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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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朝の香り



 カントスに手伝ってもらい、マリアはカントスの絵を店内に飾り付けた。ジュークボックスの奥。観葉植物の並んだ小さな棚の上に飾られたそれは、まさしく森に降り注ぐ外からの木漏れ日にさらされると、より一層美しく見えた。マリアはそれを眺めながら、ほぉっとため息をつく。

「ミュシャが見たら、きっと喜ぶでしょうね」

 先日のミュシャの顔。あの後、ミュシャはカントスを認めたのだろうか。マリアは思い出し笑いに肩を揺らした。


 一方その頃、カントスは調香の部屋にこもっていた。絵が完成して、後は香りだけだ。普段とは違う場所での調香。マリアから教えてもらった様々な植物と効能。カントスにはどれも貴重な経験で、アイデアは湯水のようにわいてくる。

「む……この香りじゃないな。こちらか」

 カントスは綺麗に並べられた精油の瓶を、次から次へと手にとっては、戻し、また新たに手にとっては香りを確かめる。


 カントスは、新たに作っている香りがどんなものなのか、マリアには内緒にしていた。喋りたいことは山のようにあるのだが、こればかりは我慢だ。マリアを驚かせたい。カントスは、ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、作業を進める。

「これだけ豊富に香りがそろっていると、つい迷ってしまうものだな」


 北の教会では、保存する場所も(とぼ)しく、どうしても季節柄生えている植物を使うことが多くなる。調香師として、すべての依頼を思うようにこなせないのはそのためでもあった。もちろん、カントスがただ単に、自らの芸術作品に口を出されることを嫌う(たち)だ、ということが一番大きな要因だが。もし、育った環境が違えば、どうなっていただろうか。マリアのような素晴らしい調香師になっていたのか。芸術家だけでも、調香師だけでも、食べてはいけぬ中途半端な自分ではなかっただろうか。


 カントスはそんなことを考える。

「らしくないな。私は、きっと、どんな環境でもこうだったに違いない」

 カントスはふっと口元に笑みを浮かべて首を振る。止まっていた手を再び動かせば、少し頭もクリアになるというものだ。絵も、調香も、自分の理想の世界へと連れて行ってくれる。それだけで、カントスには十分だった。


 カントスが調香しているのは、朝の香り。マリアが夜の香りを作っている、と聞いた時、真っ先に自分が作りたい、と思ったものだ。時間をイメージする香りなんて、面白いにきまっている。カントスは、早朝に森へ出かけてはその空気をたっぷりと吸い、そしてイメージを膨らませた。緑豊かな森は、まさにカントスの思い描く理想そのものだった。


「後は、これを少し足せば……」

 カントスは、手元の瓶から一滴、ペパーミントの精油を落とす。ポタリ、と瓶に吸い込まれたそれは、たちまち爽やかな香りをあたりに放つ。朝の目覚めを助けるすっきりとした香り。朝の新鮮な空気、森を抜ける風、柔らかな木漏れ日。この森で過ごした日々が、カントスの脳裏によぎる。

「本当に、マリアさんには、感謝してもしきれないな!」

 嬉しそうに微笑んで、カントスは完成した朝の香りを大切そうに握りしめた。


 マリアの店じまいを手伝い、カントスは軽い足取りで二階へ上がっていく。マリアも、その後に続いて、階段を上がった。

「ミス・マリア! ぜひ来てくれ!」

 カントスは嬉しそうに、マリアの手を引く。マリアもカントスのペースに慣れてしまったのか、楽しそうにカントスの後ろ姿を見つめた。


 カントスは調香の部屋へ入ると、マリアの手を優しく引いて、その真ん中に置かれた椅子に座らせた。

「ミス・マリア。さぁ、こちらを」

 普段のカントスらしからぬ所作(しょさ)。それはまるで、お嬢様に対する執事のような。さすがのマリアも慌てて

「カ、カントスさん?」

 と声を上げた。


 カントスは、マリアの驚いた様子を気にも留めず、小さな瓶を差し出す。

「これは……?」

 見覚えのない瓶に、マリアは首をかしげた。

 オレンジと黄色のレースが編み込まれたかのようなガラスの細工。フタのフチは金色で装飾されている。カントスは、街の広場でずいぶんとお土産を渡されていたようだが、これもその一つなのだろうか。


「ミス・マリア。君に捧げよう! さぁ、フタを開けてくれたまえ!」

 いつもの様子に戻ったカントスは、美しい琥珀色の瞳をきゅっと細めた。マリアはすすめられるがまま、ゆっくりとそのフタを開ける。そして、その香りにパッと目を見開いた。


 ペパーミントの爽やかな香り。少しピリっとした辛みが、頭をすっきりとクリアにさせる。ペパーミントに相まって、レモンとグレープフルーツのフレッシュな香りが心地よい。グレープフルーツが優しい甘さを引き立てている。森にさす、一片の光。気持ちの良い風が通り抜けていくようだ。


 ミドルノートに香るのは、新鮮な緑と優しい花々の香り。まるで、今日という日を祝福するかのような、豊かな空気感。森にいるような、どこか親しみのある香りだった。

「ゼラニウムが咲いていたのでね、使わせてもらった」

 マリアは、なるほど、とカントスの言葉にうなずく。裏庭に育てていたものがあったはずだ。開花期が長く、いつでもその香りを楽しむことが出来る。どうやら、マリアは無意識にそれを感じ取っていたらしい。


「最後は……ハチミツ、ですか?」

 マリアは面白そうにその奥深い香りを楽しんでいる。ほっと落ち着く甘さと、柔らかな香りが、森のあたたかな木漏れ日をよく表していた。シダーウッドの香りが、ハチミツのどこかツンとした香りを上手く調和させている。初めに香った瞬間の香りから、この最後の香りまで、その幅の広さに驚くばかりだ。


「さすがはミス・マリア!」

 カントスは満足そうに声を上げる。

「なんの香りか分かるかい?」

 楽しそうにそう問うカントスに、マリアもつられて小さく笑みを浮かべた。口元に手をあて考えている間も、自然と口角は上がっている。


「森の、朝……でしょうか。爽やかな朝を感じさせる香りと、それから優しい森の香りがしますね」

 マリアの答えに、カントスは目を丸くする。

(かつて、これほどまでに私のことを分かってくれた人など……)

 そして、今は亡き育ての母、北の教会の管理をしていた女性のことを思い出す。今なお、カントスが愛してやまない、初恋の女性。


 カントスは思わず微笑んだ。

(なるほど。シャルルが好きになる理由が少しわかったよ。私は、君と色恋沙汰で争うなど、遠慮するがね)

 カントスの想いは、育ての母、一人に注がれている。だが、目の前のマリアを好きになる気持ちは、理解できた。

「さすがだよ、ミス・マリア。離れてしまうのが、惜しいほどに、君は素晴らしいね」

 カントスは、マリアをそっと優しく抱きしめた。それは、異性に対する愛情……ではなく、家族に向ける愛情に近い。


 そんなことは知らぬマリアは、突然の抱擁(ほうよう)に、ただ顔を真っ赤にするだけだった。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/07/26 ジャンル別日間ランキング 60位、月間ランキング 74位をいただきました。

また、感想を新たにいただきまして、本当に嬉しい限りです。

ありがとうございます!


今回は、久しぶりの(それもカントスの!)調香回でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。

香りについては、いつも通り活動報告に記載させていただきますので、ご興味ありましたらぜひ。


少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みになります!

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