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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い パーキン編

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キングスコロン

 マリアは、目の前にそびえる大きな建物に目を丸くした。

「マリア? どうした。こっちだ」

 前を歩いていたパーキンに声をかけられ、マリアは慌ててその後をついて行った。


 パーキンに案内され、マリアはエントランスをくぐる。真っ白な大理石がまぶしいホールには様々な商品が展示されており、ガラス扉を(へだ)てて、その奥には何やら大きな機械が大量に動いているのが見えた。スリッパに履き替え、パーキンの姿を見失わないようにマリアはついていく。


「ここで少し待っていてくれ」

 階段を上り、案内された小さな部屋は、机と椅子があるだけの簡素な部屋だ。商談用の部屋、ということなのだろう。マリアはキョロキョロと部屋中を見回す。スライド式の扉は開けたままになっており、時折涼しい風が吹き込んだ。


「すまない。コーヒーは飲めるか?」

「わざわざありがとうございます。大丈夫です」

 書類の束を持ったパーキンが顔を(のぞ)かせる。マリアが答えると、パーキンは外にいる人に向かってコーヒーを二つ、と指示した。パーキンはそのまま書類を机において、マリアの前に座る。ほどなくして、美しい女性がコーヒーカップを持ってきた。


 コーヒー豆の良い香りが部屋に漂う。普段は紅茶を好んで飲んでいるマリアだが、コーヒーが決して嫌いなわけではない。むしろ、コーヒーの独特の香りは好きだった。

「良い香りですね」

 マリアが言うと、パーキンも嬉しそうに笑ってうなずいた。


 コーヒーを半分ほど飲み終えたパーキンは、コーヒーカップを置いて

「では、早速だが、工場を案内しよう」

 そう言った。マリアの瞳は自然と輝く。そう、今日の目的はキングスコロン社の工場見学なのだ。


 再び階段を下り、パーキンはガラス扉を開けた。その瞬間、様々な香りがぶわりとマリアを直撃し、思わずマリアは目を丸くする。大きな貯水タンクから伸びた太い銅管のパイプが天井を覆いつくしており、奥からは蒸気が見えている。それ以外にも、何やらゴトゴトと大きな音を立てて揺れている機械や、勢いよく回転する謎の機械など……。目の前に広がる光景が、香水工場だとはにわかに信じがたかった。


「我々は、今まで貴族の嗜好品(しこうひん)であった香水を、一般庶民の人達にも手に取りやすい価格にしたかったんだ。大量生産をすることで、物の仕入れ値が下がり、安く作ることができる」

 パーキンは、面白いものを見せてやろう、と右側を指さした。


 パーキンの指の先、真っ白な壁とガラスで隔離(かくり)されている実験室。中では白衣に身を包み、ゴーグルをつけた人達が何やらせっせと液体を混ぜていた。パーキンはマリアを手招きし、部屋の中が一番良く見えるガラスの前に立たせた。マリアはガラス越しに中の様子を見る。


「薬品……いや、わかりやすく言えば化学物質だな。あれは、ビネガー……つまり酢からとれる酢酸(さくさん)という物質とエタノールというアルコールを混ぜている。そしてそこに、濃硫酸(のうりゅうさん)を加えると、パイナップルに似た果実臭が出来るというわけだ」

 パーキンはくい、と眼鏡を持ち上げた。マリアの頭にはクエスチョンマークが並んでいる。パーキンはそんなマリアの様子に、ふむ、と口に手を当てた。


「つまり……本来、果実を絞って作り出していた精油も、化学の技術があればいくつかの液体を混ぜ合わせることで作ることが出来る、というわけだ。液体は、花や果実に比べて値段も安く、季節に関係なく手に入れられる」

 パーキンの説明をようやく理解したのか、マリアは目を丸くしてパーキンを見つめる。


「そんなことが出来るんですか?!」

「あぁ。花の香りはこの果物に比べて手間がかかるものが多くてな、まだ完璧とは言い難いものが多いが……。値段に見合うだけの香りは出来ていると自負しているよ」

「すごい……。すごいです! こんなことが出来るなんて!」

 マリアが目を輝かせると、パーキンはふっと目を細めた。


 大きな鍋は、難しい花の香りを作る際に、大量の花を仕入れて一度に多くの香りを取り出しているらしい。手法としては、マリアが普段よく行っている香りの抽出方法と同じだ。天井に張り巡らされた銅管は、その抽出された香りの通り道ということだろう。蒸気が上がっていたところは香水瓶を作るガラス工房のような場所だと説明された。瓶も自分たちで作ることで、価格をおさえることができ、より商品性も上がるという。


 そのほかにも様々な設備を紹介され、マリアは子供のように心が弾む。ただでさえ、このような大きな機械に囲まれる経験などなかったのだ。まるで未来にタイムスリップした気分だ。マリアの質問にパーキンが丁寧に答えてくれたことも、功を奏したといえよう。工場をあらかた見終えた頃には、思わず自然とスキップしてしまうほど、マリアは満足していた。


 最初に案内された部屋に戻り、パーキンが椅子に腰かける。用意された新しいコーヒーを一口飲んで、ようやくマリアはふぅ、と息をついた。

「本当に素晴らしい工場見学でした。ありがとうございます、パーキンさん」

「気に入ってもらえたなら何よりだ」

 マリアの様子に、パーキンも微笑んだ。


「ところで、先日の件は考えてくれたかな」

 コーヒーを飲み終えたパーキンが、手元の資料をパラパラとめくってそう言った。

「工場を見てもらって分かったと思うが、ここには大量の香水を作る設備がそろっているし、安い値段で売り出せる。君が作った『恋が叶う香り』は、若い女性を中心に広まっている。これから大量に作らねばならないだろうし、何より、若い女性が買える値段でなくてはならない」


 マリアはパーキンから差し出された資料に目を通す。

「失礼ながら、『恋が叶う香り』を分析させてもらった。我々なら、これと同じ香りを、君の店で売っている金額の三割引きで作ることが出来る」

 マリアはパーキンへ視線をやった。パーキンは無表情で続ける。

「君に利益の一部を返金したとしても、利益を出せる。だからこそ、出来る限り安く、そして多くの恋に悩む人へ届けたい。もちろん、女性だけでなく、男性にだって」


 パーキンの瞳に、曇りはなかった。自らのさだめた目標に向かって、ただひたむきに向き合った結果だろう。強い光が宿り、そこには嘘や私利私欲にまみれた感情は見えない。キングスコロン社の社長としてのプライドはもちろん、自信にあふれており、揺るぎない熱意を感じる。


 マリアは持ってきていたカバンから一枚の紙を取り出した。その紙を見て、パーキンの瞳は輝く。

「このお話、お受けいたします」

 マリアのサインが入った契約書。マリアがそれを差し出すと、パーキンはゆっくりとそれを受け取って、嬉しそうに微笑む。

「ありがとう、マリア。これで、我々キングスコロンと、パルフ・メリエの契約は成立だ」


 パーキンは立ち上がり、そっと右手を差し出す。マリアもその手を取って、ゆっくりと握手した。パーキンの手は、想像していたよりも温かく、マリアには心地よかった。

「よろしくお願いします」

 手をほどいてマリアが頭を下げると、パーキンも深く一礼した。

「こちらこそ、よろしく頼む」


 顔を上げた二人は、自然と微笑みあったのだった。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/7/7 ジャンル別日間ランキング 64位、週間ランキング 63位、月間ランキング 69位をいただきました!

連日、本当に皆様より応援いただき、感謝してもしきれません。

本当にありがとうございます。


キングスコロンでの不思議な香り作りの体験、いかがでしたでしょうか。

詳細は活動報告にて少しお話させていただいておりますので、ご興味ある方はぜひそちらもご覧ください。


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