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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い パーキン編

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化学者と調香師

 契約を終え、パーキンは一仕事終わった、というように表情をやわらげた。

「タバコを吸っても?」

 マリアがうなずくと、パーキンは会議室の窓を全開にし、スーツの内ポケットからタバコの箱を取り出す。手際よくマッチに火をつけ、タバコの先端に火を移すと、柔らかな煙がくすぶった。


「フルーティーな香りですね」

 タバコ、というので煙臭いものをイメージしていたマリアは、想像からかけ離れた香りにパーキンを見つめる。

「あぁ、これも自社製品だ。もともと、両親がヘビースモーカーでな。それで、香水を作る実験ついでに様々なフレーバーのものを作ったんだ。今では私がはまってしまったというわけさ」

 自嘲(じちょう)気味にパーキンは笑い、ふっと口から煙を吐き出した。


「この香りも、先ほどの化学物質から?」

「あぁ。これは酢酸(さくさん)ペンチル……ナシやリンゴに似た香りだな。それに、酢酸(さくさん)アミル……バナナの香りを加えている。トロピカルなタバコがあっても面白いだろう」

 お堅いイメージのパーキンだが、さすがにそこは優秀な経営者。発想力もずば抜けている。

「へぇ……。本当に、なんでも作れてしまうんですね」

 パーキンの説明にマリアは素直に感心する。そのうち、この技術が調香にはかかせなくなっていくのだろう、とそんな風にさえ感じた。


 パーキンは煙を吐いて、ゆっくりとマリアの方を見つめた。

「……だが、マリアにはかなわなかったな」

 眼鏡の奥に光る瞳がマリアを射抜く。マリアが首をかしげると、パーキンは肩をすくめる。

「王妃様からの調香の依頼だ。覚えているだろう? チェリーブロッサムの香り」

 パーキンの言葉にマリアは、あ、と小さく声を漏らすと、パーキンは首を横に振った。


「いや、謙遜(けんそん)や気遣いは不要だ。私の作ったあの香りは、ただ混ぜ合わせただけに過ぎなかった。近い香りではあっただろうが、それ以上でも以下でもない。相手への配慮が足りなかった。私が技術をひけらかしたかった、それだけに過ぎない」

 パーキンは遠い目をしてそう言った。過去の自分の行いをあざ笑うかのように、彼は目を細める。


 そもそも、今回初めて経験した香りだ。混ぜ合わせただけとはいえ、近い香りを作るだけでも相当苦労するはずなのだ。それでも、パーキンは作り出したのだから、実際にはそれだけで十分な力があるといえよう。しかし、パーキンは満足していないようで、その時のことを思い出して少し眉をひそめた。


「実は……こんなことを言うのも恥ずかしいが、王妃様から不合格通知をもらった時には、なぜだ、と思ったよ」

 パーキンは苦笑いを浮かべて続ける。

「あの時の私には、作り出せない香りなどないと思っていたからね。納得がいかなかったんだ」


「それで、特別に君の香りを王妃様から分けていただいてね。驚いたよ。あれは、我々には作り出すことは出来なかった。実際にあの異国の花を手にした時の高揚(こうよう)。それに心を()せることの出来る香りだった」

 パーキンは素直にマリアの腕に感動した。あの時のことは忘れないだろう。自らがどれほどおごり高ぶっていたか。それを、小さな店の、まだ年端(としは)もいかぬ女性から突き付けられたのだ。


「パーキンさんの香りも、大変忠実に作られていたと思います」

 マリアのフォローに、パーキンはいや、とマリアを制した。

「それだけだ。人の心を動かすような力は、あの香りにはなかった。悔しいが、完敗だ」

 パーキンはニコリと微笑んで、タバコに口をつけた。


「私は、どちらかといえば、化学者でね。調香師というには少しおこがましい。これから、勉強させてもらうよ」

 パーキンはタバコを灰皿に押し付けると、マリアの方へ向き直り、もう一度頭を下げた。

「これから、ビジネスパートナーとしてよろしく頼む」


 年上の、それも大きな会社の社長からそんな風に言われ、マリアは慌てて

「やめてください、そんな。こちらこそ、パーキンさんや、キングスコロンからはたくさん学ぶことがありますから」

 とたまらず声を上げる。パーキンは顔をあげると、無表情のままうなずき

「確かに、対等な関係でなくてはならないだろうな。こちらから何か手伝えることがあれば、ぜひ言ってくれ」

 そう言った。タバコの残り香だろうか。ふわりと青リンゴのような爽やかな香りが二人を包んだ。


「そうだ。特別に、君の社員カードを作って郵送しよう。カードを受付で見せてくれれば、好きな時にキングスコロンの中へ入ることが出来る。事前に連絡をくれれば、私が案内しよう」

 パーキンは良いことを思いついた、という風にそう言うと、何やらサラサラと手帳にメモをして、満足そうに微笑んだ。

(なんだか、思っていたよりも大層なことになってしまったわ……)

 マリアはそんなことを思いながらも、パーキンの好意をありがたく受け取った。


 最後に店を見ていってくれ、とマリアは工場に隣接したガラス張りの建物へ案内された。大理石の敷き詰められた床、天井につるされたシャンデリア。豪華で(きら)びやかな内装が、まるでお姫様のような気分にさせる。

「すごい。素敵な雰囲気ですね」

「あぁ。内装にはこだわったんだ。安い物を買うからといって、サービスを(おこた)っては客も喜ばないというものだ。最高のサービスこそが、客を満足させる」


 パーキンの言葉に、なるほど、とマリアはうなずいた。そして、改めて店内を見渡す。そこかしこに並べられている香水はどれも素晴らしいデザインの香水瓶に入っており、名前もユニークだ。この中に、自分が作った『恋が叶う香り』もいずれ並ぶのだと思うと、誇らしい。

(発売されたら買いに来ようかしら……)

 マリアは柄にもなくそんなことを思い浮かべた。


 マリアはパーキンからおすすめの香水をいくつか紹介してもらい、それを購入することにした。プレゼントしてやろう、というパーキンの申し出は気持ちだけ受け取った。綺麗なショッピングバッグに包んでもらい、マリアはそれを片手に下げる。キングスコロンでの一日はあっという間に過ぎ去っていった。


「さて、そろそろ私も会議でね。家まで送り届けられなくて申し訳ない」

 店を出たところで、パーキンはそう言って頭を下げる。

「いえ、大変勉強になりました。ありがとうございます」

「こちらこそ。君とは良い関係を築けそうだ。ぜひ、商品が並んだ日には一番に来てくれ」

 パーキンはそう言って、再び手を差し出す。マリアもその手を取って、互いに固く握手した。


「パーキンさんは、多くの人を香りで幸せにしたいとおっしゃっていました。それは、化学者としても、調香師としても素敵なことだと思います」

 マリアが最後にそう言うと、パーキンは少し照れたように微笑んだ。

「ありがとう。そう言ってもらえると、誇らしいよ」

「魔法使いみたいで、化学者もかっこいいですし」

「はは。化学は、魔法ではない。現実をより明確に形作るものだ」

 パーキンは肩をすくめてそう言う。


「……だが、そうだな。魔法使い、というのも悪くないな」

 パーキンの言葉にマリアは柔らかく微笑んで、そして深く頭を下げた。

「それじゃあ、また」

 マリアが手を振ると、パーキンも片手をあげてそれに答えた。


 キングスコロンからの帰り道。マリアはそっとキングスコロンで買った香水瓶を開ける。青リンゴの爽やかな香りが広がって、今日一日を思い出させた。

(本当に、良い一日だったわ)

 胸いっぱいの充実感に包まれて、マリアは微笑んだ。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

ジャンル別週間ランキング 70位、月間ランキング 69位をいただきました!

連日、このようにランキングにのせていただけて、大変光栄です。


前回に引き続き、化学と香りの関係をお楽しみいただけましたでしょうか。

パーキンの人となり、みたいなものが描けたので、満足しております。

皆様にもパーキンを気に入っていただけていたら嬉しいです。


20/7/10 誤字修正しました、すみません!誤字報告くださり、ありがとうございます……!


少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みにます。

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