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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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ナイトクイーン

 カントスがパルフ・メリエに来てから五日が過ぎた。相変わらず、カントスのマイペースさに振り回されているものの、マリアは少しずつそんな毎日に慣れてきている。最近は、雨の中運び込んだ木の板が乾いたのか、一心不乱に絵を描いているようだ。


「おはよう、ミス・マリア! お店はいいのかい?」

 いつもより遅く起きてきたカントスは、リビングのテーブルで何やら瓶を振っているマリアに声をかけた。

「おはようございます、カントスさん」

 マリアは声の主に返事をする。

「木曜日は、お休みなんですよ」

 マリアはそうカントスの質問に答えると、再び瓶を振り始めた。


 マリアは振っていた瓶を冷蔵庫に入れると、何事もなかったかのように朝食の準備を始める。カントスは不思議そうにマリアを見つめてから、身支度を始めた。マリアはそんなカントスを気に留める様子もなく、ベーコンをフライパンに放り込んだ。


 朝食を作り終えたマリアの前に腰かけて、カントスは

「そういえば、さっきのあれはなんだったんだい?」

 と尋ねる。いつもであれば、目の前に並べられたご飯へ、我先(われさき)に、と手を伸ばすカントスも、今朝のことばかりは気になったらしい。マリアはニコリと微笑んで、朝食後のお楽しみです、といった。


 朝食を終えた二人は、マリアが調香をしている部屋で、ある香りにうっとりとしていた。

「はわぁ……思っていたより、しっかり香ってますね……」

 マリアは満足そうに微笑む。カントスも隣でうなずいた。

「あぁ。素晴らしい。優雅で上品で……満月の柔らかな光を感じるようだよ……」

 二人の前には、先ほどマリアが振っていた小さな瓶が一つ。しかし、その瓶から(ただよ)っているとは思えないほど、ふくよかで心地の良い甘みが部屋いっぱいに広がっていた。


「しかし、ナイトクイーンに目をつけるとは。本当に恐れ入った! マリアさんは天才だ! やはり私の目は間違っていなかった!」

 しばらくその香りを堪能したカントスは、マリアの手をがっしりとつかんで、満足げに一人うなずく。マリアもさすがにこれには慣れたようで、クスクスと微笑んだ。


 ナイトクイーン。それは夜に開く美しい姿と香りから名付けられた花。夜にしか咲かず、日が上ると花が閉じてしまう。香りは強いが、それも花が開いている間の二、三時間。そのため、マリアは夜にかけてナイトクイーンの花を摘み、急いで香りを取り出さなければならなかったのだ。一度花を散らすと、次に花が咲くのは良くて二、三か月後。栄養が足りなければ咲かないこともある。マリアにとっては、その花を手に入れることが出来ただけでも幸運だったといえよう。


「満月の柔らかな光って、素敵な表現ですね」

 先ほど呟いていたカントスの言葉を、マリアはメモする。十メートル先にも広がると言われるナイトクイーンの香りは、まさしく、夜空を照らす満月の光そのものといっても良いだろう。派手過ぎず、しかし、穏やかに、豊かに香る甘みも、月の優しく淡い光に良くマッチしているように思えた。


 やはり、カントスは芸術家なのだ。その豊かな感性には目を見張るばかりで、マリアは少し(うらや)ましいとさえ思う。

「カントスさんのように考えると、なんだか夜のイメージも少し自分が思っていたものも違ってきますね。静かで、穏やかで……だけど、優しく、あたたかいような」

 マリアの言葉に、カントスは嬉しそうにうなずいた。


「何事も、見方次第さ。ミス・マリア」

 カントスはそう言った。マリアはその言葉に首をかしげる。

「一つの視点にとらわれていては、真に求めていたものを見落としてしまうこともある。時にはいろんな角度から物事を見つめるのさ。それが、より我々を高めてくれる」

 カントスの瞳は、どこか神聖なものに触れるかのような慈愛(じあい)に満ちた色をたたえていた。


「いろんな角度から、物事を見つめる……」

 マリアはその言葉を繰り返す。確かに、実在しない香りを作りだすうえでは、大切なことだ、とマリアは実感する。どのようなイメージか。それだけでも香りの印象はずいぶん違う。

「……だから、私はお客の求める香りを作れないのだがね」

 カントスは悪びれた様子もなく、いたずらに笑った。


「実は、この夜の香りは、カントスさんの作られた香りからヒントをいただいたものなんです。ナイトクイーンを使おうと思ったのも、その時でした。夜の香り、というくらいだから、夜にしか咲かない花の香りを使ったら面白いんじゃないか、と……。イメージなんて、まだ考えてもみなかったんですけど」


 マリアはことの顛末(てんまつ)をカントスに話す。マリアは、先日夜の香りを作ろうと考えた時から、このナイトクイーンを使おうと思い、事前に準備していたのだ。ちょうどこの時期に開花するナイトクイーンは、裏の森で昔から祖母が育てていたため、夜になってはその花を摘んでいた。


 ナイトクイーンの香りを抽出するには、冷たいアルコールに浸しておくこと。これが重要だった。熱に弱く、熱を加える方法での抽出が難しい代わりに、アルコールへ浸しておくとその香りが持続する、という特徴があるのだ。時折、その瓶を振り、冷やして、また振り……。そんなことを二週間ほど続けて、ナイトクイーンの香りは抽出することが出来る。


 マリアが思い立ってから、約一週間。完全な香りを取り出せるのには、後一週間程度、振っては冷やし、という作業を繰り返す。もともと香りの強い花なので、今でも十分楽しめるのだが、他の香りと混ぜて使うことを考えれば、後一週間程度、というのは妥当だろう、とマリアは思う。


 まさか、満月の香りをイメージなどしたわけもなく、偶然の産物だったわけだが、マリアはカントスの豊かな想像力に助けられた、と思った。しかし、カントスはカントスで、

「なるほど。ナイトクイーンの香りは、そうやって取り出すのか! 北の方では、なかなか出回らない花でね」

 と興味深そうにうなずくと、勉強になった、と子供のような無邪気な笑みを浮かべた。


 ナイトクイーンは、上手に育てても年に数回咲くか咲かないか、という貴重な花で、特に寒い地域では育てることすら難しいと聞いたことがある。北の方で出回らないのはそのためだろう。王国内であれば、問題はないだろうが、北の国からの商品が多い町では、見かける機会は少ないのだろう。


 キラキラと目を輝かせ、たっぷりとその珍しい香りにひたるカントスの顔を見つめて、

(カントスさんが北の教会に戻る前に、この香りを完成させたい……)

 マリアはそう思うのであった。


「カントスさん、もしよかったら昼食も兼ねて、街の方へ出てみませんか? 私も少し用事があるので、ついでですが……」

 マリアがそう提案したのは、十時を回ったころだった。カントスも、何か思うところがあるようで、絵を描く手を止めてひと段落している。


 マリアの提案に目を輝かせたカントスは、

「それは良い! ぜひ、街の観光もしたかったところだ!」

 と嬉しそうに立ち上がると、さっそく出かける準備をしよう、と絵筆を片付けた。


 夏の陽射しを受けて、木々が青々と茂る。マリアとカントスは木漏れ日を受けながら、街を目指すのであった。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/7/21 ジャンル別月間ランキング 74位をいただきました。

長い間月間ランキングにのせていただけて、本当に光栄です。ありがとうございます!


調香回、というよりは、ナイトクイーンにだけスポットを当てた回となりました。(全体を通して、こういうパターンは少し珍しいですかね)

今回のナイトクイーンについては、活動報告に小話を記載しております。

ご興味ありましたら、ぜひ、活動報告ものぞいていただけると嬉しいです♪


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