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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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夏休みの予定

 シャルルが店に訪れたのは、カントスがパルフ・メリエを去ってから二日後のことだった。

 西側にある国境の門。そこの様子を見に行った帰りに立ち寄ったのだという。カントスがすでにいないことを知ると、少し残念そうに視線を落とした。


「本当に昔から、カントスのこういうところは変わらないな」

 嵐のように現れ、嵐のように去っていく。確かに、それがカントスらしい、とマリアも思う。

「あの絵は、カントスのものだね」

 シャルルは、ジュークボックスの隣に飾られた絵を、どこか懐かしそうに見つめた。


 窓の外から燦々(さんさん)と降り注ぐ真夏の陽射しが、カントスの絵を一層美しく輝かせる。油絵の具の上に塗られた保護剤が、光を反射させているのだろうか。光の当たり方によってチラチラとほのかにきらめく光のせいか、まるで絵そのものが動いているような錯覚に(おちい)るから不思議だ。いくらでも見ていられる。マリアとシャルルは、しばらくその絵を見つめていた。


「シャルルさんが、カントスさんの初めてのお客さんだそうですね」

「おしゃべりなのも相変わらずだね」

 昔の話をされるのは少し恥ずかしいのか、シャルルは視線を外した。

「昔からシャルルさんは優秀だった、とカントスさんはおっしゃっていました。憧れの人物に絵を売ってくれ、と言われたことが誇らしかった、と」

 マリアの話に、シャルルはますます困惑した表情を浮かべる。いつも飄々(ひょうひょう)とした、爽やかな笑みを浮かべているだけに、そういう姿は珍しい。


 よほどむずがゆいのか、シャルルはしばらくマリアの話を聞いた後、

「今度会った時は、プライバシーの侵害だ、とでも言っておくよ」

 と、冗談めかす。レモンティーに口をつけ、この話はやめよう、と言わんばかりに目を伏せた。マリアはクスクスと肩を揺らし、止まっていた手を再び動かした。


「お待たせしました」

 丁寧に包装した紙袋をシャルルに差し出して、マリアは中に入っている品物の説明をする。

「ハーブティーと、お風呂用の精油です。この精油は、グレープフルーツとゼラニウム、それから少しサンダルウッドが混ざっています。爽やかな甘みと、すっきりした香りが特徴です。数十分も経てば、落ち着いた木々の香りもするはずですから、良かったらゆっくりお湯につかってお休みください。それから……夜の香りも入っていますので」


 夜の香り。その名前と、美しい装飾に惹かれて、シャルルはその香水を購入することにした。マリアの店ではそのような、どういった香りがするのか分からない、不思議な香りは今まで取り扱っていなかったはずだ。カントスがしばらく厄介になっていたというし、その影響かもしれない。シャルルはそんなことを考える。


「夜の香りは、開けてからのお楽しみ、ということだね」

 シャルルの問いに、マリアは、はい、と楽しそうな笑みを浮かべる。いつも見る笑みよりも少し幼い、いたずらっ子のような笑顔だ。

「それじゃぁ、楽しみにしておこうかな。いつ使ってもいいのかい?」

「お休み前がおすすめですが、もちろん、朝でも、お昼でもお好きな時にお使いください。心を落ち着けたい時にはぴったりだと思いますから」

 マリアの言葉に、シャルルはなるほど、とうなずいた。


「そうだ。ディアーナ王女が、マリアちゃんに会いたがっていたよ。もし、時間があるならまた王城に来てほしい、とね」

 シャルルは思い出したように口を開く。マリアもその言葉には目を輝かせた。時折、手紙でのやり取りはあるものの、なかなか会いに行く時間はとれていない。そもそも、今は王城勤めではない。気軽に王城へ立ち入る、というのはためらわれる。


「夏休みはあるのかい?」

「えぇ。一応、一週間ほど、猛暑日が続く時期はお休みをいただいてるんです。お客さんも少ないですし、植物を入れ替えたりする時期なので……」

 マリアの返答に、シャルルは何かを考えるように、ふむ、と(あご)に手を添える。しばらくしてから、良いことを思いついた、という風にいつもの爽やかな笑みを浮かべる。


「それじゃぁ、ディアーナ王女にはそう伝えておくよ。一日くらいなら、都合はつくかい?」

「えぇ。大丈夫ですよ」

 何気なく答えたマリアに、シャルルはにっこりと微笑む。この時、マリアはこの返答がいったいどういう結果を招くことになるのか、まだ知る由もない。


「シャルルさん、お気をつけて」

「ありがとう、また来るよ。マリアちゃんも体には気を付けてね」

 玄関先でシャルルを見送り、マリアは店へと戻る。ほんの少し外に出ただけなのに、溶けてしまいそうなほど、太陽の陽射しは厳しい。

(さすがにもう、お昼の間は、あまり外には出られないわね……)

 マリアは額にうっすらと浮かんだ汗をハンカチでそっと拭うと、ふぅ、と一つ息を吐いた。


「それにしても、もう夏休みの時期なのね」

 マリアは先ほどのシャルルの言葉を思い出し、カレンダーを見つめる。すでに一年の半分が終わってしまった。うかうかしていたら、あっという間に秋が来てしまう。少しずつ植物の入れ替えや、裏庭や森に生えた植物の剪定(せんてい)をしてはいるものの、本格的に暑くなってきてしまった今、その作業も早朝か陽が落ちてからしかできない。こんなことなら、もっと早くに始めれば良かった、と後悔しても遅いのだ。今となっては、早く暑さが落ち着くことを祈るしかない。


 夏休みの予定は、と言えば、パルフ・メリエの大掃除と、植物の植え替え、実家への帰省。マリアにはその程度の予定しかないが、実家へ帰省すれば、両親と出かけたり、学生時代の友人に会ったり、となんだかんだで忙しい。夏休みばかりはミュシャも実家へ帰省しているので、ミュシャと出かけることはないのだが、それでなくても意外とあっという間に終わってしまうのが休みというものだ。


 マリアは、今年はどうしようか、と考えながら植物図鑑に目を落とす。夏休みの予定はもちろん、秋にかけてどんな植物を植えるか、ということがマリアにとってはもっぱらの悩みだ。

「リコリスに、ネリネ……それから、サフランは決定ね」

 マリアはサラサラとメモにペンを走らせる。街の広場にある花屋や露店で種がそろえられるかどうかも、調べなければならない。

(来週のお休みは、広場の方へ出て、お店を回らなくちゃ)


 それからマリアはパラパラと植物図鑑をめくり、いくつか候補を書き出していく。

「カンパニュラもかわいくて素敵ね。それに、スノーフレークも……。スノードロップはもう少し涼しくなってからの方がいいのね……」

 なるほど、と独り言をつぶやきながら、マリアはその手を休めることなく動かす。香りを考えている時や、作っているときも楽しいが、やはり植物を育てるために色々と思案するのも楽しいものだ。気づけばすっかり夜も更けており、マリアは慌てて寝床へもぐりこんだ。


 ベッドへ腰かけ、マリアはサイドテーブルの上に置かれた香水瓶を見つめる。カントスからもらった『朝の香り』。美しい琥珀色の瓶が、月の光に照らされて淡く輝いている。最近の目覚めはこの香りからだ。

(夏休みは、北の町にまた遊びに行くのもいいわね……)

 マリアは、カントスの姿を思い浮かべながら、ぐっすりと眠りについた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/07/28 ジャンル別月間ランキング 82位をいただきました。

13,000PVも達成しておりまして、本当にお読みくださっている皆様にお礼申し上げます。


今回で、カントス編はおしまいとなります。

今回は章と章の間の閑話休題的な感じでしたが、楽しんでいただけましたら幸いです。

次回から、新章突入です♪ぜひお楽しみに!


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― 新着の感想 ―
[良い点] カントス編読了しました カントスはこれまでとはキャラの違う人物でした。 しかも、最初は敬遠されがちな人物のいいところが見えてくるという構造でした 正しくニュアンスを伝えるのが大変なキャラだ…
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