カントス
メックが、男とマリアの間に無理やり割って入ると、マリアはどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「カントスさん、俺のお客さんが困ってるんで」
「おや、メックくん。何、こちらのお嬢さんがこのアロマの価値を分かるというのでね」
カントス、と呼ばれた男は悪びれる様子もなくそう言って笑った。
「はいはい。それは良かったですね、よく分かりました。……すみません、マリアさん。悪い人じゃないんですけど。あ、そうそう、これが例の花です」
メックは軽くカントスをあしらって、花束をマリアに見せた。
ふわりと甘いお菓子のような香りがあたりを包む。そのむせかえるほど濃厚な香りは、とても花の香りとは思えない。バニラエッセンスをこぼしたのではないか、と思うほどの強烈なバニラの香り。マリアが驚いたようにメックを見つめると、メックは笑った。
「ブルンキュラ、という花です。限られた地域でしか育てられていないようで、あまりたくさんは出回りません。このバニラの香りが、とっても素敵でしょう」
「これは、ほんのお礼です。ぜひ受け取ってください」
メックはそう言うと、ニコリと微笑んで、マリアに美しい紫色の花束を差し出す。
「ですが、こんな貴重な花……」
「いえ、マリアさんには、以前助けていただきましたから」
メックも譲るつもりはないらしい。マリアは、しばし考えたのち、素直にその好意を受け取ることにした。その代わり、メックの店で何か買い物をしていこう、とマリアは考える。
「ありがとうございます。素敵なお土産が出来ました」
マリアがそう言って微笑むと、メックも嬉しそうに笑った。
「メックくん。この花、私にもぜひ売ってくれ!」
マリアの花束をじっと見つめていたカントスは、突如そう大きな声をあげた。
「そうおっしゃると思いましたよ。カントスさんの分も取り置きしてますから、安心してください」
メックがそう言うと、カントスは嬉しそうに目を輝かせる。ずいぶんと馴染みの客のようだ。
マリアが不思議そうにそんな二人を見つめていると、メックが何かを思い出したように、あぁ、と声を上げた。
「そう言えば、カントスさん。マリアさんも、調香師なんですよ。あの、ディアーナ王女の専属の……」
「何!? では、お嬢さんが、パルフ・メリエのマリアさんか!」
メックの言葉に、カントスは長身の腰を折り曲げて、マリアに視線を合わせる。長い前髪の隙間から美しい琥珀色の瞳がのぞく。その目は太陽のように輝いていた。
マリアさん、も。ということは……。マリアは頭をフル回転させて、あ、と声を上げる。
「カントスさんって……。もしかして、北の教会のカントスさん!?」
ディアーナ王女の専属の調香師候補。チェリーブロッサムの香りの瓶につけられたタグ。マリアはそれらを思い出して、目の前に立つ長身の男を見つめた。
「いかにも。私が、カントスさ。こんなところでお会いできるなんて、光栄だよ。ミス・マリア」
カントスは薄手の白いコートを翻し、マリアの前に跪くと、マリアの右手を取った。そして、手の甲に、ちゅ、と軽い口づけを落とす。突然の出来事にマリアが顔を真っ赤に染めると、カントスはニコリと微笑んで、姿勢を正した。
北の教会に住む、一人の男。芸術的才能に恵まれた彼の、その美しい彫刻や絵画は王国でも有名だった。男は、芸術家として活動するかたわら、調香師としても名をはせていた。
芸術家肌の、気難しい男。それが、調香師としてのカントスの評価だった。自らの気に入った香りしか作らない。依頼の内容と、出来上がった香りが全く違うことは当たり前。無理やり作らせようものなら、依頼を断る始末。しかし、出来上がった香りは一級品で、それがまた憎らしい。……というのが、芸術家肌だの、気難しいだのと噂されている原因だった。
(確かに、ちょっと変わった方だけど……)
マリアは、目の前で嬉しそうにメックに何やら早口でまくし立てているカントスの姿を見つめて首をかしげる。噂に聞くような雰囲気は微塵にも感じられない。やはり、噂は噂、ということだろうか。だが、この間のチェリーブロッサムの香り。あれは、カントスの噂通り、まったく違う香りだった。調香のこととなると、人が変わるのか。
「いやぁ、今日は良い日だ。素敵な香りの花に、まさか、マリアさんにまでお会いできるとはね。私は、尊敬しているんだよ。マリアさんのお話は以前から聞いていた。君のおばあ様のこともね。本当に素晴らしい」
メックが、カントスの分の花を取りに行ってしまったからだろう。しゃべり足りないのか、カントスはマリアの方に視線を移すと、そう言ってニコニコとしゃべり続ける。
「私はね、どうにもあの王妃様からの香りを好きになれなかったのさ。ミス・マリア。あなたはどう思う? あの香りをどう感じた?」
「わ、私は……良い、香りだと思いましたけれど。優しくて、豊潤で、けれど繊細な……」
思い出しても、なんだか優しい気持ちにさせる香りだ。極東の珍しい植物、ということも相まっていたかもしれない。ドキドキと、初めての香りに胸が高鳴ったものだ。
マリアが正直にそう答えると、カントスはなるほど、と目を細めた。
「やはり、香りというのは面白いね。人によってまるで価値が変わる。芸術と同じだ。だから、私は調香をやめられないのだよ。美しい香りは、美しい絵画に匹敵する。人の心を魅了してやまない」
「え、えぇ……。そうですね」
マリアが曖昧にそう相槌を打つと、カントスはますます嬉しそうに言った。
「あなたほどの調香師になれば、私の気持ちもわかってもらえると思っていたよ。いや、本当に会えてよかった。そうだ。もしよかったら、これから教会の方へ来ないかい? 新しい香りを作ったんだ。ぜひ、マリアさんの感想を聞きたい!」
カントスにしっかりと手をつかまれて、マリアは、えぇ、と思わず一歩後ずさる。
(カントスさんのことは、嫌いじゃないけれど……なんていうか……少し、苦手だわ……)
マリアが、メックに助けを求めようか、と視線をさまよわせると、店先から声が聞こえた。
「マリアに何の用ですか」
カントスとマリアの間に割って入ったのは、ミュシャだった。マリアは目の前に現れたミュシャに驚く反面、安堵した。
「おや、君は一体……どちら様かな?」
「マリアの友人です!」
ミュシャは大きな声でぴしゃりとそう言い放つと、カントスをキッとにらみつける。そして、そのままマリアの方に向き直ると、はぁ、とため息をついた。
「嫌な予感がしたから来てみたら……。全く、ほんとマリアって……」
「ごめんね、ミュシャ。でも、悪い人じゃないのよ。カントスさんって言って、北の教会で調香師をされてる……」
「カントス……?」
マリアの言葉に、ミュシャはピクリと反応する。デザイナーとして、一度は聞いたことのある名前であろう。
ミュシャは、ゆっくりと後ろに立つ男の方を振り返って、それから何度か瞬きをする。それから頭の先からつま先まで、カントスをじっくりと品定めするように見て、
「ありえない。……いや、信じたくない……この人が、あの、カントスだなんて」
と首を振った。
カントスは、ミュシャの言葉に
「なんてことだ! 私こそが、正真正銘のカントスだというのに。おい、メックくん! 彼に証明してくれないか! メックくん!」
とよほどショックを受けたのか、店の奥に消えたメックに声をかけた。
ブルンキュラを片手に持ったメックは、マリアとカントス、そして、先ほどまではいなかったはずの新たな客に首をかしげた。
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20/7/16 ジャンル別日間ランキング 33位、週間ランキング 69位、月間ランキング 66位をいただきました!
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