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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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カントスと雨の日

 パタパタと雨が窓をたたく音で、マリアは目が覚める。雨雲のせいか、外は薄暗い。

(今日は、お洗濯ものも、屋上の掃除もおやすみね……)

 マリアは、う~ん、と体を伸ばした。いつもより少し寝坊したが、朝の仕事もその分少ないので良しとしよう。マリアはそう自らに言い訳をして、眠たい目をこする。


(そういえば、カントスさんはもう起きてるのかしら……)

 マリアは小走りで洗面台へと向かう。顔を洗い、寝癖を整え、部屋に戻って身支度をすませる。いつもなら後回しにするのだが、さすがに赤の他人にそんな姿を見られるわけにはいかない。幸いにもカントスはまだ眠っているのか、彼の部屋から物音一つしなかった。


 器用に卵をフライパンへ二つ落とし、マリアはトーストにパンを入れる。その間、お湯を沸かし、紅茶の準備をする。サラダを作り、ブルーベリージャムをテーブルへ並べ、温めたティーカップに紅茶を注ぐ。トーストを皿にのせ、目玉焼きを一緒に盛り付ける。流れるようにマリアはそれらの作業をこなす。


 朝食が冷めないうちに、とマリアはカントスの部屋の扉を試しにトントン、とノックした。やはり、中から物音はせず、シンと沈黙が支配する。

「カントスさん? 朝食はいかがですか?」

 マリアは声をかけてみるも、やはり反応がない。

(まだ寝ているのね……。ミュシャ以上だわ)


 マリアは仕方がない、とテーブルの方へ向き直った。

「キャッ!?」

 誰もいなかったはずのリビングに、ずぶ濡れのカントスが立っており、マリアは思わず悲鳴をあげる。カントスはそんなマリアの様子に首を傾げ

「どうしたんだね?」

 とまるで自分のせいだとは思ってもいないようだった。


「おはよう! ミス・マリア!」

 カントスは自分がずぶ濡れであることにもかまわず、マリアに朝の挨拶、と言わんばかりに両手を広げ近づく。

「おはようございます。……まずは、体を拭いてください!」

 マリアは慌てて浴室の方へと向かい、タオルをカントスへ渡した。


「すまなかったね」

 朝食を食べ終えたカントスは、あたたかい紅茶に舌鼓(したつづみ)をうつ。あの後、このままでは風邪をひく、とマリアが半ば無理やりカントスを風呂に入るようすすめたのだ。結局、朝食は冷めてしまったのだが、それでもカントスは、おいしい、おいしい、と手を止めることなく食べ続けた。普段の食生活が気になる……。マリアは、そんなことを思う。


「どうして、朝から雨の中、森へ?」

 カントスは、早朝から傘もささずに雨の中、森にいたらしい。おなかが空いたので戻ってきた、というが、一体どういう生活をしているとそうなるのだろう。マリアの質問に、

「雨の森を体感したかったからさ!」

 とさも当然のようにカントスは答える。マリアは首をかしげた。


 気づけば、開店準備の時間だった。

「外へ出るなら、せめて傘を持って行ってくださいね」

 いまだのんびりと紅茶を飲んでいるカントスにそう念押しして、マリアは店の掃除を始める。カントスが歩いた形跡が床に残っているのが、少し面白かった。モップがけをすると消えてしまうその跡がもったいないように思えた。

(こういうのも、情緒(じょうちょ)、っていうのかしら)

 マリアはそんなことを考えながら、店の棚を一つずつ丁寧に拭いていく。


 カントスが店へ降りてくることはなかった。さすがに、他人の商売に口を出す気はないのだろう。客の来ない店内に、時折二階からカントスの鼻歌が聞こえる程度だ。本や図鑑の類は何冊かそろっているし、調香に使っている部屋を使ってもいい、とカントスには伝えていたので、何かしらの暇つぶしは出来るだろう。マリアも、昨日のカントスから教えてもらったことをもとに、メモへとペンを走らせていた。


 雨が止む気配はなく、昼を過ぎても外は薄暗い。時折、風が窓を揺らす音が心地よく響く。

「ミス・マリア」

 カントスがマリアへと声をかけたのは、昼食を終えて、うたた寝をしたくなる、そんな頃だった。階段の軋む音でカントスが下りてきていたことには気づいていたので、今度は驚くことなくマリアはカントスを見つめる。


「キャンバスが欲しいのだが、この辺りに買えるところはあるかな?」

 荷物に絵の具や筆は入れていたが、肝心の紙を忘れた。カントスは、はっはっは、と自らの失態(しったい)に大きく笑い声をあげ、恥じる様子もなくニコニコとしている。

「キャンバスはさすがに、一番近くの村にはないでしょうね……。馬車を使って、街の広場まで出るしかないと思いますが……。この雨ですし……」

 マリアの言葉に、カントスは、ふむ、と考える。


「では、キャンバスの代わりになるものはないかね? なんでもいいんだ。大きめの……そうだ! 木の板がいいな! 木材はあるかい?」

「木材……?」

 カントスは、それしかないと言わんばかりに瞳を輝かせる。まるで満月が煌々と夜空を照らしているかのよう。薄暗い店内にはその瞳の色がよく映えた。


 屋上になら、いくつか大きめの木材があったはずだ、とマリアは考える。以前、ログハウスが雨漏りを起こした時に、近くの村の大工が直してくれたのだが、その時の端材(はざい)が残っているのだ。村まで持ち帰るのも大変だろうし、置いておいてください。そう言ったのはマリアだが、まさかこのような形で役に立つ日が来ようとは。


 マリアの話を聞いて、より一層目を輝かせたカントスは、

「さっそくその板を持って来よう!」

 と下りてきたばかりの階段を上る。マリアも玄関先に立てかけておいた傘を手に取ると、慌ててカントスの後を追いかけた。


「わぉ! なんてすばらしい屋上なんだ! 雨でも最高だね!」

 屋上に上がったカントスが嬉しそうな声を上げる。傘は渡したが、ちゃんと使っているのだろうか。マリアは開かれた屋上へ続く小さな扉を見つめた。

「板はありましたか?」

 マリアが声をかけると、カントスの意気揚々(いきようよう)とした声が聞こえた。

「あぁ! あの、端に立てかけているやつだね! これくらいなら、一人で大丈夫そうだ!」


 傘はやはり使わなかったらしい。ずぶ濡れのカントスに、閉じたままの傘を渡され、マリアは小さく息を吐いた。

(本当にそのうち、風邪をひいてしまいそうだわ……)

「完璧だよ! この板を乾かして使わせてもらおう!」

 カントスのキラキラとした瞳に、マリアはそれ以上、強く言えなかった。


 床が濡れてしまわないよう、ビニールシートを床に敷き、雨でぬれてしまった板をその上に置く。カントスは何度かそういった作業をしたことがあるのか、手慣れた様子で板と床の間を何度も拭いたり、ドライヤーを板に当てて乾かしたりと忙しなかった。湿気のせいだろうか。雨の日独特の森の香りが部屋に広がって、マリアとカントスはそっと目を閉じる。

「自然に勝る香りはないね」

 カントスの穏やかな声に、マリアもうなずく。静かな雨の音が部屋を優しく包んだ。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/7/20 ジャンル別月間ランキング 68位をいただきました。

本当にありがとうございます。


久しぶりに雨の日のお話を書きました。(物語の中ではつい、晴れにしたくなるものですね)

カントスとの共同生活に振り回されっぱなしですが、ドタバタ感をお楽しみいただけましたら幸いです。


少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけましたら、大変励みになります!

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