パーキン
『恋が叶う香り』が街で噂になってから、一週間。ようやく客足はまばらになり、マリアにも少しの余裕が出来てきた。もっとも、マリアが忙しさに慣れてきたこともあるだろう。アイラ専用の『恋が叶う香り』も完成に近づいてきており、マリアは静まった店内を見回した。
ここ最近で、マリアの店が静まり返るというのは久しぶりのことだった。王城へ行く前なら当たり前だったはずの光景も、少し寂しい、といえば欲張りだろうか。それでもマリアには、この忙しさゆえに後回しにしていた様々な仕事が他にも残っている。マリアは店の裏にある畑の雑草を抜いたり、屋上を掃除したり、と休憩する間も惜しんで動いていた。
「ここが、パルフ・メリエか……」
店の看板を見上げた男は、銀色のフチが印象的な眼鏡を、くい、と片手で上げた。美しいネイビーブラックが木漏れ日に透けてチラリと青を反射させる。ワイシャツにはしわ一つなく、ネクタイはきちりと絞められている。スーツのズボンが男のスラリとした長い脚をより強調させており、フォーマルなバッグには大量の書類が入っているのだろう、と見る人に想像させた。
「ずいぶんと静かだが……、本当にここであっているのか。これで違ったら、こんなところまでわざわざ来たというのに取り越し苦労だな」
男が事前に聞いていた情報では、『パルフ・メリエ』という店に、『恋が叶う香り』があり、それを求めて大勢の女性が押しかけている、ということだった。森の中とは聞いていたが、まさかここまでとは。男は額に伝った汗をブルーのハンカチでふき取って、一つ息を吐いた。
マリアは、屋上で干していたラベンダーをいくつか手に取って、香りを確かめる。良さそうなものをカゴに入れて、二階のキッチンの隅に置く。次は店の裏に咲いたクチナシの花でも摘もうか、と一階へ降り、玄関先の扉を開ける。
「あぁ、君がマリアか」
マリアは店の前に立っていた見知らぬ男にきょとんと首をかしげた。
「初めまして。私は、パーキン。キングスコロンの社長、と言えばわかるだろうか」
パーキン、と名乗った男は、かぶっていたハットを取り、胸の前にあてて小さく頭を下げる。マリアはその名前に固まる。そして余りの衝撃に持っていたカゴを落とした。
「大丈夫か」
パーキンにカゴを差し出され、我に返ったマリアは慌てて声を出した。
「すみません! あ、あの、とにかく中へどうぞ」
『キングスコロン』。それは、最近王国の中で若い人や貧しい人を中心に人気のある香水ショップだ。ショップ、と言ってもその見た目は工場というのがふさわしい。いまだ古い建物が残る王国には珍しく、ガラス張りの店舗は近未来的。その隣には、ショップとは対照的な、コンクリートで塗り固められた大きな長方形の建物がドンと構えている。噂では、その建物の中で大量の香水を生産しているのだそうだ。
マリアも耳にしたことくらいはある。むしろ、一人でこのような店を営んでいるマリアにとって、それはなんとも革新的なことだった。大量生産が出来る上、驚くほど安い価格で様々な香りを作りだしているのだ。なんと魅力的なのだろう、と思う。もちろん、手作りには手作りの良さがある、と思うが、到底足元に及ばない部分もあるので、そこに憧れが存在するのは当たり前のことだった。
それだけではない。マリアがその名前に聞き覚えがあったのは、つい最近、その名前を目にしたからだ。
(……王妃様からの謝礼に確か……)
同じチェリーブロッサムの香りを作った人達の香水瓶。その一つに『キングスコロン、パーキン』と書かれていたのではなかったか。
マリアはフルーツウォーターをパーキンの前に置き、そして、向かい合うように座った。
「ありがとう。道中、あまりの暑さに死んでしまうかと思ったよ」
パーキンなりの冗談のつもりだったが、あまりに無表情のため、マリアには伝わらなかった。パーキンは出された水に口をつけて、カバンから書類の山を取り出す。どうしてこんなところにパーキンさんが、とマリアが口を開きかけたところで、パーキンが言った。
「実は、君の作った香りを買い取って、こちらで生産させてほしいと思ってね。今日はそのお願いに来たんだ」
パーキンはそう言うと、書類の山からいくつかの資料を抜き取って、マリアの前に並べた。
「愛の花束。どうだろうか」
かわいらしくも、どこか大人っぽいデザインの小瓶。ピンクとも紫ともとれぬガラス瓶の色が美しい。フタにはレースの模様があしらわれており、本体には美しい小花のガラスが埋め込まれている。マリアはあまりに早すぎる展開に、イラストとパーキンの顔とを交互に見た。
「……えぇっと、つまり……。大手香水会社さんであるキングスコロンさんが、私の作った『恋が叶う香り』を作りたい、ということでしょうか」
マリアは、パーキンの説明を繰り返す。
「あぁ、そうだ。もちろん、売り出す際には君とのコラボ商品だと大々的に発表する。売り上げも、いくらかだが、君のもとに入るようにすると約束しよう」
パーキンは眼鏡の奥の瞳を光らせて、そううなずいた。
マリアは思案していた。確かに、マリアの作った香水は、フローラル系の簡単なもので、調香も複雑ではない。とはいえ、買いに来た女性すべてに商品を売れるほどの量は、マリアだけでは作り切ることが出来ない。それに、時期が時期なだけにそろそろ作れなくなるだろう、と思っていたのだ。キングスコロン社ほどの大手ならば、何か秘策があるのかもしれない。
しかし、とマリアは考えた。この香りをキングスコロン社が作ることに何のメリットがあるのだろうか。確かにいまだに客足は絶えないとは言え、ピーク時に比べればずいぶんと下火になっている。このブームも長くはもたないだろう。仮に、まだ行き届いていない人達に配り歩いたとしても、結局『恋が叶う香り』というのは、あくまでもお守りみたいなものだ。興味がなければ買ってはもらえない。
「あの、どうしてこの香りを?」
マリアが素直に疑問を投げかけると、パーキンはよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにさらに資料を並べた。表やグラフ、難しい数式が並んでおり、事細かに文字が記されている。
「これは私の会社が独自に調査した結果でね。失礼を承知で、この店の香りを買った女性たちにアンケートをとった。すると面白いことが分かったんだよ」
パーキンはグラフを指さした。マリアは誘導されるがままにグラフへ目を向ける。
「ここを見てくれ。実際に、恋に進展があった、もしくは何らかの効果を感じたと答えた女性の割合が、なんと七割越え。プラシーボ効果もあるかもしれないが……いや、あるならあるで結構。これが公表されればどうなると思う?」
マリアがきょとん、と首をかしげると
「これは、本当に恋が叶う香りだ、と実体験に基づいた経験談が出回る。そうなると、さらに真実味が加わって、より多くの人が求める。需要が高まる、というわけさ」
パーキンはキラキラと子供のように目を輝かせた。
それから、今後それがどの程度の需要があるか、という推測を立てたグラフやら、経営的にはどうたら、というような話を延々とパーキンは語った。語りつくしたのか、マリアが完全にフリーズしているのを察したのか。どちらかは分からないが、パーキンはふぅ、と一つ息を吐いて区切った。
「そう言うわけだ。君に損をさせるつもりはない。ぜひ考えてほしい」
パーキンはそう言って、柔らかな笑みを浮かべた。
「えぇっと……すみません、こういったお話をいただくのは初めてで。大変光栄ですが、少し考えさせてください」
マリアがそう言うと、パーキンは、わかっている、とうなずいた。
「ただ、君にも人手が必要になる時が来る。その時は、私を頼るといい。多くの人に香りを届け、笑顔にするのが我々の仕事だ」
パーキンはそう言うと、大量の資料と電話番号を書いた小さなメモを置いて席を立った。
「あぁ、そうだ」
パーキンは、玄関先でくるりと身を翻す。
「もし興味があれば、キングスコロンの中を案内しよう。私たちのことを知れば、君も余計な心配や警戒をする必要などなくなるだろう」
そう言って彼は口元に小さな笑みを浮かべる。そして、
「見送りは結構。それよりも、その資料に目を通してくれる方が私としてはありがたいのでね」
パーキンはそう言うと、ひらひらと手を振って、店を出ていった。
取り残されたマリアは、目の前に並べられた資料の一枚を手に取った。
「いつの間にこんなことを……」
そこにはびっしりと、マリアの店で香水を購入した人物の年齢と性別、何を購入したのかというリストが書かれている。キングスコロン社ともなれば、このようなことは造作もないのだろう。謝礼の欄にチェックがついているところから、協力した人物には丁寧に謝礼していることもうかがえる。マリアは、他の資料もパラパラと手に取った。
先ほどの商品イラストをはじめ、商品名のリスト、それに伴ってどれほどの売り上げと効果が見込め、マリアの手元にどれほどの金額が入金されるか、ということまで事細かに書かれている。まさかすべてをパーキンが作成したわけではないだろうが、それにしても細部まで丁寧に仕上げられたその資料には、マリアも驚くばかりだ。
『恋に悩む、すべての人に捧げる』
手に取った一枚の資料に、マリアの目が留まった。美しい字で書かれたそのキャッチコピーには、多くの人に香りを届け、笑顔にするのが役目だといったパーキンの言葉がよく表れているような気がした。
マリアも、その考えには賛成だ。パーキンの言う通りなら、今後、人手が足らなくなることは間違いない。
(……どうするべきかしら……)
マリアは、資料の山をまずは何とかしなくちゃね、と机の上を片付けるのであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
20/7/6 ジャンル別週間ランキング 55位、月間ランキング 71位 をいただきました!
いつも応援いただいて、大変ありがたい限りです……!
さて、今回は章タイトルにもなっている新キャラの登場でしたが、いかがでしょうか?
今までにあまりいなかったタイプのキャラですが、誰か一人にでも、気に入っていただけたら、パーキンも喜ぶのではないかと思います……!
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