北からの来訪者
店の奥のジュークボックスを動かせば、アイラは楽しそうに目を細めた。オルゴールの優しい音色が店内に響く。アイラは、紅茶に口をつけて、一息つくと丁寧に頭を下げた。
「この間は、ありがとう」
「いえ、お気に召していただけましたか?」
「えぇ。とっても。香水って、悪くないのね。つけるだけで別人になった気分」
アイラは本心からそう言った。目の前に座ったマリアも、嬉しそうに微笑んだ。
「結局、告白はうまくいかなかったわ。まぁ、わかってはいたけど……」
アイラは遠くを見つめる。しかし、後悔はないようでどこかすっきりとした面持ちだった。
「もちろん、悲しかったし、つらかったけれど……。それ以上に、気持ちを伝えられて良かったと思ってるの。マリアの香りのお陰でほめてもらえたしね」
アイラはパチン、とウィンクをして見せた。
アイラは、明日、再び見合い相手に会うという。ようやく気持ちの整理もついて、また前を向ける、と晴れやかに微笑んだ。マリアは、そんなアイラをやはり尊敬する。強く、美しく、芯のある女性に憧れるのは当然だろう。
「アイラさんに喜んでもらえたのなら、私も嬉しいです」
「ほんと。失恋が良い思い出になるなんて、信じられないわね」
アイラはカラリと笑って、自らが持ってきた焼き菓子を口に運んだ。ドライフルーツの酸味が、ほのかな甘みによくマッチしている。
とにかく、アイラが喜んでくれて良かった。できれば告白もうまくいってほしかったが、そればかりはどうしようもない。香水は魔法ではないし、人間関係は一朝一夕では変わらない。アイラにとって良い思い出になった、というだけで十分だった。
「明日のデートにも使うつもりよ。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ」
マリアはぺこりと頭を下げる。
「これからもよろしくね。マリア」
「はい!」
アイラは優しくマリアの髪をなでると、にっこりと笑った。
アイラが店を出ると、パルフ・メリエには静寂が訪れる。やはりこれくらいが落ち着くというものだ。片づけを終えたマリアは、メモを開いた。昨晩考えていた、夜空の香り。そのレシピの考案中だった。
「うぅん……夜に咲く花の香りなんかが入っていると、素敵かしら。夜のイメージといえば、月や星。落ち着いていて、静かな雰囲気よね」
マリアは浮かんだアイデアを一つ一つ記していく。
店に飾られたブルンキュラの花から、バニラの香りがする。普段はあまり店に香りの強いものは飾らないのだが、せっかくいただいたものだ。もちろん、調香の材料に、といくらかは使ったが。マリアはその美しい濃い紫の花を見つめる。
「オイルは、どうやって着色したのかしら……」
そういえば、と思っていた疑問を口にした。
確かに、精油自体に色のついているものもある。柑橘系など、フルーツの皮を絞ったりするものは特に顕著だ。フルーツそのものの色が移るためだろう。ライムの香りがしたから、ライムから着色しているのだろうか。それにしては、色が濃すぎる気もする。香りが混ざってしまうため、絵の具を混ぜるわけにもいかない。
「やっぱり……もう一度、北の町へ行ってみようかしら」
マリアはうぅん、と首をひねった。
北の町へ行くには、最低でも二日。それも、教会の方まで足を延ばし、調香について話を聞くのだ。二日では時間が足りない可能性が高い。カントスの、あのおしゃべりを思えば、いくら時間があっても足りないような気がするが。マリアは、どうしようかしら、と思案した。
二日間程度であれば、店をしばらく留守にしても良いような気がする。しかし、今回は完全な私用だ。少しばかり、良心が痛む。かといって、店番を頼めるような人がいるはずもない。マリアの思考は、だんだんとレシピのことから離れていく。
カランカラン、と来客を知らせる鐘がなり、マリアはその音で現実に引き戻された。
「いらっしゃいませ」
慌ててマリアは立ち上がり、店先へ顔を向ける。
「やぁ、ミス・マリア」
そこには、今まさに、もう一度会いたいと思っていた人物がたっていた。
これはどういう巡り合わせだろうか。マリアはパチパチとその目を瞬く。長身の男、カントスと、どこか疲弊した顔のエトワール。どうして、と尋ねる前に、カントスが嬉しそうに口を開いた。
「どうしても会いたくなってね。この方にご案内していただいたというわけさ! いや、まさかこんな森の中にあるとは! 実に面白い!」
マリアは、カントスとエトワールの前に紅茶を並べ、先ほどアイラが持ってきてくれた焼き菓子を出す。エトワールは勤務中ですので、と焼き菓子には手を付けなかった。アイスティーくらいは、とマリアがすすめると、エトワールは小さく頭を下げた。隣に座っていたカントスはそんなエトワールとは対照的に、出された焼き菓子を真っ先に口へ放り込んだ。
「エトワールさんが、ご案内してくださったんですね」
マリアの問いに答えたのは、カントスだ。口の中にあったはずの焼き菓子は、あっという間になくなっていた。
「そうだ! 聞いてくれ、マリアさん。城下町まで出たものの、右も左も分からなかったんだよ。私は普段、北の町を出ないからね。そうしたら、偶然にも彼が助けてくれたのさ」
「この店の場所は、隊長……ケイさんから、うかがいました」
エトワールはカントスの言葉にうなずいて、アイスティーに口をつけた。
エトワールに疲れの色が見えていたのは、カントスをここまで案内したからだろう、ということは容易に想像できた。決して悪い人ではないのだが、慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。マリアは出来る限り柔らかな笑みをエトワールに向けて、ありがとうございました、と頭を下げた。まさか彼が、いずれこの国の王になる人物だとは、カントスは思ってもいないだろう。もちろん、知っていたところで、気にするようなタイプではないだろうが。
「この紅茶もおいしいし、焼き菓子も最高だ。なんていいところなんだ……」
カントスはうっとりと天を仰ぐ。神様に祈りを捧げているようだ。たっぷりとカントスは焼き菓子とアイスティーを堪能して、独り言ちる。
「こんなに素晴らしいところだと知っていたら、もっと早くに来ればよかった。町を出ることも時には必要だな」
何かを考えるようにカントスは口元に手を当てた。そして、顔を上げる。
「この辺りは景色も素晴らしいし……そうだね、マリアさん。ぜひ、こちらでしばらく滞在したいのだが、良いだろうか!」
琥珀色の瞳が、キラリ、と光った。そして、マリアの手をしっかりとつかむと、カントスはその眩い瞳をマリアに向ける。この突拍子もないペースに、マリアはつい、負けてしまう。
マリアが驚いていると、隣で同じように目を丸くしていたエトワールがやんわりとその手を引き離す。
「あの、部外者である僕がこんなことを言うのもなんですが……突然そのようなことを言われては、マリアさんも困ってしまいますよ」
穏やかで落ち着いた声だが、しっかりと諭すような口調。カントスは、そうか、と手を引っ込めた。
しかし、引き下がるつもりは毛頭ないらしい。勢いよく頭を下げたかと思うと、
「どうか! 一生のお願いだ! しばらくの間でいい。私は野宿でも構わないんだ! ここにいることを許してはくれないだろうか!」
そう大きな声で言った。
マリアとエトワールは顔を見合わせる。どうにも、マリアはこの手の押しに弱い。
「その……二階に一室、空きがありますから……」
マリアがそう言うと、カントスはガバリと顔を上げる。瞳は太陽のように輝いていた
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
20/7/18 ジャンル別月間ランキング 66位&10,000PV、本当にありがとうございます!
たくさんの方にこの物語を読んでいただけて、本当に嬉しい限りです。
久しぶりのアイラさんがかすむほど、カントスの嵐っぷりが止まらない回でした……。
(カントスをいまだ、こちらで制御できてなくてすみません。)
振り回されるマリアを温かく見守っていただけましたら幸いです……。(笑)
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