別れと祈り
クリスティの葬式はしめやかに執り行われた。喪主は東都に住んでいたクリスティの妹で、訃報を受けてクリスティの家まで駆け付けたのだった。クリスティと同じエメラルドグリーンの瞳が、悲しみに濡れていた。あの場にいたマリアとカントス、医者はもちろんのこと、クリスティの馴染み客やクリスティの教え子などが参列し、クリスティは大勢の人に見送られた。
死因は、不整脈による心停止。数か月前から、クリスティは胸のあたりが重い、と医者には相談していたようだが、それは心臓発作の予兆だったらしい。気づけなかった、と医者は最後まで悔やんでいたが、今となってはどうしようもないことだった。
「誰も悪くはありません。姉も、最後は安らかな表情で……きっと、幸せだったのでしょうね」
クリスティの妹は涙ながらに微笑んだ。その落ち着いた声は、クリスティによく似ていた。
「あなたがカントスさんね」
クリスティの妹は、泣きはらした目をこするカントスの方へ歩み寄る。カントスはゆっくりと顔を上げた。
「クリスティから、良く話を聞いていました。あなたが王国で有名な画家になったと聞いた時、それはもう姉は自慢げでした。カントスは私の教え子なのよ、とね」
クリスティの真似をして、彼女はどこか遠くを懐かしむように見つめた。
カントスの瞳に止まっていたはずの涙が溢れる。
「教授には……お世話になって……私は……それを恩返しも出来ないまま……」
カントスの声に、クリスティの妹は優しく微笑んだ。
「いいえ、姉は言っていましたよ。カントスに出会ってから、毎日が楽しいって。ありがとう、カントスさん。姉の代わりにお礼を言わせてちょうだい」
「そんな……私も……教授に、出会えて良かった……」
カントスは膝から崩れ落ちると、子供のように声を上げて泣いた。
クリスティは、生まれ故郷である東都の地に埋葬されることとなった。
「ぜひ、東都にも遊びにいらして。かわいい調香師さんたち」
クリスティの妹は、最後に手を振ると、カントスとマリアに視線をやった。死者との別れは、笑顔で。昔からの習わしだ。カントスもマリアも、真っ赤になった目を無理やり細めて、クリスティと、クリスティの妹の背を見送った。
クリスティの家は、クリスティの妹が遺品の整理をした後に、売り払われることになった。家の中に飾られていたたくさんの植物や、美しい中庭もなくなってしまうのは悲しかったが、仕方のないことだ。他に管理できる人がいないのでは、家も腐ってしまうだけだ。
「大丈夫さ。思い出はずっと、私たちの胸の中にあるだろう」
真っ赤な鼻をズルズルと鳴らしながら、カントスはマリアの肩をそっと抱く。マリアも、そうですね、とうなずいた。
もっとたくさん話したいことがあった。クリスティの確かな薬学の知識も、それに基づく調香も、まだまだ学びたいことはたくさんあった。祖母のような、優しさと穏やかさがあり、時折見せる茶目っ気たっぷりな人柄は、マリアには魅力的に映った。こんな風に年を重ねていきたい。素直にそう思ったのだ。けれど、そこにはもう、クリスティはいない。いつかはどんな人にも別れが訪れる、と分かっていたつもりだが、あまりにも早すぎる別れだった。
ぽっかりと空白が横たわるクリスティの家をしばらく見つめた後、マリアとカントスはそれぞれの場所へと向かって歩き出す。すぐに気持ちを切り替えることは出来ないが、それでも、クリスティの分まで、自らが出来ることをしなければならない。二人ともそう考えていた。クリスティと同じ調香師として。
「香りに救われる人がいる」
クリスティの言葉を忘れないよう、胸に刻んで。
パルフ・メリエに戻ると、マリアは店の棚から一つ、アロマキャンドルを手に取った。二階へ上がり、自室の扉を開ける。机の上にアロマキャンドルを置き、火を灯す。小さめのティーライトがほのかに光る。炎がチラチラと柔らかく揺れ、ふわりとホワイトセージ独特の香りが漂った。マリアはその明かりに向かって両手を組み、目を閉じる。
「どうか、安らかに……クリスティさん」
不規則に、細く、細く、天までたなびく白い煙が、部屋の窓から外へ流れていく。煙が、天まで思いを届けてくれるような、そんな気がする。マリアはその煙がずっと、はるかかなたまで続いていく様子を目で追った。
「東都にも、会いに行きますから」
マリアは、誰に言うでもなく、そっと自分自身と約束をする。必ず、クリスティの墓に挨拶へ行こう。そして、いつか、気持ちの整理がついたら、またカントスと一緒にクリスティの話が出来れば良い。そう思うのであった。
時を同じくして、カントスもまた、教会へと戻る路面電車に揺られていた。
「今思えば……教授に呼ばれたのかもしれないな」
カントスは小さな声で呟く。外を流れていく煌びやかな城下町の景色は、今のカントスにとっては何の慰めにもならない。しかし、それでもないよりはマシ、というもので、カントスは城下町の風景に視線をやった。
北の町へ着くころにはすっかり日も暮れて、教会までの道のりを考えるとげんなりしてしまう。国境の門まで続いている大通りをまっすぐに進み、門の手前でカントスはその足を止めた。カントスがたまに利用する花屋だ。すでに営業中の看板を下ろしている。しかし、カントスが店の扉を何度かノックすると、その扉は開かれた。
「おや、カントスさん。こんな時間に……」
どうしたんだい、と言いかけて店主は口をつぐんだ。カントスの顔を見れば、何があったのかを聞くのは無粋だと分かる。
「好きな花を持っていくといい。お代は今度でかまわないさ」
カントスは店主の心遣いに礼を言うと、店の奥に並んでいた真っ白な花束を手に取った。
白いユリとカラーが美しく束ねられ、勿忘草の淡いブルーが添えられている。
「リボンは、何色にする?」
「エメラルドグリーンを……。とびきり美しく結んでくれないか」
カントスの要望を店主は快く飲み込む。カントスが選んだ花束を受け取ると、レジ横にかかったリボンのリールから、エメラルドグリーンのリボンを引き抜く。手際よく、けれど丁寧に。店主はきっちりと結び目を作り、その見事な花束をカントスへ手渡した。
カントスは、胸に美しい純白の花束を抱いて、馬車に乗った。街灯と月明かりだけが道を照らす。教会まではあと少しだ。カントスは窓の外をぼんやりと眺める。
「美しい……月の夜だな……」
マリアの作った、夜の香りを思い出させる。煌々と輝く黄金の月。穏やかな静寂。どこかピンと張り詰めたような、夜の空気。
「教授の調香技術が、私に……そして、私からマリアに……。不思議な縁もあるものだ」
ふっと口角を上げて、カントスは目を閉じる。もう、ここにはいない教授。彼女の優しい笑みが、落ち着いた声が、美しい瞳が。カントスをここまで導いたのだ。
「運命とは、残酷なものだ」
久しぶりの再会すらも、満足にはさせてくれない。カントスは皮肉なものだな、と天を仰いだ。
教会のステンドグラスに、月のあかりが差し込み、それは幻想的な光景を作り上げていた。死者を弔うのに、これほど適した場所もない。カントスは、教会の奥に備え付けられた簡易的な部屋から、乾燥したホワイトセージの束と小皿、マッチ箱を取り出す。部屋を出て、カントスはゆっくりと歩き出す。
天窓から差し込む月明かりがスポットライトのように、そこを照らしている。ステンドグラスの美しい色彩が、教会の真っ白な床に反射している。カントスは、そっとそこへ跪くと、小皿の上にホワイトセージを置き、マッチ箱を擦って火をつけた。ホワイトセージの香りが、煙とともにくゆる。そっと花束を添えて、カントスは手を合わせる。
「どうか、安らかに」
カントスの祈りは、煙と共に天高くのぼっていった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
大切な人とのお別れは、いつも悲しいものですが、それと同時に、我々にたくさんのことを教えてくれるものだな、と思います。(美化するわけではないですけど……)
さて、クリスティ編もいよいよ終わりに近づいてきました。
クリスティ編も最後までお楽しみいただけましたら幸いです。
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