港町の夜
夕暮れになると、海は夕日に照らされて柔らかな橙色に染まる。太陽が沈み始めれば、厳しい暑さもいくぶんかましになるというもので、マリア達の間を通り抜ける爽やかな海風が心地よかった。
「また、いつでも遊びに来てちょうだい」
ディアーナとエトワールに手を振られ、マリア達三人は馬車に乗った。
別荘での半日は、あっという間だった。ディアーナとエトワールのお城での話を聞いたり、マリアが出会った調香師たちとの話をしたり。シャルルとケイは、騎士団での出来事や、王国で起こった様々な話を聞かせてくれた。いくつかテーブルゲームを楽しんだりもしたが、これはほとんどがシャルルの一人勝ちで、終盤になるとディアーナがむくれていた。
「こんなに羽を伸ばしたのは久しぶりだよ」
シャルルも、別荘での出来事を思い出していたのか、楽しそうに小さくなっていく赤い屋根の家を見つめていた。
馬車は、エトワールに教えてもらった絶景スポットに差し掛かる。夕暮れ時も美しい、と言っていたのを思い出し、マリアは窓の外を見つめた。シャルルとケイも同じように、外へと視線を向ける。
「……そろそろだね」
シャルルが小さく呟くと、三人の眼前には想像を超える絶景が広がった。
「すごい……!」
夕日を反射させた海は、金色に光り輝き、空の青と海の青が溶け合う。しぶきは白く、それでいて赤を照り返して、紫から薄青へとその色を変化させながら揺れる。
「少しだけ、馬車を止めてもらおうか」
シャルルは馬車の窓を開けると、何やら外へ声を投げかけた。ゆるやかに馬車は停車し、マリアはケイにエスコートされながら馬車を下りる。
「本当に、素敵ですね……」
ザン、と波が寄せる音が空いっぱいに響く。三人はしばらく、その海の様子を見つめていた。
結局そうしているうちに日は沈み、三人が港町へ戻るころには空も暗くなっていた。あちらこちらの街灯、港にとまっている船の明かり、露店にかかったランプやランタンの光。港町は夜でもにぎやかで、まるでお祭りのようだ。多くの店が外にテーブル席を並べていて、皆そこで楽し気に食事やお酒を楽しんでいる。町を包むように店中から立ち込める香りが食欲をそそる。
「とってある宿はこの先なんだけど、先にご飯にするかい?」
シャルルの提案に、ケイとマリアは、もちろん、と首を縦に振る。
「どうせなら、おいしい海のごちそうをいただこうか」
シャルルはにっこりと微笑んで、近くにいた人に声をかけた。こうした行動の速さを見習わなければ、とケイは思う。誰にでも気さくなところも、ケイにとっては憧れる。
「あっちにおいしいお店があるらしい。行ってみよう」
シャルルは、そんなケイの憧れを裏切らないスマートさで軽やかに歩き出した。
海の音が聞こえる店先のテーブル席。マリアとケイ、シャルルはその円卓に並べられた料理に満足げな笑みを浮かべた。
エビとオイスターが交互に並んだ華やかな大皿。ムール貝がふんだんに盛り付けられたトマトパスタ。真っ赤なパプリカが鮮やかな、イカとアンチョビの炒めもの。サラダにもサーモンと薄切りのタコが和えられており、まさに海のごちそうと呼ぶにふさわしい。
「それじゃぁ、素敵な港町に。乾杯!」
カチャン、とグラスのぶつかる音が心地よい。普段はお酒を飲まないマリアも、今日ばかりは例外だ。休みだから、とシャルルにすすめられたこともあり、一杯だけ、と注文した。ケイとシャルルもグラスに注がれた酒に口をつけ、マリアも同じようにグラスに口をつけた。口の中でシュワシュワと弾ける炭酸が爽快だ。レモンの爽やかな風味も、夏らしくて良い。アルコール特有の苦みとそれに混ざるほのかな甘みを口の中で楽しんだ。
「んん~~~! これも絶品です!」
マリアがほわほわと顔を緩ませると、ケイとシャルルは柔らかな笑みを浮かべた。先ほどから口にするものすべてにおいしい、とうっとりするマリアの破顔っぷりは、周りにいた人々をも幸せにするほどの力がある。シャルル達の周りのテーブルに座っていた人たちは、マリアが嬉しそうな声を上げるたびに、ニコニコと微笑んだ。そんなわけで、目の前に座っている男二人が、それを見て何も思わないわけがなく。あれもこれも、とマリアの皿に料理をとっては食べるよう勧め、その様子を楽しんでいた。
「はぁ……。おなかいっぱいです。お料理も、お酒も本当においしくて……。幸せです」
一杯だけ、と言っていたのに、気づけばマリアは三杯ほどお酒を飲んでいた。頬をほんのりと赤らめ、どこかトロンとした瞳でうっとりと呟くマリアを、ケイとシャルルは直視できない。
(あの、ミュシャとかいうデザイナーの気持ちが分かった気がする……)
ケイはそんなことを考え、
(マリアちゃんって……本当に罪深い女性だよね……)
とシャルルは苦笑いを浮かべる。最終的に騎士団としての性だろうか。二人は
(彼女のこの笑みを、絶対に守らなければ……)
そう思うのであった。
レストランを出て、三人は少し海辺を歩く。酔い覚ましも兼ねて、夜風に当たりながら存分に夜の港町を堪能していた。もう宿のすぐ近くまで来ており、後は宿でゆっくりと休むだけだ。明日は昼前の鉄道に乗る予定なので、朝もゆっくりできる。
「ふふ。本当に楽しかったです」
マリアは後ろを歩く二人の方へ、微笑みをたたえて振り返る。涼し気なライトパープルのスカートが翻り、チュールレースの薄く透き通った生地が風に揺れる。海と月の光が、マリアを美しく輝かせる。
二人は、そのマリアの姿をしばらく見つめていたい、と思った。無意識に足を止めてしまったのは、そんな気持ちの表れだったとも言えよう。
「明日の朝は、どうしましょう。なんて……少し、明日のことを考えるのも寂しくなっちゃうくらい、素敵な旅行でした」
マリアの言葉に、ケイとシャルルは言葉を失う。そして、その時初めて、自らの隣に立つ人物が、同じ思いであることに気づく。
「……うん。そうだね」
言葉少なに答えたシャルルは、思わず口角を上げた。まさか、自らが一番信頼し、実力を認める部下が、この恋の相手とは。
「あぁ、そうだな。良い旅だった」
続けて答えたケイも、何か、胸に熱いものがこみあげてくるのを感じる。まさか、最も尊敬し、憧れる上司が、この恋の相手とは。
二人の想いに気づくはずもないマリアは続ける。
「また、来ましょうね」
それは、三人で、という意味なのだが、目の前の二人にとってはそんな簡単な話ではない。ケイとシャルルは互いに視線を送り、それから小さく笑みを浮かべた。
「あぁ。必ず」
「そうだね。また来よう」
二人の言葉の真意も知らず、マリアは二人の返事にパッと目を輝かせたのだった。
宿に着いた三人は、それぞれ並びの部屋に分かれた。おやすみなさい、と声をかけ、扉を閉めれば、三人の港町での一日は終わりを告げる。
「今日は本当に素敵な一日だったわ。明日は、みんなにお土産を買って帰らなくちゃ」
マリアはベランダから海を一望して、小さく歌を口ずさむ。海の町に生まれ育った祖母から教えてもらった船乗りの歌だ。今のマリアの気分にはぴったりな陽気な歌。
ケイとシャルルは、ベランダ越しに聞こえるマリアの歌声に耳を傾けていた。その穏やかな声はまるで海のさざめきのよう。陽気な歌はこの港町のよう。どこか高揚するのは、夏休みだからか、初めて訪れた町だったからか。それとも……。その夜、二人は波の音に混じるマリアの歌声をじっくりと堪能した。
翌日の帰り道。鉄道に揺られていたマリアは、ケイとシャルルに歌がうまいと褒められ、昨晩の歌が聞かれていたことを知ると、顔を真っ赤にして俯くのだった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
港町の夜や普段と違う(?)マリア達の様子を描いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
個人的にはとてもお気に入りのお話なので、皆様にも楽しんでいただけていたら幸いです。
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