はめっきり行くことも少なくなった。まずは、その楽しみを味わおう。ミュシャは気持ちを切り替えて、リビングの椅子から立ち上がる。
「お風呂、入ってきます」
先ほどまで、頭の上にどす黒い雲をのせていた人物とは思えないほど吹っ切れた様子に、マリアの両親はぽかんとその後ろ姿を見つめた。
「ミュシャ君、大丈夫かしら」
「男には、やらなきゃいけない時があるんだよ」
心配そうなマリアの母親の肩を、優しく父親が抱く。
「ほんと、わが娘ながら……悪女だわ……」
マリアの母親は冗談めかして呟く。父親は、そんな彼女の様子を見ながら、
(一体誰に似たんだか……)
と言葉にはせず、心の中で呟いた。
「はぁ……」
ミュシャは、湯船につかってだらしない声を上げた。色々と暗いことを考えていたせいで、気が張っていたのか、どっと疲れが押し寄せる。ミュシャは大きく深呼吸をすると、カモミールの香りを存分に楽しんだ。以前、マリアからもらったものだ。大事に少しずつ使っている。先日も、夏の新作といってレモンのバスオイルを送ってきてくれたが、もったいなくていまだに仕えていない。夏が終わる前に、使わないとな。ミュシャはお湯を両手ですくい取って、手の隙間から落ちていく水の流れをぼんやりと見つめていた。
収穫祭で、マリアともしもうまくいかなかったら、僕はどうしようか。このまま、ここにいてもいいのか。それとも……。
「そろそろ、独り立ちをしてもいいころなんだよね……」
ミュシャはそっと目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、男手一つで育ててくれた父親のことだ。夏休みに帰省をした時は、まだまだ元気だと言っていたが、手の甲や顔にはしわが増えたと思うし、時々どこか遠くを見つめてぼんやりとしていることもあった。生まれ育った町も好きだし、独立して、自分のブランドを立ち上げて、少しでも早く父親に恩返しがしたいとも思う。
何もかもを、すぐに決める必要はない。そう思うものの、これはミュシャにとってもちょうど良い節目なのではないか。マリアともしうまくいったとしたら、その時はその時で、もう少し実家に近い場所にでも店を出せばいい。そうすれば、今まで通りマリアとも会える。
「ちょっとくらいは、寂しいって思ってくれるのかな……」
ミュシャは、いつか訪れる別れの日を想像して、小さく口を結んだ。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
大変ありがたいことに、17,000PV、ユニークも3,400人を超え、本当に嬉しい限りです。
たくさんの方にお読みいただけていること、お礼申し上げます。
さて、今回から新章、収穫祭編がスタートしました。
クリスティ編のどんよりした感じを少しでも払拭しようと思ったのですが……どんよりを引きずっていますね。(苦笑)
これから、お祭りの楽しい雰囲気のお話もたくさん出てきますので、ぜひお楽しみにいただけますと幸いです。
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