マリアの日記
厳しい暑さがようやく和らぎ始めた夏の終わり。王国では、収穫祭に向けての準備が始まっていた。
実りの秋の訪れを皆で祝福する祭りで、城下町を中心に、北の町、街の広場、港町、東都の五か所で五日間にわたって開催される。この期間だけは、毎年、パルフ・メリエも出張店舗として、街の広場で露店を出すことになっていた。
「今年は、クリスティさんのこともあるし、東都の方に行ってみようと思っているの」
電話越しに、ミュシャがそうなんだ、と相槌を打つ。
「ずっと東都にいるわけじゃないんだよね」
またマリアが、一人で遠くへ旅行に行くと言い出しかねないことをミュシャは心配しているのだ。祭りの盛大な雰囲気に飲まれて、物騒な輩が出ないとも限らない。
「えぇ。一泊二日にはなっちゃうけど……。今回はカントスさんも一緒だから大丈夫よ」
「カントス?!」
ミュシャの声が一段と大きくなる。
「僕も行く!」
やはり、そう言うだろうと思った。ミュシャは本当に心配症ね、とマリアは内心で思う。祭りの期間、実家である洋裁店は基本的にはお休みなので、ミュシャも暇なのだ。いつもはマリアの露店を手伝ってもらっているが、マリアが出店しないとなれば、他にすることもないのだろう。一応、クリスティの墓参りであることをミュシャに告げ、
「それじゃぁ、ミュシャも一緒に行きましょう」
とマリアは承諾した。ミュシャは電話越しでもわかるほど上機嫌な返事をして、電話は切れた。
収穫祭までは、後半月。普段であれば、出店準備はもちろんのこと、店に並べる商品を作ったりするため忙しいのだが、出店しないとなると特にすることもない。普段通り、パルフ・メリエの営業をしながら、店を閉める準備を少しずつ始めるだけだ。東都へ行く準備はまだしばらく先でも問題ない。マリアはうぅん、と伸びを一つする。日記を書く手を止めて、この半年間を振り返っていた。
初めてケイに出会った春。
「あの時は、ケイさんには失礼なことをしちゃったわ……」
マリアは、その出会いを思い出して頭を抱える。いくらなんでも、お客様に向かって悲鳴を上げるなんて……。今でこそ良くしてもらっているが、それもケイの人柄ゆえだ。最悪な出会いであったことに間違いはないだろう。マリアは、はぁ、とため息をついた。
「ケイさんは、どうしてあんなに良くしてくださるのかしら……」
ケイに限らず、マリアの周りにはそういう人ばかりなのだが、その中でもケイは少し特別なように思える。付き合いの長いミュシャはともかくとして、ケイはあまり人付き合いを得意としていないように思える。もちろんそれはマリアだからこそ、なのだが、当の本人は知る由もなかった。
「妹さんがいるって言っていたから、妹みたいなものなのかしらね」
マリアは自ら発した言葉に、胸がもやっとする。しかし、その正体は分からず、もう一度深く息を吐くのだった。
「それから……ガーデン・パレスに行ったのよね」
あの時は、それが王女様からの試験だとは思いもよらなかった。リンネと出会い、様々なことを学び、本当に良い経験になったと思う。
「リンネちゃんは元気かしら」
最近は、電話も手紙も出せていない。明日は、リンネちゃんにお手紙を書こう。マリアはそう決めて、便せんを机の上から取り出した。
「シュトローマーさんたちも……。また、ガーデン・パレスに行きたいな……」
基本的に関係者以外は立ち入り禁止なので会えないのは仕方がないのだが、手紙くらいは出そうか、とマリアはもう一枚便せんを抜き出した。
ガーデン・パレスから帰ってきたと思ったら、王城でディアーナ王女の専属の調香師として働くことになったのは記憶に新しい。あの期間は本当にあっという間だった。まさか、あんな事件に巻き込まれることになるとは……。思い出すだけでも、ぞっと背筋が凍るような感覚に襲われる。
「ディアーナ王女は、小さいころからずっと、あんな危険にさらされていたのね……」
ディアーナ王女の生い立ちを思い返すと、胸が締め付けられる。それでも、希望を持ち続け、強くまっすぐに前を向くディアーナ王女には、頭が上がらない。あんなに小さい体に、この王国のすべてを背負っている。
「少しでも、力になれたのかしら……」
香りに救われる人もいる。クリスティの言葉が頭をよぎる。
「私も、そんな調香師になれたのかしら……」
「家族のような存在だわ」
ディアーナ王女の凛とした声が頭に響く。マリアはハッと顔を上げた。ディアーナ王女からもらった言葉は、今もマリアの背中を押す。調香師としての、自信と誇り。ディアーナ王女からもらったもの。マリアは瞳に強い光を宿して、それから大きく深呼吸した。
王城から戻ってきた直後は、それはもう慌ただしい日々だった。あれほどまでパルフ・メリエがにぎやかだったことはない。山奥に集まる女性達。近くの小さな村に住んでいる人達にとっては、こんな不思議な光景はないだろう。あの時は村中で、マリアがついに怪しい香水を作ったんじゃないかと噂になった、と郵便屋の青年から後から聞いた時には恥ずかしかったが。
しかし、そのお陰でパーキンに出会えたことも事実。化学の力によって生み出された新しい香りたち。これからはきっと、ああいう作り方が主流になるのだろう。季節を問わず、ほしい香りを意のままに作り出す、魔法のような……。
「そういえば、パーキンさんのお店は、収穫祭の時にはどうするのかしら」
マリアは机の引き出しにしまわれた、キングスコロンの入門カードを思い出す。これを見せれば、いつでもキングスコロンに出入りが出来る。マリアを思ってのことだろうが、同業のライバルともいえる存在に、そんなものを渡してしまっても良かったのだろうか。マリアのことをよほど信頼しているのか。とにかく、パーキンのあの経営の才能は、一店主として見習うべきものがある。
(収穫祭で忙しくなる前に、連絡してみようかしら……)
アイラのことを思い出すと、少し胸が痛む。アイラもディアーナ王女と同様に、強く、芯のある女性だ。シャルルとのことがうまくいかなかったことは、残念だったが、本人はそれでも良い思い出になったと言った。マリアにとっては、それで十分だ。あれ以来、アイラは見合い相手と時折デートをするほどの仲になり、新たな恋を楽しんでいるらしい。
「香水って悪くないのね」
おしゃれには無頓着だったアイラが、マリアの香りをずいぶんと気に入ってくれたことが嬉しかった。
それから、メックからの手紙をもらって訪れた北の町。まさか、そこでカントスに出会うことになるとは思いもしなかったが、本当に不思議な巡り合わせだ。メックからもらったブルンキュラの花は、すでに枯れてしまったが、その精油は今も調香の部屋に並んでいる。あのむせかえるほどの濃厚なバニラの香りは、思い出しても素晴らしかった。
カントスとの二週間にも及ぶ生活も素晴らしかった。はじめこそは、あのペースに慣れず、少し引いてしまうこともあったが。今となっては、良い思い出だ。マリアはその時のことを思い出してクスクスと肩を揺らす。
「そういえば、カントスさん、朝から雨の中傘も持たずに森へ出ていたことがあったわね」
あの時だけではない。カントスの行動にはいつも驚かされてきた。しかし、その分多くのことを学ばせてもらった。
クリスティのことは、きっとこれから先、一生忘れることはない。彼女の知識の豊富さ、素晴らしい人柄。短い間ではあったが、教わったことは何一つとして忘れない。マリアはもう一度そのことを心に刻む。薬にはない、不思議な力。祖母が、時を売る仕事だと言ったように。人に深く根付いて、そばにあるもの。それを改めて教えてくれた。
「クリスティさん……ありがとうございました」
マリアはゆっくりと手を合わせ、祈る。思い出は胸の中に。
マリアは日記を閉じる。素晴らしい日々が訪れることを祈って。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
本日、ついにブックマーク件数が80件を超えまして、夢の100件まであと少しとなりました……!
たくさんの方に読んでいただけて、本当に幸いです。ありがとうございます!
さて、今回は閑話休題的な、というよりも今までのあらすじ?総まとめ?的なお話になりました。
マリアと一緒に思い出を振り返って楽しんでいただけたら幸いです。
次回から新章に突入します!ぜひ、お楽しみに*
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