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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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いざ、北の町へ

 マリアのもとに一通の手紙が届いたのは、夏の気配がより一層増したある日のことだった。


『マリア 様

 お久しぶりです。ティエンダ商店のメックです。覚えていますか? 王城の庭園で……』


 マリアは、あの時の、と顔を上げる。ディアーナの婚約者候補だと言っていた男性だ。あれ以来、彼の話は聞かないが、元気にしているのだろうか。確か、(なか)ば強引に声をかけたような気がする。


『あれから、俺は色々と考え直し、婚約者候補は辞退することに決めました。今でも時折、考えてしまうことはありますが……それでも、自分の判断は間違っていなかったと思います』


 マリアは驚いた。まさか、辞退したのだとは思わなかった。だが、その判断を間違っていない、と本人が言えるのは良いことだろう、とマリアは思う。手紙には、マリアが話を聞いてくれたことや、ラベンダーの精油が心を落ち着かせてくれたことについての謝辞(しゃじ)が並び、マリアは思わず目を細めた。余計なお節介だったのでは、と思うが、少しでも前向きになれたのなら、マリアとしても幸せだ。


『本来であれば、直接お礼に伺いたかったのですが、実は父親が体を壊してしまって、店を離れることが出来ないのです。どうか、お許しください』


 マリアは、あら、と呟く。それは心配だ。商店を営んでいては、日々客も来るだろう。店を離れられないのは当たり前だ。忙しい中、こうして手紙をくれただけでもありがたい。マリアは手紙をめくり、二枚目に目を通した。


『さて、お手紙を出したのには、もう一つ理由があります。お礼といってはなんですが、実は近々、北方から珍しい花が手に入る予定なのです。香りの良い花で、きっとマリアさんなら気に入るのではないかと思い、ご連絡しました』


 マリアはその文章に目を輝かせた。香りの良い、珍しい花。そう聞いてマリアが動かないわけがない。続きの文章を読み、慌ててトランクケースを引っ張り出す。一日分の着替えがあれば良いだろう。封筒の裏に書かれたティエンダ商店の住所を確認して、地図を出す。マリアはそれにピンを打つと、トランクケースに荷物を詰め込んだ。


 ティエンダ商店は、王城を超えてさらに北。北の国との国境の門に程近い町の一角にあるらしい。北の国が近いためか、城下町同様に、北の国の珍しい品々や旅人、商人が多く、どこか異国の雰囲気が漂っている。夏場は避暑地としても有名で、貴族の別荘なども多く建っていると聞くから、商売にもちょうど良いと言える。


 そんな地域だが、マリアの店からは距離があるため、マリアは今まで一度も行ったことがなかった。どんなに路面電車の乗り継ぎがうまくいったとしても、片道だけで四時間はかかる。一日で帰れないことはないが、それではあまりにも(せわ)しない。どうせなら、観光もしてみたい、とマリアは考えた。


 少し値は張るが、ちょうど中間地点である城下町のあたりで宿をとり、一泊するのが良いだろう。水曜日の夕方に出発し、夜は城下町で過ごす。木曜日の朝に城下町を出れば、十分朝のうちには到着するだろう。そこから、メックの店へ行き、少し観光して戻ってくれば、木曜日の夜には店へと戻ってこれる。マリアは自らの立てた完璧なスケジュールに満足して、実家である洋裁店に電話をかけた。


「もしもし?」

 電話に出たのはミュシャだった。マリアは、こんばんは、といつも通りの挨拶をする。

「どうしたの? 今日は水曜日、じゃないよね。僕は、いつでも大歓迎だけど」

「今度の木曜日は、北の方へ行こうと思って。水曜日の夜には城下町で泊まる予定だから、電話は出来ないって連絡するつもりだったの」

「北の町? どうしてまたそんなところに」

「ちょっとしたお知り合いの方がね、珍しいお花を仕入れるって連絡をくれたから」

 マリアがそう言うと、ミュシャは何かを察したのか、

「一人? それって男? ちょっとした知り合いって何?」

 と怒涛(どとう)の質問攻めを始める。マリアは困惑しながらも、それに答えた。


「僕も行く」

 ミュシャの言葉に、え、とマリアは思わず声を漏らす。嫌なわけではないが、ミュシャにとっても貴重なお休みだ。それをマリアの完全な私情に付き合ってもらう、というのはさすがに気が引ける。ミュシャの考えなど知らず、マリアがそう言うと、

「僕が行きたいんだよ。北の方には行ったことがないし。珍しい洋服なんかもあるんじゃないかな」

 そう言って食い下がった。そこまで言われては、マリアも断る理由などない。


「それじゃぁ、水曜日の夜、十七時に路面電車の駅でね」

「うん。わかった。それじゃあ、水曜日の夜に」

「晩ご飯は、城下町で一緒に食べましょう」

「うん。楽しみにしてる」

 電話越しでも、ミュシャが上機嫌であることが分かる。

(そんなに、北の町に行きたかったのかしら)

 マリアはそんなことを考えながら、おやすみなさい、と電話を切った。


 洋裁店では、ミュシャの嬉しそうな表情に、マリアの両親が顔を見合わせていた。

「すみません、今度の水曜日なんですけど」

 ミュシャは(つと)めて冷静に話しているつもりだが、その顔からは幸せがにじみ出ている。マリアの両親は、何か良いことがあったのだな、と分かりやすいミュシャを見つめながらも、知らないふりをした。


「北の町?」

「はい。マリアが、知人から連絡があったとかで、行くそうなんです」

「ミュシャくんがついて行ってくれるなら、それは僕としても安心だけど」

「えぇ、そうね。いくら一日とはいえ、知らない町に一人で行くのは困ることもあるかもしれないし」

 察しの良い両親だ。ミュシャの気持ちを()み取って、二人はニコニコと微笑みながら、そんな風に助け船を出す。


「水曜日は、城下町に泊まるのよね。早めにお店を閉めましょうか。ミュシャくん、少しお小遣いを渡すから、何かお土産をお願いね」

 ダメ押しで、マリアの母親がそう言って微笑めば、ミュシャも普段はマリア以外に見せない笑顔を惜しみなく見せる。

「ありがとうございます。行ってきます」

 マリアの両親は再び顔を見合わせて、幸せそうに自室へと戻るミュシャの後ろ姿を見送るのだった。


 ——水曜日の夕方。

 ミュシャは、路面電車の駅に向かって早足で歩くマリアを見つけて手を振った。

「ミュシャ! 待った?」

「ううん、今着いたところだよ。もうすぐ電車が来るらしいから、それに乗ろうか」

 陽が長くなり、街はまだ明るい。二人は路面電車に乗り込み、前回と同じように窓の外を見つめる。予約した宿屋のある駅までは約一時間。着くころにはちょうど夕食を食べる人たちでにぎわっているだろう。先に宿屋へ行って荷物を置いてから、晩ご飯にしよう、と二人は決める。


 ミュシャは、初めての二人での旅行に自然と笑みがこぼれる。ふわふわとした心地よい感覚が体を支配していた。昼間の暑さが空気に残っているせいだろうか。熱に浮かされた気分だ。隣で楽しそうに窓の外を眺めるマリアを盗み見て、ミュシャはそんなことを思う。


(それにしても、北の町か……。どんなところだろう……)

 まだ見ぬ町へのトキメキも相まって、ミュシャの鼓動はいつもよりも少しだけ早く、路面電車の揺れる音に重なった。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

20/7/14 ジャンル別週間ランキング 80位、月間ランキング 59位をいただきました!

皆さまからのたくさんの反応、いつも大変励みになります。ありがとうございます!


さて、本話から新章スタートです!

新しいキャラクターも登場しますので、ぜひぜひお楽しみに♪


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