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調香師は時を売る  作者: 安井優
はじまり編

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王立図書館

 大聖堂のような出で立ちに白くそびえたつ二本の柱、その中央にはステンドグラスのはめ込まれた大きな窓。柱につるされた国旗が風になびいて翻り(ひるがえ)、バサリ、と大きな音を立てる。


(何度見ても壮観(そうかん)ね……)

 マリアは王立図書館の入り口で、ぽかんと口を開けた。学生時代に何度か来たことはあるが、改めて見るとその造りのなんと厳かで繊細なことか。図書館へと続く石畳の階段でさえ、手入れが行き届いていて美しい。マリアはしばらくその外観を目に焼き付けてから、ゆっくりと階段を上った。


 入り口の看守に爽やかな挨拶をされ、マリアも会釈した。靴がカツン、と大理石でできた床を鳴らす。深い緑のじゅうたんによって疑似的(ぎじてき)に外と隔てられたその空間は、一歩中へ足を踏み入れた瞬間に別世界を思わせる。天井まで敷き詰められた本と、まるでお城のような階段。古い紙と木々の匂い。マリアは思わず背筋を伸ばした。


 ここ、王立図書館は、街の中心部にある広場から西側に位置する。名前の通り、国一番の大きな図書館で蔵書数はもちろんのこと、その敷地面積も広大だ。外観は城や大聖堂を思わせる造りになっているが、その荘厳(そうごん)な見た目とは裏腹に誰でも無料で立ち入ることができるのだから驚きだ。


 そんなわけで、子供からお年寄りまで多くの人が訪れる。最近では、近隣諸国から観光に訪れる旅人もいると聞くし、この図書館を建てた王様は偉大だな、と政治にうといマリアでもそう感じる。一部の歴史的価値のある本を除いて、ほとんどの本を自由に読むことが出来るし、持ち出すことさえできないが、朝の七時から夜の十時までという開館時間を考えれば十分だった。もちろん、この多くの本の山から、必要な本を探し出すことが出来れば、の話だが。


 マリアはくるりと図書館の中を一周見まわして、中央の大きなカウンターへと向かった。

「すみません」

 マリアが声をかけると、一人の女性がこちらに気づいて駆け寄ってくる。

「はい、ご用件をお伺いいたします」

「あの、アイラさんを探しているんですが」

 マリアがそういうと、

「少々お待ちください」

 にこりと微笑んで、女性は席を立つ。カウンターの奥にいた何人かの女性に声をかけ、しばらくしてこちらに戻ってくる。


「後五分ほどでこちらに戻ってくるようですが、いかがいたしますか」

「それじゃぁ、この辺りで待ってます」

 マリアはお礼を伝え、近くのソファに腰かける。五分とはいうものの、この図書館の司書がどれだけ多忙かは理解しているつもりだ。マリアはソファのそばにある書籍コーナーから手近な本を一冊取り出してページをめくった。


「マリア」

 思いのほか面白い小説にマリアがのめりこんでいると、隣から声がしたので、マリアは思わず肩を揺らした。


「ごめんなさいね、遅くなってしまって」

「アイラさん」

 マリアは慌てて本を閉じる。アイラはにこりと微笑んで、首を振った。

「慌てなくていいわ。面白い本だったんでしょう?」

「いえ、お忙しいのは分かってますから」

 マリアは本を閉じて、もとの棚に戻す。スカートの裾を軽く払って、アイラの方へと向き直った。


「元気だった?」

「はい。アイラさんは相変わらずお忙しそうですね」


 アイラの美しい黒髪は頭の後ろで簡単にまとめられており、化粧をしている様子もない。忙しいからではなく、司書になる前からオシャレというものに無頓着(むとんちゃく)なだけだ、とアイラ自身は思うのだが、マリアが好意で言ってくれていることは分かっているので訂正はしない。マリアはマリアで、きっちりとした司書の制服の第一ボタンですら緩めていないアイラに、息がつまらないのかしら、といつも不思議に思っている。


「ふふ、いいのよ。これくらいの方が性に合ってるわ。ずいぶんと久しぶりだけど、今日は何の用事?」

「そうでした。実はライラックについて調べようと思って」

「ライラック?」

「えぇ。精油か香油を作りたいんですけど、なかなかうまくいかなくて」


 マリアの調香師としての腕は、アイラも知っている。アイラの祖父が、マリアの祖母と知り合いだったため、マリアの家族とはそれ以来の付き合いだ。アイラは、香水やアロマといったものに興味がないので、マリアの店に行ったことはないが、街で噂くらいは聞いたりもする。マリアの腕が悪いのではなく、ライラックの性質が少々特殊なのだろう。


 アイラはうなずいて、行きましょうか、と階段を上った。

「植物図鑑と、それからハーブや薬草の研究書ね。アロマについては別のフロアだから、ここの本を見てピンとこなければ、そっちを探しましょう」


 アイラが何冊か手渡すと、マリアはパラパラとページをめくって、それからお目当ての花を見つけたのかじっとその項目を見つめる。しかし、数分も経たぬうちにマリアはそのページから顔を上げた。


「すみません、アイラさん。アロマや精油の精製方法が書かれた本の方を見てもいいですか。できれば古いものが良いんですが……」

「いいのよ。それじゃあ、そっちのフロアへ行きましょうか」


 マリアとは小さいころから家族ぐるみの付き合いがあったが、マリアの落ち込んだ顔を見たのは初めてだった。アイラは、何とかしてあげたい、と無意識にそう感じている自分に思わず驚く。


(妹がいたらこんな感じなのかしらね)

 アイラは、マリアに渡した本を片付けつつ、そんなことを考えていた。


「この本、もう少し読んでいてもいいですか」

 マリアがそう言ったのは、アイラが何気なく手渡した古い本だった。


 アロマの精製法基礎と書かれているもので、背表紙は少し色あせている。丁寧に本を扱っているこの図書館にあってもなお、色あせるということはよほど古い本だろう。


「えぇ、いいわよ。私は下のカウンターに戻ってるから、何かあったら声をかけてちょうだいね」

「はい、ありがとうございます」

 マリアが頭を下げると、アイラはひらひらと手を振って、階段を下りて行った。


 マリアは視線を本へと戻して、そこに書かれている文字を追う。

 ——アンフルラージュ。祖母が最初に教えてくれた基本的な香りの抽出方法だ。


「いいかい、マリア。どんなに手間がかかっても、やるべきことはたった一つだよ」

 祖母の声が聞こえる気がした。マリアはゆっくりと唱えるように言葉をこぼす。

「調香師は、時を売る仕事。香りは人の記憶と密接につながっているから」


(今ならわかるよ、おばあちゃん)

 マリアは思わず微笑んだ。ライラックは、いつも祖母の記憶をよみがえらせる。

「さてと、何かヒントになると良いけど……」

 マリアは気持ちを切り替えて、再びページに視線を落とした。


 アンフルラージュは、精油の基本的な精製法だが、その手間やコストからあまり使われなくなった手法だ。油脂に花を(ひた)して香料を抽出するといえば簡単そうだが、花の香りが完全に油脂へ吸着される頃に新たな花に入れ替える作業を数週間単位で続ける必要があるうえ、大量の花が必要となる。その割に、精製される精油の部分は少量なので、大変面倒な作業なのだ。


 マリアは一度祖母とジャスミンの香りを取り出したことがあるが、その際には、この作業を夢に見るほどだった。


「でも、これなら本来の花の香りに近いものを取り出せるのも事実ね……」

 マリアはしばらくその項目を読み、ふと気になる文字を見つけた。


「ホットアンフルラージュ……」

 マセレーションと呼ばれるその方法は、油脂に香りを移す際、その油脂を温めるというものだ。花を摘み取ったのちに香りが消えやすいものはマセレーションで抽出する、とある。


「どうせ試すなら、こっちもやってみる価値はありそう……」

 手間と欲(『香欲(こうよく)』とでも言うべきか)を天秤にかけたマリアが、その欲に勝てるはずもなかった。


「よし、どうせお客様なんてそんなにたくさんは来ないのだし」

 自分で言っておいて悲しくなるが、これは良いチャンスだ、とマリアはこぶしを握りしめ、決意を固める。

(おばあちゃん、見ててね)

 マリアは心の中でそう呟いて、本を閉じた。


「何か見つかったかしら?」

 カウンターでアイラを呼べば、アイラは嬉しそうなマリアにそう尋ねる他なかった。

 マリアは大きくうなずいて、

「えぇ。アイラさんのお陰です。ありがとう」

 そう言って微笑む。マリアの笑顔にひっそりと癒されたアイラもまた、笑顔でうなずいた。

「それなら良かったわ。またいつでもいらっしゃい」

 はい、と図書館には似つかわしくない声でマリアは返事をして、入り口の方へと歩いていく。


 その後ろ姿に

(妹がいたらこんな感じなのかしらね)

 と、アイラは再び思うのであった。


いつも読んでいただき、ありがとうございます!

本当にたくさんの方に閲覧いただけていて、毎日涙の出る思いで喜んでおります。

もし気に入っていただけましたら、ブクマ、評価(下の☆をぽちっと押してください)、Twitterへのコメントなどなどいただけますと大変励みになります。


20/5/15 誤記修正しました。

20/6/21 段落を修正しました。

20/6/6 改行、段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も、たいへん面白かった。 この著者の博覧強記ぶりには、毎回驚かせられてしまう。 いろいろなことに詳しいからだ。そして、その知識を小説内で詳らかにして、我々読者は、ふと主人公たちの会話…
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