衝撃の連続
カントスは、意外にも(といっては失礼かもしれないが)礼をわきまえているようで、部屋を案内すると、心ばかりの荷物を片隅に置き、
「掃除は手伝おう。料理も簡単なものなら作れるし、これも一宿一飯の恩義。マリアさんの助けになれることなら、なんでもしよう」
そう言って微笑んだ。
そうは言ってもお客様だ。マリアにとっては、同じ調香師として色々聞きたいこともある。気持ちだけ受け取って、大丈夫ですよ、と首を横に振った。
「いや! そう言うわけにはいかない! ならばせめて、いくらか受け取ってくれないか」
カントスは真剣な表情でそう言って、お金をいくらか差し出す。多すぎる気もするが、食材等の足しにしてくれ、と付け足すので、マリアも仕方なくそれは受け取った。
「絵を一枚と香りを一つ作ったら、帰ると約束しよう!」
つまり、それはどの程度の滞在期間なのだろうか。マリアが首をかしげると
「わからない! だが、まあ、二週間といったところだろうな!」
なぜか自信満々にそう言われ、マリアは、はぁ、と小さく生返事をする。二週間、というのは長いようでいて短い。これも何かの縁だ、とマリアはうなずいた。
「分かりました。もしよかったら、調香の様子を見せてもらうことってできますか?」
「もちろんだよ! ミス・マリア。むしろ、私の芸術作品を見ていただきたい!」
カントスは嬉しそうに両手を広げた。聞きたいことはたくさんある。想像もしていなかった展開だが、マリアにとっては願ってもないチャンスだった。
マリアの夕食をおいしい、おいしいと言ってカントスはペロリと平らげてしまった。その細身な体のどこに入っているのだろう。マリアは、目の前で嬉しそうに目を細めているカントスを見つめた。
「ん? 私の顔に何かついているかね」
「いえ。お口に合ったようで、良かったです」
「あぁ。誰かの手料理というのは良い物だね。おいしかったよ、ありがとう」
風呂を終えたカントスに、マリアは一瞬固まった。ブルーベージュの透明感のあるくせ毛は、水の重みで艶のあるストレートに変わっている。そのせいか、もともと長かった髪は肩のあたりまで下りていた。
「お風呂なんて久しぶりだよ! まったく素晴らしいね! 教会には、シャワーしかないし。それに、カモミールの精油が入っているなんて! さすがはマリアさんだね!」
「髪、乾かさないと風邪をひいちゃいますよ?」
マリアがそう言うと、カントスは、
「そうか……ドライヤーもあるのか……」
と独り言ちた。北の教会の生活レベルがどれほどのものなのか分からないが、本当に教会の機能だけなのであれば、質素なものだろうと思う。もしくは、カントスの人間性がそうさせているのかもしれなかった。
髪を乾かし終え、ようやくマリアの見慣れた姿になったカントスは、何かを書いている様子のマリアをのぞき込んだ。自らの頭上に影ができ、マリアも驚いたように顔を上げる。
「……夜の、香り?」
カントスがメモの一文を読み上げると、マリアは、少し照れたように微笑んだ。
「カントスさんの香りに出会って、色々考えたんです。私にはないアイデアでしたから」
マリアの言葉に、カントスは目を輝かせた。
「それは素晴らしい! 何か手伝えることはないだろうか!」
カントスはマリアの目の前に腰かけると、そのメモをしげしげと見つめた。
「夜の香りか。なるほど。響きも素晴らしいし、とても良いアイデアだ。そうだな、色はネイビーに金箔を入れて……」
カントスはすでに自らの脳内にイメージが湧き上がっているようで、ペラペラとしゃべりだした。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
マリアがストップをかけると、カントスはキョトンと首をかしげる。
「カントスさんは、香りからではなく、見た目から考えてらっしゃるんですか?」
マリアの質問に意味が分からない、というようにカントスはさらに首をかしげた。
「違うのかい?」
「私は、香りから考えて作っていますね……」
「だが、香りは開けるまで分からないだろう? 人はまず、見た目で判断する。そして、想像するのさ! これはいったい、どんな香りがするのだろう、とね!」
カントスは高らかにそう言い切って、ポカンと口を開けるマリアの方へ視線をやった。
今まで、実在するものから、作用を考えて香りを作りだしてきたマリアには、目からウロコだった。確かに、カントスのような『実在しない香り』を作るとなれば、見た目を重要視するのもうなずける。人は無意識にイメージしてしまうものだ。見た目と香りの名前から、どんな香りがするのだろう、と。
「なるほど……。香りと同じくらい、見た目が大切、ということですね」
「私はそう考えているよ。それに、見た目が分かっているほうが、我々にとっても香りを作りやすいはずだよ。マリアさん」
「どういうことですか?」
「マリアさんは、シーバックソーンという果物は知っているかな?」
唐突な質問に、いいえ、とマリアは首を横に振る。カントスは、マリアの手からメモとペンを取ると、さらさらと何かを書き始める。
「どんな香りがすると思う?」
手を動かしながら、カントスはマリアに尋ねる。
「うぅん……全然わかりません。果実なら、濃厚な甘みか、もしくは甘酸っぱいような香りでしょうか……」
マリアの答えに満足したのか、カントスはうなずく。
メモを渡されたマリアは、その絵を見つめた。さすが、芸術家。数分とかかっていないのに、美しい植物の絵が描かれている。小さな実がついた低木だ。
「これが、シーバックソーン。大きさはコーヒー豆くらいの小さな実で、黄色だよ」
カントスはそう説明を加えて、もう一度マリアに尋ねた。
「どんな香りがすると思う?」
マリアは、その絵を見つめて、再び考える。小さな実と、黄色という色から、酸味が連想された。
「そうですね、爽やかな……酸味……渋さを感じられるかもしれません」
カントスは、そんなマリアの答えに満足したのか目を細めた。
「そういうことさ。見た目がある方が、香りもより詳細にイメージできたんじゃないかい?」
カントスとの出会いは、マリアにとっては衝撃の連続だった。身を持って体感するとは、まさにこのこと。普段とは逆に、マリアがカントスの手をしっかりと握る。
「すごい! すごいです! カントスさん!」
マリアの様子にカントスは気を良くして、それからしばらくの間、森の外にフクロウの声が響くまで、しゃべり続けた。
「おやすみなさい」
興奮冷めやらぬマリアが、そう言って頭を下げると、カントスはその手を取って
「おやすみ、ミス・マリア」
とマリアの手の甲にキスを落とした。この行為は二度目だが、マリアが慣れることはない。
顔を真っ赤にしたマリアなど、まったく気にする様子もなく、カントスは自室の扉を閉めた。
(カントスさんって……不思議な人だわ……)
残されたマリアは、茫然とそんなことを考えながら、ベッドに入るのであった。
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20/7/19 ジャンル別月間ランキング 67位をいただきました!
いつも本当にありがとうございます。
いよいよカントスとの不思議な共同生活の始まりです。
作中に出てきた、シーバックソーンという植物については、活動報告に少し記載しております。
ご興味ありましたら、ぜひそちらもよろしくお願いいたします。
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