ずるい人
言葉にしてしまうと、あまりにあっけなく、二人の間に吹き抜ける風にさらわれてしまったのではないか、と不安になる。アイラは思わず地面に視線を落とした。
「……ごめんね」
シャルルの声ははっきりと、風にのってアイラの耳に届く。アイラはゆっくりと顔を上げた。
「気持ちはとても嬉しいよ、ありがとう」
シャルルの優しい声が、アイラの胸を貫いた。
(私、思っていた以上に、シャルルさんが好きだったのね)
失って初めて気づくものもあると、アイラはそう思う。
「いえ、お伝えしたかっただけですので。いきなりすみません。こちらこそ、お時間いただきありがとうございました」
アイラは背を向けて、パーティー会場へと歩いていく。シャルルは追いかけては来ない。涙がこぼれないように顔を上げた。後ろは振り返らない。気持ちを伝えられただけで満足だ。
アイラの髪を風が優しく揺らす。風に乗って、あたたかな樹木の香りがする。最初に香っていた甘みとは違い、優しい花の香りと、落ち着いた木々の香りだ。アイラはそれを一人感じて、そっと目を閉じた。
振られると分かっていた。覚悟もしていたつもりだった。それでも気持ちを伝えられればそれで良い、と過去の私は笑っていた。
(けれど……)
アイラはパーティー会場の前で足を止める。
(こんな姿は、誰にも見せられないわね)
自らの表情がどれほどひどいものか、なんとなくわかってしまうのだ。無理に笑顔を浮かべるためにひきつった頬や、細めた目が、心とチグハグになっている。アイラは、はぁ、とため息をつき、出来るだけ会場の隅でおとなしくしていよう、と決める。みんなに気づかれないようそっと会場に入ると、部屋の隅へと一目散へ歩いていくのだった。
シャルルが何気ない顔でパーティー会場に戻ってくるのを、アイラは思わず目で追ってしまう。シャルルはその視線にも気づいているのだろう。しかし、彼がアイラを見ることはなかった。
式典が終わり、アイラは真っ先に、お疲れ様でした、と図書館を出て、家路についた。幸いなことに、シャルルはまだ周りの人に囲まれていたし、アイラも会場の片付けの担当ではなかった。
王立図書館から家までは歩いて三十分ほど。心を整理するのにはちょうど良かった。その間も、風が吹くたびに香水の優しい香りがアイラを包む。あのマリアのことだ。きっと、色々なことを考えて調香したに違いない。この帰り道を想像したかは分からないが、一人になった時、心を静めてくれるような香りを選んだのだろう。アイラは少しずつ、冷静になっている自分に気が付いた。
時間が解決してくれる。アイラはその言葉を不意に思い出す。今はやはり、切なさを拭うことは出来ないが、いずれこの傷も癒えていくのだろう。そう思うと、少しばかり心も軽くなる。忘れるわけでも、美化されるわけでもないが、この思い出がきっと、のちに自分を成長させてくれるのだと思う。
シャルルが見せた最後の優しい笑みを思い浮かべる。ほんの一瞬だが、あの瞬間だけは、シャルルがアイラのことを思い、考えてくれていたのだ。そう思うと、胸が熱くなる。じんわりとアイラの瞳に涙が浮かび、にぎやかな街の広場が揺らめく。
(あぁ、こんなところで泣いてちゃダメじゃない)
アイラはそっと目をこすって、再び顔を上げた。
シャルルは最後まで完璧だった。多くを語らず、けれど、アイラの気持ちを汲み取った誠実な対応をした。きっと、これからどこかで出会う時も、そうして完璧に振舞うのだろう。そういうところが好きだったのだ。誰にでも平等に優しく、おごり高ぶることもない。小さな変化に気づき、そして、何を言えば喜ぶのかを察する。
(なんてずるい人なのかしら)
アイラは口元に微笑を浮かべる。シャルルのような人と知り合え、こうして話が出来ただけでも幸運だった。ダメ元とはいえ、告白が出来たことも。シャルルに素敵な香りだとほめられ、気持ちをきちんと受け取ってもらえたのだ。
「ほんと、十分すぎるわよね。さすが、恋が叶う香りだわ……」
アイラは思わずそう言葉をこぼす。恋、というよりも、願いが叶ったに近かった。結果として、うまくはいかなかったが、期待以上だった。
家の前に着くころには、アイラの気持ちはずいぶんと落ち着いていた。
(これも香りのおかげかしら……。魔法なんて存在しないのは分かっているけど、時代が時代なら魔法と呼ばれていたわね)
アイラはそこまで考えてクスクスと笑みをもらす。
(あの、妹だと思っていたマリアが、すっかり稀代の魔術師様だわ)
自分らしくない考えに、アイラは、自分がまだ少し興奮していることに気づく。二度ほど深呼吸を繰り返し、家の扉を開いた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
店番をしていた母親が、アイラの方に視線を向け、柔らかな笑みを浮かべた。
「式典はどうだったの?」
「いつも通りよ」
「あら、珍しい」
母親はアイラの返答に少しだけ驚いたような顔をした。
「おいしいお食事が出るんでしょう? あなた、毎年式典の日だけは嬉しそうに食べ過ぎたって帰ってくるじゃない」
さすがは母親だ。妙に目ざとい。告白のこともあり、食事には手をつけていないのだ。アイラはしまった、と思いながらも
「おいしかったわよ。でも、さすがに何度も経験してるもの。慣れてきちゃったのかしら」
と取り繕った。
足早に母親の隣を通り過ぎようとした瞬間、
「あら? あなた、香水なんか持ってたの?」
と声をかけられる。本当に、母親という生き物の洞察力というものは侮れない。
「マリアにもらったのよ。お見合いもあるしね」
「あら……。てっきり、お見合いには乗り気じゃないのかと思っていたけど、私の勘違いだったみたいね。その気になってくれて良かったわ」
何とかうまくごまかせたようだ。
「さすがはマリアちゃんね。良い香り」
楽しそうに微笑んでいる母親の横を、疲れたから休むといって通り過ぎる。アイラは自室に戻り、ふぅ、と息を吐いてシャツのボタンを緩めた。ついでに化粧を落とす。シャワーでも浴びようかと思ったが、香水の香りが消えてしまうのは少しもったいなく感じ、そのままベッドへ横になる。
一人になれば、当然先ほどまで我慢していた切なさが襲ってくる。アイラはそっと涙を流した。自室であれば、誰かに心配や迷惑をかけることもない。無理に止める必要もない。
(さっきは、落ち着いたと思ったけど……情緒不安定ね)
アイラは自嘲した。けれども、流れる涙を止めることはない。悲しみも、大切な感情だ。アイラはそっと目を閉じる。そして、どれほど年を重ねても、自らの気持ちに正直でいようと考えるのであった。
しばらくそうして、自然と涙が止まったのをきっかけにアイラはベッドから起き上がる。カバンからマリアの香水を取り出し、そっとフタを開けた。爽やかで、自然な甘さ。華やかだが、気取らない香り。元気を与えるようで、そっとそばで見守ってくれているような温かさも兼ね備えている。アイラにとってはどこかシャルルを思わせる。誰に聞いても、きっと良い香りで、嫌いになどなれるはずがない。
「ほんと、マリアもずるいんだから」
止まったはずの涙を拭って、アイラはその香水のフタをしめた。そして、そっと、部屋の一番良い場所へ飾るのだった。
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アイラさんの恋のお話も、これにて終幕です。
皆さまにも、甘酸っぱかったり、苦かったり、そういう恋の経験をどこか懐かしく感じていただけましたら幸いです。
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