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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い パーキン編

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アイラへの香り

 キングスコロンが、『恋が叶う香り』を発売すると大々的に発表してから約一週間。マリアの店、パルフ・メリエには以前の落ち着いた雰囲気が戻ってきていた。

「急にお客様が来ないというのも、寂しいものね」

 マリアは贅沢(ぜいたく)かしら、と肩をすくめる。


 マリアの手元には、たくさんの手紙が並べられている。マリアはその一枚一枚にしっかりと目を通し、そして丁寧に返事を書いていた。これらの手紙はすべて、以前パルフ・メリエで『恋が叶う香り』を購入した女性からのものであり、マリアに対する感謝の気持ちが多くつづられていた。中でも、本当に恋が叶ったという報告が書かれているものも多く、マリアは驚く。


 決して『恋が叶う香り』の力だけではないのは分かっている。しかし、こうして実際に手紙が届くと、マリアとしても嬉しかった。自らの調香した香りが、誰かの助けになる。良い思い出として心に残されていく。そう考えると、誇らしい。


 マリアは時計にちらりと目をやって、もう夕暮れか、と店に差し込んだ柔らかな橙色の光を見つめる。先日までに比べると、お客さんがいない分、時間の流れがゆっくりに感じるが、それでも何かと用事をしていると一日というのは短いものだ。マリアは、うぅん、と伸びを一つして、店じまいを始めた。


「さてと。アイラさんの香りを仕上げなくちゃね」

 店じまいを終え、一通り家事を済ませたマリアは、いくつかの香水瓶を並べて机に広げた。どれも試作品だが、いまいちピンとこず、もう一工夫、といったところだ。イメージには近づいているが、何分恋をしたことのないマリアにとっては、決め手がない。目の前に並んだ試作品の香りをそれぞれ確認して、うぅん、と首をひねった。


 マリアは、傍らに置かれた手紙に目をやる。何枚かをパラパラと見返して、それから、気になったものをピックアップする。

「何気ないものでも輝いて見えます、かぁ……。それも素敵ね。こっちの、自分が魅力的な女性になった、という文言もなんだか嬉しいわ。それにこれも……」


 マリアはふむふむ、とそれらをメモしていく。

(魅力的になったような気分、普段の生活を輝かせる……(いろど)るような……)

 マリアはそのイメージを思い浮かべた。


(きっと、花が開くような……新しい香りが出来た時のような、そういうものかしら)

 マリアは自らが経験したことを、恋に重ね合わせる。トキメキ、といえば近いものがあるかもしれない。カモミールのつぼみを見つけた日。ライラックの香りを作りだせた日。完成したチェリーブロッサムの香りや初めて王城へ行った日のこと。マリアは記憶の中のそういう出来事を思い出して、一人微笑んだ。


 目の前に並んだ香水瓶は、どれもすべて基本は同じだ。ジャスミンにホワイトピーチ、ローズ。シダーウッドにバレリアン。この組み合わせだ。それにもう一つの香りを加えて作っている。魅力的になれる、そして日々を輝かせる。この中でそう言ったものに近いのは、アンジェリカ……通称『天使のハーブ』と呼ばれるものを加えたものだ。


 アンジェリカは、自らの心に正直になる効能を持ち、それでいて前向きにさせる力があると言われている。『天使のハーブ』と呼ばれるだけあって、どこか神秘的で甘い香りがするのだ。柔らかなシルクに包まれるような気分になるので、この香りを(まと)うことで、魅力的な女性になれるような気がする。


 ここにマリアは、クミンを加えることにした。そのスパイシーな香りは強力で、分量に注意が必要だが、一滴加えるだけでも華やかで(きら)びやかな印象にさせる。実は、媚薬(びやく)として効果を発揮することが出来るのだが、今回はそこまでは必要ないだろう。心を活性化させる効果があるので、告白をする、と意気込んでいたアイラを勇気づけることが出来るのではないだろうか。華やかな香りが、日常をより鮮やかに(いろど)ってくれるはずだ、とマリアは想像し、さっそくクミンの入った瓶を探すのであった。


 クミンを鍋に入れて、火をかける。しばらくするとスパイシーな香りがマリアを包み、食欲を増進させる。先ほど晩ご飯を食べたばかりだというのに、なんとも罪深い香りだ。マリアはなんとか気持ちをおさえて、香ばしく色づいてきたクミンの上に水をはった。沸騰(ふっとう)させてから、弱火にする。後で少し残ったものを飲もう、マリアはそう決心して、軽く鍋をかき混ぜた。


 出来上がったものを一滴、香水瓶の中に入れる。爽やかなジャスミンとホワイトピーチの軽やかな甘さ。そこにクミンのスパイシーな香りが加わって、エキゾチックな香りがする。ローズの華やかさとアンジェリカのパウダリーな淡い香りが、クミンの香りをうまく調和させている。最後に立ち込めるシダーウッドとバレリアンが、マリアの心をすっと落ち着け、マリアはその香りに満足した。


 明日、手紙の返事を出すのと一緒に、アイラへこの香りを送ってみよう。マリアはそっと香水瓶を梱包し、小さな箱に入れてフタをした。

(アイラさんの告白が、うまくいきますように)

 マリアはそっと窓の外に輝く月に手を合わせて、そっと祈った。


 翌日、マリアはいつもより早く起きて、店の扉に貼り紙をする。開店時間を少し遅らせるという(むね)が書かれているが、ここしばらくの客足を考えれば、問題はないだろう。朝食や掃除、着替えを済ませ、マリアは手紙と箱をカバンにつめる。


 マリアの店から一番近い郵便屋は、森を抜けた先の小さな村にある。郵便屋といっているが、実際には郵便物を届けたり、預かったりしてくれている青年が一人住んでいる小さな家だ。マリアへの手紙や届け物を持ってきてくれるのもこの青年だった。


「おはようございます」

 扉をノックしたマリアの姿に、青年は爽やかな笑みを浮かべる。

「おはよう、マリア。今日は何か贈り物かい?」

「はい。手紙と、この小包を」

「またいっぱい持ってきたね。どれどれ……」


 青年はパッと王国の地図を広げて、それぞれの住所にピンをたてていく。

「うん。この量と地域なら、これくらいかな」

 青年が手早く計算し、その数字をさらさらとメモに書くと、マリアは財布からぴったり金額を出した。青年はそれを受け取って

「ありがとう。じゃぁ、明日には届けるからさ」

 そう言って軽く手を上げる。マリアは頭を下げて、郵便屋を出た。


 アイラがマリアからの香水瓶を受け取ったのは、マリアが香りを作りだしてから二日後のことだった。マリアにああいったものの、いざ本当に物が届いてしまうと、もう逃げられないという思いがアイラの中に芽生える。

「こういうときに限って……本当に不思議なものよね」

 アイラはチラリとカレンダーに目をやって、それからはぁ、と息を吐いた。


 アイラの部屋に置かれているカレンダーには、丸印がつけられている。それは、アイラにとって特別な日だ。マリアなら必ずこの日に間に合わせてくれるだろう、とは思っていたが、こんなにタイミングがピッタリだと、ただの偶然とは思えない。

「覚悟を決めろってことかしらね」

 明日の日付につけられた丸印。それはまさしく、アイラの勤め先である王立図書館に、シャルルがやってくる日だった。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/7/9 ジャンル別週間ランキング 72位、月間ランキング 69位をいただきました。

本当に、たくさんの応援、いつもありがとうございます。


今回は久しぶりに、アイラさんのお話に戻ってきました。

作中に登場するクミンのお話を、活動報告にて記載させていただいておりますので、ご興味ある方はぜひそちらもご覧ください。


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