カントスと教授
マリアの夏休みも終わりを迎えようとしていた。港町へ行ったり、クリスティから調香を教わったり、実家で両親とゆっくり過ごしたり、久しぶりに学生時代の友人と会って遊んだり。とにかく休みを満喫したマリアは、パルフ・メリエへ戻ろうと荷物をまとめていた。
(ミュシャへのお土産も、パパとママにお願いしたし……)
忘れ物はないか、とマリアは自室を見回す。いつでも帰ってこられるのに、実家を離れる時はいつも少しだけ寂しくなってしまうものだ。マリアはトランクケースを持ち上げ、すっきりとした部屋を背にした。
「だから、住所がわかんないんじゃねぇ……」
「この間のエトワールくんは、店の名前だけでも案内してくれたんだが」
「それはそうかもしれないが……。有名な店ならまだしも、この店の名前は聞いたこともない」
「そんなはずはない。私は、広場へ行けば分かると、城下町で他の騎士団の人に言われたのだよ」
「いやぁ……すまないが、俺には分からないな……」
街の広場に差し掛かり、マリアは聞きなれた声に首をかしげた。近くで、騎士団の男性と何やらもめている様子で、周囲にはちょっとした人だかりが出来ている。
「それならせめて、シャルルのもとへ連れて行ってくれ!」
「団長は夏休み中でいらっしゃらないんだよ」
困ったように眉を下げる騎士団の男性と、長身の男。ブルーベージュの髪と、琥珀色の瞳。マリアは慌てて駆け寄った。
「カントスさん!」
カントスは声のする方へ視線をやった。見知った女性が人の間を縫ってこちらへと駆けてくる。
「ミス・マリア!」
騎士団の男性は、チャンスだと言わんばかりにマリアに敬礼をすると、その場を去っていく。後は任せた、ということなのだろう。マリアも小さく会釈した。
「どうしてこんなところに」
「今は夏休みだと聞いたからね、教授に会いに来たんだ」
カントスはあっけらかんと答える。教授、というのはクリスティのことだろう。
「だが、教授からもらった手紙を教会に忘れてきたようでね。住所が分からず、店の名前を尋ねてまわっていたところさ」
相変わらずすごい人だ、とマリアは思う。言葉には出さず苦笑した。
「クリスティさんのお家の場所なら分かりますから、ご案内しましょうか」
マリアが言い終わると同時に、カントスはマリアの両手をしっかりと握りしめて、瞳を美しく輝かせる。
「ぜひ! よろしく頼むよ、ミス・マリア!」
カントスと過ごしたあの時から、まだあまり日も経っていないというのに、マリアはすっかりこのペースに懐かしさを感じていた。
レンガ造りの町並みを歩く。カントスは珍しそうに左右をキョロキョロと見回しながら、北の町へ戻ってからのことや、この夏休み(とはいっても、カントスは気まぐれで、毎日が休みのようなものらしいが)のことを話した。
「いやぁ。まさかマリアさんに会えるとはね。素晴らしい巡り合わせだ」
カントスは上機嫌で、マリアの数歩先を歩く。軽やかな足取りはまるでダンスでも踊っているかのようだ。クリスティに会えるのが楽しみなのだろう。
マリアは、つい先日見たばかりの扉の前で立ち止まり、ドアノッカーを打ち鳴らす。
「どなた?」
やや空白があって、クリスティが扉から顔を覗かせた。
「あら、マリアちゃんじゃ……」
クリスティは、扉を大きく開けて口をつぐむ。マリアの後ろに立っていたカントスの姿を見つけると、大きく目を見開いて口元に手を添えた。
「カントス……」
「教授!」
カントスの後ろに花が見える。まるでサンタクロースに出会った子供みたい。
「夏休みだとお聞きして、会いに来てしまいましたよ」
カントスは丁寧なお辞儀をすると、クリスティはようやく現実を受け止めたのか、ゆっくりと扉を押し開けて、二人を中へ招き入れた。
いつもは二人分のティーカップが、今日は三つ並んでいる。真ん中には先日マリアがお土産に渡したフルーツが綺麗にカットされて置かれていた。
「驚いたわ。まさか、カントスがこんなところまで来てくれるなんて」
フルーツをポイポイと口に放り込んでは満足そうに次のフルーツへとフォークを突き刺すカントス。クリスティの話を聞いているのか、聞いていないのか、非常に怪しい。恩師より目の前の美味しいもの。カントスらしいといえば、カントスらしいのだが。
「マリアちゃんも、ごめんなさいね。案内してもらっただなんて。どこかへ行く途中ではなかったの?」
クリスティは気にしていないようで、マリアの足元に置かれたトランクケースに視線をやった。
「夏休みももう終わりなので、実家から店に戻るところだったんです。この後の用事もありませんでしたし、私は大丈夫ですよ」
マリアが微笑むと、クリスティは安心したようにほっと息をつき、カントスの方へ視線を戻した。
カントスは、クリスティ特製のハーブティーに口をつけているところだった。ようやく満たされたらしく、ティーカップを置くとクリスティの方へ視線をやる。
「先日、マリアさんと偶然お会いしてね。色々と話しているうちに、教授に会いたくなったのですよ。この間、手紙をいただきましたよね。それで、夏休みだと思い立って」
マリアと話している時よりも、少しだけ落ち着いた話し方だった。それは、敬愛する教授への、カントスなりの礼儀だった。
「嬉しいわ。でも、教授はやめてちょうだい。もう、私は先生ではないの」
「難しいことをおっしゃる。私には、いつまでたっても教授は教授です」
カントスは美しく微笑んだ。クリスティはそんな教え子の姿に、諦めたように笑う。
「ふふ。相変わらずね、カントス。一緒に王女様の試験を受けたのよ。対等な立場だわ」
「あんなものは、私にとっては何の価値もない。あの香りだって、私はあまり好きになれなかったんだ」
カントスの言葉に、クリスティは珍しく声をあげて笑った。
「ほんと、相変わらずね。マリアちゃんから、あなたのことを聞いて、少しは落ち着いたと思っていたの。でも、やっぱり、あなたは……いつまでたっても、あなたね」
クリスティはとても楽しそうだった。二人の過去をあまり知らないマリアにさえ、どれほど二人が良い関係を築いてきたのか、手に取るように分かる。
「こんな私を調香師にしたのは、あなたですよ。クリスティ教授」
「あら。あなたは自分で選んだのよ。カントス」
二人の掛け合いは、しばらく止まるところを知らなかった。楽しそうな二人に、マリアも自然と顔がほころんだ。
「そうだわ。カントス、あなた、以前風邪を引いたって言っていたでしょう。北の町はここよりも冷えるんだから、教会の床で寝たりしてはだめよ。そうだわ。風邪薬と、風邪に効く精油もいくつかあるはずだから取ってくるわね」
クリスティは思い出したように立ち上がった。そのまま調香の部屋へと向かう。カントスはその背中に肩をすくめる。
「……母親がいたら、あんな感じなのだろうか」
マリアはその穏やかな声に目を細めた。
ガシャン! とガラスの砕け散る音がして、マリアとカントスは反射的に立ち上がる。調香の部屋の扉を開けると、クリスティが胸をおさえてうずくまっていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
カントスがどうしても教授に会いたくなったようで、こうして師弟を書くことになりました。
最後の最後ですごく不穏な展開になってしまったのですが……次回をお待ちいただけますと幸いです。
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